進撃 132話

私はそれほど作品にも作者にも贔屓目が無いので、淡白めな感想になります!
あと、いつもながら見方がおかしいです。

ハンジさんの死は、私が思っていた14代団長の死としては物足りなかった。
進撃で人物が死ぬときって、絶対後の展開に活かされてくるから、それ待ちかな。
フロックに殺される(語弊)という風にこの連鎖の中に組み込まれることに意味があるのかなーと現時点では思ってる。

フラグなんて全員に何年も前から立ってるし、誰がどこで死んでも職業柄仕方ないわけだし、
やっぱり「誰が生き残るか」ってことだけが話の核なのかな。

私は進撃の世界で人物が生きること、死ぬこと、の意味が未だによくわかっていない。
キャラの生き様も死に様も、死生観も、人間性さえもこの作品の独特のもので、わからないなりに読んでいればいいんだろうけれど、私は公式絶対主義なので公式の解釈がよくわからないというのは痛いタイプのオタクなんでさ…。
10年とか沼にいれば身体でわかるんだろうな。知らんけど。

次の団長が巨人ってすごいよね。
しかもアニという不安要素を抱えるお年頃の…嫌な予感しかしない…。

で、ハンジさんが死んで。
すぐさま仲間のもとにいって同じ時系列で傍観者側にまわるという描き方が、斬新でかなりびっくりした。笑
みんなここに集まって見てたの!?ドラゴンボールかよ!?

このヴァルハラか何か知らんけど、ハンジさんがすぐさまここに辿り着いて同窓会というのは、キャラの死に方としてハッピーなのではないでしょうか?
私はキャラの死=消失、敗北、退場、だと思っていたから推しが死ぬのは辛いよねーという気持ちもあったけれど、もしかして死ぬってここに辿り着くだけなのでは??
だとしたら、死ぬのも全然悪くなくない!?
死んでかっこよく退場する、という概念がなくなったくない!?

てゆーか、私はこのヴァルハラのような世界観が怖い。
ここは人が死んだら行くところ、つまり天上の世界なのか、
だとしたら、ここにいるのは兵団の人間だけか、もしくはこの世界で生きるすべての生き物が行くところなのか、もしくはエルディア人に限って死んだら行くところなのか?
何かの力によって、巨人の犠牲になったエルディア人か兵団関係の人だけがここに留まるよう集められているとしたら怖くない?

下界(?)でオンタイムで起こっていることがわかる環境で、自分の身分が死ぬ前と同じである以上、
ここはハッピーな天国ではない。笑

もしかしたら、
ここは巨人化している時の中の人がいる場所のような、
なんか始祖の力で脊髄経由でエルディア人がみんな一斉放送されるあの場所(名称忘れた)のような、
そういう別の場所なのではないか?
死者がいくところだ、と一概には言えないと思わせるものが、この作品にはあると思う。
そして一人で怖がってる!!

下手したら、ハンジさんやピークちゃんがそれぞれいう「死んだ仲間」が一箇所に集まってるかもしれないんでしょ。
怖い。
死んでも、エレンさんが支配する(語弊)世界にエルディア人としているんやん。

私の着眼点がちょっとおかしいのもわかってるけど、
これって界隈の人たちにはどういう展開なのかな?
みんな一緒にいるじゃん!ハッピー!みんな見守ってて!って感動するの?だとしたらそれはお花畑じゃないの?

あ、その死後の人間をも含めた世界をエレンさんは動かしてるのかな。やっぱ。
じゃあ死って何?エレンさんは知ってるのかな?
もしくは、巨人に喰われたり焼かれたり犠牲になった人間だけはただ死ぬのではなく、このヴァルハラ(仮)に行ける?じゃあ巨人になった人はどうなの?

みんな死んでも身体どころか記憶もあって、現状何が起こっているかまでわかってるんだよ。
これ、みんな最後にエレンさんが復活させるんじゃない?
ドラゴンボールかよ!!
あ、そうじゃなくてこれがループとか言われる所以??

私は考えすぎなんだとは思う。
「みんな一緒にいてよかったね」とか言って泣いてるのが正解なんだろう。
いや、死んでなお楽になってなくない?辛くない?
死んだキャラは、もうドッジボールで外野に行ったみたいな気分でいるのかな?
残った人頑張れー!負けた!?惜しかったなー!みたいなノリでいいのかな?本誌の表紙シリーズをかんがみると、それでいい気もする。

2020年09月09日(水)

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