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JIROの独断的日記
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2006年08月30日(水) 「『日本に戦費求めず』米、イラク戦争開戦3カ月前に通告」 ←カネを払わないで済むから「支持」したのか?

◆記事:「日本に戦費求めず」 米、イラク戦争開戦3カ月前に通告 (産経新聞)

米中枢同時テロ(9.11)発生から間もなく5年。アフガン戦争、イラク戦争と続くテロとの戦いで米国を支持してきた日本だが、

イラク戦争では、開戦3カ月前に米側が日本に戦費拠出の要請をしないと伝えていたことが29日までにわかった。

また、小泉純一郎首相がイラク攻撃前に米国支持を表明したのは、国際社会に強固な日米同盟を強く印象付ける効果を狙ったものだったことも判明した。



複数の政府関係者の証言を総合すると、イラク戦争の開戦約3カ月前の平成14年(2002年)12月、アーミテージ米国務副長官(当時)は、日本側担当者に、

米が開戦に踏み切った場合、日本に対しイラク戦争の戦費拠出を要求しない考えを示す一方、日本が支持を表明することに期待感を示したという。

米側は、約130億ドルを拠出しながらほとんど評価されなかった日本側の湾岸戦争の苦い教訓に配慮

。日米双方とも「小切手外交はしない」ことで一致したが、この際、日本側はイラクへの自衛隊派遣には新法の制定が必要だと説明した。



米政府内の一部では、「ブーツ・オン・ザ・グラウンド(地上兵力)を」(ローレス国防次官補代理)といったイラク戦争への自衛隊参加への期待感が高まっていたが、

このころから、日本政府は「戦後復興での自衛隊派遣」という方針を固め、米側が過大な期待を持たないようクギを刺したといえる。

2002年末から翌年3月にかけ、イラクへの武力行使をめぐり、米国と仏独などの対立が激化。

日本政府は、武力行使の可能性を示唆する国連の安保理決議1441(第1決議)に続いて、武力行使を含めた「あらゆる手段」を明確に容認する新たな決議(第2決議)の採択に向けた外交努力を続けていた。

その一方で政府は、仏独の反対が強いため、第2決議が採択できないまま米国がイラク攻撃に踏み切る公算が大きいと判断。

決議が採択されない場合を想定し、極秘に対応策の検討を始めた。



国際法上の検討を進めた結果、法的には米国のイラク攻撃には第2決議だけでなく、第1決議も必要なく、

湾岸戦争での武力行使を容認した決議678、その停戦条件を定めた決議687で十分と結論付けたという。

日本政府は、開戦に備えた理論的な準備を早い段階で終えていた。それでもあえて第2決議採択を目指したのは、

米国を支持する際、国民を納得させる必要があり、そのためには「第2決議があった方が日本にとって政治的に望ましい」との理由からだった。



日本政府が注意を払ったのは、問題の本質が「大量破壊兵器の拡散」であり「国際社会の対応」が問われている点だった。

米国には「米対イラク」ではなく「国際社会対イラク」にしなければならないとして安保理での外交努力を促したが、第2決議は採択されなかった。

こうした米欧対立の構図下で小泉首相は、外交当局が想定した開戦後ではなく、開戦直前の3月18日に米国支持を突然、表明した。首相に近い政府関係者がいう。



「首相の動物的な勘ではないか。開戦後より開戦前の方が、強固な日米同盟を国際社会にアピールできるとの計算があったのは間違いない」

その日の夜、小泉首相の発言を知ったアーミテージ氏から、政府高官の一人にすぐさま電話がかかってきた。

「うれしくて涙が出た。日米関係に長く携わって本当に良かった」

大規模戦闘終結後のイラクへの自衛隊派遣を決めた閣議決定はそれから9カ月後のことになる。【2006/08/30 東京朝刊から】(08/30 08:00)


