マキュキュのからくり日記
マキュキュ


 エッセイ  人生波茶滅茶


【抗がん剤治療&スモーキーズ】

 いよいよチョッピリ不安だった抗がん剤の点滴治療が始まった。
それは朝から開始され、夜まで費やし、一日がかりで四〜五本ほどの点滴を打つと言う物なのだ。
その点滴類には、毒々しい色が付いている。
まるで子供の頃の飯事(ままごと)で、色紙を水に浸して作ったジュースみたいだ。赤あり青あり、黄色あり。その中には吐き気止めや、その他の点滴も含まれているだろうから、どれが抗がん剤だったのかは良く判らないが、多分赤いのと紫が抗がん剤だろう。いかにも毒薬的な色だもの。
皮膚に垂れると皮膚が腐ると言う物が自分の身体の中に入って行くのだ。考えただけでも空恐ろしい。人間の身体の内部って物凄く頑丈な物なんだなぁ・・・。
私は癌を扱った様々なドラマのシーン等を思い浮かべ、内心憂鬱で不安だった。
私は血管が細くて出難い。途中で点滴が落ち難くなったり、腕がパンパンに腫上がったりと、治療中多少の困難はあった。しかし何とか無事にクリアした。
夜になり、点滴から開放されれば、後は二週間ほど治療後の数値を見る為の静養期があるだけだ。
そして結果オーライならば二週間ほど家に帰れ、自由な時を過ごせる。そして又、抗がん剤治療の為に入院するという工程を数回繰り返すのだ。
いよいよドラマに出てくる猛烈な吐き気や脱毛に襲われる頃だろう・・・。もう直ぐか、何時なのか・・・。
しかし思いの外、大した吐き気も起こらず、多少の食欲減退は起きた物の、私は今まで通り普通に食堂に出掛けては、蕎麦や寿司やビーフシチュウなどをパクついていた。
夫や息子は見舞いに来ては「相変わらずいつ行っても部屋に居ないし・・・。お前さんは他の患者から比べると、すこぶる元気だなぁ」と、半ば呆れていた。

