与太郎文庫
DiaryINDEXpastwill


2003年01月01日(水)  新年

 
http://d.hatena.ne.jp/adlib/20030101
 
■2003/01/01 (水) 年賀状
 
 謹んで新年のお慶びを申し上げます
  本年もよろしくお願い申し上げます  (絵文字=ひつじ 2003)
 その後お変わりございませんか。昨秋には、ピオーネをご馳走になり
まして、有難うございました。
 先日三条通りをバスで通りましたら、三条京阪前がすっかり様変りし、
高山彦九郎の像はありますが、その東側が広場になり、有済小学校がま
る見えになりびっくりしました。
 乗り物は地下にもぐったのかなと思っています。今年はぜひご来遊下
さいませ。くれぐれも御身お大切に。
 606-8326                   芝山 マツ
 
 謹賀新年        (狂言面 福神)
 自然はこれまでの運動形態を続けるという慣性の法則を、昔、物理で
習いました。この傾向は、自然界だけでなく、社会や精神の領域でも見
られます。
 2003年も波乱万丈の年でしょうが、この法則から離脱して、変動
をドラマと鑑じて楽しみ、明るく柔軟に対処して行こうと思っています。
家内も大きな変化を見ずに、新春を迎えました。
 603-8225                   谷本 岩夫
 
 謹賀新年        (寿印) 元旦
 お元気ですか 小生は久しぶりに東京で正月です
 150-0011      (NHK文化センター勤務)竹内 康
 
 謹んで新年のお慶びを申し上げます
 平成十五年 元旦
 730-0004                   上原 正夫
────────────────────────────────
 芝山先生の最初のはがきを《虚々日々 20001231 Awa Library》では、
「Let'002 19500727 ローマ字の暑中見舞いに対する、ローマ字の返信」
としているが、のちに再検証したところ、書簡番号と日付を誤っていた。
ローマ字の返信は Let'099 19510805 が正しい。
 先生の Let'002 19500727 は、与太郎が受取った最初の私信であった。
すなわち Let'001 195003ca は《冒険王・四月号》の刊行案内であって、
通説は 19480810 秋田書店創業 194901‥ 《少年少女冒険王・創刊号》
だが、往年の読者たちのHPに 195112‥-195201‥ 創刊と記憶している
ケースが多くみられる(急に廃刊したらしいが、マニアにも年月日はよく
わからないらしい)。
 
 
■2003/01/02 (木) 貧者士之常 〜 助字(虚字)&置き字 〜
 
 無名氏《去者日以疎》(録古詩十九首・第十四)
 
 去者日以疎 生者日以親(来者日以親)
 出郭門直視 但見丘与墳
 古墓犂為田 松柏摧為薪
 柏楊多悲風 蕭蕭愁殺人(*)
 思還故里閭 欲帰道無因
 
── 愁殺とは「愁」が主意で有って、「殺」は助字と云い、ある種の
ニュアンスを与える語法で、「殺」の意味とはならない。 一例を示せ
ば、「却 著 着 住 断 罷 與」などが有り、更に「 帽子 椅子 孩子 凍
殺」等も概ね此の類で、邦人は殊に注意を要す。
── 《漢詩講座歴史編》http://www.google.co.jp/search?q=cache:yqf_WZdVu6kC:www.741.jp/rihaku/manabu/ma-text03.htm+%E5%8E%BB%E8%80%85%E6%97%A5%E4%BB%A5%E7%96%8E%E3%80%80%E3%80%8C%E6%AE%BA%E3%80%8D%E3%81%AE%E6%84%8F%E5%91%B3&hl=ja&ie=UTF-8
 
 牧野忠恭(まきの・ただゆき)越後長岡藩、牧野家十一代当主。
 藩風は「三河以来」の質実剛健を尊び、古典的な精神的規範である
「参州(三河)牛久保の 壁書」は「常在戦場」の4字に始まり、礼儀
廉恥、貧は士の常である事等を掲げており、これを藩の憲法に位置付け
て事ある毎に藩士に徹底させた。また「侍の恥辱十七条」を尊重させ、
初代藩主忠成の書幅「忠孝御拝」を元旦には全藩士に徹底させた。
── 幕末維新々撰組《佐幕人名鑑》http://www.bakusin.com/makino.html
────────────────────────────────
 長岡藩訓「貧者士之常」の「者」も助字。《虚々日々》P012 参照。
 
