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■ (日記) 心を打たれて止まない詩
あのときかもしれない 長田弘
「遠くへ行ってはいけないよ。」 子供のきみは遊びに行くとき、いつもそう言われた。いつも同じその言葉だった。だれもがきみにそう言った。きみにそう言わなかったのは、きみだけだ。 「遠く」というのは、きみには魔法のかかった言葉のようなものだった。きみには行ってはいけない所があり、それが、「遠く」と呼ばれる所なのだ。そこへ行ってはならない。そう言われれば言われるほど、きみは「遠く」という所へ一度行きたくてたまらなくなった。 「遠く」というのがいったいどこにあるのか、きみは知らなかった。きみの街のどこかに、それはあるのだろうか。きみはきみの街ならどこでも、きみの手のひらのように詳しく知っていた。しかし、きみの知識をありったけ集めても、やっぱりどんな「遠く」もきみの街にはなかったのだ。きみの街には隠された、秘密の「遠く」なんて所はなかった。「遠く」とはきみの街の外にある所なのだ。 ある日、街の外へ、きみはとうとう一人で出かけていった。街の外へ行くのは難しいことではなかった。街はずれの橋を渡る。後はどんどん行けばいい。きみは急ぎ足で歩いていった。ポケットに、にぎりこぶしを突っこんで。急いで行けば、それだけ「遠く」に早く着けるのだ。そしたら、「遠く」に行ったなんてことにだれも気づかぬうちに、きみは帰れるだろう。 けれども、どんなに急いでも、どんなに歩いても、どこが「遠く」なのか、きみにはどうしても分からない。きみはつかれ、泣きたくなり、立ち止まって、最後にはしゃがみこんでしまう。街からずいぶん離れてしまっていた。そこがどこなのかも分からなかった。もどらなければならなかった。 来た道と同じ道をもどればいいはずだった。だが、きみは道をまちがえる。なんべんもまちがえて、きみはわっと泣き出し、うろうろ歩いた。道に迷ったんだね。だれかが言った。迷子だな。別のだれかが言った。迷子というのは、きみのことだった。きみは知らない人に連れられて、家に帰った。しかられた。 「遠くへ行ってはいけないよ。」 子供だった自分を思い出すとき、きみがいつも真っ先に思い出すのは、その言葉だ。子供のきみは「遠く」へ行くことを夢見た子供だった。だが、そのときのきみはまだ、「遠く」というのが、そこまで行ったら、もう引き返せない所なんだということを知らなかった。 「遠く」というのは、行くことはできても、もどることのできない所だ。大人のきみは、そのことを知っている。大人のきみは、子供のきみにもう二度ともどれないほど、遠くまで来てしまったからだ。 子供のきみは、ある日ふと、もうだれからも「遠くへ行ってはいけないよ。」と言われなくなったことに気づく。そのときだったんだ。そのとき、きみはもう、一人の子供じゃなくて、一人の大人になってたんだ。
この詩を読んで泣きじゃくったのは、もう10年以上も前だろうか。 そして時を経てつい最近、偶然にも再びこの詩に出会った。 50歳を目前にし、あの頃とは又、ぜんぜん違う涙が、溢れた。
詩と言うのはその時の状況で、たとえ同じ詩であっても全然違う意味合いに感じるから不思議だ。
2005年08月20日(土)
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