days;flower-bird-wind-moon
みんみん



 音楽を聴く

大貫妙子さん(さん、と付けたい)のライブに行った。単独ライブではなくて、Saigenjiさんというアーティストが前半を担当し、後半に出演された。バックは、ピアノ:フェビアン・レザ・パネ、ベース:吉野弘志、ドラム:林立夫、という素晴らしいメンバー。
中学生の頃からずっと、もちろん同世代ではないが(今年で音楽生活30周年なんだそうな)、ある共感を持って聴いてきた人なので、感慨深かった。しかも東京でなくて富山で聴けるとは。

なんかいろいろ書こうとも思ったけれど、蛇足のような気がしてくる。

その人と音楽は、何ら想像と違うことがなく、想像以上に素晴らしかった。席が1列目、中央から2席ほどずれたところだったこともあり、歌(声)の繊細さが特に実感できた。ありがたい。
会場にはSaigenjiさんのファンもいたと思うけれども(若者とか。ファンの雰囲気がアーティストによっても違うのは面白い)、大貫さんの歌を聴きながら、拍手をしながら、なんというか、これまでそれぞれに聴いてきた時間と今この時間とを共有していると思い、非常にあたたかい感じをもった。

最後に花束をお渡して握手をしてもらう。ぽー。

ライブでは、アコースティックな編成に合う曲をいろいろと、それから荒井(松任谷)由実の「私のフランソワーズ」が歌われたのだけれど、ピアノのイントロを聴いた時点で既に大貫妙子じゃなくてユーミン(の曲)で、当たり前といえば当たり前なのかも知れないけれど、非常に衝撃を受けた(反対に、イントロで既に大貫妙子、とも言えた)。あれは、なんなんだろう。


ライブの後、チケットを取ってくれたMさんや、犬カフェのオーナーIさんなど、なじみだったり久しぶりだったりする皆さんたちとごはんを食べた。楽しく美味しかった。

帰ってきたらりー氏は寝ていた(25時過ぎてたしね)。

2004年03月31日(水)



 3月最後の週末

土曜日。
午後、金沢で研究会。
終了後、お蕎麦屋さんで懇親会。いつものお店が今日は予約済みで一杯のため、初めてのお店に行く。学生のコンパのようにぎゅうぎゅう詰めになって座る。
ほたるいか・うど・わけぎのぬた、お造り盛り合わせ、はたはたとかれいの干物、うなぎと蕎麦米の蒸し物、と、りー氏が好きそうな品が次々と出る。蕎麦寿司が出てしめの蕎麦が美味しかった。蕎麦湯が濃いともっとよかったかも。
場所を変えて2次会。話したり(この時点で声ガラガラ)歌ったりした(さらにガラガラ)。
カラオケはメンバーによって選曲がいろいろで面白い。今日はまた一段と知っている曲・知らない曲・曲とはいえないもの(「トリビアの泉」ネタに反応して、般若心経を入れた人がいたので)バラエティに富んでいて楽しかった。
なんというか、もちはもち屋、という感じで励まされる。



日曜日。
午前中、母に誘われて実家の方の茶会に出席。
母は娘時代にお茶をたしなんでいたが、私は全く心得がない。でも面白がって機会があると行っている。
胸の豊かな人は着付に心配りをしないと、とてもだらしない感じになってしまうということがわかった。自前では買えず、着られもしない者が言うのだからちゃんちゃらおかしい。

その後微妙に時間があったので、甥の入園祝いを買いに行き、そのまま渡しに行った。ちょうど義妹のお母さんがお手伝いに来ていらっしゃった。
選んだのは緑と紺のタータンチェックのレインコート(小バック付き)。むふー、と思いつつ、本人はキャラクターものがいいんだろうなあと思う。そういえば私のレインコートも緑と紺のタータンチェックだったと今思い出した。
保育園は、その後当初希望していたところに入ることが出来たようだ。よかった。

昼、ボディトリートメントの練習をしている友人@歯科事務兼リフレクソロジストの練習台となる。

昼過ぎ、いったん帰宅し、珍しくりー氏と一緒に出かける。
街なかの施設でアートマーケットなるイベントおよびその他があり、行ってみたらどうしたのかと思うほどの人出があった。いつも似たような服を着て似たようなつきあいしかしていないので、たまにおしゃれ人(と仮に呼ぶ)の集団に会うと気恥ずかしさを感ずる。高校を出てしばらくここにいなかった、という事実が私を(いまだ)浮遊霊のようにしているのかも知れない。一方で自縛霊でもあるだろうに。
どこかで見たことがあるようなないようなでもないのかもしれないような顔など。

