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JIROの独断的日記
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2006年03月28日(火) 1.<栃木女児殺害事件>科警研がプロファイリング「犯人は…」←事件が起きたのは去年の12月1日。2.「割り箸事件」について。

◆記事:<栃木女児殺害事件>科警研がプロファイリング「犯人は…」

栃木県今市市(現日光市)の女児殺害事件で、警察庁科学警察研究所が進めていたプロファイリング(犯人像等の推定)結果が28日まとまった。

「30歳未満の男で、連れ去り現場から半径5キロ圏内に居住している可能性が高い」と犯人像を導き出した。

警察庁幹部は「捜査手法としては、まだ発展途上ともいえる段階だが、手がかりが少なく動機も不明な中では、有効な捜査手法の一つ」と期待を寄せている。

今回の事件では、科警研の女性技術吏員が今年1月11、12の両日、日光市の連れ去り現場と、茨城県常陸大宮市の遺体遺棄現場を訪れ、ビデオ撮影した映像や犯行手口、時間帯などのデータを併せて分析を進めてきた。(毎日新聞) - 3月28日19時35分更新


◆コメント:そんなに時間がかかるの?

遅い。プロファイリングという言葉が日本に知られるようになったのは、FBI心理分析官が翻訳され、単行本として出版された1994年のことだ。

日本ではそういう専門家はいなかったから、多分アメリカへ行って勉強してきた「プロファイラー」がいるのだろう。



原著が出版されたのは、1992年で、原題は、翻訳とは全然違って、"Whoever fights monsters"という。これは、ニーチェ(ドイツの哲学者。1844〜1900)の、

Whoever fights monsters should see to it that in the process he does not become one himself.

(怪物と闘う者はその過程において、自分が怪物にならないよう、肝に銘じろ)


という言葉から取ったものだ。

この本と言葉をヒントに映画「羊たちの沈黙」が作られたというが、本当かどうか知らぬ。

FBI心理分析官は、本物のFBI心理分析官、ロバート・K. レスラー氏が書いたのだが、取り上げられている事件の詳細をここで述べるのは栃木県の事件とは関係ないので省く。

関心がある人は読んでみてもいいが、忠告しておく。相当気持ちが悪い。肉食民族の猟奇的・快楽殺人の不気味さは、我々草食民族のそれとだいぶ違う。



話がそれたが、何を述べたいかというと、本家FBIのプロファイラーは、プロファイリングに何ヶ月も費やしていない、ということだ。

云うまでもなく犯罪の捜査は時間が経つほど、人々の記憶が薄れていくので、困難になる。

今頃になって、科学警察研究所が「プロファリングの結果が出た」というが、昨年12月1日から今日まで、117日(3か月と27日)もの時間が経過している。

どうしてこういうことになるのだろうか。

警察の縄張り争い、メンツの問題で無駄な時間を費やしたのではあるまいね?(というのは、勿論皮肉で、それが原因で時間を要したのではないか、と、私は想像しているわけです)。


◆時間がかかると云えば、「割り箸事件」は初公判から今日の判決まで1215日

今日、東京地裁が無罪判決を言い渡した、「割り箸による園児死亡事故」は、事故そのものが起きたのが、1999年7月10日で、初公判が開かれたのは2002年11月29日。

事故からは、2453日(6年8か月18日)、初公判からですら1215日(3年3か月28日)が経過している。

判決を巡って色々な意見があり、私も初公判の日Web日記 エンピツに書いているが、今読むと、余りにも単純に結論を出しており、忸怩(じくじ)たる思いである。



この事故も、最早、何が真実か分からない。新聞記事は医者に批判的に書くし、他の医師のコメントを読むと、どうしても被告人に同情的なものが多い。

いずれにせよ、事実の全貌は分からないが、それに近づくためには公判記録を全部読むべきで、それをしないで親が悪い、医師が悪い、と書くべきではない。

つまり、「事実の全てが明らかになっていないのだから、コメント出来ない」というのが、最も適切である。


◆一般論ですがね。患者の家族の心理について。

私のオヤジは最終的には脳出血で死んだが、それまでに、まず軽い脳梗塞を起こし、それが回復しかけたら脳出血を起こし、その度に救急車で病院に運ばれた。

その時、余りにも当たり前なのだが、

「こちらの一大事も、医師にとっては日常」


という紛れもない事実を認識した。それは仕方がない。

医師やナースが個々の患者に感情移入しているヒマがないことは、分かる。理屈では分かる。

但し、そうではあっても医師の態度、物腰、言葉遣い、表情により、患者の家族は、多分、医療従事者が想像できないほど苛立たしく、腹立たしく、やるせなく、悔しい思いをするのである。

逆に言えば、例え親が死んでも、遺族が納得できれば、文句は言わないのである。

納得できるかどうかは、「医師が真剣に診て、治療しようとしてくれたか否か」による。それは、家族が受ける印象で決定される。

極めて主観的、情緒的な判断だが、親が死ぬのは、一生に一度しかない出来事である。こう言うときにまで、合理的・論理的に考えろと言う方が無理というものである。


◆当直医のスリッパの音

父は、最後は自宅の近くの個人総合病院で息を引き取ったが、最初に運ばれたのは、新宿区にある、昔のフジテレビの隣の病院だった。

父が救命救急センターに運び込まれ、暫くしたら、2人の比較的若い、当直医、しかし脳外が専門であるらしい医師がゆっくりと歩いてやってきた。



彼らにも事情はあったのだろう。もしかすると、直前に難しい手術を終え、やっと眠りに就いたところを、叩き起こされたのかも知れない。それは充分あり得ることだ。

しかし、私は、その二人が歩いてくるときに廊下に響いた「ペッタン・ペッタン」というサンダル(かスリッパか知らないが)の音を聴いたとき、血液が逆流するかと思われるほど、腹が立ったのをよく覚えている。

殴りかかりたくなる衝動に駆られた。(早くしろよ、オヤジは死にかかってるんだよ!)ということである。

何故、それほど腹が立ったか?

その「ペッタン・ペッタン」が、「面倒臭えなあ・・・」という意思表示に感ぜられたのである。誤解だったかも知れない。そうでなかったかもしれない。

患者の容態、そこにいたるいきさつも千差万別だが、救命救急センターではどうしても患者の「人格」など考慮されない。

彼らにとっては、自分にとってこの世に一人の親も、「毎度おなじみ」の「治療の対象」である。この辛さ。悔しさ。

自分の親がそのように扱われることが如何に辛いか・・・は、やっぱり経験しないとわからんだろうな。

何だか、当時の怒りが思い出されて、幼稚な文章になってしまったが、そのまま載せる。


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