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■ エッセイ 人生波茶滅茶
【自殺未遂、そして悲惨な離婚】
新築した家に移り住んだ私達の五年間は、安泰で幸せだった。 母同士のトラブルも無く、夫婦仲も安定し、家のローンもスムーズに支払えていた。 貯金こそ大して出来なかった物の、それでも生活に困るような事は決して無かった。 しかし私が二度目の妊娠をし、今度こそ!と、子供を生む決意をし、仕事を引退した後、人生最大の残酷な試練が訪れた。 この時、ぐうたら神が私に与えた試練は、試練続きの私の人生の中でもベスト1だ。 そう、あれは確か私が二十六歳で、妊娠4ヵ月の頃の事だった・・・・・・。 夫の仕事先の社長が、突如行方をくらませてしまうと言う事件が起こった。いつも通り出勤したら会社が閉まっていたと言う。 結局その後社長の行き先は解らず、夫は突然本職を失ってしまったのだ。 彼の収入はクラブのボーイのバイト代だけとなり、様々な支払いに遅れが出始めた。 慌てて仕事を探すも上手く行かず、徐々に家のローンは滞納し始め、私達の生活は一転した。 義母はもう年なので働けない。私は再び流産の危機に曝され、一ヶ月ほど入院した。なので退院後も私は安静を強いられており、働く事など到底無理だった。 私の母のパート収入と夫のバイト代だけでは生活費がやっとで、ローンを支払うのもままならず、住宅ローンや車のローンなど、どんどん払えぬ物などが溜まって行く。 その状態に夫はパニックを起こし、なす術も無い。 何度と無くお義父さんの助けも借りたが、彼も決して金持ちの訳ではない。 お義父さんは以前、実家のマグロ屋を家出同然で飛び出し、自分で事業を興したのだが、大津波が原因でその工場を根こそぎ持っていかれ、倒壊させており、億単位の借金を背負った経歴の持ち主だそうだ。彼自身が未だ返済している身であり、とても経済的に頼れる存在ではなかった。 こんな時こそ夫の踏ん張り時なのに、夫は情けの無い人間だった。 そしてやっと見付けた仕事も昼間の仕事ではなく、クラブが終わった後の深夜スナックのバイトで、夫は益々深夜型の人間になって行く。そしてついに夫は、勤め先のクラブの新入りホステスと不倫関係を持つようになったのだ。 夫の浮気が発覚したのは、やっと流産を免れ安定期に入った直後である。 二人に初めての子供が産まれると言う時になって、何ていう事を・・・・・・。 私はせり出すお腹を見ながら、ショックと不安に打ちのめされた。 そして、たった二百万足らずの滞納金に精神が圧縮状態になった夫は、有ろう事か、自分の母まで家に残し、女性のアパートに転がり込み、殆ど家には帰らなくなった。 相手の女性と夫との三人で話し合い、別れると言う約束を取り付けた事も有ったが、それは単に口先だけだった。 私は後一ヶ月後に子供が生まれると言う段階になり、絶望感と今後に対する恐怖心で心身喪失状態になり、生まれて初めて手首を切り、安定剤をありったけ飲み、自殺未遂を図ったのだ。 ベッドが鮮血で染まり、意識が遠のき、私の頭の中には、何故あの時夫と復縁をしてしまったのだろう・・・。何故あの時夫を許してしまったのだろう・・・。そんな後悔の言葉だけがぐるぐると廻り続けていた。 私が死んでも、お腹の子供はきっと医者が助けてくれるだろう・・・。そうしたら二人で一生涯、罪の意識に苛まれながらこの子を育てて行けば良い。それが夫と女に対する最大の復讐のような気がしてならなかった。 しかし異変に気付いた母が救急車を呼んでしまい、私は病院に運ばれ、八針ほど手首を縫い、胃洗浄を行っただけで意識を取り戻し、死ぬ事すらも出来なかったのだ・・・。 それから一ヵ月後、同じ時期に出産予定の幸せそうな夫婦達に周りを取り囲まれながら、一人孤独な失意の中、激しい陣痛と心の痛みを伴い、私は息子を出産した。 