与太郎文庫
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| 1969年11月12日(水) |
日本の弦楽四重奏談 �� 岩淵 竜太郎氏に聴く |
http://d.hatena.ne.jp/adlib/19691112 京都市立芸術大学音楽学部教授というよりも、かつてのN響コンサー ト・マスター、あるいはプロムジカ弦楽四重奏団のリーダーとして知る 人の方が、より多いかもしれない。オールド・ファンならずとも、昭和 14年の音楽コンクールで優勝をあらそった江藤俊哉少年と共に、翌年は 新交響楽団とバッハのドッペル・コンチェルトを協演した天才2少年の 話題は、なんとなくなつかしいのである。京都定住数年、ふたたびクワ ルテットを結成してベートーヴェンに取りくむ氏を囲んでの一刻はまた たく間にうち過ぎた。
■ 譜めくりの時代
── 弦楽四重奏について いろいろ談じていただく というのが本来 の企画なのですが お伺いしたいことがあまりにたくさんあるようです 多岐にわたる異色の御経歴の持主と申してよろしいでしょうか たとえ ば東京大学法学部出身のヴァイオリニストでいらっしゃる(笑) 岩渕 文科にしては 数学の点数がよかったとかで 運よく(笑)入っ たのが終戦の年なんです 周囲では上野の音楽学校を受けさせるつもり だったらしいんですけれども 技術的にいちばん大切な 中学3年の頃から 勤労動員にかり出されて 畑を掘ったりして とても練習するどころではなかったし ほんとうは 迷ったあげくに 運命のいたずらとでも申しましょうか(笑)ところが 翌21年2月には 旧円封鎖によって実家の経済が急変いたしまして と りあえず アルバイトをしなければならないことになり 英語の家庭教 師みたいなことをやっておりました そんなことなら もういちどヴァ イオリンを弾かないか といってくれる人がいまして当時N響などのメ ンバーがやっていたスモール・オケに入れてもらったんです これが実 は米軍キャンプをまわる楽団でして その いちばんうしろで弾くこと になりました ── いま考えると ちょっと信じられないようなお話ですね(笑)そ こでポピュラー・ミュージックなども弾かれたのですか 岩渕 メンバーの間では 大歌舞伎サワリ大全集などと申しましてね リゴレットだのタンホイザーなどの ごく一部をつなぎ合せたもので カール・フレッシュの編曲でしたかね こういうのは譜をめくる だけでも慣れるまではたいへんでしてね まごまごしてるとウィリアム ・テルなんか ぜんぜん弾かないうちに終ってしまうんです(笑)人数 がすくないので 二三度まちがってバレたりしますと すぐクビになる んです だから小さくなって弾くわけですが 終ってから封を切ります と50円入ってるんです 昭和21年のことですから ほんとに申しわけな いくらい(笑)いただいておったのです ── なかなか止めるわけにはまいりませんね(笑) 岩渕 ところが 米軍バンドじゃつまらないだろう と幼い頃からお 世話になっていた渡辺暁雄さんから 東フィルに来ないか と誘われま してね 当時の東フィルは一種の任意団体のようなもので いつ休んで もかまわない といった条件で 私も まだ学校に籍がありましたし お受けしたわけです 同じ頃ちょうど 植野豊子さんを中心に チェロの橘さん ヴィオラ の河野さん 第二ヴァイオリンには寺田さんたちで 東京弦楽四重奏団 というのをやっておりまして これは戦前から黒柳守綱さんなどが育て て来られたものですが その頃植野さんが独奏活動に忙がしくなったし 代りにやらないかということになったのです ── それが 最初のクワルテットの御経験でしたか 岩渕 そうです 以前からブッシュとか カペー四重奏団をレコードで 聴いてあこがれてはいたんですが 実際にやってみると ききしにまさ る面白いものなんです 22・23年頃ですから 一般公演はまだできなく て ラジオ・リサイタルというNHKの番組で 野村光一さんの解説で 数回出演したのを記憶しております そんなことをやっているうちに 学校の方も だんだん疎遠になるし そんなもの止めちまえ なんていう悪友がおりまして(笑)一方では シンフォニーも面白くなってきましたし どうせやるならN響に来ない かと誘われまして どうも誘惑には勝てない性分ですから(笑) ── 最初からコンサート・マスターに着任されたのですか 岩渕 第2プルトの外側 つまり第3奏者として 1年ばかり見習いを やりまして ローゼンシュトックが26年にふたたびN響の常任指揮者と して来日した時から その任につきました
