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みんみん



 (絵)本(屋)のこと、その他

前出フェリオには計3回ほど行った。
さすがにオープン直後の連休には行かなかったが、なんだかんだとその次の週くらいには行っている。人混みはいやだけれど、こういうのはフレッシュなうちに行ってなんぼというところもあろう。それに富山の人混みといったところでたかが知れている(ちなみに人出Maxは「さんのさん」、日枝神社の春季大祭の時である。あれだけはちょっとしたもの)。
しかも、そのうち1回はデュークS家の公開ウォーキングレッスン、もう1回はS倉千代子のステージに遭遇。
Kは、生まれて初めて見た(と言えるのか?)芸能人がS倉千代子、ということだな。ちなみに私はH村純@「みなさん、こんばんは」#京都。

総曲輪フェリオという商業施設に、大和デパートがメインテナントとして入っている、ということだ。混同していたので、整理。
紀伊國屋書店とかスターバックスとかモチクリームとか喫茶雷鳥とかはテナント。
その紀伊國屋を流した感想。くまなく見たわけではないが、ブンガク周りでは詩歌系の本棚がなぜか充実している。いいことだ。
あっちの本棚にはなかったけれどこっちの本棚にはあった、というようなことがある。たどり着いてみればなるほどな連想がある。探す側にも想像力と根気が問われる。そして人によって興味関心は違うから、このラインナップをいいと思う人もあれば別にと思う人もある。当たり前だけれど。
りー氏曰く「富山のどの本屋よりも地元の本が充実していた」。お店の人が勉強しているということですがな。地元民よりも転勤で来ている人の方が地域の歴史や地理に詳しいということも、よくある。
あ、角川書店のお膝元だから詩歌の棚も充実しているのか? 根拠はないが。
書店員さんの感じがいいのも印象に残った。
ある日は、『エル・ア・ターブル』2冊と『暮しの手帖』と、私の近頃の欲求を満たすべく、『ユリイカ』の『川上弘美読本』を買った(今だったらまた別の本を買うと思う)。
『エル・ア・ターブル』を2冊も買ったのは、H(下の弟)の勤務する店が紹介されていたから(「イタリアンのプロが通うピッツェリア」)。お店の紹介をしつつ、ピッツァ担当者(焼く人のことを「ピッツァイオーロ」というらしい。弟の名刺に書いてあった)の写真(横顔ながら)なりコメントなりも載せてある。Kと私も行ったことがある。気取らないお店だ。



K記録。

▼ことば
ペロッ、と舌を出すこと。および、舌を上下しながら、「レロレロレロ」と発すること。
この「レロレロ」は、透明感のある、玉がころがるような音で、本当に好きだ(まあ、例の、親ばか)。それにしてもいつから人は濁った声になるのだろう。あ、深み、というのか、それは。

開けた口に手を当てて「アワワ」と音を出す。
大人がやってみせるのを思い出して真似しているらしい。大人は手のひらの方を口に当てるけれど、Kは手の甲の側をしきりに当てている。
車に乗っている時など、定位置(助手席側後部座席)でひとり試していたりする。

その他発語。
最も頻出するのは「あ(っ)」。指さしを伴って。見て見て、とか、うん(yes)、とか、その時々のあいさつなどの意味で。
「わ(ん)わ(ん)」「にゃにゃ」犬あるいは猫。犬カフェで見つけて、わんわ、と言ったりする。実家の父を見て言ったこともあるけれど。
自分とは違う、動物というものの存在を認めているのか、テレビに馬が映っているのをみて「にゃにゃ」とも言った。父も動物に間違いはないが。
「ぶ(ー)ぶ(ー)」車。絵本(まついのりこ『じゃあじゃあ びりびり』偕成社)を読みながら。

▼しぐさ

障子紙を破ったところが窓のようになって(しまって)いる。
桟につかまって、「窓」から顔を出してみる。さらに上下にスクワットのような動きをして、顔を見せたり、隠したりする。
他にもいろいろな時にいないいないばあ的なしぐさをする。

「ばいばい」と手を振ること、状況を判断して自発的にできるようになった。朝、出がけにりー氏が着替えたり、私が出かける準備をしたりすると、わかるらしい。
「いただきます」「ごちそうさま」。大人の発声に合わせて手を合わせているが、もういい!という時に自分でやってしまうこともある。

ときどき私は、正座をして、「こんにちはぁ〜」とか「ありがとうございますぅ〜」とか言って(富山のおばちゃん風に。ってそれは私そのものか)お辞儀して遊んでみせたりしているのだが、床に手をつくことはできないけれど、何となくそれらしく頭を下げたりしている。

