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みんみん



 あの日あの時あの場所で

もしあなた(方)に出会えていなかったら、私はどうなっていただろうか、と、その昔、感謝の意もこめて友人(家族みたいな人)に伝えてみた。
すると友人は「やー、会えなかったら会えなかったで、また別の誰かに会っているわよ」と言った。
そうかな、そういうもんかな、と、その時はちょっと拍子抜けしたような気がしたのだけれど、今は、なるほど、そういうものかも知れないと思う。
私が経験していないことの中に、もしかしたらとってもいいことがあったかも知れないし、すごく嫌なことがあったかも知れない。でもとりあえず経験したことしかわからない。
だから起こったことについてしか思いをめぐらせないし、起こらなかったことについて想像したりもしない。
ミもフタもない。

より楽しいことが起こりそうな方向に向けて、意識のうちに、無意識のうちに、ポテンシャルを高めようとする力は働いているかもだけど。

2005年03月22日(火)



 見知らぬあなたに

この、エンピツというシステムは、リンク元のみリファランスが可能なので(無料版の場合)、見知らぬ方がググったり(あるいは、ヤフったり、msnったり)された跡を知ることが出来ます。
はてなダイアリーでしばしば見かけて面白いと思ったのが、いろいろなキーワードで飛んできた人にレスをしていらっしゃる方があるということ。
私も試しに、今日いらっしゃった見知らぬ方にフォローをしてみたいと思います。

▼ルヴァン+天然酵母+ナチュラルハウス
富ヶ谷の「ルヴァン」のパンを自然食品店「ナチュラルハウス」で買えないだろうか、ということでしょうか。
買えます。お店にもよると思いますが、パンを置いてあるお店なら買えると思います。各店舗に配達される日時を確認して行くとよりよいと思います。
富ヶ谷や調布のあたりに住んでいらっしゃるならぜひルヴァンに行ってみてください。焼き立てはまた格別です。
最近、上田(長野の)に支店が出来たので、ドライブがてら行ってみたいと思っているところです。古い蔵を改造した、趣のあるお店とのこと。

▼野村正育
ははは、さわやかですよね。
8時半のニュース時代担当から好感を持っていました(好きなタイプかというとまた別なんですが)。
そういえば昔は8時半のニュースって、「おはよう日本」とは別のアナウンサーが読んでいらっしゃったのに、今は「おはよう日本」の高橋美鈴さんが担当されていますね。

▼あんばやし
こんにゃくを薄く切って串に刺し、茹でて味噌をつけた一種のおでんです。
これを富山では「あんばやし」という。
祭りなどのイベントで、ルーレットを回して出た数だけもらえる、というのが定番です。富山最大のイベント(と言ってしまおう)山王まつりでももちろん出店。

▼こぐれひでこ
このキーワードでいらっしゃる方は多いのですが(たぶん一番多いかも)、ここに書いてあるのはお知りになりたい情報とは違うかも知れません。cafeglobeの「ごはん日記」あたりご覧になった方がお早いかと(もうチェック済みかな)。
余談ながらこの「ごはん日記」、毎日見ているとそちらの業界の人間関係というものを期せずして知ることにもなります。伊島薫、小池玉緒(人形劇「三国志」のテーマを歌ってましたな)と離婚して安野ともこと再婚してたのか!とか。
伊島さんが撮った小池さんの妊婦ヌードというのがすごく印象にあったので、驚きました。世の中とは変わりゆくものよ。

▼猫のお茶会+白泉
お探しなのは、猫十字社『小さなお茶会』ですねっ!(鼻息荒し)
白泉社版は絶版になっているらしいのですが、調査によれば扶桑社から出ているようです。
読みたい!買いに行こう!
# 高校生の時は『黒のもんもん組』を読んでおりました。実家のどこかにあるはず。

あんまり役に立ってませんね。
『小さなお茶会』は役に立ったかな。少なくとも私には役に立ちました。
ありがとう。>見知らぬ方

って本当に見知らぬ方なのか、確証はないわけですが。

2005年03月14日(月)



 法事雑感

実家で法事がありました。
祖父(父の父)の五十回忌法要です。五十年ともなれば、これはおめでたい行事となります。
しかし親の五十回忌を執り行う子(とは、父ですが)の気持とはどのようなものであろうか。いろいろな感情を殺して、もしかしたら、押し殺すという自覚さえもいつの間にか消して生きてこなくてはならなかったかも知れない。まして昔の田舎の話。
たかだか、とここでは敢えて言おう、還暦過ぎた程の年齢で五十回忌を迎えた人を見て、写真でしか知らない亡き人のことではなく、してもらったことよりもしてあげる(やる)ことの方が多い人生について考えました。

