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みんみん



 へんてこへんてこ

8月も終り。

yapeusがこけています。

何だかへんてこな1日だった。
調子のくるった日でもあり、一方で悪くない(むしろいい)日でもあり。
おかしいの。

お約束ですが聞いてみました。
りー(仮)さんはどんな日だった?
「ふつー」

こういうのをこそ〈想定の範囲内〉と言うのだろう。

選挙。
テレビニュースで流れる党首の演説が、それぞれ、いかにもでおかしい。音声だけでもわかる。
すりかわってるとか何も言ってない(ってことはないかもだけれど)とか大きすぎ、とか。

2005年08月31日(水)



 ちゃとらと私

朝、ちゃとらががさがさ立てる物音で目が覚めた。
夜中に目が覚めてしまったせいで、私はちょっと眠かった。あんまりいじらずにごはんだけやって二度寝しようかな。そう思っていた。しかしちゃとらはごちんごちんと頭をぶつけてきた。
となればまあ、なんとなく撫でてみようと試みたりもするわけだ。
しかしそのぶつけかたがいつもより少しだけ激しい気がする。
しかも耳を澄ますと、ごろごろ言っている気がする。
え?
そして気がつくと、なんと、撫でさせてくれているような気もする。
ごろごろはさらに続く。
さらに、目も細めている。
え?

ちゃとらはごろんと横になり、目を細めて、あごを上げた(これは「もっと掻いてくれ」の意)。
去勢手術をしたら慣れなかった猫の性格が変わったという話を聞いたことがある。しかしちゃとらに関してはそんなことは全くなかった。だが苦節1年4ヶ月(!)、初めて撫でさせてくれた。身体にぴったりくっつけたしっぽは、少し緊張しているということか。
うれしい、というより、いやもっと、感慨深い(だからこうして忘れないように、朝から日記に書いている)。


のいや縁側猫の誕生日を私は知らない。やってきた子猫たちが春生まれらしいということだけを知っている。
折しもMarieさんが猫まんま募金の存在を教えて下さった。
そこには、数々の写真がリンクされているらしい。でもごめんなさい、やっぱり私は見られません(注・クリックしたらいきなり案内無しにいろいろ見せられるわけではありません。心の準備はさせてくれるようです)。根性ナシです。以前、ガス室送り直前の写真を見たことがある、それで許してください、という気持。
併せてニンゲンの手を借りたい〜あなたにできるかもしれない〜というサイトも教えていただいた。

人とも猫とも(あるいは、その他の動物とか植物とかいろいろ、とも)仲良く楽しく暮らしてゆきたいと思っております。

【補足】
夜、同じように撫でようと思ったら、シャーと言われた。
♪ろ〜ん(ぐ)・あ〜ん(ど)・わいんでぃ〜ん(ぐ)・ろー(ど)、である。

2005年08月18日(木)



 〈家〉

▼後藤暢子・後藤幸子・後藤文子+伊東豊雄『中野本町の家』(住まいの図書館出版局/発行、星雲社/発売、1998)

人は住む場所を規定し、住む場所によって人は規定される。
働き盛りの夫を1年の闘病生活の末に亡くした女性が、残された年子の(小学生の)娘2人と住むための家を建てた。設計は、彼女の実弟である建築家・伊東豊雄。
馬蹄型をした、大きな、白いチューブのような空間、その中心には黒い土。風変わりな意匠を持つ家は、20年ののち、家族の変化によって解体された。「変化」とは、子供が成長し、それに伴って生活およびその様式が変わる、そのことのみではない。
この家に住んでいたそれぞれの人たちに対し、個別にインタビューが行われた。

(えー、なんかこなれてません、私の文章が。)

人を亡くしたところから始まる新しい生活。
この家の形自体は特殊かも知れないが、家とは何か、家族とは何かという問題はひとごとではない。私の家の「垣根」や「仕切り」はどんなだろうか、考える。個人的であると同時に社会に向けて開かれている(「開かれていない」、すなわち、外との対照があるという意味で*逆説的に開かれている*場合も含めて)家というものを。

特に、長女である文子さんのインタビューに強く引かれた。
品川の原美術館で宮脇愛子(創作アップリケ&故・宮脇檀氏のお母さんじゃなくて、現代美術&磯崎新氏の奥様のほう)展を観た時のような、心の奥底(たぶん、自分でも少し面倒くさいと思っている部分)に静かに深く沈むような感応があった。

まとめ風感想。
作品が大変なものだからだと思うけれど、それにしてもすごい本。そして面白い。
住宅設計を志す人は必ず読むべき。家の形がすごいから、ではなく(まあ処女作だし、確かにすごい形だと思うけど、それは結果であって)。
設計する立場からすれば、家は時間の変遷に応じて変化すべきだ、というプラクティカルな結論にたどり着くこともできよう。しかしそれよりもやはり、家という空間が、その時々の人の心象風景をこれほどまでに反映して立ち上がり、人を左右し続けるのだという点に目を向けたい。だからこそ〈壊される家〉が衝撃的なのだ。


