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■ (日記) 無料カウンセリング part2
漠然と、何時かカウンセラーのような人間になりたいと思ったのは癌になった後くらいだ。 ありとあらゆる自分の身に起きたアクシデントや痛みや悲しみを、何かに利用したかった。 なので先ずはソレラを書いてみようと思ったのだが・・・・・・。
私はカウンセラーやセラピストは頭の良い人で、学力が有り、医学の勉強をしたまともな人だけがなれるものだと思っていた。 でも、そうばかりではないのだと言う事を最近知った。 とは言う物の、人のデリケートな心を取り扱う仕事なので、むろん、専門知識は絶対に必要なのだ。
しかし、今の段階では学校へ通ったり、セミナーを受けたりする余裕は時間的にも経済的にも全くない。 しかも金取り主義なだけの怪しげな学校もあるし、見極めは難しい。 なのでプロの友人が進める専門の本を読んだり、無料で受けられる講座などを利用し、先ずはカウンセリングのすう歩手前である【グチ聴き屋】を実践しながら、徐々に相談者と一緒になって学んで行きたいと思うのだ。
マニュアルや口先や小手先だけではなく、誰よりも相談者側の立場に立てる、説得力の有るカウンセラーになりたい・・・・・・。 ダメ人間だと思い込んでいる人の支援者になりたい。 傷付いた人の癒しのサポートをしたい。 人を安心させ、元気にしたい。 それをする事だけが、こんなダメ人間の最たる物の私が、この世に産み落とされた、唯一の利用価値(使命?)のような気がしてならないのだ。
何故なら、私に起きて来た様々な人生の失敗や苦しみや挫折感の数々が、何もしなければ単なる人間失格の一途で終わってしまうではないか・・・。 折角貴重な体験を数多くして来たのなら、それを何とか生かさなきゃ・・・と思うのだ。
この無様な生き様を面白可笑しく書く事。店で落ち込んだ人や、お疲れモードの人達とジョークを言いながら笑い合う事。美味しい手料理で慰める事。心に響く歌で癒してあげること。 私を必要としない人は放っておいてあげる事。 私を必要とする人には出来るだけ力になる事。 それしか私の出来る事が無い。と言うよりも、そうしたいからしているのだと思う。ソレラをする事が私はきっと大好きなのだ。
昨日、常連のとあるチャットルームで、以前からの友人が心配してくれた。 「マキュちゃは、感情移入が旺盛で相談者の影響をモロに受けやすいので心配だ」と・・・・・・。 そして我がメンターの(Y)さんにも、「マキちゃんは温情が有り過ぎるので、カウンセラーには向いてない」と言われた。 それに人生の主役になった事のある人は【店の経営者とか社長を意味するようだ】自我が強いので脇役に回るのは至難の業だとも言われた。
でも、時に一緒に泣いちゃうようなカウンセラーが居ても良いじゃないかと思うし、一緒に怒り狂っちゃうようなカウンセラーが居ても良いじゃないか・・・。 何時でも何を聞いても冷静で居られるような人に、果たして壊れかけた心に響くようなカウンセリングが出来るのだろうか・・・・・・。 カウンセラーと言うものはこう有るべきだ、などと言う概念は今の世の中に通用するのだろうか・・・。 今カウンセリングの方法も、ただ相手の話を聴いて合図地を打つだけで、自ら生き方を考えさせていくと言う相談側としては何処か物足りない物から、心の真髄に触れ、実際に共感しあうと言うようなハートフルな物を取り入れているところも多い。
指導者と教えられる立場、から、人間対人間として、心対心のカウンセリングを取り入れ、本来のカウンセリングの形を独自に改善しているところも多いと聞く。
心に不安のある人は、真面目だったり優しかったり責任感の強い人も多い。そして物事に真剣な人が多い。 なのである程度試行錯誤をし、自分なりに努力してきた人ばかりだと思う。自分で解決しようと暗中模索の中でもがき、それでもどうしようもなくなって虚しさを増して行く・・・・・・。 でもある日ふと、自分自身のやり方にさえ疑心暗鬼になり、自分自身の考え方さえが信じられなくなる。 それでも何とか生きる事を選ぼうとする人は、プライドと言う荷物から少し手を離し、悩みぬいた末、人に助けを求めようと、又少し前向きにになる・・・・・・。 人に弱みを打ち明けると言う事は、とても勇気が要る事なのだと思う。 死にたくなる一歩手前の、最終手段くらいの、藁にもすがるような気持ちでカウンセラーの門や心療内科のドアを叩く人も多いと思う。
それなのに解りきったようなありていの言葉で、説教じみたアドバイスをされたら、もっと虚しさを増すだけだ。 なのでカウンセラーは少々相談者に優越感を与えるくらいな人が中には居ても良いような気がするのだ。極度な緊張をほぐしてくれるようなユーモラスな人も必要だ。 その方が相談者は心を開くのではないか?
そんな人達だから、カウンセラーの事だってじっくりと観察するし、多少の警戒もしていると思う。 この人は、本当に自分を解ってくれて物を言っているのだろうか・・・・と。 この人に心はあるのだろうか・・・・・と。
年端も行かぬような若い先生に、知ったか面でアドバイスされる・・・。 と・・・、こんなマニュアル通りの青二才に私の何が解るのだ! 何の挫折感も味わっていないお前に、人の心の事など解るものか! と内心では憤慨に思う人も沢山居るだろう・・・・・・。
だからこそ、もしもカウンセラーを目指すとすなら、基礎をきちんと学んだ上で、人生の難しさに心の芯から共感出来るようなメンタル的なサポーターになりたいと思うのだ。
最近カウンセリングを扱ったHPなどを色々見ているのだが、とあるカウンセリングサイトでは、あなたも20代、30代でカウンセラーになれる。と言うコピーを打ち出していた。 でも、例えばその人が色々な勉強を経て、バリバリのプロだとしても、私はその人にカウンセリングをしてもらいたいとは思わない。 人生は色々な経験を実際に積んで見ないと、勉強や知識だけでは解らないものも多いのだ。知識よりも知恵やセンスが必要な事も多い。 自分自身が体験や経験した事だからこそ、人の心に響く説得力のあるカウンセリングが出来るのではないかと思う。
もしも私に会社が持てるようになったら、私はホームレスとか、ある程度まで色々な経験を積みながら人生に対し、失望している人や無力感を感じている人達の力や心を率先して借りたいと思う。 自分たちも一緒に元気になりながら、人の事も元気にしていきたい。 これが私の夢だ。
ダメ人間の私はダメ人間なりに役に立てる事がある。ダメさを人に真似させないような手本になるのも立派なサポーターだ。(笑)
「お金を掛けなくてもカウンセリングを学ぶ方法は沢山ありますからね。貴女ならそれが絶対に出来ますよ!」昨日のカウンセラーがそう励ましてくれた。 その言葉が私の魂のある位置に、ストン! と座った気がした。
2005年10月04日(火)
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