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風紋 もくじ / この前 / この後
いろいろな人が、いろいろな思いを抱えて生きているんだな。目に見えなくても。 「風と夏と11歳〜青奈とかほりの物語〜」(薫くみこ:作、みきゆきこ:絵、1993年、ポプラ社)(詳細)という本のことについては、2002年12月1日の日記や2003年11月30日の日記に詳しく書いたことがあるが、その中で、主人公の1人である青奈(せいな)が、かほりに、かほりの家の屋根の上で、“あの木は望んであそこに生えたわけではないのに、人間の勝手な都合で切り倒されるんだね”という意味のことを言う場面がある(今、手もとに本がないので、正確に思い出すことはできないのでもしかしたら細かなニュアンスは間違っているかもしれない)。 別に何の脈絡もないが、何となく、その場面を思い出した。 「秘密のこと」には、2種類あるような気がする。 子どもの時の秘密には、甘やかな香りのするものが多かったような記憶がある。秘密の遊び場、秘密のおまじない、好きな男の子(女の子)のこと、などなど。 大人になるにつれて、抱えているのがつらくて重い秘密も持つようになることがある。 子どもだって「抱えているのがつらくて重い秘密」を持っているし、大人だって「甘やかな香りのする秘密」を持っていることもあるので、子どもと大人という区別はできないけれど。 “一瞬一瞬を、もう二度と戻らない瞬間だと思って大切に過ごそう”と思いながらも、何をどうすればよいのか、何をどうすれば“大切に過ごす”ことができるのかわからなくなって、私はどう生きればいいの?と、ぽやんと空に問い掛けてみる。 今日は、割合のんびりと過ごした。 昼寝をした。 本を読んだ。 (1)「アーモンド入りチョコレートのワルツ」(森 絵都:作、いせひでこ:絵、講談社、1996年)(詳細) (2)「ピアニッシシモ」(梨屋アリエ:著、講談社、2003年)(詳細) (3)「東京サハラ」(さとうまきこ:著、理論社、2001年)(詳細) 今、手に取っている本 (1)「生者と死者のほとり―阪神大震災・記憶のための試み」(笠原芳光・季村敏夫編集、人文書院、1997年)(詳細) (2)「カラフル」(森 絵都:著、理論社、1998年)(詳細) 「ヨーグルトケーキ」を作った。料理の苦手な私が唯一といっていいほど失敗せずにできるお菓子。というわけで、とてもとても簡単にできます。でも、途中で材料をこぼしてあたふたしたのは内緒。どこまでも粗忽者の私。 昨日少しだけ分析したデータの結果を、ぽやんと眺めていた。 そんなところ。 「風紋」(保科洋作曲)を聴きながら、いろいろな想いがめぐって、涙が止まらない。止まらないのに、繰り返し繰り返し何度も何度も聴いてしまう。 そんな夜。 覚え書き:唇ががさがさに荒れている。リップクリームを塗ると余計に荒れる。
春が来ているのかな、と、何となく思う。 もしも、私がいっぱいお酒を飲むことができるのだったなら。 もしも、私がいっぱいお酒を飲むことができるのだったら、「あなた」がお酒をたくさんたくさん飲まずにはいられないほどの心持ちである時に、一緒に飲んだくれて酔いつぶれることができるのに、と思う。 でも、一緒に飲んだくれて酔いつぶれることができたとしても、「あなた」の心持ちを完全に理解することはできないだろう。それで「あなた」の助けになれるのだろうか。なれない、と思うと悲しくなる。 せめて、忘れずに見守ることができればいいのにと思うけれど、そうしたって「あなた」にとっては重荷に感じることであるかもしれない。 力になりたいとは思うけれど、一緒に酔いつぶれるだけが方法ではないのかもしれない。だからって、どうしたらいいのか、わからないけれど。 昔からの友人数人と久しぶりに会っていた。気心知れた友人たちとはいえ、直前まで会うのがすごく怖かった。会わないうちに、みんなしっかりとそれぞれの道で進歩を遂げているのに、私だけ何の進歩もないことはわかっていたし、最近の私の状態がこんなのなので、話してもあまり明るい話題を提供できそうになかったから。 結局、会って良かったなぁと思った。どういう心境の変化かよくわからないけれど、皆のおかげだろうと思う。大切な友人がいてくれることに感謝している。 「もっと自信を持てばいいよー」と皆に言われた。うーん。最近は、私は自信を持つ資格もないと思っているからな。 最近は、「ひ」は「疲労」の「ひ」、「ふ」は「不安」の「ふ」、「ぜ」は「絶望」の「ぜ」、という日々なのだ。 ハーブティを飲んでいます。割と飲みやすい。好きになりそう。 (↑夜に書いたもの)
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