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みんみん



 言語生活

080726
ピンチハンガーを開いたり閉じたりしながら。
「あんてな みたい」
アンテナみたい。比喩。

また関連して某日、同じくハンガーの方を見て、
「とられちゃったねー」
とか何とか。
受身と完了と強意。ハンガーに何もかかっていない状態を「取れちゃった」(のつもりらしい)と表しているらしい。


080727
友人(後輩)より妊娠したとの知らせ。
彼女からもらった『いないいない ばあ』を久しぶりによんでみる。
のんちゃんも ほらね いないいない ばあ、
と読んだ後で私が、かあさんも いないいない ばあ、と言って、いないいないばあをする。すると、
「Kも ばあー」
大きな身ぶりで。K「も」。

「かーたんのへやいく」
かあさんの部屋、とは、鏡が置いてある部屋のこと。ごちゃごちゃしているので−−どこもごちゃごちゃしているが−−Kは入れないようにしているのだが。

母と電話で話している。今までは聴いていただけだったのが。

080728
きょうなにしてあそんだ?
「はなび」
先週末、ご近所さんと花火をした。おいしいすいかも食べた。
それ以降、ふとKに、きょうなにしてあそんだっけー、と投げかけると、「はなび」と言うようになった。

080729
「えのぐ みたい だね」

2008年07月29日(火)



 言語生活(あるいはドーナツ屋さんの話)

一升びんを指さす。
「おさけ」。
キッチンペーパーの芯を持って、そのびんの上からかぶせる。
「ぼうし」。

「ぐんばんぼ」
さくらんぼ。「く(ん)らんぼ」と言っているつもりらしい。

「つっとやーつ」
すっとするやつ。アルコール洗浄綿のこと。りー母が使うので、覚えたらしい。

「てんたんく」
せんたく、つまり、洗濯ばさみのことを言っているらしい。

「きりん しましま とことこ ねー」
きりんが、しましま模様であって、とことこと歩いている、ねー。


お風呂で、楽しかった1日を思い出す。
きょうなにしたっけー。
と言っても、まだああしたこうしたと言えるわけではないので、私が、ばあちゃんちに行ったね、とか、わんわんに会ったね、とか言って、それに対しKが「ねー」などと同意するというのがパターンなのだが。
不意に言った。
「どーなっつ」
確かに、実家に行くのにドーナツを買って行った。Kはさつまいものごまドーナツ(むらさきいものパウダーがまぶしてある)をほとんど1個食べた。
わりと最近うちの近所に引っ越してきたお店で、チェーン店ではなくて個人でやっている。ドーナツとワッフルを売っていて、テイクアウトがメインだけれどお茶を飲むスペースもある。甘みが控えめなのと、おやつ屋さん的風情なのと、かかっている音楽がわりと好き(ダイアナ・ロスとかカーペンターズとかが流れていてドーナツ屋、というとなんかまあそういうお店です。)なのと、ドーナツを買って飲み物をオーダーするとほとんど飲み物のお代だけでドーナツが付いてくる、というコストパフォーマンスの高さと、いろいろで、好意的に思っている。ドーナツという食べ物が積極的に好きかというとそういうわけでもないのだけれど、心意気というか。

ドーナツを買いに行ったことがよほど印象に残ったらしく、その後もお店のそばを車で通りすぎると「どーなっつ」とつぶやいている。

2008年07月13日(日)



 夏は来ぬ

とうに。

暑くなってきた。

行こうと思えばすぐ行かれるのに、行ったことのない場所がけっこう(じゃないな、かなり、だ)あるなあと思う。
例えば野球場や陸上競技場。スタジアムと名の付くところじゃなくて、子供の頃から(もっと前から)あるようなところ。
スタンドに座って、フィールドの中の人々の動きを見たい。応援とかそういうのでもないけれど、たぶんKは喜ぶと思う。
野球だったら、ついでに音程が合った応援団の演奏も聴けたらいうことはないが、まあ、そんなにうまいことはいかないか。



早いものでKも1歳10ヶ月の半ばを過ぎた。

1歳8ヶ月。
終わり頃より2語文を話すようになる。
1歳9ヶ月。
中ば頃より自分の名前を言う。どちらかというと発音しにくい名前だと思うのだが、「Kっちゃん」とちゃん付けで言ったり、「K」と3音節発する。
また3語文も聞かれる。「こっち ぱいぱい あった(った)」(こっちに(の?)おっぱいがあった)をたまに言い、他に「じっちゃん ふで いっぱい」(じいちゃん 筆 いっぱい。確かにりー父は筆をたくさん持っている)というのをりー母が確認した。
語彙も増えており、大人の言葉や絵本の中の言葉、ラジオなどの言葉の端を捉えて真似する。

