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みんみん



 水ぼうそう

朝、外に出ると、農薬のにおいがした。
たぶん除草剤のにおい。
と、毎年思っているような気がする。

友人一家に会おうと思っていたら、(こないだ女の子が生まれたばかりで、兄になりたての)男の子が水ぼうそうにかかってしまったという。ありゃ。
私はともかく、りー氏はなかなか会えないので、できれば予定は変えたくない。水ぼうそうはいちどかかると免疫ができるけれど、その手の病気、たぶん私ははしかにしかかかったことがない。自分で記憶しているわけではなくて母がそう言っていたから覚えているのだが、念のため確認してみることにした。
りー氏はどうだろう。こちらがダメでもせめてあちらだけでも。
あんた水ぼうそうにかかったことある?
「しらん。(りー母さんに)聞いといて」

りー実家に電話すると、ひととおりかかっているとの返事があった。
それから私の実家に電話して、確か、はしかにしかかかってないよね、と聞く。
母は、「どうだったかねー……母子手帳見たらわかると思うけど、見てみようか」と言って、3人ぶんの母子手帳を出してきた。弟2人の病歴について話す母。
「T(上の弟)はしょっちゅう(と、病気しとったねー」
彼はひととおりどころではなくいろいろかかっている。3学年違いのTの病気の記憶はあまりないが(こちらも小さい子どもだったもので)、8学年違いのH(下の弟)が小さかった頃ならよく覚えている。外科的なのでは手術したり骨折したり。
男の子の方が身体が弱いというらしいけれど(概して)、まさにそのパターンということか。

それにしても、ハハハハハ、りー母さんに聞いたら(病歴は)即答だったよ。ひとりっ子と3人の違いかね。誰が誰やら。
いや全然気にしてないけどね、ほんとに、全然。
「母子手帳に書いてあるだけ、いかろう(いいでしょう)?」
うん、それで充分。

2005年07月30日(土)



 どよー

土用でした。
拙宅にもひとり、平生はうなぎを好ましく思っている者がおります。
しかし朝出がけに、今晩はうなぎにする?(と書くといかにも夫婦の会話風だな)と尋ねましたら、
「いい……(どよーん)」
という返事が返ってきました。
「こういう時に食べてももったいない……食欲が出てきた時にする(どよーん、はぁ……←ため息)」
だそうです。
よって、前日にたくさん作っておいたなすのマリネなどを食べました。マリネといっても、なすを素揚げして、スライスした玉ねぎ(多め)と一緒にただ酢に漬けただけで、調味すらしていません。
特徴は、とにかく、酸っぱい。口がひん曲がりそうなくらい。りー氏の希望によるのですが、いくら味のない(調味しない)ものが好きな私であっても(以下省略)。
あ、酢の味がするのか。

(気持が)復活したら、むなぎとりめせ、ですよ。

その名も『ねこがすき、くまがすき』という絵本があるようです。
内容は知りませんが、題名には深く共感します。リアルくまは「すき」というか時々恐いかも知れませんが、このお話に登場するのはテディベアらしいので、問題(何の?)ありません。

2005年07月28日(木)



 三題

夢をみた。
夢は、ときどき、ちょっとびっくりするような情景の中に私を置く。目が覚めて、どうしようかと思ってしまうような。
と、ひとごとみたいな言い方をしてみる。

ひょんなことから、若者に、配偶者(とは、りー氏)からどんな風に呼ばれているか、と尋ねられた。
何とも呼ばれていないような気がする。
「『おい』とか?」と言われたので、それはないかなあ、と答えると、「亭主関白?」と更に尋ねられたので、それはない、と断言した。
もしそんなことになろうものならひっくり返す、と答えた。
「ひっくり返す」って、何をひっくり返すというのだろうか。ちゃぶ台? りー氏?

先日の上京時に友人のところ(agreable*musee@国立)でオーダーした、出産祝い(生まれてきた女の子に対するお祝い)が届いた。洋服ではないけれど、それに準ずるチクチク(縫い物)系のものである。
当のブツもすばらしいのだが、包装がまたしびれるほどかわいい。そもそも子供服は楽しいものだけれど、女の子モノはまた一段と楽しく、贈りがいがある。
なんて、贈る者が言うか? 言いますとも。

2005年07月27日(水)



 シメ

ヤプース、まだ具合がわるいようだ。

友人(たち)に会えたり、おいしいおみやげ(小玉すいかとわらびもち)をもらったり、他にも、なかなか悪くない1日であったりした。
そんな1日ももうそろそろ終わろうとしている。

縁側のちゃとらが、今までになくだらーんとした感じで寝ている。
あごを上に。
というようなかっこうは、まあ、気を張りまくっているような野良さんなどでは、まずありえないであろう。

やっぱりいい日だ(った)。

2005年07月25日(月)



 梅雨明け

これで心おきなく「夏」と口にすることができます。
と言いつつ、いざ解禁されるとそれはそれで逡巡しそうです。

ヤプースの方にコメントを足そうと思ったのですが、こけているようなので、久々にこちらに書きます。

上京したり奈良に行ったりしていました。
移動中など、小説を中心に何冊か読みましたが、特に印象に残ったのは、文庫で出たばかりの村上春樹『海辺のカフカ』上・下(新潮文庫)です。
景色も見ないで(もったいないねえ)、ずっと読んでいました。

好きとか嫌いとかいうのでなくて、同時代的なたしなみとして、いくつかの村上春樹の小説を読んできました。
猫と、翻訳と、小説についての文章については、ある関心を持って読んでいました。
この作品は、私にとって、へんな客観性などなしに初めて入り込んだ(村上春樹の)小説かも知れません。
例えば「あの場面」を読みながら、ナカタさんの感情がとてもよくわかった。
私は人を殺せない人間だと思っていたけれど、読みながらちょっと驚いていました。自分の中に淡々と暴力的な感情がわき起こってくるのに気づいて(妙な表現だけど)。
もしかしたらその時に激情なんて必要ないのかも知れないなあ、なんて、これだけ書いたら物騒だけど、そういうことではないですね。
今だって殺したくはないし殺すつもりもありません。たぶん。ただ、ある意味、安心もしたのです。自分に。

富山を出るときに、地元の書店であるブックスなか(惜しい!)で上巻を、早稲田駅前の書店で下巻を買いました。
前者はたまたま、後者は、他の場所でだって買えたわけだけど、目的地のひとつでもあったし、せっかくならば、と思い、その場所で買いました。
早稲田の演劇博物館の展示、気になりつつちょっとやめてしまったのだけれど、後で『少年カフカ』を見たら、「甲村記念図書館」に関連して、居心地のよい図書室として挙げられていたではありませんか。惜しい。
演劇博物館には行ったことがありません。私は、J宮文庫をイメージしながら読んでいました。改装して(たぶんもう終了していると思う)からは行っていないのでわかりませんが。

全体として、その時の私のありようが、『海辺のカフカ』という作品の持つ象徴性とうまくシンクロしたのだろうと思います。
猫も出てくるし(結局それかい!)。

『海辺のカフカ』の次には、『スプートニクの恋人』を読みました。
たまたま選んでみたのだけど、さて、そういうチョイスは、どうなんでしょうか。読んでみて、同じラインにあるのかな、という印象を受けました。

2005年07月23日(土)
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