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みんみん



 うんどうかい

中秋の名月。夜、だんごを食べる。
Kも食べられるように、白玉粉(もち米)じゃなくて上新粉(うるち米)を豆腐で練って、丸めて(真ん中を少しへこませて)、甘くしないでおつゆに入れた。薄揚げと大根としいたけとえのきだけと。でもKは寝てしまっていた。
ああ美味しい(と、誰も言わないので自分で言う)。

大和初出店ネタ追加。
CHOUSSETTES(ショセット)。「靴下屋」が展開しているデパート向けのブランドらしい。ショッピングセンターなどでも展開している靴下屋の商品がカジュアルなのに対して、ここはもう少しシックで、適度に流行りも取り入れていて色味も楽しく、買いやすい値段なので好きだ。
そんなに珍しいお店でもないのだけれどこれも富山にはなかったのでうれしい。

連休中、仕事で街なかに出ていたりー氏。
夕方くらいに「大和の地下におるけど何か買ってきてほしいものある?」と電話があった。でも見ないとわからない。どんなお店があるのだか。
結局まあ好きなものを買っておいで、となったのだが、疲れたとのことで食べ物は買って来ず。紀伊國屋の袋を持って帰ってきた。
「あっ、Kちゃんにおみやげ買ってきたんだった」
ボーネルンドの袋からカモのパペットを取り出し、寝ているKに見せるようにして、洗濯物と一緒にピンチで止めてぶら下げる(りー氏が)。



そういえば土曜日は運動会に行ったのだった。
たぶんKが通うことになる、りー実家近くの保育園の。

先週末、近所の小学校のそばを通ったら運動会をやっていた。このごろは秋ではなく春に運動会をする学校も多いので、珍しいなと思いつつ、横目で見つつ、Kにも見せてやりたいと思った。地元の保育園では、見るだけでなく、未就園児レースというのに参加もできるとのことだった。
出番は10時半で、母も行くと言ってくれたので、りー実家で待ち合わせ、歩いて出かける。りー母も誘ってみた。私はそういうの苦手だから(という返事は想像の範疇の内)、気が向いたら自転車でこっそり見に行く、と言われる。
ちなみにりー氏は仕事。

レースは「おみやげどうぞ」とかそんな名前がついていた。
内容はどんなだかわからないが、とりあえず走ればいいらしい。といってもKはまだ歩けないので、私が抱えて走るわけだけれども。

わらわらと入場し、園庭の中央にしゃがみ、横一列(8列横隊の最前列)になって出番を待つ。園庭ってこんなに狭かったっけと思う。主役(園児)のサイズと人数が違うしな。学校のグラウンドと比べると。
最初に、3歳児のおにいさんおねえさんたちがあいさつをしてくれる。集中して聞く。集中しないと何を言っているのかよくわからない。最初の方で、イッショニアソボウネ云々、と言っているのが聞こえた。なんとなく揃っていた声が、だんだんばらばらっとなっていく。最後の方はいろんな声になって、私にはいよいよ意味不明になっていく。ようこそようこそというようなことを言ってくれているんだろうと思う。けっこう長めのあいさつで感心する。
いよいよ、ピー、の笛の合図で走る。途中、ねずみ(男と女の。仮)と黄色いくま(仮)のお面が置いてあって、かぶる。Kが自分でつかむかと思ったけれど、取らなかったので、私がくまのお面をとってかぶせる。頭が大きいので、ゴムで調節できるとはいえ、けっこうパツンパツンな感じ。
ゴールにはさきほどの3歳児チームが待っていて、「おみやげ」をくれる。紙のバッグに、ぴょんと跳ねるうさぎのおもちゃ(牛乳パックと輪ゴム製)と、おやつ(ミレービスケット)が入っていた。私たちはMくんという男の子からもらった。Kと私と、それぞれ握手して、ゴール。

Kは、衆人の中、ただ抱かれて、なにやらわさわさと移動しているだけなのだったが、それでも初めての運動会であった。
来年も参加したとしたら、きっとそのときには自分で走るようになっているのだろう。自分で走ってゴールにたどりついた!と言って喜び(最初はもしかしたらちゃっちゃっと走れないなんてことがあったりするかも知れず、そのうちまっすぐ走ることができたと言って喜ぶんだろう)、そして今度は、お迎えする側になるんだろう。あんな長いあいさつをして、なんて「お兄ちゃんっぽい」んだろう、と思うようになるんだろう。
上手にお遊戯しているといっては喜び、鼓笛隊をつとめているといっては喜び。
そういうことになっていくのだろうと思う。

