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■ エッセイ 人生波茶滅茶
【私の志】
こんな風に場当たり的でもあり、ギャンブル的でもあり、常にハラハラドキドキの崖っ淵人生ばかりを歩んできた私だが、ちゃんと志は持っている。 ともかく生きる為のお金を正当な方法で稼ぎ出し、先ずは暮らしを立て直す事。そして最後は自分の人生に自分でちゃんとケリを付ける事。 この二つだ。 私は自分の身に起こった数々の困難と引き換えに、人間関係だけにはとても恵まれ、心優しい仲間や友人にたくさん出会い、支えられ、そして救われて来た。 ぐうたら神のせいにばかりして来たけれど、困難が多い人生なのは結局は全部自分が撒いた種なのだと思う。良い事にせよ悪い事にせよ自分の身に起こる事というのは、自分が選んだ道に沿って歩いてきた生き様の結果でしかない。 そんな事は自分自身でも良く解っている。 でも、人間には出来不出来があり、バカと利巧が居て、能力も技能も思考も千差万別だ。出来ない人は何をどうあがいても無理なのだ。50年間ダメ人間だった私が、急に立派な生き方などできるはずもない。 だから私はきっとこの先も本能の向くまま、危なっかしい道を歩み続けるかもしれない。 それでも、こんな私を多くの人々が未だに支え続けてくれている事が嬉しくもあり、心苦しくもある。 もしかしたら、事の大小に関わらず、私に起こる苦悩と同じ数だけの人間が一人・・・又一人と、私の元へ送り込まれ、その人達もぐうたら神の手下で、私に何かを気付かせてくれたり叱ってくれたり勇気付けてくれたりする役割を命ぜられているのかもしれない・・・などと想像してしまう。 宇宙最大の総神様は、同じ量の幸せと、同じ量のチャンスと、同じ量の試練を平等に人々に与えるのだと聞いた事がある。 私の幸せと不幸せは、あまりに両極端過ぎるが、いつも手酷いアクシデントとの背中合わせに、究極の幸せがくっ付いていた。 多分ぐうたら神は、そんな両極端な人生シナリオをわざと提供し、私に物を書く生き甲斐を与えたのかもしれない。 何とかコイツの出来そうな事は無いものだろうかと、彼も必死で考えてくれたに違いない。 そこでとことん私を痛めつけ、物を書かざるを得ないような人生を歩ませた。 書く事で人を笑わせ、時に泣かせ、楽しんでもらう。これが、私がこの世に産み落とされた理由(役割)のような気もする。そして物を書いたからこそ私は店が持て、生かされたのだ。 考えてみればこのズタボロ人生が今では結構愛しい。 私は身内の恩恵をあまり受けられなかった分、多くの赤の他人が手を差し伸べてくれた。だから私も何かで人に手を差し伸べられたら良いと思う。私と同じような不器用で生き方がヘタクソで、お金の苦しみに喘いでいる人々に、何とか元気を与えたい。 落ち込んでいる人に、アナタよりもっともっとダメな人間が此処に居る。それでも僅かな生き甲斐を見出し、こうしてヘタレながらも生きてるんだと言う事を知って欲しい。 そしていつか私の書いた物が売れたとして、お金が儲かったら会社を作りたい。 感性豊かで無邪気な大人たちを集め、皆を楽しませるような施設を作る。 才能を持っていながらもそれを発揮できぬ人、多くの夢を持ちながら挫折した人、優しいゆえに蹴落とされてしまう人、それぞれの特技や感性を活かし働けるような施設。 そこには子供達が安心して遊べる公園なんかも作り、昔のような楽しい外遊びを教える先生達も居る。先生と言っても若い保母さんなどではなく、メンコやビー玉や凧揚げの上手なお爺ちゃんだったり、お手玉や手まり遊びの上手なお婆ちゃんだったり、かくれんぼや、靴隠しや、缶けり、ハンカチ落としなどを教えられる熟年層の人々だ。 絵の上手な人や、歌の上手な人や、物書き志望者も集め、本や音楽で人を楽しませるのも良いかも知れない。ホームレスのような究極の体験をした人に愚痴吐きコーナー等も作ってもらい、少しの事で悩んだりへたれている人などに生身の人生経験を話し伝えてもらい、元気を与えるなんていうのも良いかも知れない。 誰も彼もが楽しみながら自分の好きな事に磨きを掛け、利益が云々ではなく人が喜びそうな事に生き甲斐を見出しながら働けるような会社。そんな会社が出来たら良いだろうなぁ・・・と思う。 そんなワクワク感が多くの人々に連鎖し、来る人も社員も元気になる。そこを訪れると誰もが無邪気な子供に戻れるような癒しの空間・・・。そんな施設を作りたい・・・・・・。 しかし夢の又夢だなぁ・・・。 と、此処で現実に引き戻されてしまった!(苦笑) 今尚、私は綱渡り人生の真っ只中なのだ。来月どうなっているか、明日どうなっているかも、ぐうたら神の気分次第である。 先ずは店を繁盛させ、生活の基盤を作らねば。 ぐうたら神に生かされている限り、自分に与えられた出来る事を、出来る範囲で精一杯こなし、魂の中のフツフツとした夢に憧れながら生きて行きたい。 こんな私でもせっかく五十歳まで生かしてくれたんだもの。命は大切に使い切らなきゃバチがあたる。 まだまだ発展途上のつもりだからこの先何がどう転ぶかも解らない。 運を天に任せ、出来る限り楽しみを見出しながら、人生の終盤を生きて行きたい。 ぐうたら神と手に手を取って、これからもダメ人間をまっしぐらである。
終わり
(後書きへと続く)
2007年01月18日(木)
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