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JIROの独断的日記
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2003年05月24日(土) 「集団自殺」と「通り魔」は報道しない方がよいのではないか。

 数日前に、群馬県の山中で、また、インターネットで知り合った若者が自殺した。今日は、千葉県で女子高生が刃物で切りつけられて大怪我をした。

 最近、とみに目立つようになったこの2種類の事件と犯罪に関しては、マスコミが報道することによって、後に続く者たちを産みだしているように思える。

 ブロークン・ウィンドウズ理論という犯罪学の定説がある。NYの地下鉄の落書きや、窓ガラスが割れた状態を放置しておくと、続けて同じような行為に走るものがいるが、落書きを消して、窓ガラスもきちんと修理しておくと、模倣犯が減る、という、統計的事実に基づいた学説なのだが、これを応用できないか。

 同種の犯罪や自殺が次々に起きている、という情報を、シャットアウトすることにより、後に続く者が減るのではないかと、思うのである。

 勿論、通り魔が、ある地域で連続しているときは、地域住民には伝えておかないと、危険である。しかし、何も、全ての事件を日本中の人間が知る必要は無い。

 集団自殺に至っては、報道する事により、国民が特段の利益を得るわけではなく、報道されない事により、不利益を被ることもない。マスコミの、悪しきセンセーショナリズムとしか言いようが無い。

 また、集団自殺に関して、私ははじめのうちは、うつ病の人間が集まったのかと思ったが、どうも、やる事が計画的で、実行に移すまでの労力を考えると、うつ病とは考え難い。本当に鬱なら、そこまでの行動を起こすエネルギーがないのである。

 いろいろ、辛いことがあるもの同士が集まるのだろうが、それなら、一緒に死ぬのではなくて、一緒に生活したらいいのに、と、思う。

 抑うつ状態の辛さはお互いに分かっているし、自殺に向けたエネルギーの方向を少し変えて、一緒にどこかに部屋でも借りて、パソコンを使って、SOHOみたいなことをするとか、交替でバイトに行けば、何とか食えるだろう。集まって死ぬ人の中には、家族から離れたい人も多いだろうから(家族の理解が得られないで苦しむうつ病患者や抑うつ状態の人間は多い)、似たもの同士で暮らした方が、辛さを訴える事も出来て、気が楽だろう。

 死ぬしか道は無いと考えるのは、認知の歪みの一種なのである。


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