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みんみん



 昨日の蝉

未明に激しい雨が降った。
雨音で目が覚め、蝉は流されてどこかに行ってしまうだろうと思いながらまた眠った。
朝になると雨が上がっていた。外に出てみたらやっぱり蝉はいなかった。残念だったな。
当たり前だけど、毎日は一瞬の積み重ね。



「K、かあたんのひざのぼる」
(K、母さんの膝に上る)

絵本を、膝に座って読みたいと言った。
読んだのは岩合光昭『パンダに あった』(「かがくのとも」2008年7月号)。つい『What's Michael?』に出てくる動物写真家・岩合光 昭(いわごうみつ あきら)を思い出してしまう(本末転倒)。

2008年08月19日(火)



 la mort

家の外に出るとKが、

「せみ しんどるねー」(蝉、死んでるね)

と言った。
ほんとだ、死んどるね。
地面に蝉がひとつ転がっていた。
似たような状況で祖父母が言っていたコトバを思い出して使ってみているだけで、死という概念を大人のように理解して使っているわけではないのだろう。それは「ねんね」しているのとは違うらしいということまで、わかっているのか、どうか。

蝉は今も同じ場所に転がったままだろうか。
もしそうなら、明日2人でおとむらいをしてやろう。

2008年08月18日(月)



 人それぞれ

文章ひとつひとつもさることながら、それぞれの文に連なりがあることが大事なのだと思う。

最近、Kは食卓の椅子(TリップTラップ)に自力でよじ上って座ることができるようになった。まだベビー用ガードがついているが、その中にちゃんと収まっていく。
いろいろな面でりー氏より私に似ていると言われることの多いKだが、母曰く「階段を上ったりすることは、Kちゃんの方が積極的だね」。階段を上るのが恐くて、けっこう大きくなるまで手をついて上っていた(その記憶がある)私とは対照的だとか。
りー氏はどうだったのかといえば、よくわからない(りー母に尋ねても覚えていないという…)が、そっち方面が得意だったともあまり思えない。
はっきりしているのは、りー氏はおとなしいお子さんだったらしいということだ。

今年小2になる甥は、かなり大きくなるまでコトバらしいコトバを発しなかった。もしかしたら3歳近くになるまでだったかも知れない。父親である弟は多忙で、転勤先のアパートでほとんど母親と2人だけのような毎日を過ごしていたから、コトバ、あるいは会話というものに触れる機会が少なかったせいもあるかも知れない。
けれどもこちらの言っていることはわかっているようだった。○○とってきてくれる? と言うとその通り取ってきてくれた。そののち、ちょっとゆっくりだったかも知れないけれど甥は話すようになり、今ではどう控えめに言っても寡黙であるとは言い難い人となっている。
人には得意不得意がある。
そりゃそうだ。

2008年08月17日(日)



 「事件ですか、事故ですか」

110番に電話をかけた。事件でも事故でもないけれど。
イタ電ではない。あえて言うなら「事故」になるのだろうか。

車で私の実家に向かっていた時のこと。
信号待ちをしていると、前方、交差点の真ん中に、新聞のような紙の束が2つ3つ落ちているのが見えた。高さは30cmくらいあっただろうか。遠目でもっと高さがあるように見えるものもあった。段ボール箱などなら、あるいは踏みつぶしてしまうこともあるかも知れないが、紙の束はちょっと恐い。
などと思っていたら、そのうちの1つをある車がひっかけてしまった。乗用車がおなかの部分に紙束をひっかけてずるずると走ってゆく。運転手は気づいているようだが、車の流れの中で止まるタイミングを計りかねているのか。
あれ、危なくない? とおせっかい心が出て、110番をかけて知らせてみたという次第。
即座に電話はつながり、まず「事件ですか、事故ですか」と尋ねられた。今回の場合はまずここで、ええと、と考えてしまったのだが(まだ大ごとにはなっていないし)、ともかく一通り説明し、最後に名前と住所を尋ねられた。これはおおまかな答えでよいものらしい。電話をかけるのにもしかしたら他に適切な先があったのかも知れないが、もっとも早く問題が解決しそうな場所といって思い浮かんだのが110番だった。別に何か悪いことをしているわけでもないのに、なぜこんなに後ろ暗くそわそわと心が落ち着かないのだろう。
落ち着かない思いをしつつも人生の経験値を上げたことであったよ。

2008年08月16日(土)



 まあいいか

Kはどんどん語彙を増やしていて、と以前だったら言っただろう。
語彙の数だけでない、もっと広く、言語能力とかコミュニケーションの力と言った方がよさそうな、とにかくそういったものを、日々身につけつつある。
文の構成としては三語文、でもその中に語を並列させたり(「と」でつないでみる。「あかとーあおとーきいろとー」などのように)もするし、一瞬四語文かと思うようなフレーズも出る。
そのうちぺらぺらしゃべるようになるのかしらん。あたりまえのように。そう思うと、贅沢にも急に、まだややつたない言葉の時間が惜しいように思えてくる。成長を喜びつつただ今の幼さをいとおしみまた成長を喜び幼さをいとおしみ……以下エンドレス。

もう1ヶ月くらい前の某日。
気がつけば傍らでKが本の入った紙箱を噛んでいた。角はぼろぼろだ。
あー、おかあさんの「だいじ(大事)」なんにー。もうー。
まだ新しい本だったし、やや大げさに泣きを入れるように悲しんでみせる。
あーあ。
と、なにやらつぶやく声。

「こまったねえ〜」

そうだ、確かに、こまったよ!
こまったこまった! ひとごとかい!
そうだひとごとだ。紙箱くらい別にいいか。いいや。

おかしくなって、それでおしまい。

2008年08月10日(日)
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