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JIROの独断的日記
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2003年06月20日(金) 「マトリックス・リローデッド」と「寅さん」

 両方の作品を比べてみると、この2つが同じ「映画」という範疇に属する事が不思議になるほど、対照的である。
 
 マトリックスリローデッドは、巨額の資金を投じ、現代の映像製作技術の粋を結集して作られたものであり、ストーリーの奇抜さも、到底私のような凡人には思いつかないものである。この映画を作るにあたっては、何千人もの人間が関わり、制作に要した延べ製作時間は物凄い数字になったことだろう。
 
 他人の仕事は尊敬すべきだ。
 
 仮定上の話だが、 私がもし、手伝う人間は貸してやるから「マトリックス〜」と同じような映画を作れ、と言われたとしても、多分、残りの人生を全てつぎ込んでも、絶対に作れないだろう。そういう意味では、この作品の制作に携わった人々の情熱は素晴らしいと思う。
 
 一方、寅さんは、全く何の仕掛けもない、特殊技術のかけらもない。画面にいるのはただただ、普通の生身の人間である、役者さんたちだけである。制作費だって、マトリックス・・・の何百分の1であろう。
 
 しかし、寅さんシリーズを見ていると、人の気持ちを幸せにする映画を作るのに、ものすごいコンピューター処理や、巨額の資金は必ずしも必要が無いという事がわかる。
 
 「マトリックス」の映像効果は物凄いけれども、その分、人間の感覚(映画の場合は視覚と聴覚だが)を強引に刺激する。ある意味で、それは、残酷な事である。この映画を作った人たちは、きっと「この映画を見る人が驚くのを見て喜ぶ」だろう。どうだ、参ったか、という押し付けがましさを感じるのである。
 
 寅さんのすごいところは、実際にはいるわけが無い「車寅次郎」という人物があたかも実在するように感じさせてしまう、脚本の妙と、渥美清氏の天才的な演技力と、脇の役者さんの上手さだろう。
 
 山田洋二監督が書いた「映画を作るということ」という文庫本をはるか昔、学生時代に読んで大変感動した言葉があった。それは、山田監督の「映画は、ひたすら、それを見る人の幸せを願って作らなければならない。」という言葉であった。寅さんシリーズに一貫するのは、山田監督の「人間の善意・良心を信じる」という思いであり、それが見るものをほのぼのと幸せな気持ちにするのである。
 
 5月5日の日記に書いたとおり、「人間の存在を少しでも明るく照らし出すことが芸術家に与えられた使命」だとすると、山田洋二監督は、正に、本当の芸術家である。

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 全然関係ないが、珍しくテレビドラマを見た。TBSの「ブラックジャックによろしく」だが、バックに流れている音楽に驚いた。バッハの無伴奏チェロ組曲をテナーサックスで吹いている! バッハの音楽というのは不思議で、色々な楽器で演奏してもその曲想が壊れない。つまり、音色という要素があまり影響しない音楽だけれども、チェロ組曲をサクソフォーンで演奏したCDは多分これが世界初ではないか。調べたら清水靖晃という作曲家兼サクソフォーン奏者らしい。とても新鮮な驚きだった。


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