与太郎文庫
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2003年10月10日(金)  パヴァーヌ 〜 Pavane pour une Infante defunte 〜

 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20031010
 
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 作曲家のモーリス・ラベルは、脳腫瘍のためか、治療のために受けた
手術のためか、ほとんど記憶を失った状態だったといいます。「死せる
王女のためのパヴァーヌ」という曲を聴いて、これはもしかして、ぼく
が作曲したものではないかね。悪くない、悪くないね、とつぶやいた、
というエピソードを、伝記で読んだ記憶がありますが、ぼくもそのうち
「こんちはじいさん」もしかして、それって、ぼくが書いたものじゃな
かったかなあ、などといい出しそうな気がして、心配になってきました。
 
http://yufuu.com/RJ/StColum.htm
── なだ・いなだ《打てば響く》
 
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 この曲は、チェロのアンコール・ピースとしての編曲があり、与太郎
も弾いたことがある。あまりに地味で、ラヴェル本来の才気が感じられ
なかったが、このたびの訃報で、あらためて思いだした。
 要するに、ラヴェルにとっても謎めいた作品であったらしく、ふしぎ
な情感をもっている(フォーレの作風を踏襲しているようにもみえる)。
 古い解説を読みかえすと、それなりの感慨もあり、ここでは古いまま
に再録しておく。
 
