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JIROの独断的日記
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2005年11月30日(水) 「広島小一女児殺害事件」の詳細を報道するべきではない。

◆犯罪行為の詳細を報道する特段の意義が認められない。

 

 NHKと民放各社がニュースで広島の小学校一年生女児殺害事件を取り上げている。

 今回も恐らく、テレビ、新聞、週刊誌は被害者の遺族に断りもなく、微に入り細にわたって、

 犯人の生い立ちやら、普段から行動が怪しかったとか、部屋から変な写真やビデオが沢山出てきた(出てくるかどうか分からないが)、

 というたぐいの話を日本中に「報道」するのだろう。

 私は特に、民放テレビのニュース番組の「過剰に悲壮感を演出する偽善的なトーン」を非常に嫌悪する。

 事件があったことを伝えるのは、やむを得ないかも知れないが、犯行の詳細はむしろ報道しない方が良い。

 第一に、被害者の親御さんの気持ちに立てば、「我が子が如何にして殺されたか」を日本中の人に知られたい訳は無い。

 第二に、社会全体が犯行の詳細を知ることのメリットが存在するとは思われない。

 逆に言うと、一般国民が個別犯罪行為の細部を「知らない事による不利益」があるのだろうか?

 「犯罪報道が犯罪抑止力を持たないこと」は、過去にも、略取誘拐や、幼児殺害は何度も起きており、

 その度にマスコミ各社が競って詳細な報道をしているが、犯罪は増える一方であることを見れば明らかである。



 事件の詳細を報道することは、むしろ、模倣犯をうむきっかけとなるのではないか。

 私はこのことを何度か書いている。

 一番最初は、「集団自殺」と「通り魔」は報道しない方がよいのではないか。という一文である。


◆視聴率が取れるから取り上げるのだ。

 

 民放は、被害者及びその家族に同情するようなフリをしているが、

 民間放送局の唯一の行動規範は「視聴率を取る」ことであるのを忘れてはいけない。

 民放や新聞や週刊誌が小学校一年生の女の子が殺された話を熱心に伝えるのは、「儲かるから」である。

 11月4日に書いたばかりだが、恣意的に嫌な表現を用いるならば、「マスコミは、他人の不幸がメシの種」である。

 何故、儲かる(テレビなら、視聴率が取れる。新聞・雑誌なら売上げ部数が伸びる)のか?

 見る人間、読む人間がいるからである。

 正確に書くならば、普段、政治・経済のニュースは見ないけれども、犯罪報道は見るという人々が大勢いるので、

 凶悪な犯罪を放送するときに、特に視聴率が高くなり、新聞・雑誌の売上げが伸びるわけである。

 そしてそれは、多くの人間の心の中に、「他人の幸福よりも、不幸を好むという心理的傾向があるから」である。

 そんなことはない、と今、これを読んで怒っている人は、自分が気がつかないうちに、邪悪な心理を「抑圧」しているのである。

 「抑圧」とはなにか。以前、防御機制について調べてまとめたので、ご参照いただきたい。


◆誰もテレビを見ず、雑誌を買わなければ、報道しなくなる。

 

 本題から話が逸れるが、「視聴率」が正確な数字であるという確証はどこにもないのではないだろうか?

 一体、どこに視聴率モニターがいるのだろうか?

 生まれてこのかた数十年間、視聴率を調べる装置らしきものを設置した家庭を見たことがないし、

 実はうちがそうなのよ、とこっそりばらす人に出遭ったことも無い。

 非常に意地悪く懐疑的に考えると、本当にそのような家庭があるのか分からない。

 そして、視聴率という数字が統計学的に正しく算出されているのかは、第三者が監査し、発表するべきだと思うが、

 誰かが監査したという報告を読んだことが無いし、調べても分からない。

 つまり、調査会社がテキトーに数字を書き込んで、発表していても、誰も分からない。

 「正当性の根拠が証明されていない統計」に一喜一憂する放送業界というのも不思議な世界だ。 



 しかしながら、今、ここで疑ってもきりが無いので、一応、正しい数字であると仮定しよう。

 それならば、犯罪が起きたときだけ、好奇心でテレビニュースを見る、新聞・雑誌を買う、

 という行動を人々が極力控えれば、不必要に詳しい犯罪報道は無くなるか、少なくとも減るはずだ。



 犯罪が起きたこと。容疑者が逮捕されたこと、そして今後は、容疑が固まって起訴されるならば、その事実を。

 その後は、裁判で判決が下されたときに、その結果を知れば十分である。


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