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■ エッセイ 人生波茶滅茶
【テメエこそ死ねよ! この馬鹿男!】
そんな一件が有り、もう私達の精神状態は仮死状態になっていた。 どうして少し良くなり掛けると、何時もこうして奈落の底に突き落とされるのだろう・・・。 私はありったけぐうたら神に悪たれを付いた。 私達はアンタのアメリカンヨーヨーか! 私達はアンタの玩具か! 私達はアンタのゲームのコマか! いい加減、私達を弄ぶのは止めてくれよ! 毎日眠る時、このまま目覚めないで欲しいと祈り、目覚めれば一日中支払いの事しか頭に無く、思考は全て停止し、店に行けばどの客の顔も集金人に見えて来る。 それでも夫に収入源が絶たれてしまった以上、私は店に出ない訳にも行かず、今日食べる食費さえも無いのだ。 仲良しだった女の子と、ママにだけは夫の一件を話した。 そして食費として給料から二千円分を日払いにしてもらい、残りは給料日にと言う事でかろうじて食べていたのだ。 その時は心神喪失状態で他に仕事を探す気力も、何も無かった。自殺が怖いからただ生きているだけ・・・。そんな状態だった。 店に出れば暗い顔をしている訳にも行かず、必死に平常心を装うのだが、社長の意地悪やきつい言葉に悔し涙が滲む事が増えていた。 この店で唯一私が救いだったのは、数人の女の子と客の一部が、いつも私の味方で居てくれた事だ。 解ってくれる人は解ってくれている。見ている人は見てくれている。その事だけが、店に出られる唯一の救いだった。 そんな極限状態の心境で働いていたある日の事。 その日は稀に無い酷い腰痛で立ち座りも困難な状態だった。しかし何とか勤め上げ、何時ものように社長の最終便で家まで送って貰ったのだが、道中、私は車がカーブを切るたび、激痛に耐え兼ねていた。 社長の運転は何時もとても荒いのだ。 腰痛の事はママに話してあったので、私はママが「もう少しゆっくり走ってあげてよ」くらいの事は言ってくれると思っていた。でも、ママは何も言ってはくれず、女の子との世間話に夢中だ。 車が振動するたび、どうしても「アイタタタッ!」と言う声が漏れてしまう。 女の子が降り、ママと社長と三人になった。 それでもママは何も言ってくれず、あえて私は「腰が痛い」と言ったのだ。 そうしたら社長が「痛い痛いって、嫌みったらしいなぁ」とせせら笑うように言ったのだ。 その言葉を聞いた途端、私の中でかろうじて繋がっていた糸がプツリと切れた。 ママが「マキ、今日は腰が痛いんだってさ」と、少し面倒そうには言ってくれたのだが、社長の言葉を咎めてくれる様子も無い。 この女に利用されるのはもう懲り懲りだ。 もう何もかもがどうでも良くなった。 「今日は腰痛が酷い事はアンタも知ってるはずでしょう? 何故一言、もっとゆっくり走ってあげて、くらいの事が言えないのよ!」私は彼女を怒鳴った。 すると社長が「それが店の経営者に向かって言う言葉か? いい加減にしろ、この馬鹿女! ブッ殺すぞテメエ!」と何時もの様に私を怒鳴ったのだ。 【何が経営者だよ。その経営者の事を皆の目の前で散々虐げてるのは誰なんだよ!】 私は腹をくくった。 「テメエこそ死ねよ! この馬鹿男!」 私は捨て台詞を吐き捨て、車を降りた。 外は酷い土砂降りだった。でも、冷たい雨に打たれながら、私は何故か小気味良かった。 【あぁぁ、私まで仕事を失ってしまった・・・】 私は自嘲しながら、とても清々した良い気分だった。 もうあんな店に居なくて良い! やるだけの事はやって来た。文句を言われる筋合いではない。 私は夫に電話を掛け、見知らぬ路地の階段に座り、寒さに震えながら夫が迎えに来るのを待った。心配そうな夫の顔を見た途端、私は夫にすがり付きウォンウォンと泣いた。苛められた子供が父親にすがり付いて泣きじゃくるように、しゃくり上げながら「悔しいよぉ! 悔しいよぉ!」と泣き続けた。 夫は笑いながら「馬鹿だなぁ、お前が泣く事無いよ。今まで良く我慢したな。そんな店は辞めて正解だったじゃないか」そう言いながら抱きしめてくれた。
後日談だが、この店はその後酷い結末を迎えたようだ。 社長が店の売上金を持ち逃げしてしまったらしい。最後の月には従業員に給料も払うことが出来ず揉めたらしい。その後店は程なく潰れたと、友人が知らせてくれた。 やはり神様は罰を与えてくれた。 友人も、もしかしたらあの社長の被害者なのかも知れない・・・・・・。 そう思うと少し可愛そうだ。
続く
2007年01月05日(金)
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