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■ (日記) 父の夢
久々に東京に住む従兄弟(N)と長電話をした。 従兄弟と話を交わすのは去年の暮れのバァバ(祖母)の葬儀以来だ。 従兄弟は私よりも4つ上。 芝居に出たり、たまぁ〜にCMの仕事をしたり、日本一絵の酷い漫画家だったりと、肩書きは様々だが、伯父とは雲泥の差で、50をとうに過ぎた今も、泣かず飛ばずだ。 親が余りにも偉大だと、2世は目が出ないのだろうか・・・・・・。 所謂、親の七光りにはあやかれずに終わりそうだ。
3本の指に入る喜劇王と呼ばれていた伯父が10年ほど前に亡くなり、長年売れなかった四谷の自宅ビルもようやく形が付いたようで、来月辺り引っ越すそうだ。 あの、ちょくちょく遊びに行ってた家が無くなってしまうのは少し寂しい。
(N)と私は子供の頃から仲良しだった。 感性が近いと言うか、落ちこぼれ同士と言う理由か、親類達からは常に槍玉に挙げられていた二人なのだが、私は(N)は味や人間味が有って好きだ。 昭和の良き時代の娯楽に関しては、かなりの通である。
彼の趣味は、ディズニー映画に関するもの・洋画・邦画・落語・芝居・内外を問わぬJAZZ・漫画とかなり広域にあたる。 電話で西原理恵子を読むよう進められた。 ずば抜けて面白いそうだ。そして生き方の参考になるよと言っていた。(?)
(N)も生き方が下手で、世渡りも下手で、貧乏で、今尚、情けの無い人生を送っているし、成功と言う二文字には生涯縁の無いアウトローでは有るのだが、その分、人生においての感動や喜びや楽しみや面白さなどに反応するハートはとても無邪気で敏感だ。 平和主義であり、くだらない争いを嫌い、競争を嫌い、面倒な事を嫌い、何しろ楽しい事や、ディズニー映画の美しさや、面白い事が大好きで、感動屋で、自由奔放の人間だ。
そんな(N)と何時しか私の父の話題になった。 小学校3年の時に、私の母と父が離婚し、私は母に引き取られたため、しばし離れ離れにはなったが、その後も私達母子は、たまに父とは会っていた。 離婚はしても、父と母とは友達同士みたいだった。
私の父も売れない喜劇役者だったのだ。 ストリップ劇場で前座のコントをしたり、伯父に使ってもらい、たまにTVに出たり、伯父の芝居の端役で劇場に出演したりはしていたが、芸風が古いのか、時代の波に乗り遅れていたのか、結局最期まで売れずじまいだった。
芸名も、山木しげる・七味唐辛子・鏡カンペイと多数変わり、努力もしていたようだが、パットしない。 それでも役者仲間やストリッパーたちには人間性を愛され、皆に可愛がられ人気者だったと言う。
父はとても優しく温かい人だった。 情けないのだけれど憎めない。そんな人だ。 面白く、情にもろく、ノンベェで、お人好しで、ギャラを全て仲間に奢ってしまったり、浮気っぽかったりしたので、母とは喧嘩ばかりしていたが、多くの人に親しまれていた。 そんな父を(N)も子供の頃からとても大好きだったと言う。私の知らない色々なエピソードを話して聞かせてくれた。
(N)と父の話をしたせいか、今朝方、父の夢を見て目覚めた。 父は夢の中で芸者の格好をしており、小さな小劇場の舞台でドタバタ喜劇を演じている。 私は幼稚園くらいで母に抱かれ最前列で父の芝居を見ている。 芝居の内容は解らぬが、客席が笑い声で沸きあがっているのを聞いて、私もキャッキャ、キャッキャと笑い転げていた。 実際に私は笑っていたようで、自分の笑い声で目覚めたのだ。
嬉しいような懐かしいような少し悲しいような寂しいような、複雑な気持ちが暫くの間、余韻を引いていた。
父の顔は今でもはっきりと覚えている。声もはっきりと記憶している。 だが、昔は父の写真を母が数枚持って居たのだが、度重なる引越しで今は一枚も手元に無い。
優しくて面白かった父に会いたい・・・・・・。 もう一回ポーカーやコイコイをして遊んで欲しい。 もう少しだけ目覚めずに夢の中に居たかったなぁ・・・・・・。
2005年10月22日(土)
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