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◇◇サイ・セイ◇◇
りえ



 こっそり、うれしい。

まだパスワードを覚えていた。
ちょっとうれしい。



先週一週間、実家に帰省してきました。
母が、内視鏡手術をしたので日常生活を補助するために。
戻ったのは土曜日。



ゆうさんは一週間、一人っきりで過ごしました。



男一人の夕食なんて、わびしさそのものだったようで
出てきたレシートには、
柿の種、豆腐、きゅうり2本、そしてやや多めのアルコール類。
それにお昼はコンビニ弁当だったし。



きのうの夜、台所に立つわたしを見て

「いいね」

と一言。



彼がこの家で 一人ぼっちで何日も過ごすのは
昔のつらかった数ヶ月をきっと思い出してしまうから
あんまり、何日も家を空けたくはないんだけど。



夕飯の支度をする いつものわたしの姿や
手作りのおべんとうの美味しさを再確認してくれたりして



ちょっとうれしいことも、あるんだ。
意地悪だけどね。

2005年08月08日(月)



 今度は、ちゃんと逢えるかなぁ。


胎児の鼓動を目にすることは一度もないまま、処置手術を受け
あれから夏が過ぎて、今日から新しい月。



バイクの免許を取ったり、学校のスクーリングに通ったり
この3ヶ月は、わたしのなかに確かに空いた
小さな穴を埋めるような アグレッシブな月日でした。



わたしは自分の中の欠損を、確かに感じました。
自分がどれほど傲慢であったか、子どものできない人に対して
意識的ではないにしても どれほど差別的であったか。



小さな命は、わたしにそれを教えるためにきて
そして去っていったのかもしれません。



手術してからおよそ40日後に最初の生理がきて
翌月また、少し遅れて来て



そして先月は、来ませんでした。



婦人体温計の簡単なデジタルグラフは、高温を指したまま
もう数週間過ぎており
身体は熱っぽく、軽い吐き気があるのです。




検査薬は、陽性でした。




これまでにわたしが見た検査後のスティックでは
一番明瞭な、青いプラスの文字。




ゆうさんは、前回のことから 喜ぶのを警戒しているわたしをよそに
とても素直に 喜んでいました。



この吐き気が お腹の子の命を保証するものではないと知ってから
わたしは安心するすべをなくしました。



でも
わたしは結果を選べないのだからと思えば
腹をくくって、待つだけです。



今度は、ちゃんと逢えるかなぁ。

2005年09月02日(金)



 心配性ゆえに。

洞窟みたいなエコー画面の ポイントを探して
マウスがぐるぐる動いて



先生の手がそこを探し当て



一週間前は小さな米粒みたいだったそれは
そら豆みたいな形になって



ぼんやりと、点滅しておりました。



灯台の光のようにわたしを照らし
ほら、だいじょうぶだよ とささやいてくれたのに

わたしはまだ 実感がもてないでいます。



静かにモニターランプが消えていくように
きみはまた遠くへ行ってしまわないだろうか

そんなことばかり考えるのは
ホルモンバランスが不安定なせいかもしれないけど



次の検診までの4週間は
とても長くて心配な日々です。


2005年09月14日(水)



 マスターベーションとは。

誰にも言えないことなのだけれど
最近、前の夫や生活のことを非常によく思い出すのだ。

無意識に思い出しているわけではなく
思い出そうとして思い出している。なぜなのかはわからない。

わからないなりに思うことは
少しずつ、生の感情ではなく、理性的にまとめようと整理している
といったところか。



最近、門野晴子という作家を知った。
確かエッセイストだったと思う。
もう還暦を過ぎた女性なのに、感性が非常に若い。
こういう人がこの世代にもいるということは
還暦を過ぎてもわたしはわたしでいられるということだ。



その人の本には、こんなことが書いてあった。

『マスターベーションは、セックスの代替的なものではなく
一つのセックスの形なのだ』



この一文を読んだとき、わたしの中から大きな重荷が消えた。
あれほどわたしが惨めだったのは、
マスターベーションをセックスの代替だと思っていたからだ。
本当は夫に抱いて欲しいのに、それが叶わず仕方なくする処理。
こんな目にあわせる夫を酷いを思っていたし
思いやりのなさの表れだと感じ、それが不信へとつながっていった。



わたしは今、妊娠中の身体だから
夫とセックスのペースが合わないことももちろんある。
夫が我慢するときもあれば、タイミングを逃してわたしが我慢することも。



それでもわたしはもう、以前のような気持ちになることはなくなった。
ゆうさんと暮らすようになってからは
惨めな気持ちになることなんか一度もないのだけど
彼とでさえ多少はあった義務的な気持ちになることもない。
たとえば彼がオナニーしても、まったくなんとも思わない。
大切なのは、ペースを無理にあわせることではなく
セックスに依存しすぎないことなんだろう。



あの頃この一文に出会っていたら、また違ったのだろうか。
もう少し、夫に優しくできただろうか。



2005年11月11日(金)



 夢を見た。

赤ちゃんが生まれて

胸に抱き、母乳を吸わせている夢を見た。

力強く、ちょっと痛かった。



早くおいで。ゆっくりおいで。



目が覚めると、大きいお腹はそのまま。

冷たい手を腹部に入れて、胎動を確かめる。



小さな身体の重みやあたたかさは、今でもこの腕に残り

わたしは、その存在を確信する。



会いたがるわたしのために、来てくれたんだね。

明日、病院で会おうね。

モニター越しに。

2006年01月10日(火)



 こんな毎日

ゆうさんが「夫」になって、もうすぐ4年が経ちます



前の結婚の日々が、だんだん 夢の中のできごとみたいに
小さなフィルムに映し出される無声映画のように
遠い ものに なっていきます



現実の日々はあわただしく
病気の母を一時的に我が家に迎え、風邪気味のゆうさんと、中耳炎で通院している小吉

8ヶ月の大きなお腹を抱えるわたしは
出産準備と入園準備と母のサポートに追われています




それでもゆうさんとは
毎夜日付が変わるほどたくさんの話をしながら
キスをしたり 愛してる とささやいたりしては



お互いに白髪が増えたり 小さな物忘れを突付きあったりして
一年ずつ 一緒に年を重ねていけることを
ちょっとうれしく 感じたりしています

2006年02月17日(金)



 どうしても必要なもの。

色んなことが重なりすぎて
飽和状態になってしまったわたしは
羊水のようなお風呂の湯に心が溶けて
自然と涙が出てきた。



まん丸なお腹はポコポコと波打ち
わたしに確かに何かを伝えてくる。



ゆうさんはテキストを開いてテーブルについたまま
まだ、寝ないのだ。



携帯の待ち受け画面は、暗闇ではまぶしいほど明るく光る。

「話したいことが、たくさんあったけど話せませんでした。
うまく言葉にする自信がないからです。
寂しいのと不安なのがごちゃ混ぜになってるんだと思います。
おやすみなさい」

すぐ階下にいる彼にメールを飛ばして



10分後、彼はわたしのすぐ傍に居た。



小吉を軽々と移動させ
わたしを大切な陶器のように扱う。



もうそんなふうにしなくていいから、
もっとわたしに触れてほしいのに。



彼に抱かれているあいだ、痛感するあまり悲しくなるのだ。
わたしに確かにある欠損は、わたしひとりでは 埋められない。

はっきりとした輪郭のある、分かりやすいほどの愛の形が必要だ。

2006年04月20日(木)
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