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JIROの独断的日記
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2007年06月12日(火) 指揮者・岩城宏之さんは、昨年の6月13日に亡くなりました。デビューで振った「悲愴」第3楽章

◆記事:(昨年6月16日付、毎日新聞「余録」)余録:竹のお菜箸をヤスリで削った指揮棒は…

竹のお菜箸(さいばし)をヤスリで削った指揮棒は、いつまでも煮魚のにおいがとれなかった。

そのうち大学の後輩ながら同い年の山本直純さんから教わった。

「ビール瓶の破片で菜箸を削ってみな。指揮棒を削るにはこれが最高。ヤスリなんてトーシローがやることよ」

▲先日73歳で亡くなった指揮者の岩城宏之さんが、お菜箸の棒を手にNHK交響楽団を初指揮したのは50年前のことだ。

そのチャイコフスキーの「悲愴(ひそう)」は、まさに指揮者の大暴れ、汗が飛び散るのが客席からはっきり見える伝説的大熱演だった

▲「東洋の火山」というドイツでのデビューの際の評言は、どこにもついて回った。暴れ続けた若いころは、自分の命は39歳と決めていたという。

来年はその年という秋、三島由紀夫の自死にあっけにとられているうちにいつしか40歳を越えてしまった(「指揮のおけいこ」文春文庫)

▲現代音楽は体によくないと語ったのは87年に頸椎(けいつい)の難病にかかったからだ。拍子が複雑で指揮する首に負担がかかるという。

難病は生涯で2000もの現代音楽の初演を行い、多くの新作を世に送り出した「初演魔」だったがための名誉の負傷だった

▲近年はがんとの闘いで手術と入退院を繰り返しながら、指揮台に立ち続けた。

なかでも04年と05年には大みそかにベートーベンの交響曲全曲を指揮してみせて聴衆を驚かせた。

しかも周囲に語っている――「今度はワーグナーの楽劇全曲をやろう」

▲「指揮者は死ぬまで病気になってはならない。元気男を続け、そしてある時パッと消えるのがいい」。

そう書いていた岩城さんは病魔と闘い、最期まで元気男を続けた。天国にも指揮棒はあるのだろうか。

もしなければ天上では先輩の山本直純さんに作り方を教わってほしい。


◆コメント:このコラムを読んでいたら泣けてきた。

もう一年が経つのか。3日前の「題名のない音楽会」では、羽田健太郎氏の追悼番組をやっていたが、

今日、6月13日は指揮者の岩城宏之さんの命日だ(ちなみに岩城さんの親友だった山本直純さんの命日は5日後の18日である)。

子どもの頃、音楽が好きになってから、色々なコンサートやテレビ番組で見たり聞いたりした音楽家がどんどんいなくなってしまい、寂しい。

仕方がないけどね。こればかりは。


◆昨年、色々とエピソードを書いたので、良かったら読んで下さい。

昨年、岩城さんが亡くなった後、大変ショックで、しばらく岩城さんのことを書き続けた(毎日ではないが)。

岩城宏之さんもいなくなってしまった・・・。には、岩城さんが初めて人前で楽器を演奏したときのことが書いてある。

翌日の日記の後半、「岩城宏之さんのこと(2)」には、岩城さんが高校生になって初めて正式な音楽のレッスンを受けたこと。

2006年06月15日(木) 岩城宏之さんの話がまだまだつづく(3) では、岩城さんが芸大を受けると言ったとき、御母堂が反対したのだが、

その「驚くべき根拠」や、受験当日になって小太鼓(岩城さんは打楽器科を受けた)の実技があることを知ったという、抱腹絶倒のエピソード。

等々。

岩城宏之さんは現役の音楽家としては、例外的に大量の文章を書いていたので、中には同じ話が載っていて、いろいろ読んでいるうちに殆ど覚えてしまった。

岩城さんの文章は気取らず、さりとて大衆に迎合的でもなく面白いので、何か出る度に読んでいたのである。



余談だが、マニアックな話。

岩城さんが書いた「小説」が、「オール読物」に載ったことがあるのを知っている人は少ないのではないか。

題名はズバリ「ボレロ」。

パーカッションの女性が主人公。その彼氏がトロンボーン。

二人は同じオケに属し、一緒幸せに暮らしていた。

ある時、プログラムに、トロンボーン奏者にとっての永遠の課題、ラベルの「ボレロ」があった・・・。

男性の様子が違うことに、ヒロインは気が付く。そこには、ただならぬ事情が・・・。

悪いが、探してもまず見つからないだろう。が、万が一ということもあるので、これ以上のネタバレは止そう。



◆岩城さんがN響デビューで振った、「悲愴」より第三楽章

冒頭で引用した「余録」に書いてあるとおり、岩城さんのN響デビューはチャイコフスキーの交響曲第六番「悲愴」だった。

このシンフォニーの第三楽章はマーチで大変に盛り上がる。

岩城さんは後々まで大振りだったけれど、このときは、何しろ若いから、大振りなんてもんじゃない「大暴れ」で、

途中で肩が脱臼したのを、自分ではめて、また、外れて、はめて、という信じられないことをしたそうだ。

その頃、岩城さんは斉藤秀雄さんに指揮を習っていて、斉藤メソッドではそのような大暴れは許されないのである。

翌日、斉藤先生に怒鳴られるのを覚悟して訪ねたら、斉藤先生は意外にも、

「昨夜、見たよ。あれは、他の弟子には絶対に許さないが、君にだけは許す。君がああ演りたいのは、分かる」

と言ったそうだ。その理由は分からない。仮に聞いても、私の如き凡人には到底分からないだろう。



というわけで、岩城さんが大暴れした、「悲愴」第三楽章をどうぞ。


ダウンロード Hisou3rd.mp3 (6844.5K)



景気の良い音楽を聴いていても、寂しくなることがあるものです。

それでは。



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2006年06月12日(月) 岩城宏之さんもいなくなってしまった・・・。
2005年06月12日(日)  「新たなBSE感染牛の疑い=英で最終確認へ−米農務省」 ←イギリスに検査を依頼しないとわからないの?
2004年06月12日(土) 「だがなあ、アリマ。本当はこの右腕一本だけなんだよ」 (ヘルベルト・フォン・カラヤン) 帝王の孤独。
2003年06月12日(木) 「大量破壊兵器が発見されなかったら、首相は世界に向けて、国民に対して謝りますか?」(菅直人氏) 誠に適切な質問である

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