■ 忘れられない指揮者たち
── ローゼンシュトックといえば 例の江藤少年との天才二重奏いら いの縁ですね 当時のN響は終戦後 いわゆる来日演奏家を一手に迎え て協演した時代ですが おそらくその演奏長としての御苦労は たいへ んだったでしょうね 岩渕 苦労もありましたが いい経験をさせてもらいました だいたいは オケっていうのは 指揮者次第といいますか いい指揮者に会ったときに は 実に会心の音が出るんです ローゼンシュトックが戦後なんとかし て演ろうとして できなかった曲に ストラヴィンスキーの《春の祭典》 がありました これを実際にN響で振ったのが ジャン・マルティノン だったわけです 彼とは忘れられない経験がいくつかありましたね ── 26年でしたね ときに折よく アイザック・スターンとの協演が 実現して 戦後初の大物同志の顔合わせと評判になりましたね 岩渕 そうです 特にマルティノンの《幻想交響曲》では 最初の練習 でしたが はじめ まるでリズムを明示しないんです われわれはとても ついていけない ところが オーボー奏者として当時ウィーンから来て いたシフトなどは それでちゃんと吹けるわけです そこで じゃもう いっぺん といって振りはじめると こんどは実にうまくいくんです おどろきましたね つまり はじめての オーケストラってものを彼は 一瞬のうちに見ぬいてしまうわけです 《幻想》という曲は 演奏する 側から どちらかといえばドタドタした作品なんですけれども(笑)あ る意味で 当時のN響はウブだったというか 客観的にも技術の水準は 今ほどでなかったのですが それをあそこまでもっていけるというのは たいへんな力だと思いますね 実にファンタスティックな すばらしい 指揮でしたね ── その翌年は いよいよカラヤンがやって来ましたね 15年前とい えば まだ帝王になる直前で この時のエピソードに 彼が練習の際に 黒いトックリのセーターを着てあらわれて まじめな気むずかしい表情 で振っていて フォルテシモになるとボコっとおヘソが見える(笑)た しか当時のN響メンバーによる芸術新潮での座談会でしたけれども 岩渕 そうでしたか(笑)たいへんにエネルギッシュな指揮者でした おヘソで思い出したんですが(笑)実におどろいたことがあるんです ベートーヴェンの《第九交響曲》を彼が指揮して 本番のときなんです けれども 私はすぐ近くで弾いておりましたが 彼のズボンのある箇処 が 何と申しますか つまり あきらかな状態になってるわけですね 私ははじめ何かのまちがいじゃないかと思ったんですけれど(笑)それ が全曲を通じてずっとなんです まったく おどろきました ── 活字にしにくいエピソードでしょうね これは(笑) 岩渕 こうした大指揮者になりますと オーケストラは まるで磁石に かかったように 自在にふりまわされるわけですね 一方では 天才的 なテクニシャンというタイプの人もいますし コステラネッツなどもそ うでしたけれど ほんとうに指揮者次第だと思います
■ プロムジカへの道
── コンサート・マスターとしての任務のほかに たえずクワルテッ トもやっておられましたね 岩渕 そうです プロムジカ弦楽四重奏団としてデビューするまで3年 くらい チェロが常松さん ヴィオラが小磯さん 第二ヴァイオリンを 竹内さんといったメンバーで だいたい固定していましたね ── 28年に正式結成にあたっては N響側の協力もあったわけですね 岩渕 私的な団体ではあったのですけれども N響の演奏に差支えない 範囲でということで 有馬理事長も了解してくださった 当時のN響は 全体的に給料も安かったし 研究費のかたちで いくぶん援助していた