借金だらけの家を抱え、乳飲み子を抱え、母と義母までを抱え、私はこの先どうしたら良いのか、全く解らなかった。 病院に入院中、夫は二〜三度ほど顔を見せた。 夫は子供を抱き、「俺にそっくりだな」などと言っていたが、しかし、その後夫は私と母の留守中こっそりと義母を連れ出し、浮気相手の女性と義母との三人で、横浜に駆け落ちしてしまったのだ。 私は友人に伴ってもらい、夫達の行く先を突き止め、私達は正式に協議離婚をする事になった。 夫は家の権利を放棄し、全て私に委ねると言う。しかし借金だらけの家の後始末を一任されて嬉しいはずも無い。 家は直ぐに差し押さえられ、競売に掛けられ、母と二人、心身共にボロボロになりながら家具の後始末や家の掃除をした。そして私は二百万の借金を背負わされたまま、家は人手に渡った。 結局私達は住む家も無くなり、母は伯母からお金を借り、アパートに移り住み、カウンターだけの小さな店(エポック)を持った。 そして私は住む場所と仕事を確保する為、後ろ髪を引き千切られる思いで、まだ生後二ヵ月と言う乳飲み子の息子を乳児院に預け、人生の再スタートを切る事になったのだ。 当時私は二十七歳だった。
私は暫くの間、母のアパートに身を寄せながら、以前勤めていたクラブに戻り働き始めた。 夫を奪い、私達をこんな目に合わせた女性が勤めていたクラブで働くのは正直辛かった。そして根本的には、客席に着いて接客サービスをするホステスという仕事も私は好まなかった。ただ、その女性の情報を少しでも探りたいと言う気持ちも有り、又、生活の為でも有り、私はあえてその店に戻ったのだ。 夫を奪った女性は元産婦人科の看護婦だった。本来なら産まれて来る子供に何が必要なのか、一番理解出来うる立場の女性である。 彼女は当時、既に夫の子供を妊娠していたらしく、私の子供が生まれた数ヶ月先には、彼女も夫の子供を産んでいる。その後、彼女は更にもう一人子供を生んだらしいのだが、やはり夫とは上手く行かなかったようで、後に二人も離婚をしている。 人を不幸に陥れ、その引き換えに奪い取った幸せが、そう長くは続くはずが無いという事を、私はこの時改めて知らされた。 きっとぐうたら神は、あの二人にも公平な天罰を与えてくれたのだ・・・・・・。
当時、クラブの客に私の事を大変気に入ってくれた人物が居た。彼は松本の水商売の草分けとまで言われていた人で、市内に数店舗の店を経営しており、かなりやり手で名の通っていた人だ。しかし彼は、古き良き時代からの正統派の水商売を全うして来た人で、夜の世界のあくどさや、ずるさや、怪しげな匂いなどは一切放っていなかった。 私は彼に引き抜かれ、新規にオープンすると言うレストランパブの店長補佐のような形で彼の店に努め始めたのだ。そして彼が出してくれた支度金でアパートも借りる事が出来た。 昼は保険会社に勤め、夜はそのパブで働き、深夜は母の店を手伝いながら、私は借金を返済すべく頑張っていた。 乳児院には週に二〜三度ほど面会に行き、必死で息子との距離を手繰り寄せていた。 しかし、無邪気な息子の顔を見る度、何故この子と私がこんな思いをし、離れていなければならないのだと言う理不尽な怒りが込み上げる。 そして多分夫は、産まれて来たであろう子供と新しい妻と、何食わぬ顔をして何処かで幸せに暮らしているのだ。 夫とその女性の事は一生許さない。私は初めて、人を恨むと言う感情を覚えた。 一心不乱に私の乳首に吸い付いて来る赤ん坊の顔は愛らしく可愛く無邪気だった。その無邪気さが余計私の怒りを膨張させた。 しかし、何時までも被害者ぶって泣いている訳には行かなかった。 この子の為にも早く立ち直り、幸せにならなきゃ!
続く
2006年12月05日(火)
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