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■ (日記) 心地良い本や人は、考え方を変えさせてくれる。
今、図書館通いが一番楽しみな生活習慣になっている。 本を購入したり、セミナーなどに参加していたら、到底払いきれないであろう金額の、宝物が沢山詰まった本が、なんせ、ただで、好きなだけ読めるのだ。こんなにありがたいことは無い。
自己啓発の本、人生哲学の本、夢を叶えるための法則本、人生を楽しく生きる為のマニュアル本、カウンセリングの本・・・、などなど、そういう類の本を端から借りては読み、文章の重要点はパソコンに書き写し、その中から厳選した手元に置きたい物だけを少しだけ購入している。 これらの類の本は、自分を成長させるための参考書。 人間性を磨かせ、自己反省の優しい教え手であり、将来の夢にきっと役立つと確信している。 自分の短所を他人に聞くには、少し勇気が要るけれど、相手が本だと思えば、素直に【私にはこういうダメな部分が有るなぁ・・・】と冷静に受け止められる。
自分を今以上にもっと低く、ダメだらけの人間だと見積もっていた頃、周りの人間全てが自分よりも賢く、えらく、自信ありげに、真剣そうに、楽しげに、幸せそうに、真面目そうに見えていた。 私以外の人間は年上だろうが年下だろうが、いつも何かを学ぶための師だった。 でも、付き合っていく中で、交流を進めていく中で、相手に対し、何とも言えない違和感を感じて来る事も多い。 無論相手も私に対し、そういう事なのだろう・・・。 でもそれは仕方が無い事なのだ。 人間は自分の思考レベルと距離感のある人は、良くも悪くも徐々に馴染めなくなると言う習性が有るものだ。よく言われる価値観の相違と言うやつなのでしょう。 そこを無理に刺激しあってまで、その人と長く付き合いたいか? と考え、去る事もあり、去られる事も有る。
類は友を呼ぶと言うように、同じような思考レベルの人が居心地良く、似たもの同士、自然に集まるように出来ているのだ。少しずつズレを感じ、だんだん自分の居場所ではないと感じ、自然に疎遠になる。しかし、そういう人たちとの出会いも、決して悲観する事ではないと言う。全ての出会いにそれなりの大きな意味があると言う。
最初はとても賢くて偉いんだなぁ・・・と思っていた人が、後に、案外そうでもないみたいだ・・・、と思う事はお互いたまたま有る。 正直、私は人間好きなのか人間嫌いなのか、自分でまだ良く解っていない。 きっと人間自体は好きなのだろうが、その資質に得て不得手が未だ多くていけない。 誰でも愛せるほど、人間の器がまだデカクない。(本たちのお陰で、徐々にそうはなりつつあるが)
私は自分自身の許容範囲やダメな部分も知っているので、自分から進んで相手の扉をノックする事は先ず少ない方だ。 以前から、一人でも多く友達を増やそうというタイプでは決してなかった。 どちらかと言えば、じっくり付き合える人が少しだけ居れば良いと思っている方だ。 自分が、万人受けする人間だとも思えない。
リアルの世界では客商売しかやったことが無いので、表向きは人懐っこいのだが、ネットの世界では興味深い物を書いている人や、魅力的で素敵な人だなぁ・・・と、よほど興味をそそられない限り、こちらから扉をノックする事はまず無い。 ネット友達の大半は、私の日記に興味を抱いて訪れてくれた人、チャットで知り合った人、日記の読者からの紹介者が私のBBSやメールに訪れ、それから付き合いが始まって行くパターンが多い。
でも、そういう場合、熱心に通ってくれる人であればあるほど、私に対し過大評価する人や、過大期待する人がいかに多いかと言う事に戸惑う事が有る。 私はそんなにたいそうな人間ではないのだと、日記に正直に書いているにも関わらず、とても気に入ってくれ、急接近して来る。
私の主義は【来るもの拒まず、去るもの追わず】なので、来てくれれば嬉しいし、それなりに私が出来うる範囲での対応は懸命にしているつもりだ。 でも、その類の人は、私という人間がどういう人間か自分勝手に作り上げ、こういう人なのだと勝手に思い込み、自分の物指し通りでは無いと感じると、悪たれを付き、攻めはじめる人間も居たりする。 私は私なりの文章を書きながら、常に私の感じ方、捉え方でそこに居ただけだ。 そこに好きで立ち寄って来たのはそっちじゃないか! と言いたい事も何度か有った。
