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■ エッセイ 人生波茶滅茶
【全摘手術&フルコース】
診察室で待っていたのは担当医の(T)と(K)教授だった。夫は死刑宣告を受ける囚人のような面持ちで堅く眼を閉じ、私と並んで椅子に腰掛けていた。 一呼吸置いてから(T)が説明し始めた。 「実はママの癌はもっと小さいと思っていたので、前回の手術で完全に取りきれる物だとばかり思ってたんだけど・・・、全然ダメだったのよ。思いの他癌が大きくて、円錐形に切り取った部分の殆どが癌だったんだわ・・・。増してや少し気になるのは、ママの場合、血液中にもポツリポツリと癌細胞が混ざっていてね・・・。なので#$△◎ё★Й□×・・・・・・」 私はこの時、不謹慎ながらも(T)の話には上の空で【これで癌保険の保険金はちゃんと下りる】そう確信し内心は喜んでいたのだ。 夫は蒼ざめ、もう死刑宣告されたような面持ちだ。 「・・・それで、もう一度再手術をしなければならないんだけど、出頭は(K)教授が担当してくれます。手術形態は、子宮の全摘手術と、卵巣も全摘。リンパの一部も切除。そして抗癌剤もやらなければならない・・・。所謂フルコースと言う訳だ。ママ、フルコース大好きでしょう? アハハハハ・・・・・・」 (T)の目一杯の気遣いジョークが不気味だ。 彼の説明によると(K)教授は日本では三本指に入るほどの子宮ガンの権医だそうで、そんな人に手術を出頭して貰えるなんて、とても私は幸運な事だと言う。 「まぁ、私はまな板の鯉ですもの。寿命は神のみぞ知るものだから、言われる通りにお任せし、命預けますよ」と、私は案外スッキリした物だった。 「それで・・・、フルコース終了後の五年生存率はどれくらいなの?」 「う・・・・・ん、六十%位かな・・・」 「約五分五分かぁ・・・」 この時正直、命の終わりも考えなかった訳ではない。死ぬのは怖かった。幾人も癌で見送っている経験上、母の最期の頃の姿や、自分が末期の癌に喘いでいる姿なども頭に浮かび、センチメンタルな気持ちになった。 でも癌になった以上、じたばた騒いでも喚いても、成るようにしか成らないのだ。楽しい事のみを考え、運を天に任せるしかない。 ならば余計に、折角ぐうたら神様が与えてくれた持参金付休暇だもの、身体を動かせる内に余生を思い切り楽しんで過ごそうじゃないか・・・。そんな気分だった。 「再入院まで一ヶ月くらい間を置くから、旅行にでも行って楽しんで来れば良いよ」先生のその言葉が、尚更命の終わりを物語っているような気がし「う、うん・・・、そうだね。アハハ・・・ハハ・・・」私は不器用に笑った。 家に戻り、夫と二人、終始無言の時を迎える。様々な思いが過ぎり不覚にも涙が落ちる。 「考え込んだって、後悔したって始まらないんだから仕方ないわ。今更可愛そうな事をして来たなんて思ったって遅いわよ。良いじゃん? 私の癌のお陰で仮にも大金が入る訳だから? 思い切り余生を楽しんで私は安らかに天に召されるよ」 夫はどう返事をしてよいのか判らず、ただただ頭を垂れ、涙ぐんでいる。 後日諏訪から息子を呼び寄せ、診察の報告をし、家族会議を開いた。 そして今度こそ三人で思い切り愉しい旅行をしようと言う事になり、私達は旅行先を神戸に選んだ。 「金に糸目は付けないから、思い切り贅沢に遊んでこようよ♪」 皆の不安を他所に、私は一人ではしゃいでいた。 過去二度ほど、一泊でスキー旅行くらいはした事もあるが、常にお金の心配が付き纏ったケチケチ旅行だった。なのでこの時の神戸旅行が私達三人の最も贅沢で豪華な旅行と言えよう。 最初で最後の一家団欒旅行。最初で最後のリッチな家族旅行。私は思い切り楽しむつもりで居た。
常にお金に怯えた生活をしていると、新幹線に乗るだけでも嬉しい物なのだ。出張などであちらこちらに行かされ、鉄道移動や飛行機移動にうんざりしている人の話を聞いていてさえも、羨ましいと思っていた。 私達三人は童心に返り、旅行中はしゃぎまくった。 普通、旅行と言うと片田舎の温泉地にでも行くのだろうが、私は東京生まれの都会っ子。やはり都会的な洗練された雰囲気や、夜の喧騒が懐かしく恋しいのだ。旅行先に選ぶのは、どこも派手やかで、賑やかな場所ばかりだ。 神戸では最高級のステーキを初め、中華街やフランス料理店、有名なイタリアンなどに足を運び、食いしん坊な私達はやはりグルメに一番の重点を置いてしまう。 その他には異人館を見学したり、遊園地などにも足を運び、やはりナイトクルーズなども楽しんだ。 当時まだ十八歳だった息子も一緒にjazzのライブバーに連れて行き、あの独特な素晴らしい雰囲気を教えてあげた。息子もJazzバーの雰囲気は大層気に入ったらしく、さすが私の息子だ。ノリノリで聴いている。 息子と夫がリズムを刻み、同方向に揺れている姿を見ながら、私は心の底から、 【今、私は最高に幸せだ・・・】と感じていた。 私はこの時初めて、私を癌にしてくれた事をぐうたら神に感謝した。 こんな時間をもっともっと三人で沢山持ちたかった・・・。このまま時が止まってしまえば良いのに・・・。 私は心の中でそう呟いていた。 何時だって、辛い事に耐えている時間は永過ぎるほど永く感じるものなのに、愉しい時間はアッと言う間に過ぎてしまう・・・・・・。 最高に愉しかった四泊五日の神戸旅行は、瞬く間に終わってしまい、私達は後ろ髪を引かれながら現実が待つ松本に帰って来た。 さぁ、いよいよもう直ぐ本格的な闘病生活が始まる。覚悟を決めなきゃね・・・。 私はTVドラマの主人公に自分の身を置き換え、癌の闘病生活を私なりに楽しみながらリポートするつもりで挑んでみる事に決めた。 しかし、私って本当に単純だ。お金の心配さえ無くなれば、癌さえ何のそのだ。 あの頃散々鳴いたカラスが、もう笑っている。お金って本当に必要不可欠な物なのだ。 例え身体が元気でも、お金の苦労は人を弱らせ、心を憔悴させ、卑屈にさせ、生きる望みまでも奪ってしまう。 お金の苦しみさえ無ければ人生はこんなにも愉快で愛しく、有意義に過ごせる物なのだ。 大金持ちになんかなれなくても良い。でも、最低限、人間らしく生きる為には、楽しみの為に使うお金や心の余裕は絶対に必要なのだ。 金は天下の回り物。 ケチケチせずに使う時には使っちゃえ。無くなったら無くなったで又考えりゃ良い。 私はずっとそんな考えの持ち主で生きて来た。 その甘さが命取りになった。 数年先に訪れる第二の借金苦がもっともっと苦しみを齎すことも知らずに、私はまだまだ余裕をかましていた。
続く
2006年12月19日(火)
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