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◇◇サイ・セイ◇◇
りえ



 命の恩人。

きのう、一大事が起こりました。



なんと、次男@1才9ヶ月が家から出たんです。
玄関のドアを全体重をかけて開け、夜、雨の降る中を。外へ。



うちのドアは、大きくて重いです。
まさか次男がそのドアを開けるとは、まったく予測していませんでした。
わたしが迂闊すぎました。カギはかけているときとかけていないときとあり
そのときはかけていなかったんです。
町内の会合を控え、あわただしくキッチンでごはんを作っていて
気付いたら次男の声が聞こえない。



家中探したけど見つからず、真っ青になって外へ飛び出しました。
雨です。真っ暗です。路地の先はカーブのある車道。



ぐるぐると最悪の想像が頭をかけめぐり
心臓の音が両耳にこだましました。奈落の底に突き落とされた気持ちでした。



ふらふらと走って車道まで出ると
ちょうど人影が見えました。



男の人が、子どもを抱いてうちの路地に入ってくるところでした。
次男でした。



はだしで、髪や服は少し湿っていました。



次男はわたしに手を伸ばして、抱っこされ、きょとんとしていました。
いつもの柔らかい、弾力のある丸い身体がありました。



「たまたま通りかかったら、小さい子が道に立っていて
車がよけて通っていて、危ないと思って抱っこしました。
そしたら『あっちあっち』って指さすので、歩いてきたところです。
警察に電話しようかなあ、と思ってたときに、お母さんが見えたので」

とその方は言いました。全身鳥肌が立ちました。



そのまま立ち去ろうとするところを慌てて名前をお聞きすると
その方は近くのマンションに住む方でした。
命の恩人です。息子と、わたしの。



家に戻り、いつものように長男と遊ぶ次男を見て
毎日が、あたり前に過ぎていくような気でいた自分を恥じました。

一瞬で崩れることだってあるんだ。

わたしの気の緩みが、次男を死なせていたかもしれない。
そうしたら、一生かかっても取り返しのつかない後悔を
わたしは背負い、家族を苦しめたろう。
わたしはおそらく、すべてを失っただろう。



次男を守ってくださって、ありがとうございます。
わたしに猶予を与えてくださって、ありがとうございます。


2008年02月27日(水)



 おだやかに過ぎてゆく

以前は何の意味も見出さなかったことが
自分にとって 大事な意味をもつ
そういうことが 多くなった。



結婚指輪をはずさないこと
行ってらっしゃい と おかえりの キス



それはわたしたちふたりだけのことだけど

夫になったゆうさんを大事に思うほど
こどもたちをいとおしいと思うほど



ゆうさんとわたしの両親にきちんと感謝しなければ と思う



今生でお別れするときがくるまで

ごめんなさい
ありがとう

ありがとうございます



敬老、っていうほどの年でもないのはわかっているけれど。

2008年09月14日(日)



 人間関係は難しい。

小吉が小学2年生になって
学校関係の付き合いが増えました



町内の組で
今年度 子ども会の役員になるはずだった人が
4人目のお子を妊娠されたため
繰り上がりで引き受けることになり



軽く代理のつもりで役員会に出席して
くじ引きで会長になってから 早半年。



いろんなことがありました



わたしは やっぱり 女の集団は 苦手です



いい本を見つけました

「覚悟を決めれば 勇気なんか勝手に湧いてくる」

そう 書いてありました
だからわたしも 腹をくくって あと半年 やりたいようにやってみます



「新しいことをやろうとすると 必ず反対する人がいるもんだ」

そう言ったのは魚屋PTA会長です



わたしには 味方がたくさんたくさんいるのに
たった一人、たった一言の批判に深く落ち込んでしまう
その人のことを 好きでも何でもないのに



全員から認めてもらえないとイヤという
この心の狭さが原因



人に何を言われても どう思われても平気
その強さを手にするためには



自信、イメージ、情熱 これだ うん

明日もがんばろ

2010年10月14日(木)



 ゆるみすぎ。

ゆうさんは たまに出張がある。
今日、予定を1日繰り上げて帰ってきた。



子ども会の一大イベントの秋祭りが終わった疲れが抜けず
今週は撃沈していて

まあそう、言い訳なのだけど

帰ってきたとき 出迎えもせず
カーペットに寝転がっていた。



ごめんなさい。



「前なら、お出迎えしてくれたのに」

ゆうさんは言った。
半分あきれながら、半分笑いながら。



ごめんなさい。



反省。


2010年10月15日(金)



 

小吉が 怪我をした。

頭を4針 縫った。

2年前、次男も似たような怪我をしているから
それほどびっくりしなかったけど

頭は血がたくさん出て 痛々しい。



神様は わたしを守ってくれる
ちょうどいいところで 思い知らせてくれる

こんなふうに もろい存在であるのを
忘れるな と言ってくれる



ふたりを交互に抱きしめながら



大きな後遺症がのこったり
場合によっては死んでしまうこともあるのに

こんなふうにわたしの手元に置いておいてくださって

ありがとうございます



なのに

今日 ゆうさんと口ゲンカをして

ふたりの子に

おとーさん、おかーさん
けんかしないで

と言われてしまった。



だめなわたしたち。


2010年10月24日(日)



 すべては自分にかえってくる

自分は人として欠陥品。



そう思う。
それが自己憐憫であっても、そう思う。



自分の中の欠損の影を見るともなく見てしまい
そのたびに 自分をますます嫌いになる



自分を好きになったり
まして許すなど
一生できるはずがない



ゆうさんは
「自分のことを嫌いなりえも すきだ」
という。
こんなにわたしはわたしを嫌いなのに
わたしよりも、わたしが すき?



ゆうさんを好きになりすぎないようにすると
自分の心が勝手に凍っていく。
そうするのが楽なのを 知ってるから。



だけど
ゆうさんを好きでいる自分をほんの少し解放したら
また勝手に エゴが噴出してきて
ゆうさんのこころを 縛りつけたくなってくる



わたしはジレンマの中にいる
くるくる回って つかれてばかりいる

2010年11月13日(土)



 事故。

月曜日の朝、次男を車に乗せて出勤する途中

交差点で軽自動車と接触。



双方怪我はなし。

相手が優先道路なので、わたしの過失が大きい。



物損事故として処理されるはずだったが

今日、警察から電話がかかってきた。



「当日の夕方に、相手の方が病院に行って

診断書をもらってきたので、人身事故に切り替えます」



そのときはたいしたことはないように見えても

時間を置くと痛む怪我もある。



申し訳なくて、相手方に電話をかけて

ひたすらお詫びをする。



相手の方は若い女性で、あっけらかんとした声で

「大丈夫ですよ、わざわざすみません」と言ってくださった。



わたしの不注意だ。

右カーブの奥からくるかもしれないと

あと一秒、注意していたら。



ネットで調べてみると

物損と人身とでは大きな違いがある。



賠償の他に

刑事処分や行政処分が下される。



罪人だ。



10年前も、わたしは大きな過ちを犯したけれど

40の今も、この有様。



ほとほと いやになる。



子供たちが無邪気に、どこも痛がらず

今日も暮らしていることが救いだ。



いのち取られるわけじゃなし

相手の方がいい方で、さいわい大きなケガでなく

こどもたちが今日も元気。

いったいなんの不満があるだろう。



10年前の今にくらべたら

このくらいで済んで ありがたいと思わなきゃ



もし、お金が払えなかったら

売れるものはみんな売ってしまおう。



ハンカチ一枚もなかったあの日に比べて

今のわたしは きっと恵まれすぎたのだ。

2011年10月06日(木)
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