『中野本町の家』持ってる? とりー氏に聞いたら、「ない」と答えたので、早速図書館で借りてきて読んだのだ。
なんか、すごいよかったよ、と晩ご飯を食べながら内容をかいつまんで話す。
「とりあえず買っとくべきかのー」
うん、まあその前にとにかく読んでみてよ。かばんの中から借りてきた本を取り出して、差し出す。早速読むりー氏。
なかなかすごいやろ。
「うん」
早速amazonで注文してくれた。べんりだ。

すごいすごいとばかり書いたけれど、なんだかうちのめされたな。
読む時を選ぶかも知れないけれど、好きな本だ。


【補足】
「家」「家族」「家庭」それぞれの語について、厳密に使い分けているようないないような感じになっているけれど、『中野本町の家』に、家族ではあったが家庭ではなかった、というような一節があった。

2005年08月17日(水)



 夏なんです

矢野顕子ライブに行って参りました。
本日、富山(小矢部)にいらっしゃいました。

最初の曲は「夏の子供」。
そうか今って夏だった!と思い出す。後ろの席の人は、ええと、よくリアクションをなさるほうの方(私より上の年代っぽい男性。そういえば大人の男性のお客さんが多かった)だったのだけれど、最初の曲が判明するや、「はあー」と深く納得するような感じのためいきが聞こえた。それは私もよくわかった気がした。そう来たか!という気持。
続いて、はっぴいえんどの「夏なんです」。松本隆の歌詞って大人になってから改めてみると、やっぱりちょっとすごい。
「夏」シリーズ最後は、小室等の「夏が終る」。谷川俊太郎の詩に曲をつけたもの。

何を歌うかはその時々の気持で決まってゆくらしい。
あいだに「ふりむけばカエル」とか大貫妙子の「突然の贈りもの」とか、あと富山シリーズということでこきりこ節(!)などが入り、それから最近一緒にやったりしているらしいくるりとの曲などをいろいろ(そのへんはあまり詳しくないのだけれども)。

でわりと淡々と楽しく聴いて、「ラーメンたべたい」でシメ。

アンコール1曲目は「ごはんができたよ」。うわまさか聴けるとは。
で2曲目、本日のラストは「ひとつだけ」。
この曲、来るだろう来るだろうと思ってはいたけど、いやー、実際来たらじわっと目に熱いものがこみあげる。
曲のよさももちろんあるんだけど、アルバムが出た時にどれだけ聴いたかわからんよ、という個人的な記憶などもプラスされています。

「お花持ってくんですか」とM氏に言われ、どうしよっかなー、ご本人がお持ちになるわけじゃないけれども……と躊躇したけれども、しかし機会があるならぜひとも思い(だってそれに前から2列目の席だったし)、準備して渡してみた。大貫さんライブの時に続いて、今回もtaneさんにてお花を調達する。
渡して握手してもらう。「わ〜かわいいい〜」と言われて、よかったあ。

演奏中、雷さんものっちゃったらしく、ごろんごろん大変でした。ホールの中に聞こえてくるくらい。
雨もざーざー、ごーごー降っておりました。
これはまた張り切ったもんです。

2005年08月11日(木)



 めぐりめぐって

昨日は母がお休みだったので、一緒にAちゃんちに行った。
プチ育児相談などにのっていたようだ。

ポール・スミスにて。
スーツがとてもカワカッコよ(かわいい+かっこいい)く、しびれる。グレーに、細いピンストライプと同色のステッチ(ピンクorグリーン)が入ったジャケットとパンツ。ポケットのつきかたや裾のラインが面白く、ジャストサイズで着るタイプだと思われる(試着はしていないのだけれど。なぜなら、したら欲しくなりそうだったので)。微妙なステッチの入り方にも心ひかれたが、何にしびれたって、ジャケットの裏地の遊び心に。さすがパンクの国。
スーツは好きだけれど、上下揃えるとなかなかよいお値段だったし、グレーが似合わない顔なので(じゃあ何が似合うんだという問題は、さておき)、ということにして通り過ぎる。



クール・ビズをめぐって。
なんかお父さん(注・実家の父)が「クールビズってことはなんかおしゃれせんならんがかのー(しなくてはならないのかな)。ループタイとか買わんなんかのー(買わなくてはならないかな)」って言ったから、お母さんは「そんなん要らんちゃよ(要らないわよ)」って答えたらしいんだけど。
りー氏「ループタイ、いいねか(いいじゃないか)」
……じゃああんたもつける?くまのリアルなやつとか。
り「ふさふさのやつ」
今日は特別な日だからしろくまだ、とか。『りーさん、今日は茶トラですね』とか言われたりするんやろ(くまじゃなくてねこだけど)。
り「うん」

