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JIROの独断的日記
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2007年05月18日(金) 「大林容疑者に捜査員20人殺到、両手掲げ路上に立ちすくむ」←人質自力脱出の後、何故突入しなかったのか。/【追加】佐々淳行氏談話

◆記事:大林容疑者に捜査員20人殺到、両手掲げ路上に立ちすくむ

愛知県長久手町の立てこもり事件は、発生から29時間たった18日午後8時48分、ようやく解決した。

拳銃で警察官1人を殺害、自身の子供を含む3人を襲った元暴力団組員の大林久人容疑者(50)は、

人質にしていた元妻がすきを見て脱出してから約6時間後、籠城(ろうじょう)していた自宅の別棟を出ると、

観念したように両手を掲げ、路上に立ちすくんだ。一昼夜にわたって住宅街を恐怖に陥れた男は、

約20人の警察官に折り重なるように取り押さえられた。

 ◆会見◆

愛知県警愛知署の講堂では午後11時から、県警の藤村博之刑事部長らが会見に臨んだ。

大林容疑者は逮捕時、銃を持っていなかったという。

林一歩(かずほ)巡査部長(23)らの銃撃については、「殺意はなかった」などと話しているという。

投降した理由については数十回にわたる説得に観念したと供述しているという。

(5月19日0時2分配信 読売新聞)


◆コメント:要するに、今回、警察がしたことは、「自分から出てきた犯人を20人で取り押さえた」ことだけなのですよ。

本件だけを持って警察・警察官全体をダメだ、というつもりはないが、今回の事件は如何にも不首尾であったように思われる。

私が一番、正視に耐えかねると感じたのは、最初に現場に急行した、本木巡査部長が撃たれてから、6時間も救出されなかったこと。

倒れたままの同巡査部長が何度もテレビに映されていたときである。本木巡査部長は生命は助かったが、半身不随になる可能性があるという。


◆撃たれて、血を流し、倒れて苦しんでいる同僚を6時間救出しないってのは、どういうこと?

犯人はピストルを(大量の弾も)持っていた暴力団員であるが、警察官もまた、言うまでもなく拳銃の所持を許可されている。

血を流し、苦痛のうめいている同僚を、仲間を、6時間も救出出来ない、といって助けなかった、という事実が私は一番ショックだった。

もしも、撃たれたのが一般人だったら、十時間ぐらい放っておかれるのではないか、と思った。

あの映像を見た本木巡査部長のご家族は、さぞや、警察という組織を恨めしく思っただろう。

私が何を言いたいかというと、
「私が責任を取る」

という警察幹部がいないのが、今回のようなていたらくの一因なのではないか、ということだ。

浅間山荘事件を知っている人間には、そう思えるのだ。


◆35年前(1972年)浅間山荘事件の時、警察庁長官は、故・後藤田正晴氏、現場指揮官は佐々淳行氏(後内閣調査室長)だった。

若い人も、テレビの記録映像を見たことがあるだろう。1972年2月19日(札幌オリンピック閉会の2週間後)、連合赤軍の5人が、

河合楽器の保養所、「あさま山荘」、「浅間山荘」管理人の妻を人質に立て籠もった。

人質を救出するまでに何と、10日間かかった。後藤田長官の方針で警察からの発砲は禁じられていた。

二名の警察官が頭部に銃弾を浴びて、殉職した。

そのときのことは、

34年前(1972年)の今日、「あさま山荘」に機動隊が突入した。警察庁長官は後藤田正晴氏だった。

に書いた。

後藤田長官は、そんなことは言わないが、警察というのはひどいところで、散々現場で苦労して帰ってきた佐々氏に、

「誰か辞表を出す奴はおらんのか」

という声が上がったという。佐々淳行氏は、辞表をたたきつけた後、殉職した部下の弔問に向かった。

現場最前線で任務を全うして亡くなった、第二機動隊長、内田尚孝警視宅での話は、辛いが

内田警視の御母堂のあまりにも立派な言葉を読んで頂きたい。


それはさておき、やや論旨がぼやけてきたので、

私が何を言わんとしているかというと、次の通りである。

私は、犯罪も暴力も、ましてや戦争の話も大嫌いだが、警官なり兵士が職務に命を賭すに際しては、
「死んだら、自分の亡骸を引き取ってくれる仲間がいる」

という思いがなければ、命がけになどなれないのだ、ということだ。

今回は、その根本のところが崩れているので、非常に残念に思ったのである。


◆結論:キャリア組の保身の為に警察が存在するのではない

結論を記す前に、公平を期すために、念のため書き添える。

SAT(Special Assault Team)がいつも今日のような頼りない組織ではないということ。

「特殊部隊SAT」は日本赤軍が日航機をハイジャックした1977年の「ダッカ事件」の後、極秘裏に準備が進められて編成された。

最初は警視庁と大阪府警だけだった。その後、北海道、千葉、神奈川、愛知、福岡にも配置されて人員が200名を超えた1996年、

初めて存在が公表された。

それ以前から既に、1979年、三菱銀行北畠支店で、猟銃を持った梅川という男が行員を人質に立て籠もったときには、強行突入して、犯人を射殺した。

比較的近年では、西鉄バスジャック事件で、バスに閃光弾を投げ込み、やはり犯人の身柄確保と人質救出(それまでに既に犠牲者が出ていたが)に成功した。

状況がことなるけれども、三菱銀行などをかんがえると、どうして今回はこれほど、警察は動けなかったのか。


人質の女性が自力で脱出したら、もう、突撃でも射殺でもすればいいでしょう?

冒頭の記事にあるように、警察が今回やったことといえば、
「自分から投降してきた犯人を20人で取り押さえた」

ことだけであり、これでは如何にも頼りない。


SATは、テロリストを制圧するための特殊部隊なのだ。

何故、29時間もかかったのかというと、愛知県警の幹部のキャリア組が、人質が殺され、自分の責任を追及され、「経歴にキズが付く」のが怖くて、

「私が責任を取るから、思い切って突入せよ」と言えなかったのだろう。

公務員(警察キャリアも、内閣総理大臣も公務員)にせよ、民間企業にせよ、

責任者が責任から逃れようとする組織は、ダメだ。


◆【追加】佐々淳行氏の談話が毎日新聞に載っている。

本文中、浅間山荘事件での逸話を紹介した、当時の現場指揮官、佐々淳行氏の談話が19日付の毎日新聞に載っていた。

あまりにも我が意を得たり、なので、御紹介する。
元内閣安全保障室長、佐々淳行さんの話 

最初の通報で駆け付けた巡査部長が撃たれた後の対応は納得できないことばかりだ。

約5時間も巡査部長を救助せずにいたことは信じられない。警察官の人命は尊重されないのか。

さらに、SAT隊員が撃たれた際も、どうして反撃や突入をしなかったのか。


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