 当時の大学病院には病棟内にも数箇所ほど喫煙所があり、ヘビースモーカーの私はそこの大常連だった。看護婦や家族等も、私が病室に居なければそこに居ると判断し、迎えに来る。それは暗黙の了解だった。 
酷い時には抗がん剤の点滴をぶら下げてまでタバコを吸いに行ったものだ。
喫煙所にはベンチソファーとテーブルが有り、ジュースの自動販売機などが置かれている。
 常に顔を揃えるメンバーは十人ほどで、大体は顔ぶれが決まっており、食事時間が終わると各病棟からゾロゾロと人が集まって来るのだ。
皆、病気や状態はそれぞれ違うのだが、大学病院に入院しているくらいなので深刻な病気を抱えている人が多い。
でも、そこに集まる人々は、一様に明るくフレンドリーで、皆、誰もが直ぐに仲良しになった。
そんなメンバー達を私は自分で勝手に【スモーキーズ】と名付けていた。
スモーキーズ達は当時、ちょっとした家族のような存在だった。
 その中に毎回一緒になる若い男の子が居て、彼は世界でも珍しいと言われる腸の難病を抱えていた。一定の時期が来ると口からは一切物を入れられない。そして治療の方法もまだ今の医学では定かではないと言う難病なのだ。
彼は点滴で栄養分を採り、鼻の管から液体の栄養ジュースを採るのだ。自分でそのジュースを調合したりも出来るのだそうだ。
「今日のジュースはイチゴ味なんですよ」とか「今日は葡萄味だけどまずくてね」等と笑っている。
「鼻から入れるのに味が判るの?」と聞くと、「味と言うよりも微かに香りがするんで、昔味じわった感覚を思い出すという感じかなぁ?」等と笑いながら教えてくれるのだ。
そんな辛い病気にも拘らず、彼はとても無邪気で明るい。彼は常にジョークを言い、皆を笑わせている。彼は人気者で皆に可愛がられていた。
 他にも常連スモーキーズの中には肺癌で、余命二ヶ月と宣告された爺ちゃん患者や、極度の拒食症で身長が百六十センチも有りながら、体重が三十キロにも満たない若い女性やら、三度も四度も癌が再発し、入退院を繰り返している患者やら、怪我でミイラのように全身を包帯でグルグル巻きにされた人やら、私の婦人科と同病棟の小児科に、娘が白血病で入院していると言う、付き添いの若い母親等、様々な人が居た。
皆の話を聴くと、癌の私が軽症なほどだ。
スモーキーズ達は皆、命に限界が有るという不安を抱えながらも、じたばたする訳でも無く、悲観する訳でもなく、大きな覚悟を胸に、少しでも好きな事をし、自分らしく生きようと言う健気な人間ばかりだ。
そして日を追う毎に気を許せる人々の集まりだと感じるせいか、皆、自分が経験してきた人生のドラマや失敗談等、包み隠さず奥の深い話まで話してくれるのだ。
 そんな彼等を見ていると、胸が張り裂けそうになるほど堪らない親しみを感じた。
命に関わる大きな修羅場を体験した人々の一種の誇りや尊厳。本当の意味での寛大さや優しさ、人間味に触れる事が出来、私は病院内で【喫煙所】と言う病院には似つかわしくない俗物的なその場こそが、神聖な懺悔室のような気がして感動を覚える事が多かった。
 何時も揃うメンバーが暫く来なかったりすると、皆、本気になって心配した。
久々の患者が再び顔を出し「いやぁ、借り出所(仮退院)して、久々に家に帰って来たんだよ」などと聞くと、一様に皆、ホッ! と胸を撫で下ろした物だった。
それでも肺癌の爺ちゃんだけは、ある日を境に来なくなり、そして二度と現れる事は無かった。
どうやらあの爺ちゃんは、タバコも何も必要としない永遠の楽園に一足先に旅立ったようだ・・・・・・。 
 抗がん剤から四日程経った頃、TVドラマよろしく髪の毛が抜け始めて来た。が、しかし、私の場合は、あんな風にお岩さんみたいにごっそり抜けると言う訳でもなく、毎日毎日少しずつ抜け、徐々に薄くなる程度だった。
やはりドラマは少し大げさに出来ている。
そして私の場合、最後までツルツルになってしまう事も無く、まばらに薄くなった。
息子と夫は私の頭を見るなり、ヒナ鳥みたいで可愛いと腹を抱えて笑いやがった。
「お前ら、笑い過ぎだよ!」
「わぁ〜い♪ わぁ〜い♪ ピヨッパゲェ」二人は、容赦無く私をからかう。
その日を境に、二人で私を「ピヨちゃん」「ピヨちゃん」と呼ぶようになった。
【こん畜生メ! テメエラ覚えてやがれ!】
でも、二人に言わせると、何故かその禿具合がとても可愛く、似合うらしい。
ドレドレ? と鏡を見ると、自分でも本当に可愛くて似合うじゃん! と思ってしまった。
 私は二度目の入院の頃から、息子が世話になっている(Y)さんに紹介されたアガリクスと言う茸の煎じ汁を飲んでいたのだが、そのお陰か、抗がん剤の副作用もあまり無く、治療後の白血球やらその他の数値もすこぶる良好で、その後の毎回の退院も入院も、全て予定通りに難なくクリアする事が出来た。
抗がん剤治療も予定より早く終わらせる事が出来、治療期間は半年間に短縮され、私は全ての工程を無事に通過した。
そして癌発覚から約九ヶ月の月日を経て、一九九九年のクリスマス直前、私はいよいよ長い長い闘病生活から開放され、晴れて完全退院する事になった。


続く


2006年12月25日(月)

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