夕方、お通夜に行く。
昨日、りー父さん方の親戚が亡くなった。りー父さん方の親戚とは殆どつきあいがないのだが(結婚式も家族だけだったから、お祝いとお礼のやりとりはあったけれども実際にお目にかかったことはない)、亡くなった人の家とは行き来があり、私も面識があった。
りー父さんのお姉さん夫婦に初めて会う。お通夜の後、お弔いの食事をして、りー父母を送って帰る。
「砂の女」にツッコミを入れつつうどんなど。父ちゃーん、でいきなり「中居君」に戻ったのがおかしかった。
テレビをつけっぱなしにしたまま眠る。

2004年03月28日(日)



 テレビの話、その他

パチンコ屋さんには行ったことがないんだけど、これはちょっとやってみたい。



子供の頃、富山ではTBS系が放送されていなかった。つまり「8時だよ!全員集合」(や「ザ・ベストテン」)を観ないで来たわけである。
なので、このたびの長さん逝去ニュースにもいまひとつ乗り切れていない気がする。年齢的にはドリフ世代であるはずなのに、影響が弱いといおうか。
それよりは「ひょうきん族」なのか。ちょっと背伸びしていたというか、素直にバカバカしさを発揮できない子だったような気もしている。
子供の頃より、今の私の方が百倍バカバカしいと思う。オクテなんです。



「おはよう日本」@NHKの男性キャスター、春からは野村正育さんに変わるようだ。
野村さん、大阪から再び東京に帰っていらしたと思ったらいきなり「生活ほっとモーニング」に登場されたのだった。報道畑のイメージがあるだけにぎこちなさに時折ハラハラしたけれど(そこがまた楽しかったりもするわけですが)、一所懸命さに好感をもっていた。なんといってもかつて8時半のニュースを担当されていた頃、直前の朝ドラの、その日のストーリー展開によって顔つきがほころんだりしゅんとなったりしていた人である。
現在担当している三宅民夫さんもたのしい感じでなかなかいいと思う。女性キャスターの高橋美鈴さんが線の細い印象(りー氏曰く「幸薄い感じ」)の人だけに。



居間のテーブルの上に置かれた本やら雑誌やらがいよいよ山積みになってきた。
とりあえず、りー氏の山と私の山と処分用の山とに分けた。根本的な解決には何らなっていないが、分別は整理の重要な第一歩である。
山は3つに分かれた。しかしそれぞれ全く低くはない。それ以前がどんな状態だったのか、考えるだに恐ろしい。山だったのではなく、テーブルの上が全体的に高地だったのかも知れない。


その中に『ソトコト』4月号を2冊見つけた。私は買っていない。
鼻息荒めに早速メールを打つ。

subject:あのー。
ソトコトの今月号がだぶっているんですが。
1冊Tさんにあげてもいい?
ていうかあげるね。

あれやこれやしているうちに返事が来た。

「もちろんそのつもりで買ってきたものです。」


というわけでTさんに進呈しました。
めでたしめでたし。

2004年03月23日(火)



 先輩

というのはありがたいものです。
というコトバが自然と発せられるようになりました。

さて、先輩といってもその分野は諸方面にわたります。
先日、負け/勝ち猫というのはいるのか?という疑問を提出していたところ、猫(に関する方面)の先輩が「ある」と教えて下さいました(先輩には敬語)。

たしかに、猫の縄張り争いというのは見ていてハラハラします。
猫の生態の中でも、あれ(だけ)はどうも違和感があります。
なんて、都合のいい言いぐさです。

2004年03月22日(月)



 竜頭蛇尾

勝ったり負けたりする存在としての犬あるいは猫、の可能性あるいは不可能性について。



「負け犬」と「勝ち犬」の話再び。
ただし本題とは違った感じで。

『広辞苑』に「負け犬」の立項はあるが、「勝ち犬」はない。
「負け犬」はいったいいつ頃から使われているのか。いつもの如く『日本国語大辞典』(第二版)の用例を見ると、いちばんはじめに、

*負け犬(1946)〈荒正人〉「べつのことばでいへば、負け犬(アンダ・ドッグ)になったのである」

とある。日国は、確認しうる限り古い用例を載せるというのが方針だから、一応これが初出ということにしてよい(もちろんそれより古い例を見つけるなんてことも当然ある。辞書は絶対ではないので)。わりと新しい言葉なんですね。1946年を新しいとみなすか否か、というところに人それぞれの立場が出ると思うが、いずれにせよ長い歴史を持つ言葉ではない。
「(アンダ・ドッグ)」というのはルビだろうか。「負け犬」はunderdogという英語から派生して出来たのだろうか。さらにここでOEDをひけばいいのか。
ちなみにunderdogの対義語はtopdogである(自由が丘にtopdogというホットドッグ屋があるなあ>余談)。「勝ち」「負け」どちらもあるようだ。どちらが早い言葉なのだろう。一方が早くて、どちらかは派生して後づけなんじゃないかという気もするが(印象、であって根拠なし)どうだろう。これもまたOEDが気になる話だ。


実は問題となるべきは「負け犬」という語ではななくて、〈勝ったり負けたりする存在としての犬〉である。がしかしそれは辞書をひいてはいおわりというわけにもいかないので、ここでおしまい。>おしまいかよ!