終わって母の元に戻ってきたら、りー母もどこからかやってきた。自転車で来て見ていたらしい。ケータイで記念撮影など。
りー実家で「おみやげ」を広げて、遊んでみる。保育士さんが形を作って、園児が色を塗ったりしたと見える。母が持っていた来賓用のプログラムも広げてみる。工夫して、きれいに作ってある。
「こんなの作らなきゃ、とかいろいろ考えなくちゃいけないんだよね、大変だね……」とりー母が言う。
んー、おかあさん、たぶん、こういうことを面倒だと思うような人は、保育士にはならないと思うー。
「そうか!」



Kのこのごろ。
さかんに「あっ」と言って指さし(多くは挙手、たまに1本指)。
両手を放して数秒間立つ。何かにつかまったついでに、というかんじで、自力で立ち上がることはまだできない。時々両膝を立てて、逆Yの字みたいになって、自力で直立しようと試みる。
キャスターのついたものを押したり引いたりして飽きることなく遊ぶ。
椅子(背もたれのないもの)や洗濯物かご(ただし空っぽだと軽すぎていけない)につかまり、押して歩く。歩行器や、いわゆる「カタカタ」は与えていないのだが(カタカタはかわいいものが多く非常に魅力的でなやましい。でもこちらの方から歩行を促す気持はないのでぐっとこらえて)、いろいろ思いつくものだ。椅子をちょっと広めの場所に持ってきてやると嬉々として移動する。

広げた手をぱらぱらと1本ずつ折っていた。

2007年09月25日(火)



 追伸あるいは脱線

総曲輪(そうそう「そうがわ」と読みます。富山の中心市街地)フェリオ出店うれしい、の追加分。
近沢レース、生活の木、ハウス・オブ・ローゼ。

「ゆとり○空間」ってのもある。母あたり喜びそうだ。私はまあ、あれだけど、キッチン用品などを買うときなど便利かもしれない。
今も売れているのだろうけれども、学生の頃、K原さんの料理本が大変売れていた。ごちそうさまを云々というのとか、もうちょっと小さい判型の、おべんとうのとかお菓子のとか。料理が苦手な子の家には決まってある(から、ちょっと、どうも)と言った友人がいた。そんなもんかなと思ったけれども。
図書館で借りて、作ってみようと思った。確か煮物か何かだったと思うのだが、レシピが、誤植ではないかと思うくらい濃い味つけになっていた。いや、それは正確ではないのか。私にとっては、とつけるべきかも知れない。その時私は、味や仕上がりというものは好みによるところが大きいのだ知った。今思えば当たり前なのだけれども、プロのレシピなら寄りかかって大丈夫だろうと思っていたので。
結局そのレシピは、調味料を2分の1にして悪くない具合に仕上がった。

これもどの本だったか忘れたが、レバーとひじきの煮物というのが出ていた。レバーというと、どちらかというとたぶん好まれにくい方の食材だと思うのだが、美味しそうな感じで載っていて、印象に残っていた。
その頃、『アン○ン』のある号で料理の特集があった。有名人と言われている人たちのレシピ紹介に、私と同(学)年にになる、元おニャン子・今は文化系、いや、ロハ巣っぽいお方のものが載っていた。のだけど、どう見てもそれはK原某さんのオリジナルレシピ(の、分量は2倍)だった。そういえば当時彼女はまた別のところで、K原さんの料理本のことを語っていたような気もした(まわりくどい書き方をしているわりにはよく見ているなと自分でも思う)。
まあ、そんなことでもなければ、「ご○そうさま」とか「料理○国」のお料理コーナーなんて成立したはずもないのだろう。私がおぼこいだけか。もちろん、いいことだとは思わないけれども。

紀伊國屋併設カフェは、売り場のつくりから言って、「(未精算本の)持ち込みはできないんじゃない?」とりー氏。八重洲ブックセンターのカフェみたいなもんか。それはそれでいいものです。買った本を早速ひもときながら一服。幸福ではありませんか。
「神保町におけるかつての『李白』みたいなもんやね」
「李白」部分には人によって適宜変数が入ることであろう。


2007年09月22日(土)



 そんな1日

子連れで出かけても子連れズ人間観察に走ってしまうのはいかがなものか。
私だって充分に観察対象であるというのに。
猫は悪くない、といつだって思っているけれど、それと同じように、子ども(一般名詞としての)は悪くない、と思っているようなところがある。