◆コメント:アメリカが違法な戦争を始めるのに、日本が戦費を負担する必要が無いのは当たり前。

産経はスクープのつもりなのだろうか?本当にバカだね。この新聞。もう、いいから、壁新聞でも作ってろよ。



私は、2003年3月19日、アメリカが武力行使を開始する前日、2003年03月19日(水)  アメリカの行動は明らかに国際法違反である。その法的根拠。を書いた。

これで全てなのだが、その後もことある毎に書いて、実はやや食傷気味である。



国連憲章では原則として武力行使は違法であり、例外は2つ。

自国が他国の侵略を受け、自衛権を行使する場合と、国連安全保障理事会が武力行使やむなしという決議をした場合だけである。



2003年、アメリカがイラクを攻撃したときには、いずれの条件も満たしていなかった。

それを、アメリカは強引にも、国連決議に基づいて攻撃したのだといい、日本も記事にあるとおり、

「国際法上の検討を進めた結果、法的には米国のイラク攻撃には(中略)湾岸戦争での武力行使を容認した安保理決議678その停戦条件を定めた687で十分と結論づけた

そうだが、本当にそうなら、アメリカも日本政府も、その馬鹿さ加減は殆ど奇跡的といっていい。


◆安保理決議678、687はイラクがクウェートに侵攻した1990年湾岸戦争時の決議だぞ。

ガイジンってのは、本当に時として信じられない無茶苦茶な理屈を持ち出す。言った者勝ちなのだ。

安保理決議は原則として、個別の事案に対する決議である。

つまり、1990年のイラクに対する決議は、その時の状況の基づいた決議であって、

2003年3月時点のイラクは、クウェートにも何処にも侵攻しておらず、アメリカが

「イラクが大量破壊兵器を持っていて、これがテロリストの手に渡れば、明日にもアメリカが攻撃されるかも知れない」と騒ぎ立てただけのことなのでである。



安保理決議678が採択されたのは、1990年11月29日である。

これは武力行使容認決議だが、ただちにイラクに対して武力を行使するとは書いていない。

ましてや、アメリカが攻撃してよいとは一言も書いていない。

この背景は次の通り。


◆国連安保理決議678

同年8月イラクはクウェートに侵攻し始め、国連の度重なる撤退勧告を受け入れなかった。

そこで、安保理はこれは、もう武力でイラクを抑えるしか無かろうということになった。

国連は安保理決議678でイラクに対して翌年(1991年)1月15日までにクウェートの占領を止めて、撤退しないと、最終手段(=武力)を使うぞ、と警告したのだ。



ところが、愚かしくも、サダム・フセインは国連安保理の決議に従わず、1991年1月15日の期限を過ぎてもクウェートから撤退しなかった。

1991年1月17日から、多国籍軍による攻撃が始まった。

イラク中がボコボコに爆撃を受け、特に最新鋭の兵器による「ピンポイント攻撃」をうけ、イラクはたちまち苦境の立たされた。

一ヶ月で勝敗は決し、2月27日、フセインは敗北を認めた。


◆安保理決議687

イラクが敗北を認めたので、1991年3月3日には暫定停戦協定が締結された。

一ヶ月後、4月3日、安保理は、イラクに対して、クウェートへの賠償、大量破壊兵器の廃棄、国境の尊重、抑留者の解放などを求めた決議687を採択した。

このように、安保理決議687は「湾岸戦争に関する決議」である。


◆安保理決議1441

これは、2002年11月8日に安保理全会一致で採択されたイラクに武装解除を求める決議である。

結果的にイラクは大量破壊兵器を持っていなかったが、この時点では疑惑があった(ある、とアメリカが騒いだ)。

そのために、


  • イラクが大量破壊兵器を廃棄しなければいけないこと。

  • 国連の武器査察に全面的に協力しなければならないこと。

  • この決議に違反する行動をイラクがとった場合には、安全保障理事会は、それがイラクに対して重大な帰結をもたらしうるものだと再三警告したことを想起すること


を決議として採択したのである。

最後の項目は、

「言うことを聞かないと、また、湾岸戦争の時と同じ目に遭うかも知れないことを思い出せよ」

という脅し文句である。



しかしながら、国連はこの時点では勿論武力行使を決議していない。

ましてや、アメリカを含む国連加盟国のいずれかが独自の判断でイラクに武力攻撃を仕掛けて構わない、とは、言っていない。

そして、イラクは11月13日にこの国連安保理決議を受け入れ、その2週間後から国連の査察団が査察を再開したのである。


◆これらの安保理決議がイラク戦争を正当化するとおもいますか?