想像してみた。

作るか?>くまorねこループタイ<嘘
# 実際はクールじゃないビズなりー氏。


雑誌とかをめぐって。
り「『ユリイカ』面白いよ」。
買おうかなーどうしようかなーと思っていたら買ってきてあった。べんりだ。

▼『ユリイカ』2005年8月号・特集「雑誌の黄金時代−−紙上で見た夢−−」
世代的に(といっていいのか)、『エピステーメー』や『遊』、また『海』には届かなかった。『GS』は高校生の時分、地元の本屋(S明堂)の2Fで立ち読みした。どれくらいわかっていたかは疑問(しかし高田里恵子『グロテスクな教養』(ちくま新書)は大笑いしながら−−それがふさわしい反応なのか、どうか−−読んだ)。
『is』や『夜想』は学部生の頃を思い出す。『思想の科学』も。いまは無き雑誌シリーズとしては『海燕』も懐かしい。
アンケート大会「わたしを/がつくった雑誌」、回答者トップバッターは高山(宏)先生。その昔、『現代思想』と『ユリイカ』の特集はぼくが考えてますから、ハッハッハ、とおっしゃっていただけある、か。
回答の中では、近代ナリコさん(おいくつなのか存じませんが)と近い世代だったりするのだろうかと感じた。

来月は水木しげる特集。
最近は増刊号の方が『ユリイカ』っぽい。


▼ほしよりこ『きょうの猫村さん』1(マガジンハウス)
ネット上で発表されているらしい作品(マンガ)の単行本化。どんな感じの作品かというとこんな感じ
いやーん、うちにも猫村さんが来てほしいー。早く2巻出てくれー。

しかしりー氏に勧めるも、
「おれだめだこんな雑な絵」
との返事。あんたしりあがり寿は、
「だめ」(即答)
ええーじゃあ(あなたが好きな)岡崎京子(の絵)は(どうなん)?
「うまい」
ええええ初期とかひどくないか?
「えーーー、でもこれ(と『猫村さん』を指す)と一緒にしたら失礼」
あんたにとっての「うまい」って……
「あでも湯村なんとかはうまいと思う。辛酸なめ子は下手だけど……丁寧。しりあがり寿は下手」
絵の巧拙について容赦ないところがある。
# しかし読んでいるようだが(そんなに面白くない、と言いつつ、今)。


夜のニュースをめぐって。
滝川クリステル嬢はお休みらしい。
「いまごろみのもんたと一緒に旅行行っとるがだわ(行っているんだわ)」
なんで?
「みのもんたも休みだったから」
……それはとても面白いね。


なんだか苦しまぎれ的なタイトル。

2005年08月05日(金)



 そういう日

日中、実家に行く途中、車を停めたかった瞬間三つ。

交差点にて信号待ち。
目の前の横断歩道を自転車で渡っていくお方。
Fさーん、とお声をかけたかったが間に合わず。炎天下、ゆるやかな坂の方に向かって漕いでゆかれました。

子供の頃習っていた書道の先生が歩いているのが見えた。
おうちの前はよく通るけれど、外に出ていらっしゃるのは珍しい。
停まりたい、でも後続の車が。
また寄りますー、と心の中であいさつ。

竹林のそばを通る。
林の端っこの竹の1本全体を使って七夕飾りがしてあった。丈も高いし、ずいぶん豪快な飾りだ。
写真に撮りたかったけどこれも後続の車あり、車線はひとつ。ざんねん。


実家に着いたら誰もいなかった(それは想像していた)。
失礼、のいが留守番していた(それを期待していた)。
暑いしねむいしで、お迎えはない(それは……まあそんなもんだろうと思ってはいた)。
のいのひげは白なのだけど、今日よく見たら1本だけ黒いひげがまじって生えていた。今になってどうしたのだろう。のいの父さんか母さんのどちらかがきっと黒ひげさんだったんだろう。見知らぬ父や母に思いを馳せる。とりあえずくうねるところにすむところには困っていませんよ……そんなセンチメンタルなわけはないが。
さび猫母さん(ひげは黒)の息子である縁側のちゃとらには、左右各3本くらいずつ黒いひげが生えている。

野球のユニフォームを着た女の子が歩いてきた。後ろには同じユニフォームを着た男の子が2人。
女の子に、野球やってるの?と聞くと、はい、と返ってきた。
スポーツ少年団に入ってやっているそうだ。私たちの頃は、野球(男子)、ソフトボール(女子)、卓球(男女)、バドミントン(男女)とあったが、今はソフトボールはないらしい。
あなたの他に女の子はいるの?(首を振る) ポジションは?(ライトとセカンド)
そうかー、私もJ小学校でソフトボールやってたんだよ。と言ったら、えっ、と思いがけないような顔になった。
ロングヘアでさっぱりいい感じ。頑張れ。


帰宅したらりー氏から「うなぎ」というタイトルのメールが来た。
以下に本文を引用する。

〜>二二二二;つ

晩ご飯は、うなぎとしじみ汁で遅ればせながら土用ふうに(あと、なぜかゴーヤチャンプルー)。

2005年08月03日(水)
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