 
 中国語学習が第一
 
 ところで、訓読法は確かに中国の文献を読むのに有力な武器であった。
しかし、今日の我々の目から見ると、正確な中国文献の読解を行うため
にはこの訓読法のみでは必ずしも十分ではないということも知っておく
必要がある。中国語という言語は動詞・形容詞の時制による変化や、名
詞・代名詞の格変化を持たない言語である。では、中国語の文法で最も
重要なものは何かというと、それは単語の配列の順(語序)と助詞(虚
字)と言うことになる。しかし、この中国語の文法において極めて重要
な役割を果たしている虚字の多くを、訓読法では置き字として読まない
ことになっているのである。しかし、中国語の文語文である文言は、贅
肉をそぎ落とされた凝縮された文章であり、そういう文章の中に読んで
も読まなくても良いような文字が使用されているとは通常考え難い。こ
の点を顧慮することなく、置き字は訓読では読まない、従ってその置き
字には大した意味もないと考えるのは、中国古典を読むときにとるべき
態度ではないと思われる。また、訓読においては「即」「則」「乃」
「便」をみな「すなわち」と読むことになっている。しかし、これらの
助字の意味は実はみな異なっているのである。訓読では助字の読み方は
一種の符丁となっていて、その意味は別に考えなければならないのであ
る。助字について、今ここに述べたようなことを考慮に入れないまま訓
読法によるのでは、最も洗練された高度な言語表現である文学文献を正
確に理解することは難しいと言わざるを得ない。諸君が将来現代中国語
を学習する場合には、副詞や語気助詞といった、文言文で言えば助字あ
るいは虚字に相当する言葉をしっかりと習得する必要があるが、文言文、
つまり漢文を学習する場合にも助字・虚字について確かな知識を持って
おく必要があるのである。
 また、中国は文献の歴史が長いだけに、言語表現の様相も多様で、
「文言」(文語体の書き言葉、いわゆる漢文)、そして「白話」(口語
体の書き言葉)という基本的な文体の相違のほかに、その各ーに時代に
よる変遷が重なり、複雑な様相を呈している。そういうわけで、例えば
先に挙げた『三国志演義』、あるいは『水滸伝』『紅楼夢』など明・清
時代の白話小説は当時における口語的語法及び語彙を用いた文章で書か
れており、訓読法のみでは正確に読解する事は不可能と言ってよいであ
ろう。そこで今日では、中国の文学を学ぶ際にはまず現代中国語の勉強
から始めることになっている。では、訓読法は大学で中国文学を学ぶ際
には全く不必要なものであるかというと決してそうではなく、先に述べ
たような訓読法の持つ欠点について十分理解した上であるならば、我々
の先人の考案したこの方法は中国の古典を読解する上でのひとつの有力
な武器となるはずである。このようにして、諸君は現代中国語を習得し
た上で、古代より現代に至る長い歴史の中で生み出されてきた様々なジ
ャンルにわたる豊穣な中国文学の世界へ船出することになるのである。
── http://www.sal.tohoku.ac.jp/zhongwen/info/info02.htm
────────────────────────────────
 
■2003/01/03 (金) 新春父子対局
 
 棋譜【平手】 ▲ 父 △ 子 
 
        ▲ 7六歩
 △ 3二金  ▲ 5六歩
 △ 5二飛  ▲ 5八飛
 △ 8二銀  ▲ 5五歩 (急ぎすぎ、本来は4八玉)
 △ 7二金  ▲ 3八銀
 △ 1四歩  ▲ 4八玉
 △ 3四歩  ▲ 3九玉
 △ 4二銀  ▲ 5六飛 (急ぎすぎ、本来は2八玉)
 △ 4四歩  ▲ 4六歩
 △ 6四歩  ▲ 5八金
 △ 6三金  ▲ 4七金
 △ 4一王  ▲ 7五歩 (このあたりから、やや乱調か)
 △ 4三銀  ▲ 6八銀
 △ 4五歩  ▲ 7七銀
 △ 4四銀  ▲ 3六歩 (悪手、6六銀が正着)
 △ 5四歩  ▲ 5四歩
 △ 5五銀  ▲ 5八飛 (さあ、困った)
 △ 4六銀  ▲ 5六金
 △ 7七角成 ▲ 7七銀 (しまった!)
 △ 4七銀打 ▲ 4七銀 (うーむ)
 △ 4七銀  ▲ 5七飛
 △ 4六銀打 ▲ 5九飛 (うーむ)
 △ 5八歩  ▲ 5三銀打(えーい、どうだ!)
 △ 5三金  ▲ 5三歩成
 △ 5三飛  ▲ 5四歩
 △ 5一飛  ▲ 4六金
 △ 5九歩成 ▲ 4七金 (肉を切らせて、骨を取る)
 △ 4九と  ▲ 4九玉
 △ 7九飛  ▲ 5九銀 (切腹用意)
 △ 5四飛  ▲ 5五金 (歩でもよいのだが)
 △ 5五飛  ▲ 5五角
 △ 3九金  ▲ 5八玉
 △ 4九銀  ▲ 6八玉
 △ 7八金  ▲ 5七玉
 △ 5九飛成 ▲ 4六玉 (69手で上手の勝ち。6五銀打で詰み)
 
 
■2003/01/04 (土) Happy Birth-Month ! 
 
 谷本 岩夫 様
 
 新年おめでとうございます。
 早々に年賀状をいただき、ありがとうございました。
 昨夜、教え子の新年会はいかがでしたか?
 
