マキュキュのからくり日記
マキュキュ


 エッセイ  人生波茶滅茶


【子宮と心が直結した!】

そんな私だったが、今の夫【未だ未入籍】との出会いには、宿命めいた物を感じている。
彼は私よりも三歳年下で、昔はかなりの遊び人だったらしいが、結婚の経験は未だ無い。
彼は昔からの呑兵衛仲間の一人だった。
彼は母の店にも何度か来ていたし、私の店では大常連になり、常に二〜三人の仲間を伴い飲みに来ていた。
人見知りだけど人懐っこく、慣れれば駄洒落なども連発し、ガキ大将のような駄々っ子さも、いくばくかの不良っぽさも粗野な温かみも兼ね備えている。
基本は荒削りな人間だけれど寛容で、小さな事を気にせず、事なかれ主義の大らか人間だ。
決して知的では無く、インテリジェンスの欠片もなく、きっと少年時代は青っ洟を垂らしながら服をテカテカにして遊んでいた口だ。未だ無邪気な少年性が抜けていない。
きっと彼も、悪人にも善人にもなり切れない半端人間なのだろう。その点は私と同じだ。
男女を問わず飲み友達は多い私だが、その中でも彼の持つ雰囲気には昔から親しみを感じていた。彼は煽てられるとついつい大盤振る舞いで奢ってしまうというエエカッコシイな処が有り、私の父にモロ魂が近い。
 店の経営に限界を感じていた頃、店のアルバイトを二人だけ残し、後は内情を話し辞めてもらった事がある。とうとう人件費を掛けられない状態にまでなって来ていた。しかし広い店なので、私が厨房に入り込んでしまうと店の混雑時には手が回らなくなる。客もついつい放置状態にならざるを得ない。
そんな状況下の中、私は飲みに来た彼に冗談半分で愚痴ったのだ。
「ねぇ? 何処かに困った時や忙しい時だけパッ! と現れてくれる、スーパーマンみたいなバイトって居ないかなぁ・・・。」と。
そしたら「ビールの二〜三本もバイト賃代わりに飲ませてくれれば、俺がただ働きしてあげても良いよ?」と彼が言う。
当時彼はユニットバスの組立工の請負仕事を本職にしていたのだが、以前は居酒屋に勤めていた経験もあり、自分で居酒屋を経営していた事もある。なので料理の腕はソコソコだし、手先はとても器用な彼だ。一通り教えれば直ぐにコツは掴んでくれるだろう。
彼が厨房を担当してくれれば私も表に出られ、会話や歌で客達を盛り上げる事も出来る。
しかもバイト賃がただとすれば、願っても無い事だった。
 そうして彼は厨房担当のスーパーマンバイトとして、私の店に通うようになったのだ。
実は当時彼は、私がとても仲良くしていた同業者(H)のボーイフレンドで、母の入院中、私は子育ての疲れ、母の世話での疲れ、店での疲れを癒す為、自分の店が終わると歩いて一分という(H)の店にチョクチョク通っていたのだ。
 その店は彼を初めとする仲良しグループの溜まり場で、気楽で安く、ホームグランドのような存在だった。
カウンターだけのその店で何時も彼は用心棒のように端の席に座り、好きなビールを舐めていた。
(H)の店は、深夜になると自然に仲間達が集り、皆でチンチロリンやトランプなどをし、飲み物やツマミを賭けたりして遊んでいた。当時(H)と彼は付き合い始めたばかりで、私達はよく二人をからかったり、チャカしたりしていた。
しかし、(H)は私の母がもう直ぐ最期を迎えるという頃になり、彼女の家系的病である心臓疾患で突然倒れ、合併症で脳出血まで起こし、意識不明となり、大学病院に運ばれたのだ。
彼女は数日間生死を彷徨った挙句、三十代と言う若さで、半身マヒと言語障害の身体になってしまったのだ。記憶障害もあった。
彼女が倒れる直前の正月には、自分の店が休みだと言う事で、私の店にバイトに来てくれた。店が終わった後も二人で明け方まで飲み明かし、語り合い、私達は良きソウルメイトだった。
彼女が倒れたのはそれから僅か四日後の事だった。
彼女は母と同じ大学病院のICUに運ばれ、私はオロオロしながら彼女の病室と母の病室を毎日行き来していた。
そして一ヶ月後、母は亡くなり(H)は遠い鹿教湯のリハビリ病院に転送されて行った。
私はこの時、母と同時に親友までを一気に失った事になる。

 彼と私は飲む度その話題になった。彼もまだショックから抜け切れていなく、私達は恋人と親友と母を失ったという共通の喪失感を慰め合い、同じ痛みを持つ親友同士のように労わりながら接していた。
しかし友情から愛情に変わるのにどれほど時間が経った事だろう。
私達は時間を共有する中で、互いの存在に癒され、一緒に居るととても気楽で、こんなにも楽しくホッとした気持ちになれる事に不思議な安らぎを感じるようになった。
そして更に色々な話をして行く内、互いが互いの事をこんなにも前から大好きだったのだという事に改めて気付かされたのだ。
彼は私に取り巻きが多いと諦め、私は私で彼が結構モテていたのを知っていたので、互いの根底の気持ちを隠したまま、何年も何年もすれ違ってばかりいたようだ。
そして直ぐに私達は愛し合うようになった。
 私は息子に真っ先に彼の事を話し、恋人として堂々と付き合うようになったのだ。


続く



2006年12月12日(火)

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