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◇◇サイ・セイ◇◇
りえ



 この手のなかに。

傍らには、まだ皮脂の残るおでこをした赤ん坊が
小さな胸を上下させて 規則正しい呼吸をしている。
もみじのような両手をあげて。



すべてを信じ、すべてをわたしに委ね
わたしの血液から作られる母乳を飲み、排泄し、また眠る。



不思議な子。
一度はわたしを離れていったのに、何を取って また戻ってきた?



ゆうさんのお母さんは、こんなわたしに感謝の言葉をくれた。

産後で、母の日に何も用意できなかったことを詫びるわたしに

「孫の顔を二人も見せてくれただけで十分よ。ありがとう」



わたしこそ、わたしのことも子どもたちのことも
いつも気にかけてくださって、ありがたい気持ちでいっぱいです。




神様。
わたしにこの子らを与えてくださって、ありがとうございます。
大切に、育てます。





2006年05月25日(木)



 

彼はすぐに気持ちよさそうに寝息を立てはじめ
わたしはいつも 眠れない。



彼の長いまつげや、すっとのびた鼻筋を見つめていると
こんな間近に あのときもそばにいた 確かに同じ人がいて
不思議な気持ちになる。



頬にくちびるをくっつけてみる。
わたしの左手を握っていた彼の右手が
思い出したように トン トン と甲をたたいて
わたしを忘れない と主張する。



年をとって、おばあさんになっていくわたし。
もう裸で抱き合うことは ないのだろう。
かたわらに もうゆうさんはいないかもしれない。

だけどわたしは
ゆうさんとこんなふうに満ち足りた夜を
何度となく過ごしたことを
宝物のように大切に記憶していることだろう。



こんな毎日が、確かに存在したこと
こんなふうに穏やかな毎日のなかに
少しも色あせない恋慕の感情が
朝焼けみたいに こころの中心を彩るのを知ったこと。



わたしは、なんてしあわせなのだろう。

2006年07月17日(月)



 彼女からの贈り物。

それは、予想していた小さな包みではなく
まず冷凍便でやってきて わたしを驚かせました。



開けてみると次から次へと手品のように
色々なものがテーブルの上に列をなし
それをみて小吉は、たいそう無邪気によろこびました。



美しい海の便箋にぎっしりと並んだ文字は
わたしの初めて目にする、彼女の肉筆であるはずなのに



文字の書き慣れた人のもつ独特のリズミカルな筆致とか
包まれてきたモノたちの、一見脈絡のないもののようでありながら
実はそれらすべてが
彼女の素朴な価値観を表現するに十分な空気を含んでいることなんかから



わたしは、ずっと前からこうして手紙を交わしていたんじゃないかと思うほど
彼女のほんわりとした優しい気持ちに すんなりと包みこまれていったのでした。



きっと色んなことを考えて考えて
受け取るわたしの気持ちもたくさんたくさん想像してくれて
できるだけ重くならないように
それでもありったけの気持ちを込めてくれましたね。



会えばきっと、尽きない話に時間はいくらでも流れるでしょう。
どんな小さな他愛もないトピックでも オカシイほど盛り上がれそうな。
笑いの沸点のピンポイントな低さという、まれに見る貴重な共通点を
わたしは彼女に見つけてしまいましたから。



写真でしか見たことのない彼女を想像しながら
わたしは小吉と、『ひよ子』を食べました。



ひさしぶりに楽しい贈り物を
本当にありがとうございました。

2006年08月29日(火)



 働く。

子育てしながら、仕事をしはじめました。

仕事、なのだけど
とても考えさせられることの多い毎日です。

自分のことを自分でできることや
自分の意見を素直に言えること、
そして人のことを思いやれることが
本当はすごいことなんだ、と痛感する日々です。

みんなだって好きで病気になったわけじゃないのにね
突然発病して、そこから
ガラッと世界が変わってしまう。

突然、世の中から隔離されてしまう。

わたしができることは、本当に本当にちいさなことです。


2007年04月11日(水)



 卑屈な習性

仕事で疲れて、夜の眠気に耐えられなくなりがちです。
11時過ぎると、脳が休息を求めます。

ゆうさんは、わたしに求められなくなって
さびしいと、そういいます。

本当はそれは誤解で
わたしたちの時間にズレがあるだけ。

わたしがくっつきたいときは
ゆうさんはパソコンで仕事中。
ゆうさんがパソコンを閉じるころ
わたしはもう眠くてたまらないのです。

かまってもらえず、結果ただあきらめる
そんなことに慣れすぎました。
沁みついてしまったその卑屈な習性を
またもとに矯正するのは、とてもとても大変です。

それでもゆうさんは、僕を求めてといいます。
狎れきった習性と、眠気をわきに押しやって
わたしは自分を追い回します。
ゆうさんの腕の柵まで。

2007年04月12日(木)



 しあわせなキス。

ゆうさんと、ホテルへ行った。



ほんとうはこの日、家族行事をするために
二人でわざわざ休みをとったのだけれど

ゆうさんの両親もこのイベントに参加してくださることになり
きゅうきょ、週末に変更となり

ぽっかりと、宙に浮いた一日を
わたしたちは こんなふうに使った。



外はまだ明るいのに
ホテルはけっこう混んでいて
岩盤浴のある部屋は、最後の一部屋。



時間を惜しみ、子どもみたいにはしゃいで
まとわりついて、見つめあって

だけれど、もう以前とは違う。



わたしたちはお互いに口には出さないけれど
大事な、抗いようのない清廉な
ただただわたし達を信じて無邪気に待つ子らの顔が
つねに頭のどこかにあるのを知っている。



親としての顔を、たまには忘れたいと思いながら
ほんとうに一瞬でも忘れていいと与えられたときほど
やっぱりやっぱり それは無理だ。



わたしはのぼりつめるのに時間がかかったし
ゆうさんは 大丈夫だよ と穏やかに笑った。
時間になるときれいさっぱりと部屋を後にし
彼がひとりで、子らのお迎えに行った。



かわいい彼等は
カスタードクリームのようになめらかなほっぺで
いつもキスを誘発する。



わたしはさっきまでのゆうさんとのキスを
すぐにしまいこむことができる。

どちらも大切なものだから。


2007年11月26日(月)



 蜘蛛の糸が切れた

わたしと、前の結婚をつなぐもの
それは紛れもなく 都内の家に居るだろう娘達。



彼女達は、この世に生まれるべくして生まれてきた子達なのだ。
わたしの元にいることはなくても
わたしの愛を直接受けることはなくても



前夫と別れることになったとき
わたしが結婚した意味はなんだろうと考えて
たどりついた答えが、これだ。

きっとこの子達をこの世に送り出すため。



わたしに許された、彼女達への
糸のような、それでも確かな たったひとつの道すじは
ある銀行の口座番号だった。
7ケタの番号は前夫名義だけれど
彼女達の誕生日には、いくらかの入金を認められていた。



そのわずかなお金が、彼女達の手に渡っているかどうかは不明だ。
それでもよかった。
自己満足だったのかもしれない。



でも、その糸はいつの間にか切れていた。
今年の下の娘の誕生日の入金は
受理されず口座に返金処理された。



きっとなにかが、都合が悪くなったのだろう。
上の娘はもうすぐ中学生になる。



ゆうさんと再婚してから
今年で、前夫との結婚生活の期間を越えた。
ここにいるのは、ゆうさんと、息子達。
あのころの娘達は、もうどこにもいないのだ。


2007年12月20日(木)
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