そうだ。
猫といえば、先日、ふらっと猫がやってくる週間というのがあった。あれは、とてもよかったのだが(しかも皆友好的だった)、その中に、しろにとってもよく似た猫がいた。
というか、もしかしたらしろだったのかも知れない。いなくなってしまってからずいぶん経って、顔つきも違うように見えたので、りー氏と、しろじゃない……よね、と言い合っていたのだが、しろじゃない猫にしてはえらく勝手知ったる風だったし、もう少しで縁側の内側に上りそうだったし。私たちの知っているしろみたいににゃごにゃごよくしゃべって気ぜわしくはなく、もっと落ち着いていたけれども。
きれいな猫だったので、たぶん幸せに暮らしているんだろうと思う。そうでさえあれば。
Kも白猫をじっと見ていた。

富山大和(だいわ。北陸ドメスティックデパート)移転リニューアルオープン。連休が明けて少し落ち着いたであろう頃の平日にふらっと行ってみようと思う。
案内をざっと見たところでは、紀伊國屋書店にカフェが併設されるらしいことと、ボーネルンド(おもちゃ屋)が入るのが楽しみだ。本屋さんに併設されたカフェには、たいていメニューにトーストがある。喫茶店のトースト好き、本を読むのも買うのも好き、な身としてはたいへんにうれしい。
カフェについては、とにかく、利用者が良識にのっとって使うことを祈るばかりだ。持ち込んではいけないことになっている、雑誌やマンガを持って入ったり、未精算の本の内容をメモしたり、そういうことをみんながしないように、本当に、祈る。喜久屋書店@高岡イオン、の今はなきカフェも、休日にはすごいことになっていたので。気の毒でならなかった。
ボーネルンドについてはたまたまパンフレットを持っていた。すかさずKに持たせ(るふりをし)てりー父に渡す。りー父は買い物大好き、おもちゃ好き、かつ、Kがかわいくてならぬ人であるから。悪やのう(私が)。
すでにすばらしいいろいろであふれているKのおもちゃばこであるのだけれど。

川上弘美作品を相変わらずぱらぱらと。
国語教師を美化されたand/or特殊な存在として描きすぎているように思ってしまう。身近に多いせいか妙にひっかかる。そんないいもん(=者)か〜? と思いつつ、いや、確かに変てこりんかも〜、とも思う。
ロマンチストっていうのはスケベと同意である、というようなことを橋本治は言っていた、そういえば。

Iさん登場というので『クロワッサン』を買いにいって『クウネル』をぱらぱらめくっていたら、あら、知った顔が(まあありそうな話ではあるのですがな)。

そういえば某日、昔の『暮しの手帖』を見たりー氏が一言、「今の(『暮しの手帖』)って『クウネル』みたい」。
一方、昔からの読者であったりー母に言わせると、(最近)面白くない、とのこと。即答。
そして『クウネル』は『暮しの手帖』のようにも見える。
『暮しの手帖』、細谷亮太氏のページ(連載が始まった頃から好きだ。励まされるような気がして)を見て、ほっと息をつく。編集長が交替して最初の号、変わったんだ、と思ったのは、本文に「バタ」じゃなくて「バター」とあったのを見て。

白髪染め「produce」のCM、すごい。
郷ひろみがあのシチュエーションであのタイミングであの曲をあんな風に歌う、その悪趣味さ(だろうな、たぶん)が、全部。

すきなお花屋さんで秋色のバラとガーベラを買って帰る。

それにしても、題をつけるに事欠いて。

夜、りー氏と悪趣味な話。

2007年09月21日(金)



 花展にて

一昨日の日記タイトル、「擬人化(擬人法)」と迷った。
よくやるんですが。>擬人化(擬人法)

>Pさん
ラッキョウでイイダコを釣る、ポピュラーな方法なのですね。
ざっとググッてみたところ「酒につけたラッキョウで」とか「ラッキョウ1個で1日使える」などともあり、いよいよイイダコが不憫に、というかそもそもイイダコに繊細さ(というのか?)を見いだそうとした自分(たち)がたぶん、あほ(というかそれは自明)。



りー氏は仕事。
実家の母とKと3人で出かける。
県民会館で開催中の花展(かてん。県内の諸流派の先生方が出展される、年に1度の大きな華道の展覧会)へ。会期は前期後期に分かれており、母の先生は前期に出品されるとのこと。
使用花材が記してあるといいのにー、と言うと、母からも「いつもそう思う」との返事がかえってきた。美術館の展示とグループ展や公募展が違うみたいなものか。
花器はもちろんのこと花材だって流派による傾向はあるのかもしれないが、はやりの花材なんていうのもあるんだろうな。

