マキュキュのからくり日記
マキュキュ


 エッセイ  人生波茶滅茶


 【中学時代】

 小学校は一クラスだけだったのに、中学は何と一学年だけでもA〜Fクラスまで有った。それ故、親友ともクラスが違ってしまった。一体どこからこんなに人が集まって来ているのだろうかと私はびっくらこいた。
 サァ、いよいよ中学生活の始まりだ。皆新たな一年生だ。皆同じスタートだ。私の汚点を知る人は少ない。新たな気持ちでスタートを切ればいい。此処からちゃんとやり直しをすれば良い。
勉強も頑張ろう。宿題も頑張ろう。持ち物チェックもちゃんとしよう。机の整理整頓にも励もう。友達も沢山作ろう。部活も楽しもう。何しろ楽しく想い出に残る中学生活を送ろう。そんな期待と豊富を掲げ私はワクワク胸を弾ませていた。
 実際には上記の四番目迄はあまり励めず、もっぱら友達選びと部活選びを重視し、その二つは順調だった。
暫くの間は親友と休み時間や昼休みを共有していたのだが、クラスが離れ離れになると互いに新たな友達も出来出し、学校の中では付かず離れずの関係になった。それは致し方がない事で、それでも私達は親同士も仲が良かったという事もあり、家にはよく行き来していた。
 部活は勉強嫌い、スポーツ不万能、入りたかった演劇部が無かったので、唯一泳ぎを得意とする私は、親友と同じ水泳部に入った。
 当時の流行は、ブルーコメッツやタイガース等、GS時代の最先端で、歌番組などもかなり豊富に有った。学校に行けば必ずあちらこちらでそんな話題に盛り上がっている。
人より自由時間が多く、TVっ子だった私は話題性に事欠く事がなかった。なので、常に話の中心に位置する事も出来、友達もどんどん増えて行った。
 それに小学校時代よりも生徒数が多い分、同じ類の落ちこぼれも多く、類は友を呼ぶで自然にそう言ったグループが出来上がる。
 私は勉強面ではてんでダメな代わりに、感覚的な箇所では人よりも多少器用だった。
小学校の時など、リコーダーはクラスで一番上手かったし、歌も上手だと言われた。音楽係の発表会などでは何時もソロなどのパートが付いたりしていた。
そして中学になると、家で退屈な時は漫画ではなく、本も読むようになった。サガンや新書館のフォアレディースシリーズ等を読み漁り、少し人よりませた感性も身に付いた。
父譲りのユーモアや人懐っこさも持っていたので、私に興味を持ってくれる友達も増えた。
 そんな頃、母の店に足繁く通う一人の芸者さんが居た。その人はとても美しい人で、芸者さんの中でもハイクラスだったようだ。母はその芸者さんととても仲良しになり、その芸者さんにも私と同じ年代の娘が居た。後に私の大親友になる娘だ。
その娘は芸者さんとパトロンとの間に出来た子で、そのパトロンは、とある世界の大物だった。その人物は私の伯父とも何がしかの交流が有ったようで、そんな話の向きから母と彼女の母は急接近したようだ。
ある日その芸者さんが母の店に娘さんと同伴し、食事をしに来た事がある。そして私は初めてその母子に紹介される為、店に呼ばれたのだ。  
娘の名は留美子(仮名)と言い、彼女は私よりも一つ年上の中学二年生だった。留美子は彼女の母に似て飛び切りの美人で、私に比べるとかなり大人びていた。
大きな瞳が愛らしく、鼻筋は通り、唇はプックラと咲いた牡丹の花弁のようで、女優の浅丘ルリ子みたい! 私はそう思った。
私達は同じような境遇からか、直ぐに仲良しになり、やがて互いの家に行き来するようになった。
 彼女の家族構成は、祖父と弟と母親の四人暮し。お父さんはほんの偶にしか、家には来ないようだった。
夜の座敷で忙しい母の代わりに、お祖父さんが子供達の世話を焼いていたようだ。しかしお祖父さんはあまり私達には立入って来ないのが嬉しかった。
 やがて二人の母同士も公認で、私達は互いの家に泊り合い、姉妹のように過ごした。
 そして私が中学二年になった時、彼女と私はささやかな不良デビューを果たしたのだ。
 ある日二人は親には内緒で薄化粧を施し、電車に乗り、後楽園遊園地に遊びに行った。
化粧をしたのはこの時が初めてなので、私は胸がドキドキしていた。
 ゲームセンターのジュークボックスからはビートルズが流れており、皆がジュークボックスを囲みながら身体を揺らせていた。
ナンパをしてきた大学生達とお茶を飲んだりもして、一寸スリリングで楽しかった。 
そんな大人びた世界を垣間見、私はとても興奮し、それから私達は新宿に拠点を変え、私たちの不良度はますますエスカレートして行った。

続く


2006年11月29日(水)

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