授乳欲求を明確に示すことができるようになった。すりすりとやってきて、胸元をはだけようとする。

▼えほん

長新太『にらめっこしましょ』(『こどものとも0.1.2』2003年5月号、福音館書店)。
前は、じっと見ているだけだった。
そういえば、そもそも、遊びうたとしての「にらめっこ」をやってみたことがなかったと気づき、そちらをやってみようと思った。当然、笑った方が負け、というルールは把握していないが(だからまんまと笑ってしまうわけだ)、ひとまず、ぷうっとほっぺをふくらませる表情をするもんだ、ということは理解したらしい。
ある日、再び思い立って読んでやった。
前に座らせて、絵本を開く。いろいろな動物たちが「にらめっこしましょ」と言い、次の見開きで「あっぷっぷ」と面白い表情をしていくという趣向である。私が「にらめっこしましょ」と言うと、Kは私の顔を見上げて、口をとがらせる。ぷうっ、これだよね?と確認するみたいに。そうそう、と答えるようにページをめくって「あっぷっぷ」と読み、描かれた動物たちのへんな表情に合わせて頬をふくらませる。

夏、湯沢に行った折に、これから乗る/いま乗っている電車に『がたん ごとん』の世界を重ね合わせてみた(前述)。そのときも、子供の生活と絵本のつながり、広がりというものを感じた。さらに今回は、Kが自発的に自分の経験と記憶を取り出してはたらきかけたという意味で、印象的な経験だった。成長するKと、絵本と、その両方の持つ力に深く感銘を受けた。
(ってなんかこんな堅い言い方になってしまうのがなー、下手だわー。)

手遊びが絵本になっているものというと、『いないいないばあ』(童心社)が有名だろう。中間色のやさしい絵柄だけれど、私個人は、赤ちゃんにはちょっと難しいのではないかと思っている。Kがさほど反応しないから、という理由もある。
でも赤ちゃんのための最初の1冊としてよく挙げられている。いろんなところで。

ちなみにKのお気に入り変遷は、
谷川俊太郎&元永定正『もこ もこもこ』(文研出版)→長新太『ころころ にゃーん』(『こどものとも0.1.2』2006年3月号。『ごろごろ にゃーん』にあらず。セルフ・アンサーブックみたいなものですか。そして遺作)→『がたん ごとん』(前出)・なかがわりえこ&やまわきゆりこ『おはよう』(グランまま社)→『にらめっこしましょ』
という感じ。
この中だと『おはよう』だけが擬音系でない。短いながらストーリー性らしきものもある。流れを理解するのって高度なことだと思うのだけれど、『おはよう』については、本の長さ(短さ)といい合っているようで、じっとみて、きいている。ときどきにっこりする。
なんてのは、山脇百合子さんの絵がすばらしいとか版元が好きとかいう私の好み、も、バイアスとなっているか。

2007年10月12日(金)



 子供の領分

Kのこと。

子供どうし一緒に遊ぶということは、まだ、できない。何かやりとりらしいことをするのは。
でも、自分と近いらしい(大きさが?生活歴が?)存在があることを認識している。
気になるし、時々大いに働きかけてもいる。

某所(仮に、クラブKと呼ぶ)にて。
# 「クラブK」の「K」は、Kではなく、
  後述「K先生」のKである(ややこしい)。
  まあ、未就園児向け児童館というか。

ひとしきり遊んだ後で、「おねえさんたち」(未就園児+小学生)がテーブルのまわりでおままごと風な遊びをしているのが気になった。すごく気になるんだけれどダイレクトに向かうのはちょっとはずかしい。
そのうち、おねえさんたちは少し離れたところで別の遊びをはじめた。
Kはおもむろにテーブルの方にはいはいして行って、たべもの(おもちゃの)や食器(同じく)で遊びはじめた。おねえさんたちは後ろで仲良く遊んでいる。私は離れたところでK先生や他のお母さん方と話している。
Kも遊んでいる。ひとりで遊んでいる。
ひとりなんだけど、大人の中ではなく、子供たちの気配と空気の中で遊んでいる、と思う。「母(私)と子(K)」ではなく、「子供の集まりの一員としてのK」を感ずる。

おねえさんたちはまた別の一角で遊ぶ。
今度はペットボトルで作ったマラカスを振りながら歌っている。とてもにぎやかで、カラフルな声の重なりだ。
ほとんど反対側の一角にKはひとりでいて、つかまり立ちをしながらしきりにおねえさんたちの「音楽」を聴いている。踊る。マラカスと歌声は遠隔操作のようにはたらく。
直接まぜてもらっちゃえばいいのに、と思うのだが(Kは人なつっこい方だ)、まあ、これから勉強してゆくことはいろいろあるわけだ。
ひとりのおねえさんが、Kの方を見て、にっこり笑ってくれた。
とたんにうれしくて、でも恥ずかしくて、後ろをむいてしまう。
でもうれしいんだな。

時間が来て、おねえさんたちが帰る。
部屋のドアが開いた。
おねえさんたちの後をどんどんハイハイで追いかけていく。

午後の短い(と、大人には思える)時間の中での、成長というもの。

2007年10月10日(水)
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