下の弟は仕事が休めず欠席でしたが、上の弟は一家で来ていました。
甥っ子は水ぼうそうに罹っていたとのことで、短いズボンからのぞく足にぽつぽつとあるのがちょっと痛々しい。でももうかさぶたになっています。
読経が始まる前にお出ししたお茶は、ばたばたする中で上の弟が入れてくれたものでした。
「(お茶の葉は)どれくらい入れたらいいかな」と言ってはいたものの、基本的にかなりラフな感じで、もうちょっと気にしてもいいのではというくらいに淡々とした入れ方でした。でも出す時に試しに飲んでみたらとても美味しく入っていました。「いつもやかんでざーっと入れているだけ」と弟は言っていたけれど。
すごい美味しかったよ、と素直に思って言えるようになっています。

長い読経は子供にとってはつまらないもので、その通り「つまらない」と甥っ子は言っていたけれど、母である義妹は「えらかったね」と褒めました。
すると甥は、別にいいことをしたわけでもないのに(むしろ、いい子じゃなかったかも知れないのに)褒めるなんて変だ! となかなか込み入った拗ね方をするのです。君もナンギやのう。
「こういう時、どう言えばいいんですかね……」と義妹が言うので、私に子はいないが想像してみました。
H(甥)は自分ではいい子じゃなかったなって思ったんだね、でもお母さんはえらいなって思ったんだよ、って、あなたの気持はわかったよ、って受けた上で、でもお母さんはこう思ったんだよ、って言えばいいのでとはないか。たとえ思うところが違っていたとしても、叱るわけじゃなくて褒めたいことなんだし。ま、他人だから冷静ぶってもっともらしく言ってみたりするんだけれども。
ってどうですかセンセイ。
「それでいいんじゃない?」と保育士(かつ孫には祖母)の返事。

今回は浄土三部経(無量寿経・観無量寿経・阿弥陀経)が唱えられていました。こういうのはただ拝聴しているよりむにゃむにゃ言っている方がずっと退屈しないものです。りー母さんの父さんの五十回忌の時には一部皆で唱えました(ちなみに宗派は曹洞宗)。テキスト買おう(そもそも、意味もわからずに聞いているというのがムズムズする)。しかも幸いりー実家は浄土宗。
信心ぶかい方だとは思いますが、特定の宗教がどうこうというものではありません。信仰とはまた別の志向がはたらいています。

場所を移して、食事会の時に、大好きな『ぐるんぱのようちえん』(福音館書店)を甥にプレゼントしました。
最初彼はこの絵本が気に入らず、「つまらない」とさえ言ったのでかなりマジでむかついたのですが(おい)、その後読んでもらったところ「おもしろかった」とのこと。そうだろそうだろ。
どちらかというと、絵本とは、あれもこれもではなく1冊ずつ適宜みっちりつきあって欲しいのですが、今はたまにしか会えないから、会う時に1冊、というインターバルでいいあんばいなのかも知れません。

父か母、あるいはその両方を亡くしている、と聞くと、その人は私の経験したことのない強い何かを経験したのだと思い、それだけで何か後ずさりしてしまうような(妙な表現ですが)、そういう気持になってしまうのです。私だってまさか、親がいなければ生きて行かれないとも思わないけれども、でも。
お金を出してくれるか時間を割いてくれる人の言うことしか聞かない、と、かつて、悪態をついていたこともありました。
じゃあ本当に言うことを聞くのか?というと、えへへ、ですが。

2005年03月12日(土)



 紙を食べる

シュレッダーを買った。
といってもごく最近に買ったわけではなくて、多分、年末年始あたりに買ったのだったと思う。
時々思い出して使う。常に使っているというわけでないのは、一定時間(私には決して長くないように思われる)稼働させると自動的に電源が切れてしまうからである。シュレッダーにかけなくてはならない紙はまだあるのに、クールダウンするのを待っている間に違うことをし出したりするのだ。
いろいろなシュレッダーを使ったことがあるわけではないから他のについてはよくわからないが、拙宅のシュレッダーはめりめりと音を立てて紙を巻きこんでゆく。ヤギが紙を食べているところを見たことはないけれど、めりめりという音を聞いていると、紙を食べる音というのもこんな感じなんだろうかと思ったりする。
この音は適当に魅惑的らしく、りー氏もやらせてくれと言ってきたことがある。しばらく紙を食べさせた後に「飽きた」と言ってやめて行った。



