与太郎文庫
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2003年10月09日(木)  訃報 〜 Pavane pour une Infante defunte 〜

 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20031009
 
 与太郎の、前半生における運命的な日付を八月十七日と特定すれば、
後半生は《望郷カレンダー》にあげたとおり、十月九日である。
 ことし十月九日、宅配メールで《同志社中高同窓会誌》がとどいた。
 
>>
 
 栄楽 祥子さん、
 同志社中学校、同志社高校を通して50年にわたる細く長いお付き合
いでした。
 貴女は心底、同志社が好きでした。
 同窓会で先輩の登山遠征資金を作るため熱心にトレーナーを売ってお
られたときの貴方の顔、お医者さんになられてからの顔、そして今年の
2月、お別れを隠して、大阪での同窓会に出席されたときの顔、様々な
情景が去来して行きます。
 同志社中学校で初めての女性生徒会長に選出され、みんなの信頼を得
て立派にその職責を果たされました。
 貴女はいつも温かく、最後の最後までフル回転の頑張り屋さんでした。
 そんな貴女に接して、どんなに多くの人が、それと気づかずに励まさ
れてきたことでしょう。
 安らかにお休みなさい。
      同志社中学・高校、同級生代表(昭和32年度卒)
                        木下 聖治
── 《同志社中高同窓会誌 第28号 20030930 同志社中高同窓会》
 
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 “タヌキ”こと木下聖治が、いつ「同志社中学・高校、同級生代表」
になったのか知らないが「自称、友人代表」のつもりか。
「50年にわたる、細く長いお付き合い」ごときも不得要領である。
 この弔辞は、彼女と同じ教室にめぐりあわせた幸せ者だけが目をとめ
るのだから、いかにして彼女が病に屈し、いつ弔われたか、という厳粛
な事実を伝えるべきだった。
 
 生徒会長としての彼女は「執行委員会では、会議を始める前にいつも
お祈りしています」と語っている(宗教部座談会)。すでに俗物となり
はてた者も、祈りの作法だけは忘れてはいないはずだ。
 
 彼女は、同級生のなかでは数少ないメール・アドレスの保有者だった。
ことし一月末、最後のメールに返信がなかった。件名=Read Me Last !
とは「あとで下記HPを読んでください(返信無用)」のつもりである。
 このころすでに、パソコンに向かう体力がなかったのか。あるいは、
ほかの諸君とおなじく、郵便だったら返事をくれたかもしれない。
 
 タヌキの文章から推して、二月から九月のあいだに亡くなったらしい。
(二月中旬、ゴリも大阪の同窓会で会ったことを手紙で伝えていた)
 医師会事務局に電話して命日を尋ねると、すぐに教えてくれた。
 
「えーと、六月四日ですね」
「すると、64才かな」
「えーと、そうですね」(誕生日をすぎていなければ、63才だが)
「すると、誕生日もわかりますか?」
 しばらく、ガサゴソと資料をさがす音がきこえる。
「えーと、お友だちですか?」
「そうです、中学以来の同級生だが、遠方に住まっているのでね」
「あの、お誕生日はお教えできませんけど、お嬢さまが診療所を継いで
らっしゃるので、そちらでお聞きになってください」
「なるほど、プライバシー(?)もあるからね」
 
 この担当者は、面倒になったらしいが、それでも診療所の電話番号を
教えてくれた。命日はよくても誕生日はダメ、という論理もヘンだが、
ひとこと皮肉を云ってみただけで、この日ばかりは叱らない。もちろん
遺族に電話などしない。
 
 去年は、同窓会事務局の担当者に腹をたてて、谷本先生に電話したが、
前後のいきさつを以下に詳述(ことし六月にも別件あり、つづく)。
→《与太郎文庫》2002/08/27 (火) ポール先生の消息
http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/day?id=87518&pg=20020801
 
 亡くなってから128日目の訃報、記之。


♀栄楽 祥子 内科医師 1939・・ 大阪 20030604 64 ? 旧姓=木村 祥子

 
 Let'20031009
 同志社中高同窓会 2003
 20031025(Sat)受付 PM5:00 開宴 PM5:30 ホテルグランヴィア京都
 
 Let'20030601-0621
 同志社中・高33同窓会
 604-8140 京都市中京区錦小路通烏丸東入 服部ビル4F
 京都トラスト(株)内 075-213-5055 木村 準 (3B-90)
 ── 《同志社中・高33同窓会名簿 200305・・ 現在》


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