マキュキュのからくり日記
マキュキュ


 エッセイ  人生波茶滅茶


  【九段の母】

 九段に越し、お義父さんは月に二度程の割合で家を訪れ、十日間ほど泊まって行く。母達は、半同棲のような暮らし振りだった。
一度だけ、真夜中変な物音に目覚め、二人のHを襖の隅から目撃してしまった事があるのだが、あれは何とも言いようの無いショックだった。小学生高学年の多感期だもの、当然と言えば当然だろう。
暫くは母達と目を合わせるのも嫌だった。まだSEXの意味も必要性も知らない年頃だから、やたら大人が不潔に映ったのだ。
お義父さんは自宅と愛人宅との往復をとてもマメにこなしていて、どうやら彼の本妻も母の存在は黙認しているようだった。
 母はそんな生活に大満足し、あの頃の母はきっと母の人生の中で、最も美しく溌剌とし、光り輝いていた時代だったのかも知れない。
母は性格まで潤い、優しく穏やかになり、深夜遅くまで仕事をしているにも拘らず、私の弁当作りなどにも励んでくれた。
しかし、店と家とは近所でも、場所は離れていたので、お義父さんが来ない時の夜は完全に私は鍵っ子だ。やはり一人の夜は寂しいし心細いしつまらない。
 母の店は小さいながらも、和風と洋風と掛け合わせたような店で、中々シックでお洒落な作りの店だった。
 銀座で老舗の焼き鳥屋から兄弟の職人を三人引き抜き、メインは高級焼き鳥と釜飯。後は刺身や一品料理などを出していた。
母の店は結構繁盛し、芸能人の隠れ家的店としてTVなどでよく見掛ける人なども訪れていたようで、昨日は誰それが来た、この前は誰それが来たと、私に自慢気に話していた。
 開店したばかりで母は忙しく、学校から帰ると夕飯は私が店まで食べに行き、店が暇な時間は少しだけ店で遊んでから家に帰るという毎日だった。時々母も家に私の様子を見に来、お客が来たとの電話が入ると店に飛んで行った。
 私が今回転校した小学校は、少子化のせいか六年は一組しかなく、前の学校よりも都会的で垢抜けた子供が多かった。
九段は高級住宅地でもある。どこそこの社長宅や、重役宅なども多かった。その一方、場所柄、個人飲食店や花柳界なども盛んで、片や上流階級の子供、片や水商売系家系の子供など、様々な生徒達が居た。そんな学校で私は小学校生活の最後を送った。
夜は誰も居ないので退屈で寂しかったが、九段での生活は中々楽しい物だった。
学校までの距離は徒歩で5分ほど。なんせ靖国神社も、北の丸公園も、千鳥が淵もすぐ側で、二つ先の駅には後楽園遊園地もある。
その頃母達は、引っ越したばかりで、まだ環境に慣れ切っていない私に気を使い、店の休みと言えば遊園地や食事やデパートなどに良く連れて行ってくれ、普段の寂しさを繕うべく大サービスをしてくれていた。
 家の近くにチンチン電車(都電)乗り場があり、私達はそこから電車に乗り、四谷に有る親戚の家にもしょっちゅう出掛けた。母の姉である、もう一人の伯母の家だ。
 伯母は日本の喜劇王とまで呼ばれていた今は亡き(MN)の正妻で、伯母の家には様々な芸能人などが良く出入りをしていた。
私の家系は代々芸能界に関わっていたらしく、母側の祖父も祖母も、かなりの有名人らしい。早くに亡くなっているので私は実物こそ見た事はないが、祖父は自ら役者でも有り、映画監督やら、多くの脚本やらを手がけていた人で、祖母は映画の主役等もこなすような有名女優だったそうだ。
 しかし祖父と祖母は、母を含めた四人もの子供を残したまま別れてしまい、母達姉妹は祖父に引き取られ、祖母は映画俳優と再婚したと言う。祖父には後妻が来、母達姉妹はその人に育てられたようだ。
母達の代も大人になるにつれ、それぞれが芸能界に進み、伯母はまだ当時無名だった伯父と結婚したそうだ。
そして祖父の後妻となった儀祖母は、伯母の家に引き取られ、ずっと家事を手伝い、周りの人々の面倒を見ながら、ひっそりとつつましく暮らしていた。
儀祖母は皆にバァバ、バァバと呼ばれ、誰からも慕われていた存在である。その儀祖母は一昨年の暮れ、九十二歳の波乱の生涯に幕を閉じてしまった。
サテサテ・・・、話が随分脱線したが、四谷の伯母の家にも年の近い四人の従兄妹達が居る。家族やお手伝いさんや、住み込みの伯父の御弟子さん等を含めると、かなりの大家族なので、いつ行っても賑やかでとても楽しい家なのだ。
寂しがりやの私は、四谷の親戚の家が大好きで、一人で都電に乗り、泊まりに行く事もしょっちゅうだった。
 九段に移ってからは特にその四谷が近くなったので、それだけでも私は嬉しかった。
九段の小学校に転校し立ての頃、まだ友達も居なく、二度の転校で勉強も尚更チンプンカンプンで益々浮いた存在だった私は、一時期学校に行くのが嫌で嫌で堪らなく、学校をよくサボった。
学校に行くフリをしては、北の丸公園を散歩したり、母と良く行く伊勢丹に行ってしまったり、時には補導員に補導もされ、先生や母に油を絞られた。
しかし、徐々に友達も出来はじめ、より親しい親友なんかも出来、それからは学校が楽しくなった。
 そんな小学校生活を間も無く卒業し、そして私は中学に入学した。

続く


2006年11月28日(火)

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