私がネットをしていて感じた事は、人に意見する事が多い人、人を中傷しやすい人の多くが、自分自身が決して満たされていない状態の人だと言うことだ。 そしてルールにこだわる人ほどルールを守ってない。 自分の対面を守るためか、BBSなど人目に触れる場所で人を攻める人が多い。 本当に幸せで満たされている人は、もっと気持ちも大らかで、助言をすることは有っても、決して人をひどく落胆させるような、中傷的な言葉などは使わない。 そしてそういう人の共通点は。 ☆自分自身は何も変えようともせず、相手が全て変わるべきだと思っている。 ☆攻撃は最大の防御かのように、自分を棚に上げ、相手の事ばかりを言いたがる。 ☆群れたがる。 ☆人に対し、前面肯定から、一瞬にして全面否定になるという、極端な両面を持っている。 ☆意見を言うのが好きな人ほど、自分が意見を言われるととたんに攻撃的になる。
【行く人は行かせなさい。来る人は来させなさい。行こうが来ようが何も変わりは無いじゃないか。取るに足らん事だ。】と言う誰かの名言があるが、私はこの言葉が好きだ。
人間は誰もが不完全なもの。 なので、少しでも早く自分の欠点に気付き、一生を掛けて、少しずつ自分の考えの間違いを修正して行きたい。
色々な本を読んでいると、自分の考え方が完璧に間違っていると思っていた部分が、案外正しかった事などに気付かされる場合も有る。そしてその反対も・・・。 既成概念や固定観念を全て正しいものだと思うのは危険である事も解った。 そして自分本人が自分の一番の良き相談者なのだと言う事も解った。 自分の心の叫びや、魂からの提案は、何にも勝る正しい答えを与えてくれる物なのだと言う。 なぜなら、自分の良い所や自分の価値を一番良く知っているのは、他人ではなくほかならぬ自分自身だからだと書かれていた。
例えば私が欠点だと思っていた、楽天主義・だまされ易い部分・商売下手な部分・何かにこだわり、頑な部分、これら全てが、決して欠点ばかりではないと言う事に気付かされ、少し気が楽になった。そして私の最も良い部分は、私が最も自分で嫌っていた、単細胞でバカな事らしい・・・・・・。
反対に自分で美徳だと思っていた部分の、物事に期待をしない事・諦め易い事・自己批判・将来への心配・取り越し苦労等は、絶対にしてはならない行為だと言う事も改めて知った。 物事への期待が大きければ大きいほど後の落胆が強いので、将来に期待をしないという消極的発想は、最もいただけない行為らしい。
最近読んだ【心を磨くEQテスト】と言う本に、子供に好かれるお母さん像と言うのがあり、その条件は、明るい事・温かい事・そしてもう一つに、【少し抜けている事】と書かれてあった。 出来すぎたお母さん、完璧に全てをこなそうと思っている母さんは、子供に取ってはきっと重い存在なのだろう・・・。 人間、抜けていて愛嬌の有る方が、良いのだ。
自己啓発本と言うのは、中には、到底まねが出来ないと思える堅苦しく難しい物もあるが、いかに気を楽にしてくれ、私の生き方はコレで良かったんだ・・・と安心させてくれるものもが結構多い。 何かに躓いた時、不毛な時、行き詰った時、どうしようもない時、毛嫌いせずに読んで見ると、途端に人生観が変わり、気が楽になり、自信が持て、人生が楽しくなる。
私のお勧めの著者は、ジョセフ、マーフィー・スティーブン、チャンドラー、ナポレオン、ヒル・本田健・中村天風・松下幸之助・など等。【後は今、手元に無いので忘れてしまった】 無論コレラを読んでいれば、ソレラの人のようになれるかなれぬかは全然問題ではなく、人生や考え方の大きな参考になる事だけは確実だ。 そして読まないよりは読んだほうが良いということも事実だ。
良書達も、相談者達も、書き手や、アドバイザー自身が、優しく温かく大らかな人で、心地良く浸透し、やる気を起こさせてくれ、押し付けがましくなく、威圧的ではなく、威張りん坊でなく、自信を喪失させるものではなく、元気を増幅させてくるものだけを選んで行けば良い。 アナタの居心地の良い人間、読み心地の良い本を、人生の担い手として選んで行けば良いと思う。
2005年08月22日(月)
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