▼多和田葉子『エクソフォニー 母語の外へ出る旅』(岩波書店、2003)

多和田葉子の小説は(日本での)デビュー以来のご無沙汰なのだが、久々に読んでみようかという気になった。もっともこれは小説ではない。
母語の外に出ることはないが、現代語の外には時々出る。そういう意味で共感をもって読んでいる。若者へ勧める本としても適切かも。

(そもそも、母語であるから読めて書けて*わかっている*のだと思う方が錯覚なのだけれども、まずは)母語でないという自覚があれば、差異に対して謙虚でいられるかも知れないし、違和感について考えるきっかけにはなるかも知れない。

2005年03月10日(木)



 クイズではない

午前中、携帯電話がブルブルと震えました。
母からです。

もしもし。
「あ、みんみん? お母さんだけど、前に一緒に洋服買いに行った時にあなたが『おいしいよ』って言ってたお菓子ってなんて名前だっけ?」

……一緒に洋服を買いに行ったことは多々ありますのでこれだけではわかりません。
が、母はこれでわかると思っているところがキモです。

……どんなん?

「細長くて切って食べるやつ」

最近食べた「細長くて切って食べるお菓子」と言えばくるみそばですが、これは到来物なので買ってはいません。
(注:「くるみそば」については、fbwmの当該項「2005.02.15 Tuesday 19:55:13 くるみそば」をご覧ください。直接リンクでなくてお手数かけます。)

……どこに行った時の?

「名鉄で」

富山で「名鉄」というと普通は「名鉄トヤマホテル」のことを指します。
が、名鉄トヤマホテルにブティックはない。

ここで、もしかして母の言う「名鉄」とは金沢の名鉄丸越のことかと思い至ります。
(一般的でない呼称を用いないでくれ!)
そしてすばやく一昨年の秋の記憶を巻き戻します。

答え:松葉屋の「月よみ山路」(の栗のほう)。

最初の質問だけじゃ絶対わからんて。

こういう根気強いやりとりの繰り返しこそが、国語力アップへの第一歩だろうと思います(うそ、でもちょっと本当)。

2005年03月06日(日)



 なんのための

意味ナシ、とまでは言いませんが。


丸1ヶ月、こちらを書きませんでした。最長記録ではなかろうか。
では忙しかったのかというとそんなことはなく、言うなれば思考停止状態だったのかも。思考を停止させながらしかるべき業務を行い、一方で小説を読みまくっていました。


市報が来ました。
この春、私の住む富山市は4町2村と合併するのですが、それに伴ういろいろなお知らせが記してありました。
合併後の地名については、富山市はそのままですが、原則として、

上新川郡大沢野町高内→富山市高内
上新川郡大山町上滝 →富山市上滝
婦負郡八尾町福島  →富山市八尾町福島
婦負郡婦中町速星  →富山市婦中町速星
婦負郡山田村湯   →富山市山田湯
婦負郡細入村楡原  →富山市楡原

といった具合になるそうです(例は『広報とやま』2005年2月20日号より引用)。

婦負郡(「ねいぐん」と読みます)という地名は消えます。「婦負」、もともとは「めひ(の野)」と言い、『万葉集』にも読まれた地名です。「富山」なんていう地名よりずっとずっと歴史は古い。
婦負郡の真ん中で「婦中」町なんていう言い方が既にだっさいのですが(まあでもありがちという点で納得。婦負郡の真ん中ってことで)、地名変更によってなぜ「婦」なのかはとっさにはわからなくなるということです。
ま、大森区と蒲田区で大田区、粕壁が春日部、パターンですか。
# その後、旧町名が復活したところもありますね。

ちなみに春以降も「〜町」を名乗る2つの町は、いずれも、合併に際しすったもんだがあった自治体です。町長(と議会の一部)は合併ハンタイだったのに、(議会の一部と)町民の意向は合併サンセイだった八尾町と、町の意向はサンセイだったのに町民はハンタイだった婦中町と。
しかも八尾町の方は、昨年行われた町長選で選挙違反があったことが最近判明(現町長側が違反)。本来なら選挙そのものが無効となったかも知れない、でもうまい具合にタイムアウト。
だっさいですね。

「だっさい」なんて一言で片づけてはいけないのですが(これで3回も使っちゃったけど)、でもやっぱりださい(あ4回目だ)ので覚え書きとします。

2005年03月01日(火)
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