この問題は「負け犬・勝ち犬という語はあるのに、負け猫・勝ち猫という語はないのはなぜか」という疑問が某所で出されていたことに端を発する。もっともな問いである。
犬はしっぽを巻いて逃げる、というのは本当なのだろうか? しゅんとなったりするのだろうか?
うちの縁側に来る猫たちを見ていると、弱い猫ほど身体を大きく見せようと威嚇して大変そうだ。威嚇するか、でなければ一目散に逃げるか。ワタシマケマシタワというような状態をあからさまに見ることはない。しっぽが太くなることはあるが、あれは負けたというより単にびっくりしているように思うし(びっくりしたもん負けという考えもあるが)。勝ち負けというのが猫にそぐわない気がしてならないのだけれど、どうでしょう。>その道の諸先輩方

剛田(うちに来る茶トラの猫)を見ていると、強いとか弱いとかってなに?って思ってしまうのだ。
「気まぐれ」などというのとはまた違う意味合いで、猫の性質が好きなのかも知れない。ひねりの入った素直さが。ちょっとわかりやすくひねくれている人とスナオに付き合うというのが、実は好きだったりするので。

こんなオチになるとは自分でも思っていませんでした。

2004年03月20日(土)



 よかったね

実家へ。弟一家とは入れ違いだったようだ。

甥はカ行の発音が出来なかったのだけれど、今日出来るようになったらしい。おめでとう。
みんな喜んだ。本人も。

このたびの引越しに際し、母子でとある保育園に面接に行ったら、発音のことを指摘されたらしい。病院かどこかで診てもらえば、と。なるほどそれは、一面その通りなのだろう。
しかし、面接で来た初対面の母子に対して言う言葉だろうか、と疑問に思った。話を聞いた母も同じ印象を持ったらしい(慣れた頃に機会を見て、ということはあるだろう)。
いろいろな父兄がいるのでいろいろ面倒くさいですね(笑)。


のいをけしかけて遊んだ。
足音も立てずに一瞬のうちに階段を下りるなんて、すごいねえ、のいは!>猫バカ

2004年03月17日(水)



 取説/ボディトリートメント

そういえば例のあひる(i-Duck)ですが、こんな取説が入っていました。
以下引用。

i-Duck 内容物一覧と使用方法
●中身
 以下のものが全て揃っているか、御確認下さい。
 足りないときや破損しているときは、お手数ですが下記まで
 お問い合わせ下さい。

1.あひるちゃん
2.USBメモリ16MB
3.USBケーブル
4.Win98用ドライバ
5.両面テープ

●使用方法
 パソコンのUSBポートの向きに合わせ、あひるちゃんとUSBメモリを両面テープで固定します。
 USBケーブルは必要に応じてお使い下さい。

●付属ドライバについて
(以下略)



リフレクソロジストの友人が、ボディトリートメントの勉強も始めたので、少し前から練習台になっています。
先回までは背中の練習台になっていましたが、今日からは足(裏面と表面)の練習が加わりました。
高校生時分から肩凝り持ちな私(視力悪い・なで肩・首長い・頭大きい、とファクター満載)と違って、りー氏は「凝る」ということが殆どなかったようです。しかしここ数日身体じゅうが痛い痛いと言っています。今日も、だりー、と言いながら帰ってきたので、少しばかりマッサージをしてあげました。門前の小僧です。

み:Kさん(=友人)に、りーが最近身体凝ってるらしくて、って言ったら「(トリートメント)やりますよ〜」だって。
り:「マジ? パンツ脱がんならん?(=脱がなくてはいけないの?)」

パンツははいたままでいいです。

2004年03月14日(日)



 ことばあれこれ

その1。
若者のあいだでさ入れ表現(ex.休ま*さ*せていただきます)が使われている、としばしば話題になります。
今日、とあるお寺でとある方の追善行事がありました。その折にご住職が挨拶なさったのですが、その際に、しばしばさ入れ表現を伴った「〜させていだたく」という言い方を多用されていて、非常に気になりました。
これは今風の言い方というよりも(それも皆無とは言えないかもしれないけれど)「おかげさま」とか「〜させていただく」とかいった仏教的な心(……えらく概略化した言い方をしていますが)に起因するのでしょうか。

