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■ エッセイ 人生波茶滅茶
第五章 再び借金地獄の前兆現る。 【西暦2000年到来】
退院後、クリスマスは夫と二人だけで瀟洒なレストランバーに出掛け、ロマンチックで美味しくステキな夜を過ごした。 諏訪で彼女と過ごすと言っていた息子には奮発し、ノートパソコンをプレゼントした。 そして正月こそは、私の快気祝いを兼ね、西暦2000年と言う、正に歴史的にも記念すべき年なので、何時までも心に残るような正月にしようと内心ワクワクしていた。 新年は息子も松本で迎えると言うので、暮には皆で正月用の買出しに行き、少し奮発し、しめ飾りや豪勢な食材を買い揃えた。 正月の準備にお金の心配が過ぎらなかったのは、きっとこの年が最初で最後ではなかっただろうか・・・・・・。 まだまだこの時期はお金に余裕もあり、私の癌以降、まともな仕事をしていなかった夫の事も【早く仕事を探してくれよ】とは感じていたが、然程深刻ではなかった。 私も夫も性格的に、あまりお金に執着心が無い。二人とも一緒に居られれば楽しく、後先の事は余り考えていなかった。 ギャンブル人生と言うか、ケセラセラ人生と言うか、無計画人生と言うか、本当にしょうがない物である。 気持ちの中では【こんな事をしていては、又あの地獄が来る】と恐れては居るのだが、まだ焦らなくても良いか・・・。まだまだ余裕は有るんだし・・・。と、タカをくくっていた。 無論、夫だって新年が明ければ本格的な定職に着いてくれると思っていたので、少しは貯金も残せるつもりで居たのだ。 いよいよ新年を向かえ、友人達も招待し、愉しく賑やかな正月を迎えた。が、正月が終わっても夫は口先ばかりで一向に仕事を探そうともせず、私と一緒の時間を惜しむかのように常に私に寄り添っているだけだった。 一緒に起き、一緒にTVを見、一緒にご飯を食べ、一緒にゲームをし、時たま一緒に出掛け、夜食を食べ、ふざけ合って一日が終わる・・・。いつもかつも金魚の糞のように、私達は一緒に居た。 何時まで経ってもそんな夫に、私は我慢の緒が切れ、再び仕事の事での喧嘩が始まる。 どうしてこの人は、お金に対し危機感と言うものを全く感じてくれない人なのだろう。 何故お金がとことん無くなってしまうまで働こうとはしてくれないのだろう。 これじゃまるでヒモだよ・・・。 夫は私にお金が有れば私のお金で暮らせば良いし、夫にお金が有ればそれで暮らせば良いと思っている。イヨイヨ無くなったら無くなったで、つつましい生活をすれば良い。そんな考え方なのだ。どちらかの物は全て二人の物なのだ。なのでドラマに出てくるほどの悪質で悪どいヒモでもない。所謂、単なる怠け者なヒモなのだ。 夫が仕事をしている時は、私に給料袋をそっくり渡し、決して小遣いも欲しがらない。 お金を勝手に持ち出し、自分の物を買って来るとか、友人と飲みに行くとか、そんな事も一切しない。タバコすら一人では買いに行くのが億劫な、そんなものぐさ人間なのだ。 ともかく私と一緒に居れさえすれば、後はどうでも良いらしい。 別に一緒に居るからと言って、ベタベタイチャイチャしている訳でもなく、扱下ろし合い、サッパリした仲なのだが、再びあの悪夢のような生活が訪れると言う不安を何処かに追いやりながら、もう少しこのままで居るのも良いか・・・などとついつい流されてしまう。 私は何故こんなにも夫と居る時間が好きなのだろう・・・。夫と居ると気楽に安らげる。 夫も兄弟が多く、子供時分は親が共稼ぎだった為親に甘え切れて居なかったのだろう。 きっと互いに子供の頃に子供らしく居られなかった分、今、互いの存在に甘え、子供時代を取り戻している気になって居るのかも知れない。 私達はもしかしたらAC(アダルトチルドレン)で、共依存なのかも・・・。そう思う事がある。 私自身の身を削り作った誰はばからぬお金。それを自分達の為に使い果たしてしまっても悔はない。それが無くなれば今度は夫が助けてくれるに決まっている。もしもどうしようもなくなったら、人知れず手を繋いだまま二人で干乾びてしまえば良い・・・。 どうせ私は近々癌が再発し、やがては天に召される。今は息子と夫との楽しい時間だけを優先し、私が天に召された後は、夫と息子には保険金が僅かに残る。それを二人で分け合い、その後の人生は何とか上手くやって行くだろう・・・。そう思っていた。 しかしそんな生易しいセンチメンタルなシナリオ通りに事は運んでくれなかった。 私は癌がすっかり治ってしまい、その後も元気なままで、いくら待っても癌の再発は起こりそうも無く、清らかな死も訪れる事は無く、とんだ計算違いをした為、以前よりももっと苦しく救いようの無い、借金地獄に落ちる事になって行くのだ。
続く
2006年12月26日(火)
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