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■ エッセイ 人生波茶滅茶
【両親ついに離婚する!】
私が小学校三年生の時だった。 相変わらず両親の喧嘩や嫁姑の諍いは有る物の、束の間の小学校生活をエンジョイし、比較的平安な日々を送っていた。 近所の仲良しも沢山居て、家の前の原っぱや神社で遊んだり、裏山に探検に行ったりと、男の子も女の子も真っ黒になって遊びまくった物だ。学校にも仲良しの友達が数人出来、毎日がとても順調に運んでいた。が、しかし、三年生の三学期に入った頃だ。ついに両親が離婚する事になった。離婚原因は父に女が出来た事だった。 お相手は言わずと知れたストリッパーのオネエチャン。 今までツマミ食い程度の浮気は日常茶飯事だった父だそうだが、どうやら父は、今回本気でそのオネエチャンにイカれてしまったみたいだ。 当時父は岩手県のストリップ劇場で、長期契約で前座コントに出演していた。要は逆出稼ぎである。 三年生の夏休み、父が友人と車で迎えに来、私を乗せ、十日間ほど私も岩手に遊びに行っていた事が有る。出掛けに母から「頼むから絵日記にストリップに関する事なんか書かないでよ」と、強く念を押された記憶がある。 後に思えばその期間中、やたら父とイチャイチャと仲の良かったオネエチャンが居た。私にも殊の外気を使ってくれ、なにやかんやと買ってくれたり、遊園地などに連れて行ってくれた、至れり尽くせりのオネエチャンだ。どうやらあのオネエチャンが、両親の離婚原因を作った張本人だったみたいだ。 私はそのオネエチャンが好きだったので、少々共犯者めいた意識を持ち、なんだか母に対し心苦しかった。 後に人づてからそれを知った母が、私を連れ、岩手まで直談判に乗り上げた。 しかし、父は子を鎹にはしてくれず、若いオネエチャンとの生活を選んでしまった。 帰りの汽車の中で、母が車窓を見ながら泣いていた光景を今でもハッキリ覚えている。 あの時の重苦しい母の哀しみは、暫くの間私のトラウマになっていた。 私は子供ながらに(とうとう来たか・・・!)と、両親の離婚を予感していた―
数ヵ月後、珍しく世田谷の家には両親が揃っており、私を呼びつけた両親は厳粛な顔つきで私に言った。 「パパとママ、離婚する事になったけど、アンタはどっちに付いて行きたい?」 どっちに付いて行きたいなんて、い、い、いきなりそんな事を言われても・・・・・・。 正直この時は辛かった。 私は父も母も同じくらい大好きだったのだ。 どうしようもないけど、優しく、愉しく、ユーモラスでペーソスに溢れた憎めぬ父。 気性は激しいが、美人で根は優しく、素敵だった母。 「別れない訳にはどうしても行かないの?」 『うん! 行かないの!』 あっさりと異口同音で言い切られ、私は途方に暮れる。 残酷な選択を選ばされ、しかしながら父に着いて行けば身の破滅は免れない・・・。そう懸念した私は母に着くしかないではないか・・・。 「じゃぁ、ママ・・・」ハイ、一件落着!(笑) 笑い話的に書いている訳ではなく、子供心などはお構いなしの、本当にこんな感じのアッサリした離婚劇だった。 もう二度と父に会えなくなる・・・。 そんな寂しさや悲しさや不安に打ち震えていた傷心の子供心はなんたらず、事実、なんてぇ事も無かったのだ。 離婚後も私はしょっちゅう父に会えていたし、母も父と父の愛人と友人との4人でマージャンなどをしたりと、返って家に居た頃 よりも父と母の仲は良くなったくらいだった。 へんてこりんな大人達・・・。 この頃からだ、物事をあまり真剣に捉えられなくなったのは・・・・・・。 この頃からだ、大人だって結構いい加減な物なんだと思い始めたのは・・・・・・。 この頃からだ、物事に余り危機感を持てなくなったのは・・・・・・。
続く
2006年11月25日(土)
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