 |
 |
■■■
■■
■ エッセイ 人生波茶滅茶
【もう、二人で死のうか・・・】
夫は新しい会社に移り、既に数ヶ月が経過していた。 ある月明けの月曜日。何時もなら五時半と言えば帰宅するはずの夫が、いつまで待っても連絡も無く帰って来なかったのだ。 (給料日の筈なのにどうしたのだろう・・・)夫は仕事が終わればいつも真っ直ぐに家に帰ってくる。何処かに寄り道をするなどと言う事は先ず無い。お金を持ち歩かないのも手伝ってはいるのだが、例え友人に飲みに行こう等と誘われても断るくらいに、私と一緒に居る事を好んだ。 実は本来ならば、その日の五日ほど前が夫の給料日だったのだが、その日給料は渡されなかった。数件の支払いを待って貰っていたので理由を聞くと、「社長の都合で来月の頭になっちゃうらしい」との事。 なので最初は給料でも出て、珍しく友人とでも飲みに行ったのだろう・・・くらいに思っていた。 しかし、何度電話をしても携帯が通じない。メールを入れても返事が無い。飲みに行くなら行くで、電話の一本くらいは入れる人間だ。 私は何か言い知れぬ不安を感じた。 そしてようやく七時前になり、夫から着信があった。 「もしもし?」と言っても夫は黙っている。 「今どこに居るの?」と聞いても無言だ。 「何か・・・、有った?」恐々そう聞くと、夫は消え入りそうな声でこう言うのだ。 「マキ、ごめん。俺、もうマキの所には帰れないよ・・・」 私は咄嗟に夫に女でも出来たのかと思った。 「だから何が有ったって言うのよ!」私は電話口で思わず叫んでいた。 「俺、仕事も信用も失った。もう終わりだよ。山で死のうとしたんだけど、それすらも出来ない俺はもう、どうしたら良いか解らない・・・」夫は涙声になっている。 過去、私はお金に切羽詰る度、幾度となく死ぬより他に手立てがない、と、諦めの境地に立たされた事があるが、夫はそんな時でも楽天的で「死んだら全て終わりじゃないか・・・。待ってろ! 今に俺がマキュキュを楽にさせて見せるから」等と笑っていたのだ。なので夫の方からそんな弱気な言葉を聞くのはこれが初めてだった。 あの楽天家の夫が死のうとしたのだ! 余程の事が有ったのだと私は気が動転してしまい、言葉を詰まらせた。 ともかく冷静になって話を聞かなければ何が何だか解らない。このまま夫に居なくなられてしまったら、私はこの年で二人分の借金を抱え、どうやって生ればいいのだ。 「ともかく今すぐ帰って来なさい。アンタには私に理由を話す義務があるでしょ! 一人で死ぬなんてずるいよ。もしもアンタが死にたいなら私も一緒に死ぬから・・・、だからお願いだから、今すぐ帰って来て訳を話して!」それだけ叫び、祈るような気持ちで電話を切った。 私は急遽社長に電話を入れ店を休ませて貰った。そして不安な時を過ごしながら夫を待った。 一時間ほどが経過し、夫は肩を項垂れながらトボトボと帰って来た。 私は安堵感と共に、とても不安だった。 死のうとした理由を聞くのが恐ろしかった。 「一体、何があったのか正直に話してよ・・・」 夫は蚊の鳴くような声で話し始めた。それは、私が最も恐れていた事だった。 ユニットバスの組み立ての際、新機種の初めてのタイプの物で、ボードのはめ込みが上手く行かず、思い切り叩いたら、ボードに大きな穴を開けてしまったらしい。ユニットバスのボードは一枚が何十万もする物なのだ。 夫はユニットバスのベテランだ。腕に自信があっただけその失敗は夫にとって相当なショックだったようだ。 その時には社長も苦笑し、故意ではないという事で弁償金も会社で半分受け持ってくれたらしい。そしてその時の弁償金は私には言えず消費者金融から借りて支払ったと言う。 そしてその失敗から僅か一週間後、再び同じような失敗でボードに傷を付けてしまったらしい。しかもそれは一番高いタイプの物だったと言う。 二度も間を空けず同じ失敗を繰り返した夫は瞬間的にパニックになり、咄嗟にその傷をコーキングで埋め、誤魔化してしまったのだ。 しかし良心が咎め、翌日社長に正直に話すつもりで居たらしいのだが、それがその日の内に現場監督に見付かり、自ら話す前に会社に通報されてしまったのだ。 失敗を隠蔽し、会社の信用を傷付けたという事で居させる訳には行かなくなったと、夫は既に一ヶ月以上も前に会社を首になって居たと言うではないか・・・・・・。 前回給料として私に渡したお金は、会社から出たものではなく、全てサラ金から借りて来た物だったそうだ。 弁償金と給料分で、多分借金は五十万以上増えている計算になる。 新しい仕事に着き、心から喜んでいた私に、とてもそんな事を言えず、この一ヶ月半の間、夫は普通に会社に行くフリをしてはハローワークや消費者金融やら公園などを転々とし、頭を抱え込んでいたと言う。 そして、社長の都合で給料が遅れていると最後の苦しい嘘を吐き、いよいよ私を騙し切れなくなり、追い詰められた夫は死のうと山に入ったと告白したのだ。 山に行き、ロープが無いので枝に太目の紐を掛け首を吊ったのだが紐が切れたらしい。 「本気で死のうとしたの?」私はチョット疑った。そうしたら夫の首筋には赤くクッキリと紐の後が着いていた。 「じゃぁ、今月の給料なんて一円も無いのね」夫は黙って首を項垂れた。 私は夫が生きていた安心感と行く末の絶望感で、身体中が震え出した。 借金取りからの電話や集金人に「来月早々に給料が出ると言うので必ず火曜には払いますから」と約束したのに、それが全て嘘になってしまう。 こうしてどんどん世間の信用を失って行くのだ。 「もう死ぬしかないね。このままどこかに行って二人で死のうよ・・・・・・」 私達は車を走らせ家を出た物の、やはりそんな勇気は無かった。 死ぬ外に無いのだと解ってはいても、自殺が怖くてそんな勇気さえ無いのだ。 私達はもう死ぬ事も、ちゃんと生きる事も出来ない最低の人間に成り下がってしまった。 一体私達はどうしたら良いと言うのだろう・・・。
続く
2007年01月04日(木)
|
|
 |