繰り返すが、安保理決議678は、1990年、イラクがクウェート侵攻を行っていたときに、「止めろ、止めないと多国籍軍が行くぞ」というもの。

安保理決議687は湾岸戦争後の処理に関するもの。

決議1441は、イラクに対して「お前、あの時(湾岸戦争)の大量破壊兵器は捨てたよな?その後作っていないよな?国連が査察に行くから協力しろよ。しなかったら、痛い目に遭うぜ」


というもの。

678、687を2003年のイラク戦争正当化事由にするのはどう考えても無理がある。

また、1441に関しては、イラクは査察団を受け入れたのだ。

査察団は手間がかかって大変だったようだが、いずれにせよ、忘れてはいけないのは、

イラク戦争をアメリカが勝手に始めた2003年3月の時点でも、IAEA(国際原子力機関)は「査察が終わるにはまだ数ヶ月かかる」と言っていたことである。



仮定上の話として、もし査察団が大量破壊兵器を見つけたとしても、それからどうするかを決めるのは、あくまでも国連である。

アメリカ合衆国には単独で武力を行使する権限も正当性も無かった。

だから、これらの決議がイラク戦争を法的に正当化すると判断した日本の役人だか政治家は、

手の施しようの無いバカである(本気だったとは思えませんがね。根拠無し。私の想像です)。


◆日本が戦費を持たなくて良いのは当たり前である。

イラク戦争は謂わば、ヤクザが他の組に因縁を付けて殴り込みをかけたようなものである。

日本と米国は日米安全保障条約を締結しているが、何処にも「日本はアメリカの如何なる武力行使も支持する」とは書いてない。

同盟国だろうがなんだろうが、いや、同盟国だからこそ、「ダチ公」が間違ったことをしようと画策していたら、いさめるべきなのである。



それを何と言うことであろうか。

アメリカが勝手に違法な殴り込みをかけるに当たって、日本に対して「お前、カネ出さなくて良いからな」と事前に教えて貰った、ことに

小泉首相は「感動した!」のであろう。

世界で一番早くイラク戦争を支持したのである。恥ずかしい。


◆アメリカは結局日本に50億ドル(5000億円)を拠出させた。

産経のバカは、日本がいち早く米国支持をしたのを聴き、アーミテージ元国務副長官が「嬉しくて涙が出た」エピソードを書き添え、何かの美談だと思っているらしい。

アーミテージは日本があまりにもたやすく言うことを聞くのが可笑しくて腹を抱えて笑っていて、涙が出たのではないか。

戦費は拠出しなかったが、その後日本はアメリカから「イラク復興援助資金」を出せと言われ、言われるがままに、50億ドルもの大金を提供した。

この少し前に、米議会で発言するアーミテージの言葉と表情を私は絶対忘れない。
「日本は、きっと気前の良いオファーをしてくるだろう」といい、ニヤニヤと皮肉な笑みを浮かべていた。

ここまでナメられている日本が悔しくて仕方がなかった。

故・後藤田正晴元官房長官は、日本への遺言で、自衛隊のイラク派遣そのものに反対か、と訊かれ、

この戦(いくさ)そのものがね、間違った戦だったと思いますね。

と答えている。その一言で終わり。というぐらい明らかな話なのだが、何度書いても分からない人には分からない。


2005年08月30日(火) 郵政民営化の詭弁を検証する。(衆院選前解説シリーズ1)
2004年08月30日(月) 「小泉・竹中不良債権処理」のそもそもの発端は、2002年9月12日の小泉ブッシュ会談ですね。
2003年08月30日(土) 返事を書かないのであれば、「MAIL」を表示するべきではない。

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