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 ラヴェル《逝ける王女のためのパヴァーヌ》概説
 
 この曲はラヴェルの九番目の作品で、一八九九年に書かれたピアノ曲
を彼自身が、オーケストレーションしたものである。
 彼は、多くの作曲家同様、ピアノ曲と歌曲で作曲生活を始めた。純粋
のオーケストラ曲は、このパヴァーヌと同年に書かれた八番目の作品「
シェヘラザード」(妖精物語の序曲であって未出版。一九〇三年の歌曲
「シェヘラザード」とは別物)が最初であり、第二のオーケストラ曲は
九年後の一九〇七年の「スペイン狂詩曲」であり、同年の歌劇「スペイ
ンの時」以後はまたピアノ曲と歌曲にもどり、一九一二年にいたって二
つのバレェ曲「ダフニスとクローエ」と「マ・メール・ロワイュ」でオ
ーケストラを取りあげた。そして「逝ける王女のためのパヴァーヌ」の
オーケストレーションは「スペインの時」と、「ダフニスとクローエ」
の間にあたる一九一〇年になされたのであった。したがって原曲は二十
四歳で書かれ、オーケストレーションは三十五歳で行われたわけである。
すなわち若い作曲上の骨組とアイディアに、かなり成熟した手法の着物
が着せかけられ、肉付けがあたえられたところにこの曲の特質もあり、
興味もある。
 ラヴェルがこの曲のピアノ原曲を書いたのはパリ音楽院在学中で、フ
ォーレの作曲科のクラスにいた時のことである。したがってこの作品で
はまだ十分に個性を示さず、当時ひじょうにひろい影響をあたえたドビ
ュッシーをはじめ、シャブリエやマスネーやサティの影響をみせていた。
しかしこの「パヴァーヌ」に最も大きい影響をあたえたのはシャブリエ
であって、ラヴェルも一九一二年に、みずからそれを認め「残念ながら
私はこの曲の欠点を強く感じている。シャブリエの影響があまりにはっ
きりしており、そのフォルムはかなり貧弱である」と言っている。そし
て彼がそれを一九一二年に述べたのは、この「不完全な作品」を、成熟
したオーケストレーション、オーケストラの魔術師といわれたすぐれた
テクニックによって、できれば原曲に新しい価値をあたえようとしたこ
とを、ジャスティファイするためであったと考えてもいいだろう。
 けれどもその原曲は、はじめからひじょうな成功だった。いたるとこ
ろのサロンで賞賛され、若い娘たちからは好かれて、さかんに演奏され
(このことが彼に反感を抱かせたらしい)、長い間ピアノの魅力あるク
ラシックとして、多くのピアニストのレパートリーに加えられた。その
原因は典雅で、荘重なパヴァーヌ舞曲が、高貴さに加うるに、サロンの
客や、若い娘の心をとらえるに十分な、また一般フランス人の趣味に訴
える感動的な優しさと感傷と悩ましさをもっていることである。(この
点でこの曲はのちの作品である「高貴にして感傷的なワルツ」に対し「
高貴にして感傷的なパヴァーヌ」と呼ばれるにふさわしい。)ワルツの
みならず「逝ける王女のためのパヴァーヌ」という曲題もまた多くの人
の注目をひき興味を抱かせる効果をもっている。同時にまた、この曲が
ルーヴル美術館にあるヴェラスケス(一五九九〜一六六〇年。スペイン
の宮廷画家)の描く若い姫君の肖像画に霊感をえて書かれたという伝説
が、いっそうの興味をそそった。
 しかしラヴェル自身は、そういう文学的な、世間的な興味を問題にし
ていない。彼は言っている。「私としてはこの曲題の言葉を集めるにあ
たって同じような発音を繰り返すことのおもしろさを考えただけなので
ある」。それゆえに彼にとっては、「逝ける王女」という言葉は曲の中
心的な内容とはたいして関係はなく、舞曲としてのパヴァーヌが根本的
な関心の的であったわけである。
 ラヴェルがこの曲に対してみずから不満を語っているのに対して、彼
の弟子であり友人であり、彼の伝記の著者であるローラン・マニュエル
がラヴェルの自己批評がきびしすぎるといったのは正しい。「シャブリ
エ、そしてフォーレ──の模倣は、他の曲同様この曲においても彼の創
造上の特質を害してはいない。その作曲手法も構造もきわめてラヴェル
的であり、そのたくみなオーケストレーションはいささか単調な優美さ
を示した」と彼は書いた。
 この曲はまだ学生であったかれの才能をはっきり示した一九〇一年の
ピアノ曲「水の戯れ」や、一九〇三年の弦楽四重奏曲ほどの高い水準に
属する作品ではない。けれども原曲で世間的に彼の名を高めたこの曲は、
オーケストレーションされたことによって、原曲よりも一歩進んだ純芸
術的な価値を示した。そのうえそのオーケストレーションの巧妙さによ
って、彼の才能の豊かさを証明したのであった。多くの人は、ラヴェル
の初期の作品には印象派の影響が少ないと論じるが、この曲はまったく
旋律的で、明澄であって、ドビュッシーのような模糊とした和声的雰囲
気の表現は全然ない。この曲を支配しているのは、のちのラヴェルの芸
術の本質をかたちづくる新古典主義と同じものである。
 のみならずテンポやリズムが、中間部ではいささか変るが、第一、第
二のAの部分では気分とともにほとんど変らないことや、第一主題とそ
の応答とからできていることや、同じ形の旋律が出てくるごとに和声(
伴奏)楽器を組み替えてオーケストレーションの妙技を発揮しているこ
とや、旋律の切れ目ごとに効果的な走句をはさんでたくみに前後をつな
いでいることをみると、後年の「ボレロ」の組立てを暗示するところが
多く、「ボレロ」の胞芽がすでにこの曲の中にあることを感じさせる。
 初演 一九一一年。
 演奏時間 約六分。
 楽器編成 フルート2、オーボエ、クラリネット2、ファゴット2、
ホルン2、ハープ、弦楽五部。
 解説 (略)
── 松本 太郎《名曲解説全集 5 19650525 音楽之友社》P41-43
 
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 なお、中学時代の木村祥子は、音楽部ピアノ班の代表もつとめていて、
ときに礼拝で賛美歌を伴奏したこともある。もし与太郎とデュエットの
機会があれば、両者の技量からみて、この曲が有力候補となる可能性が
高い。しかし、聞くほうにとっては退屈で、つまらないはずだ。
(与太郎の私的なレパートリーとしては《白鳥》の他に、シューベルト
《楽興の時》やバッハ《アリオーソ》、ヴィヴァルディ《チェロ奏鳴曲、
イ短調》など)(Day'20031110)


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