 まもなく《74歳のキャッシュ》に改題されるご予定ですね。
 先生のお誕生の日付をお知らせ下さいませんか。
 HPのどこかで、ヒントになるような記述がないかと探しましたが、
ギブアップしました(占星術や運勢占いが目的ではありません)。
 わたしの《生没総譜》には約10万人のデータがありますので、同じ
日に生まれた人など「抜刷」をプレゼントいたします。
「今日はどんな日?」などのタイトルで、各種ホームページもあります
が、一年366日を(世界で初めて?)埋めたのが、わたしの自慢です。
── 《Birth-Days 366 19851001 aedlib = Awa Libtrary》
 
 なお、試行錯誤しながら、テスト公開中のホームページ INDEX は、
→ http://www.enpitu.ne.jp/usr8/87518/
 
です。ではまた。            阿波 雅敏 (19390120生)
 
 追伸。
 私も1月生まれですが、なぜか他の月よりも人数が多い傾向があり、
いくとおりかの仮説が考えられます。現在のところ明快な現象としては、
音楽家(さらに絞り込むならクラシックの演奏家)が多いのです。
 だからどうだということにはなりませんが、たとえば加古隆氏の場合、
「シューベルト150歳の誕生日に出生」といえば、どことなく風貌も
似ているようですね。


 Schubert,F.P.   17970131 Wien 18281119(31) *誤=0130
 Kako,Takashi    19470131 大阪

 
■Mail'20030104 (土) 9:48 > 4:15 
 
 メールありがとう。おめでとうございます。貴君とわたしは10歳の
開きですね。間もなく貴君の64歳の誕生日ですね。わたしのホームペ
ージのタイトル変更の準備はもう完了しています。誕生日になれば変わ
ります。
 わたしの誕生は1929年1月14日です。
 加古さんのCD"Waltz"には人間ドキュメントのテーマ曲も入っている
ので、我が家に見える看護師さんやヘルパーさんの好みに合いコピーし
てほしいといわれるのでCD-Rにコピーしてあげています。著作権法違反
かな。同志社化学部のPONk会は今夕です。毎年1月4日となっています。
それでも毎年亡くなる人もあり病気で来れないという人も出ます。今年
は土日と正月休みに続いたので出席出きる人も少し増えると期待してい
ます。早々
 谷本岩夫
http://web.kyoto-inet.or.jp/people/tbc00346/index.html
 
 
■2003/01/04 (土) 神学授業
 
 インターネット授業が秘める可能性 〜現状と今後の展望 〜
               小原 克博(同志社大学神学部教員)
 はじめに
 2001年4月から同志社大学の正規科目として「インターネット授業」
が始まった。実験的にインターネット授業に取り組んできている大学は
慶應義塾大学をはじめとし、いくつもあると思われるが、単位が取得で
きる学部設置の正規科目として提供している大学は、同志社や早稲田な
ど、まだ数えるほどしかないと思う。そうした物珍しさも手伝って、同
志社のインターネット授業のことが新聞・雑誌・テレビなどで取り上げ
られてきた。しかし、そうしたメディアでは、しばしば一面的かつ断片
的な伝達にならざるを得ないので、ここでは少しでも実像に近い情報を
お伝えすることにしたい。
 最初に、インターネット授業を簡単に定義しておくと「オンデマンド
型のオンライン型授業」となる。高速回線や衛星回線を介し、複数の地
点を結んで「リアル・タイム」に行う遠隔授業も存在するが、それは
「オンデマンド型」ではないので、ここではインターネット授業には入
れない。また最近は「eラ−ニング」という言葉もよく用いられるよう
になってきたが、それはインターネット授業とほぼ同義であると考えて
よい。ただし、ここでは、わたしが同志社大学においてきた用いてきた
「インターネット授業」という表現を中心に話を進めていく。
 今年度、同志社大学が提供しているインターネット授業は、神学部の
4科目と経済学部の2科目(担当者は宮崎耕教授)である。神学部での
4科目はわたしが担当しているが、春学期には「宗教と平和 ー紛争・
抑圧を克服する道を求めて」(宗教学8-501)、「現代におけるキリス
ト教倫理の諸問題」(組織神学1-501)、「宗教と倫理 ー科学技術時
代における宗教性の模索」(宗教学7-501、昨年度科目の再配信)が設
置され、秋学期には「宗教と倫理 ー科学技術時代における宗教性の模
索」(宗教学7-502)が設置されている。このうち「宗教と平和」と
「宗教と倫理」は、京都の大学の連合体である大学コンソーシアム京都
http://www.consortium.or.jp/ への提供科目であり、同志社大学の学
生の他、他大学の単位互換生やシティカレッジ生(一般社会人)も履修
登録している。── 《ACADEMIC RESOURCE GUIDE No.150 20030105》
 19:50 [ARG-150] mag2 ID 0000005669


与太郎 |MAILHomePage

My追加