マキュキュのからくり日記
マキュキュ


 エッセイ  人生波茶滅茶


【癌は思いの他大きくて】

 保険金が下りぬという失望の中、それでも私が嬉しかったのは私の癌を知った時の息子の反応だった。
もしかしたら、内心ではザマアミロと思っているかも知れない、私はそう思っていた。
しかし息子は涙を流し、意気消沈し、心の底から私の事を心配してくれ、私の病気を悲しんでくれたのだ。
 入院の日が決まり、その前に手にした立退き料の一部で、一度くらいは皆で一緒に旅行らしい旅行にでも行きたいと思い、勿論私は三人で行きたかったので、先ずは息子にその話をした。
でも息子は遠慮し「一度くらいはオヤジと夫婦水入らずの旅行に行って来な。今まで何時も三人一緒だったんだから、偶には良いじゃん?」と言うのだ。それを夫に話すと、今度は夫が遠慮し「俺は良いからお前ら親子水入らずで行って来いよ」と言う。
息子はまだ、三人で行く勇気が無いのだ。そして夫は息子に先に話した事で、少しスネて居るのだ。
(何だかなぁ・・・。この期に及んでどうして何時もそうなるのかなぁ・・・。
もしかしたら私は死ぬかもしれないんだよ? アンタ達二人が和解し、仲良く楽しんでいる姿を焼き付けて置きたいからこそ、三人で行きたいんじゃないか・・・・・・。三人で行かなきゃ何の意味も無いんだよ! そんな気持ちくらい読めよ!) 私は憮然と肩を落とした。
でも・・・、無理やり三人で楽しもうとするのは、まだ焦り過ぎなのかも知れない・・・。
私はそう思い直し、結局は今回、仕方なく私と夫だけで行く事になり、私が大好きな街、横浜に四泊で遊びに行く事にしたのだ。
生まれて初めてお金を気にせず遊べる旅なのに、三人一緒ならばどんなに楽しかっただろう。
そんな思いを抱きながら少し切ない気持ちになり、それでも私は横浜を心行くまで楽しんだ。
普段持ち慣れないものを持つと嬉しくて仕方が無い。私は余りお金に執着が無いのだ。
 中華街ではフカヒレやツバメの巣に舌鼓を打ち、TVで見た高級イタリアンにも行き、夜は洒落たラウンジで飲み、大好きなジャズのライブバーも数件梯子した。
夜のナイトクルーズなどにも出かけ、私はプチリッチな気分を心行くまま満喫した。
 人間と言うものは借金や生活に追われ、ただただ暗澹たる気持ちで働いているだけではいけないのだ。偶にはこうしてリフレッシュしなければ、どんどん人間が荒み萎縮する。
神が与えてくれた、人生においての持参金付大型休暇だ。思い切り楽しまなきゃ。
私は自分にそう言い訳していた。
そして横浜の最後の夜、私は、まだ無傷な女としての最後の身体を夫に差し出し、優しく、そして愛しく慈しんで貰った・・・・・・。
 夫は「どんな身体になってもマキュキュはマキュキュ。俺はマキュキュの身体ではなく、マキュキュ本体が好きなんだから、何も心配しないで手術を受ければ良い」そう言って優しく抱いてくれた。

 ついに入院の日はやって来、私は病室の四人部屋に案内された。
隣のベッドには(M)さん。斜め前には退院間近のお婆ちゃん。そして向かい側には(K)さんと言う女性が居た。
(M)さんと(K)さんは、ほぼ私と同年代。そして皆、同じ病気だ。
しかし、誰もが一様にとても元気で明るい。癌という病気になったと言う悲観や暗さはどこにも無い。
私達は直ぐに仲良くなり、新参者の私に皆で手術の事や治療の過程などの予備知識を教えてくれる。
「貴女はどんな手術をするの?」と聞かれ「円錐切除術だそうです」と答えると「それなら盲腸の手術よりも簡単よ。あっという間に終わってしまうから全然心配ないわよ」と慰めてくれた。
 私の手術はお腹を切る方法ではなく、膣側からの手術だそうで、所謂、中絶手術のような形で行われるのだそうだ。
膣から器具を挿入し、子宮の入り口を円錐形に切り取り、それは検査と治療とを兼ね備えた手術だそうで、大抵はその手術だけで癌は綺麗に取れてしまうらしい。
入院翌日からCT・MRと様々な検査をし、
いよいよ手術の当日となり、その手術中、私はとても怖い夢を見た。
白衣を着た数人の不気味な化け物が「もう二度と生きて帰れないよう、たんまり料理してやるからな!」と言って嘲り笑っているのだ。
 手術が済み、病室に戻り、意識を取り戻すと息子と夫が心配そうに私の顔を覗き込んでいる。
「意識が戻った! あぁ、無事で良かった。 お前、実は大変な事になってたんだぞ!」夫がそう言うので「何かあったの?」と聞くと、手術中、麻酔が効かずに私が痛がって暴れたため、メスが深く入り過ぎ、太い血管を突き破り、大出血を起こしていたらしい。
術後も止血が上手く行かず、何と私は「今夜が山」とまで言われて居たのだそうだ。
「へぇ〜。私、死に掛けたんだ。どうりで手術中とても怖い夢を見た訳だわ・・・。でも、円錐切除なんかの簡単な手術で私が死ねば、医療ミスで沢山お金が貰えたのに、アンタたち一寸残念だったねぇ・・・」と、皆にジョークを言うと、皆は「ヤレヤレ、これなら大丈夫だ」と苦笑していた。
 手術中のアクシデントの割には術後の経過は大変良好で、手術から十日ばかりで私は本当に退院する事が出来た。
同室の皆にお別れを言い、私は晴れ晴れとした気分で退院したのだ。
 息子も私が癌になってから、諏訪と松本を始終行き来してくれるようになり、息子と夫との壁も徐々に低くなって行った。
何はともあれ、私の癌は家族の絆を良い方向に齎すきっかけとなってくれたようだ。
 退院後、半月程が経ち、これからどうして行こうかなどと考えながら皆で話し合っていたら病院の(T)から電話があった。
「病理検査の結果が出たんだけどさぁ・・・、チョットまずい事になってるんだよ。ママの癌、殊の外大きくてさ・・・。何はともあれ、ちゃんと説明したいから明日病院に来てよ」彼は言い難そうにそう告げた。
 私は受話器を持つ手が震えた。この震えは恐怖と安堵と両方の性質を持つ震えだった。
もしかしたら保険金が入るかもしれない!
そして、もしかしたら私は死ぬのかも!


続く


2006年12月18日(月)

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