名詞だけではなく、動詞や形容詞も増えている。抽象概念も。
色について、「あか」はかなり早い時期からわかったようだが、最近は「きいろ」「あお」についても認識して、言う(緑などはまだぶれる模様)。
数。ひとつ、ふたつ、みっつ。
ちっちゃーい、おっきーい、などの比較。
といったところは、どうもりー母の教育的配慮によるらしい(自分の両親が意外にも教育的であることに驚いているらしい。>りー氏)。



印象に残る例などランダムに。
(ごぶさただったのでどうにも長くなる。)

散歩していて、以前なら咲く花を見て「はな!」と言ったであろうところを、今は「きれー!」(きれい)と言う。バラの花にも、大人の目には雑草と見えるようなものにも。果たして「きれー」はどのように認識されているのか。

Kと私がそれぞれにボーダー柄のズボンを履いている。
自分のズボンを指して「しましま」と言い、また私のズボンを指して「しましま」と言い、その後「おんなじー」言う。

りー氏(いつも眼鏡をかけている)を指さし「たんたん(父さん)、めがね」。
私(たまたま眼鏡をかけていた)を指さし「かあたん(母さん)、めがね」。
たんたんがめがねをかけている。かあたんもめがねをかけている。
次にその場にはいないりー母(いつも眼鏡をかけている)について、「ばっちゃん、めがね」。
ばあちゃんもめがねをかけている。
また、帽子を見て「ばっちゃん」と言う。
この「ばっちゃん」は、出かける時には帽子をかぶる私の母のことを言っているのだろう。

ある朝。前の晩に汽車のおもちゃで遊んでいたあたりを指して、「でんしゃ、あれえ?」(おもちゃは片づけられていて、その場所にはない)。
「あれ(れ)ー?」と言い、何だろう、どうしたのだろう(どこにいったのだろう)、という気持をあらわす。
また別の時、某所にて。昨日はあったオブジェが、今日来たらなかった。
その場所を指して「なになに?」
あれ、昨日はあったのにね、今日はなくなったね。
「なくた」
なくた、なくた、と繰り返し。

記憶はどのように作られていくのだろう。

食べる、また飲むまねをして「おいしー」と言う。

誰の所有物であるかということに関心を示す。りー氏の服を指し「たんたんの」、同じく私の服「かあたんの」、そしてKの服「Kの」。

崩れ落ちる氷河のニュース映像を観て「いててててててて」と言う。
雪景色を見て「ふゆ」と言い、縁側を指さして、「なつ」と言う。

アルゴリズム体操とぱわわっぷたいそうをする。>ETV(りー実家にて観ている)
大人が歌をうたったり絵本を読んだり、気に入ると人差し指を立てて「もっけ(=もういっかい)」と言う。というリクエストのしかたは、私の母が教えた。



自己主張が激しくなり、一筋縄でいかないと感ずることもあった。喜びも楽しさも、Kはたいへんわかりやすく表現する。顔の表情も派手だ。
「快」がそのようであるということは、「不快」についても同じく激しいということだ。実際、よそのお子さんに接して、なんて静かなのだろうかと思う時もある。
しばらく前、ことに自己主張が強くなったと感ずる時期があった。それが成長というものであると頭の中ではわかっていても、その激しい表現、成長の波のようなものに私がついて行かれていなかった。ついて行けなくてイラッとする母と、ついて来られない母(と、たぶん自分自身)にイライラする子と。まあ、後者の方が心情としては深刻だろう。ああそのような時期だ、と思いつつ、一方で、なんでなんでなんでなんだと思っていた。プラス、考えさせられる出来事などもあり。明確な感情表現だけではなく、そのひまに、ふっと場の空気を見て引く一瞬も持つK。
迎合でもなく拒絶でもなくさてどうしたものか。こちらとしては「具合の悪い」ことではあるが、イヤだと主張する理由はわかる(そんな風に子供の心の中を推察するのは面白くて、好きだ。大変だけど)。まあでも大人としてはいろいろ都合もござんすよ、というわけで折り合ってほしいわけだ。いろいろ省みたり話したりしているうちに−−K本人だけじゃなくてりー氏や他の大人たちとも−−新しい地点にも慣れていく。

2008年07月11日(金)
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