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■ (日記) 今日一日、恐れず怒らず悲しまず。
これは中村天風語録集の中でも、簡潔で有名な教えの一つなのだが・・・。 私は一日の始まりの時間、よくこれを自分の心に言い聞かせている。 でも、恐れる事・怒る事・悲しむ事と言うのは容赦なく前触れなく襲ってくるものだ。 ただこの言葉を心の引き出しにおいて置くと、そうなった時に酷く取り乱す事もなく気持ちの切り替えは付け易い。
一昨日の夜、フゥーリィーの父が救急車で運ばれ、木曾の病院に再入院した。 脈拍が弱まり、血圧低下が著しいとの理由で様子がおかしくなったのだそうだが、まだその時点では詳しい内容はわからない。
店を9時半で切り上げ、木曾の病院まで義兄を乗せ、3人で駆けつけた。 雨の国道は事故が多い。特に夜の木曾道は大型車が多く、事故の多発地帯でもある。 やはりこの日も大型車の事故があったらしく、途中からこちら側の車線が全然動かなくなった。通常1時間で着く所を2時間掛け、ようやく11時過ぎに病院に着いたのだ。 お義母さんは心配で心配でおろおろしていた。
点滴や酸素吸入器に囲まれ痛々しかったが、義父はちゃんと意識もあり、多少朦朧とはしているものの、受け答えなどもちゃんとできる。 顔色も悪くはなかったので、とりあえずは手を握りしめ、一安心した。
が、しかし急な痩せ方がどうしても尋常ではない。フゥーリィーの言っていた通りだった。 頬には肉っ気が無く、手も足も骨に皮が被ったようで本当に痩せこけてしまっていた。 足首から下だけが以上にむくみ、パンパンに膨らんでいる。 義母の入院中に入っていた施設の頃とはまるで違う義父の容姿に私は胸が痛んだ。 もう最近では伝い歩きも出来なくなってしまっているようだ。
詳しい検査をして見なければ今回の発作の原因や痩せ方の原因は解らぬが、もしかしたらどこかに癌があるのかも知れない。私はそう感じた。 全身に手をかざしてみたのだが腎臓あたりに差し掛かると極端にビリビリする。 取り敢えずは詳しい検査をして見なければなんとも言えない。
その日は1時ごろまで病院に居、義母を付き添い用のベッドに眠らせ私たち3人は病院から20分ほどの場所にある木曾の実家に泊まった。3時半頃まで3人で色々な話をし、そして眠りに付いた。 翌朝、8時に再び病院に行き、フゥーリィーの姉妹たちが来るのを待ち、皆が揃い、皆が揃った事が嬉しいのか、義父は笑顔も見せている。 それから1・2時間ほどしたところで私たちは松本に帰ってきた。
この2日間、チョットした意見の食い違いと価値観の問題で私とフゥーリィーは久々に喧嘩をした。 今その内容は書かないが、何れ書く事が出来る気分になったら書くと思う。 ともかく今、少し私の心にボロが来てる。ボロボロまでは行かないが、ボロくらいだ。 もしかしたら本当はボロボロの3乗位かも知れない。
その口論が原因で私は昨日の夕方家を飛び出し、一人諏訪湖の畔に居た。 通常を装い店を開ける事は出来そうに無かった。
一人静かな場所で自分とじっくり対話がしたかったのだ。 夕方の4時半から夜中の1時まで、ずっと湖面を見つめながら自分の心の内面と対話していた。 誰が悪いと言う原因ではない事で人が揉める時、人間は深く考えさせられる。 どうしようもない現実や価値観の食い違いというものは、どちらかに軍配を上げられないものが多い。 ソレラをずっと考え、咀嚼し、今後の方針を自分なりに立ててきた。
今日から何事も無かったように又日常が始まるのだ。 心の中の憂さや怒りや焦りを、そっと心の金庫に仕舞い込み、笑顔で再び店に出て、ジョークや日常会話を弾ませる。
これでいいのだ。 ソレがいいのだ。 今はソレしかないのだ。
【今日一日、恐れず怒らず悲しまず】
いつかドカッ! っと、良いことのみが雪崩のように起きる事を信じて、毎日を地道に送れば良いのだ。
2005年09月07日(水)
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