「〜させていただく」「おかげさま」という心については私も深く同意するものです。
それはそれとして、私自身は「〜させていただく」という言い方があまり好きではありません。全く好みの問題なのですが、「〜させていただく」という言い方は、謙遜しているようでいてどこか不遜な気がしてならないからです。「〜したい」のはその人の意志で、させていただくも何も、どうせなら堂々とやれよ、慇懃なオブラートに自分の意志(というふてぶてしさ)を包み隠してよしとするなよ、と思ってしまうのです。
……なんて言いつつ、ある種の場面において無難な言い方になっていることも確かゆえ、使う時もあるのですが。>弱ぇー


その2。
とある知り合い(私より3歳くらい年下だと思う)の話なのですが、平板化アクセントが非常に多いという方があります。きれいなおねえさんがいる銀座の「クラブ」と、若者が踊りに行ったりする「クラブ」ではアクセントが異なりますが、後者の方のアクセントを「平板化」しているといいます。
ある人にとって身近であったり詳しかったりする分野に関する語彙のアクセントは、一般に平板化する傾向にあります。なのでこれを「専門家アクセント」とも言います。私だって平板化しまくっている語彙はあります。あります。ありますよ。でもそれは私にとって身近な語彙であるという自覚もあるのです。
なんでもかんでも最初から平板化するなー。と言いたいのですが、言えません。>大きなお世話


正しいにほんごなんてのは制度でしかないのだけれども、まあそれはそれとしていろいろ使えた方がカッコよくない?(半疑問形でここはひとつ)
とかね。

2004年03月13日(土)



 お泊まり

*12日(金)
ぴょんちゃんちに泊まりに行った。

友達の家に泊まったことはもちろんある。でも富山の友人宅で泊まったことはなかったので(泊まっていった人はある。雑魚寝だけど)、非常に新鮮だった。とてもうれしかった。
ついでに、女友達と泊まりがけの旅行をしたのもぴょんちゃんが初めてである。

もっと早くにクリアしておくべきことなのかも知れないが、オクテだったのだ。


*13日(土)
ひとばん泊まって起きたらまた一緒に旅行に行きたいと思った。ありがとう。

帰ってきたらりー氏@休日出勤直前が「おふとん敷いておいてあげたよー」と言った。ものは言いよう。

2004年03月12日(金)



 望ましい客

レストランに入った時の座席について。
座敷の間で床の間を背にして座るように年配の男性は奥の席に着き、年少の女性が手前に座る、ということであってはいけないようです。
ドレスアップした女性が奥に座る。その姿を店内の皆が認めることができるように。
女は飾りかよ、というツッコミはさておき、美しいものごとひとを眺めるのはいいものです。


近所のカフェに行って、いつものようにカウンターのいちばん壁際、端っこに座りました。反対側の端には男性の先客(たまに見かけるが、しゃべったことはない)がいました。
その後、どういうタイミングだったのかわからないけれど、立て続けに3人の男性客がカウンターの隙間を埋めるように座りました。つまり、ほぼ男性客が屏風のようにカウンターに張り付いているという状況ができあがったというわけです。しかも皆さんお仕事帰りだったりするような年齢の方々で、フレッシュではない(失礼)。
その後お店に入ってきた女性客の皆さんはどう思われたか。私ならちょっとギョッとすると思う。テーブル席は空いているのだし。

自分はその端に座っているわけですが。

2004年03月11日(木)



 ひな祭り

掲示板(青バラ)に、

ひな祭りなので実家のおひなさまにご対面しようと思ったらお座敷にはいらっしゃいませんでした。
うーん大変なのはよーくわかるけど母にしては意外か。
ちょっとショック
後日ご尊顔だけでも拝見させていただこう。


