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みんみん



 春が来た

数日前からいきなり春になった。気温が上がり、晴れが続いた。
1回休みみたいな雨も降った。それもまた春らしい。やっぱり暖かい。

雨の予報が出た日、降り出す前にKを散歩に連れ出した。近所をぐるりと。その前々日は車で出かけた折に思い立って大きな公園に寄り、前日はバス通りに出てみた。Kも私も楽しくなっている。そういえば歩けるんじゃないか、と。
卒業式を控えて合唱の練習がきこえてくる。

おかあさん おかあさん
一日に何度も おかあさん
     「一日に何度も」(高田敏子作詞・岩河三郎作曲)

りー氏のことは「たーたん(とうさん)」、じいちゃんのことは「じいじ」と呼んだりするのに、ばあちゃんや私の呼称はない。Kが泣く時、その声と涙は私、あるいはばあちゃんに向けられている。自明だからいちいち呼ばなくてもいいのか。「ぱいぱい」(「ぱぁぱぁ」と聞こえる)とは言う。胸元なんか指して、この人だあれ? と尋ねるからだけれど。
いずれにせよ何度も呼ばれている。

白梅の花もだいぶ開いてきた。
「ゆ・き」
一輪二輪ほころんでいる時には「は(あ)な」と言っていたが、これはまたなかなかクラシカルな見立てで。
次の日に、同じ梅を見て「め!」と言っていた。め。んめ・むめ・うめ。「ん」と「む」、「む」と「う」、これは日本語史の問題だ。
言語獲得っていうのははからずも(いや当然?)いろいろと根本的なテーマを示すようで、そのことが/だからこそ私には面白く思える。何を面白く思うか、其処にその人があらわれるということもまた(結局、自分と再び出会う、ということなんだな)。

2008年03月14日(金)



 雨の日のひこうき

堤防を走るといつも飛行機が飛ばないかと思う。特にお天気のよい日には。
当地は河川敷に空港がある。珍しい立地、パイロットのお方にはあまり評判はよろしくないらしい。そして南側には山(北アルプスとか)がある。そちら方面の友曰く、なんだかぶつかるような気がするという。山に。
いつかKと飛行機を見に行きたいと思っていて、でも結局見に行っていなかった。いつも思いつきだ。だから今日も思いつきで見に行くことにした。雨だけど。

100円を入れて展望デッキに入る。小さい空港ながら国際線も就航している(ついでに言うと東京便はドル箱路線)。しかも、曜日によるようだけれど、お昼はいそがしい。日によってダイヤは前後するのかも知れない。今日私たちがいる間に飛んで行って飛んで来て飛んで行った。その隙にはヘリコプターも。
飛んで来た飛行機はウラジオストク便だった。小さい。国内で定期的に発着する旅客機ではいちばん小さいらしい。ヤコブレフとかいうジェット機で定員は20名。乗ってみたい……いや恐いな。もうすぐ東京便が滑走路に出るよー、と眺めていたらいきなり視界に小さいのが入ってきて、滑走路に降り立った。誘導している係の人が「すごーく小さく」見えたりはせず、ただ「小さく」見えた。
停まったかと思ったらおもむろに人が飛行機に近づいていった。扉まで近いんだな、石垣空港みたいに直接滑走路に降りるのだったりして、と思ったらバスから人が降りるみたいに続いて人が降りてきた。乗客らしい。搭乗口というよりは乗降口と言いたい位の出口は後尾の方にあるらしく、乗り降りの様子は見えなかったが、石垣空港では一応つけられた長いタラップみたいなものは見えなかった。陰になったか、あってももっと短そうだった。

まだエンジンの音が小さいからかKは「(ひ)こうき」(「き」はkの子音が勝る)よりも階段とフェンスにかかったくさりと水たまりの方に関心が向いていて、とことこと滑走路と反対の方に向かって歩いて行く。フェンスの間から落ちることはあるまいと思っても、雨の日だし滑りそうだし私は傘をさしているし、なんだか私の足元の方ががくがくしてくる。

時間が来て、東京便のエンジン音が高まった。海に向かって飛ぶらしい。
Kを抱えてよく見える場所に行く。抱っこしたまま見る。Kは抱かれたままでいる。たぶんじっと見ている。私はあえて何も言わない。
飛行機はエンジンの音をいよいよ大きくさせ、速度を上げて、体を浮かせた。雲が厚い。飛行機は一瞬のうちに雲の中に入り、手品みたいにすぽっと消えた。
「(ひ)こうき」
いつも、飛ぶ飛行機を見つけ、聞くKが言った。

2008年03月10日(月)



 虫出づる

朝起きたら枕元に空のコップが置いてあった。夜中にりー氏が水か何か飲んだらしい。

「ぶーぶ ないない」

「今『ブーブ ナイナイ』って言ったよ」
言ったねえ。
述語相当の語として「だいじ(大事)」「ないない(無い、おしまい)」を発していて、これまでもたまに「○○ だいじ」と言うことはあった。


前述の通り、Kにせがまれてりー氏も絵本を読んでやることがある。その読みかたはなんというか活弁の人のように平板で(専門家アクセントのような、つまりなんだか慣れきった風)、心がこもっていないように聞こえる。と書く私もひどいが、もちろん照れはあろう。
ある時部屋に入ったらりー氏がKに読んでやっていたのだが、大げさ(なのもあれだ)ではないにせよ適当に抑揚があった。その本は『エンソくんきしゃにのる』(スズキコージ、福音館書店、1990)で、りー実家最寄りの本屋が閉店する折に買ってきたという1冊である。その時Kは生まれていた。なるほど自分が積極的に関わった本だと比較的フツーの読みかたになるんだな。



お天気いい日。
実はあまり近所を散歩したことがなかった。歩けるようになった(季節的な)タイミングもあるし、車の往来が心配だったりもした。せっかくあたたかくなってきたので、外に出てみた。
お地蔵さんの前を通り、踏切を渡って、お宮さんまで歩いた。「のんの」(神社仏閣仏壇神棚お墓。お参りすることを当地の幼児語で「のんのん」すると言う。Kは石碑の類を見ても「のんの」と言うけれども)と言うのでその都度手を合わせる。神社のお手水に標を結ってあるのを見ても「のんの」と言う。これは、きれいきれいにしようねのしるし。
家のあたりは人の往来もあって郊外というわけではないけれど、農家があったり、在所の雰囲気を大いに残す地域だ。家を構えるとなるとそれはそれで新参者にはいろいろ気遣うこともあろうが、借家住まいの気楽さだ。
子供を連れていると話しかけられることは多い。今日も行き来のあいだに、じいちゃんばあちゃんたちや小学生の女の子と話した。うれしかった。特に小学生の女の子と話せたことが。
女の子はテニスの壁打ちをしていた。それを見たKが「ばん ばん」と言った(最近「ん」音が楽しいらしい。パンを食べる時には「ぱんー」、車に乗っていて段差を感じたら「どんー」、と、強烈な鼻濁音の「ん」を発してみせる。ほとんど「ぱん(ぐ)ー」「どん(ぐ)ー」といった具合で。)。そしたらラケットとボールを差し出してくれた。Kは、はにかんだ。
こんな出来事があると、場所に愛着がわく。

2008年03月08日(土)



 それはちょっと

朝。りー氏が絵本を読んでやる声。
タイトルと、律儀にも作者の名前なども読み上げている。
「……さく(作)、……やく(訳)、○○りー(りー氏本名) きゃくしょく」
ええっ、脚色禁止!

すると、
「……さく、……やく、○○りー えんしゅつ」

そう来たか。

2008年03月01日(土)
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