だいたりもしました ところが 後でだんだん判ってきたことなんです が 同じオケのメンバーであっても ひと月くらい顔を合わせないよう なことがあるわけです それでしばらく音も合わせていないで 久しぶ りにやると どうも音が溶けてこない クワルテットというものは そ ういうものらしいんですね ── しじゅう奏していないと(笑) 岩渕 そうなんです(笑)そのうちオケとのかけもち自体に無理を感じ るようになりまして いずれをとるかということで 自分のクワルテット として力のかぎり いけるところまでやってみたかったですね ── デビュー・プログラムはやはりベートーヴェンで始まりましたか 岩渕 《ラズモフスキー第2番》とドボルザークの《アメリカ》 そし てブラームスの《ピアノ五重奏曲》ピアノは松浦豊明さんで このとき からチェロが松下修也さんになりました はじめはN響のスケジュール とかちあわないよう 合間をぬってやっていたのですけれども 今にく らべて 臨時演奏会などがぎりぎりの間ぎわになって決ったりしまして 当時しばしばそんなことが重なりましてとても体力的にも両立がむずか しくなってきたわけです そんなところへ 渡辺さんが日フィルを創ら れるに当って またまた誘いを受けました これが はじめの話ではい くらでもクワルテットをやれる というたいへんいい条件なので つい その気になったわけです(笑) ── 当時 最高の切札でもあったわけですね(笑)30年の日フィル京 都公演は まだ京都会館がなくて 同志社の栄光館でしたね 岩渕 そうでした 《運命》などをやりました コンサート・マスター には ブローダス・アール氏がいて 客員として加わりましたので ク ワルテットの時は休みますよ という条件だったのですが 実際にはな にしろ6プルトしかありませんので いくらいいといわれましても休む と格好がつかない状態でしたね ── 32年には プロムジカとしての二度目の京都公演を聴かせていた だきました この時の第二ヴァイオリンは堀伝さんでしたね 岩渕 つまり 日フィルには 結局2年近くいたわけで その後京都の 音大に関係しましてから 西ドイツに行きまして 雑誌を見ておりますと 四つのオーケストラでコンサート・マスターを募集しているのです ち ょうど楽器を買うお金もほしかったので 問いあわせててみますと三つ はすでに決定したあとで 一つだけ残っていました あちらのオケの試 験というのは 旅費・日当が向う持ちなんです ですから もしダメで も見物してこれるわけですから(笑)出かけてみました これがフラン ケンランド州立交響楽団でして エーリッヒ・クロスという指揮者のも とで 1年ばかりやって音大に帰ってきました
■ ヴィオラが足りない
── 一時は 京響で演奏顧問として坐っておられましたけれども 音 大では 主にアカデミア弦楽合奏団の指導に御熱心でしたね 岩渕 このところ すこし休んでいるのですが音大の弦楽器教育という 面でたいへん有効な活動になると思いましてね ── たとえば ふと考えるのですが 学生時代から同じメンバーによ るクワルテットを育てる というようなことは不可能でしょうか 岩渕 それこそ理想的なんでしょうけれど ひとつの大学で 同じ条件 の奏者をそろえるというのは 年令的にも技術的にも たいへんむずか しいようですね 過去の形態としては 海野義雄を中心に芸大在学生に よるアカデミア弦楽四重奏団というのをやっておりまして 彼がN響へ 入ってからも しばらく続けていたようですが きわめて稀な例だと 思われます ひとつの理由として 考えられるのにヴィオラという楽器 に人材が少ないのです ── ヴァイオリンからの転向はむずかしいのでしょうか 岩渕 できるんです ところが才能のある人ほど やりたがらないのが 現状でして これほどヴィオラ奏者が足りないのだから やってみない かとすすめても やっぱりヴァイオリンから離れたがらないですね ── むかし 大ヴァイオリニストのイザイエがたいそうヴィオラを愛 して 室内楽ではいつも持ちかえて楽しんだといわれますが 技術的に 危険なことなのでしょうか 岩渕 それがほんとうなんです すこしも危険な問題はないはずです 音大でも 一定のローテーションを組んで ひととおりは やらせる ようにしているんですけれども どうも人気がありませんね あらゆる 角度からみて私はヴィオラをすばらしい楽器だと思いますし 有利でも あるんですが どういうわけでしょうかね(笑)