会場は地下だったのだが、Kがバギーに乗っていたため、階段ではなくバックヤード近くのエレベーターに乗って移動した。
帰りに、これから観ようというお客様と入れ違いになった。年配の和装の方などもいらして、なんだかえらいひとな雰囲気を漂わせた一団である。
パポーン、とエレベーター到着の音が鳴り、ドアが開いてご対面、すれ違う瞬間にご一団のご年配者より、

「あら大きい顔……」

思わず、感に堪えず、と言わんばかりに発される。
ええ、私もそう思います、と笑いたくなった。父も母も大顔大あたまの赤子でしたもの。というか今もか。


2007年09月09日(日)



 思いやり

りー実家でもらってきた『サライ』最新号を見る。特集は〈サライ流「釣り大全」〉。
日帰りで体験できる釣り講座が紹介されている。その中の「美味しい楽しいイイダコ釣り」講座にふと目が行く。

講座内容/イイダコの好物であるアサリの疑似餌(ぎじえ)としてラッキョウを鉤(はり)に付けた仕掛けで釣る。(太字は引用者)

衝撃を受けたので上記当該部分を読み上げる。

・いくらなんでもラッキョウはあんまりだ。
・ラッキョウはラッキョウでうまいけれども、そのままでは辛いだろう。というかイイダコの好物とは思えない。
・どうせ釣られるなら美味しいアサリをたらふく食べて釣られたい。
・せっかく食べるなら、「だまされた……」と不遇&失意のうちに死んでいったイイダコより、「アサリうまい〜」とハッピーな気持で昇天していったイイダコの方がよい。

というのが、私どもの見解であります。

2007年09月07日(金)



 生活のいろいろ

すいか生活。
今、家には大きいのが1つと小玉が2つある(正確には、+4分の1個弱が冷蔵庫に)。大きいのは朝日(地元の名産地)の美味しい農家の、小玉は父が作ったもの。
9月になっても食べられるのはほんとうにうれしい。が、欲張って買いだめしておけばいいというものではない。すいかにも食べ頃というのがある。欲張らずに精々食べよう。でもいつか季節が終わる日がくるんだよな。
今シーズンは、出だしは遅かったのだけれど(なぜかなかなか店頭ですいかを見かけなかった)、並び初めてからは石川、朝日に、八色(やいろ。新潟の産地)とすいかを食べない日はなかった。もらうことも多々あったし、いい買い物もいろいろできた。
家ではもちろん、出かけた先々でもKと2人で大いに食べた。Kも私もすいか好きなので。あのすいかにこのすいか、と包丁を入れた数々を思い出す。
ちなみに私は皮ギリギリまで食べたい方。すいかは甘みも大事だけど、何と言っても水分も大事だと思う。皮までスプーンがすっと入るみずみずしさが。

トマト生活。
トマトを家で食べるとき、ほぼいつも丸かじりしている。ちなみにというかもちろんというかマヨネーズも塩も何にもかけない。
Kの前でも、かぷ、じゅる、と丸かじりする。と、とても美味しそうに見えるらしい。まあお行儀は悪いけれども。
今日も冷蔵庫から大きなトマト(実家で獲れたもの。うまい)を2つ取り出して、Kには悪いがかじることにした。いくら丸かじりが好きと言っても2個同時にかじることはないわけで、1個はひとまずお皿の上で待機中であった。
早速がぶりとやると、Kもトマトをおもむろにつかみ、眉間にしわを寄せながら(これはよくやる表情なんだけれども)すごい形相で大口を開けてかじり始めた。
人が丸かじりしている姿というのは面白い。たぶん私も真剣な表情をしていたと思う。真剣にトマトに熱中する親子。
現在Kの歯は6本(前歯、上が4本に下が2本)、かじるのが楽しいお年頃であるんだろう。後で見たら、Kの頭(大きい)の半分とまではいかないが4分の1は確実にあるだろうトマトの、半分くらいは食べていた。なかなかやるなと思った。

読書生活。
夏が終るという頃になるといつも小説が読みたくなる。というかもう秋だけど。
今気になって読んでいるのは川上弘美。以前『センセイの鞄』を読もうとして、どうにもダメだったのだけれども(たぶん設定にまず気持悪さを感じて)、ひょんなことから。今のところのベストは『ニシノユキヒコの恋と冒険』(新潮社、2003)。なんか、ものを読んできゅーんと来たのは久しぶりだ。もっともそれは小説を読んだ後のきゅーんともちょっと違うような気がするのだけれど。読み進めたいけどそうしたく(読み終えたく)ないという気持に、久しぶりに、なった(と、句読点の打ち方も意識)。エッセイに膝を打つことも多い。
そして読みながらとあるお友達のことを思い出しているのです。

2007年09月06日(木)
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