■ 微調整のプログラム
── ベートーヴェンの全曲演奏会は これまでに何度かなさったので しょうか 岩渕 連続としては こんどで2度目ですね 37年にそれまでの足か け10年の集大成というわけでやったことがあります ── こんどのプログラムの第1回は最初・真中・最後と並んでいます が 全曲の組合せかたにもいろいろあるでしょうね 岩渕 二通りの考え方ができますね ひとつは一回ごとのプロを 個々 に音楽的に独立したものにしていく もうひとつはベートーヴェン自身 がいかにたどったか という再現です こんどの場合は前者をとりまし て ちょうど作品18が6曲ありますので これを全6回の冒頭にすえて 毎回 初期・中期・後期の各スタイルを あきらかにしたいと考えてい ます ただし16曲を6回で割りきれない点はありますが(笑) ── もうひとつの問題といえますかどうか たとえば第1回のプロで は ヘ長調が三つ並ぶのですが 岩渕 一般的には ひとつのプロで関係調による変化があった方がいい ようですね このことを たいへんやかましくいったのがエッシュバッ ハーでした 彼は稀にみるほどの絶対音感の持主でもありましたので 調性によって たとえば変イ長調とイ長調では 音そのものの色あいの ようなものが異なって聴こえるらしいですね 私は実のところ半分くら いは わかるような気もするんですが(笑)それほど厳密には感じてい ませんが 有馬さんの部屋へエッシュバッハーが飛びこんできていわく どこかで鳴らしてる レコードの回転が少し速いから 何とかしろなん ていう実話もありました(笑)彼にとって それがかなり苦痛らしくて 決してキザなふうではなかったですから そういう人たちのためにも 注意すべきことですね ── すると たとえばヴァイオリンでよく響く調性であってもヴィオ ラおよびチェロには向かないという場合もあるわけですね 岩渕 弦楽器の場合は純正律で5度ずつ正しく調弦しますと 音の巾が だんだんひろくなるんです そこでかなりいろんな操作をしませんと つじつまが合わなくなるということが起ります 具体的にクワルテット の音程は特殊なものでヴァイオリンのE弦はすこし下げ チェロのC弦 をすこし上げて調弦します それに第一ヴァイオリンがいい気持になっ て明るい音程で歌ったりすると 妙なことになるわけです ── たえず低音弦とのバランスを考えなければならない 岩渕 ですから ひとりでさらってるいる分には いい音程なのに アンサンブルになるとおかしくなる人たちもいますね 一般のこれまで の音感教育が どちらかといえば ピアノ中心で 耳が平均律的に訓練 されていることもあるでしょうね ── 写真におけるピントの問題が いくぶん似ているようですね 見た とおりに写るという一眼レフでは 人によって微妙な差が生じるわけで す 人間の目といえば 耳にくらべてより以上に日常的で 主観的なの で そのごくわずかなちがいで平面上のチャンスを逸することもあるよ うに思われます 岩渕 たいへん興味のある問題ですね おそらく理論的なものと経験的 なものとの一致がクワルテットの場合にも必要でしょうね (喫茶スマートにて 1969・11・12) ──────────────────────────────── *=カール・フレッシュの編曲→カール・フィッシャー(楽譜出版社) Fischer, Carl 楽器商 1849‥‥ Germany America 1923‥‥ 74 /1872渡米 ── Dotzauer,F.《Merhod I for Cello ‥‥ Carl Fischer Music》 http://www.carlfischer.com/ (20070221)
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