と書いた。
しかし書いた後で思った。なんと娘じみた、子供じみた感情かと。



祖母がお試しショートステイに行った。
9時過ぎに施設から送迎のバスが来るというので、時間を合わせて実家に行った。バスに向かって手を振る。よそのおばあちゃんたちも手を振ってくれた。いい感じ。
だんだん新しいことがおっくうになって、人見知りをする人も少なくないのかも知れないが、祖母は拘りがない。それは祖母のいいところだと思う。
自分に都合よく考えるというのは老けない秘訣かもしれない。くよくよ考えないということで。
16時頃、再び実家に行くと祖母は既に帰ってきていた。
どうだった、と聞くと、「楽しかったよ」とのこと。いろいろな人がいるだろうし、行くことで老け込んでいやな気持になるようだったら考えた方がいいと思うが、本当に楽しかったようだ。何人か知り合いにも会ったとか。
そのうちの1人、近所のMさんは痴呆がすすんでいる。そのことは祖母も知っていたようだ。もう表情がなくなってしまっているその人に、「Mさんですか」と尋ねると、祖母と認めたMさんの顔がにっこりと、ぱっと明るくなったらしい。あれー、このっさん(=この人)のこんな顔初めて見たわ、と周囲の人には言われたそうだ。
施設の人もとても親切だったと言っていた。確かに、そういった場所には年寄りも多いが若いスタッフも多い。若い人たちの声やきびきびとした動きを見ているのは悪くないのではと思ったのだ(と言ったら祖母も同意した)。

すっかり気に入ってしまった祖母は、施設の人にも、これから毎週水曜日に行きたい、というようなことを言った様子だ。しかし今後行くとなると諸手続が必要になる。それに、今日は昼食代とおやつ代の580円でお風呂に入れてもらったりいろいろできたかも知れないが、本当はそれなりお金が動くことだ。出かけると言ってもいまの状態では祖母がひとりでさっと出かけられるわけではなく、誰かが室内飼いののい対策をしないと家からは出られない(のいは祖母がどうこうするには動きが素早すぎる)。
行く前は渋っていたのに、気に入ったとなると水曜日に来たい、と*自己都合で勝手に*決めるなんてずいぶん調子がいいというか、ちゃっかりしている、といって父にはカチンと来るらしい。それもわかる。
年を取るとだんだん自分に都合良くなっていくのか? いや性格的なものもあるだろう。祖母は足腰こそ弱っているけれど内臓と頭はしっかりしているから、父にも言い返す。それがまた父にはムッと来ることがある。
もちろん祖母の気持もわかる。祖母の自覚には上っていないような気持も想像する。とりあえず、580円しかかかってないってわけじゃないんだよー、とは言っておこう(もちろん、ケチとかそういうことじゃないよ)。

たった1回の体験ことではあるけれど、祖母もさることながら、関わる側の家族としても思ったことがあった。
たぶん○○だろう、○○だったはず、とか、誰かがやってくれるだろう、とか、そういう思いこみを確定事項にしてはいけない。言い出したことは確実にやらなくてはいけない。思いつきで出来ないことを言わない。
というようなことは他の家族とも確認しておかなくてはならないだろう。



実家で。
ノートパソコンを広げたまましばらく席をはずしていた。もしかしてー、と思いながら戻ると、のいがどっかと座っていた。IEの窓がいっぱい開いていた。そこはーだめですー、と言いながら茶色を動かした。
キーボードがロックされてしまったらしく入力が出来ない。どうやって直すんだ?
そのまま放って出てきてしまった。るるるー。

しかし眠そうなのいの顔といったら本当にじじむさい。



晩ご飯。
ひな祭りというとちらし寿司なのだが、しいたけやかんぴょうを戻して煮たり酢ばすを作ったり、というようなことは失礼させていただき、すし飯を作って薬味的なもの(ちりめんじゃこ・みょうが・青じそ・金ごま)をいろいろ混ぜて錦糸卵をちらす、というのにした。混ぜたものがものだけに、春というよりは初夏の食べ物のようになってしまったが。
他に、はまぐりと菜の花のお吸い物(昆布の味が勝ってしまった)・はまぐりの酒蒸し・ホタルイカとねぎのぬた・菜の花のおひたし・即席漬け2種など。
りー氏は夜甘い物を食べない(休日の午前中などに食べる)。道明寺とか買ってきても食べないだろうとふんで、デザートはいちご。
売っていたはまぐりは中国産だった。15個、パック詰めされていて、塩水にいれても全然動いた気配がなかったのだが、いったん外に上げておいたら、でろー、といろいろ出していた。そういうことをされるとちょっとやりにくいんですが。
食後に私のみ祖母にもらったひなあられ(ショートステイで出たおやつ)を食べる。

2004年03月03日(水)



 そばがき/あひる

三月である。
玄関先に植えてあるイタリアンパセリは、冬の間もほとんど枯れなかった。


今日のおやつ。簡単そばがき。
つくりかた。
1.そば粉と水を混ぜる。量も割合は好みだが1:1〜2程度か、ホットケーキの種を目安にするといいかも。
2.1をぐるぐるとかき混ぜ、ラップをしてレンジでチンしてできあがり。お好みでめんつゆと共に。

普通はお湯や水と共に練って加熱していくらしいが、レンジでも案外いける。インチキながら、そば切りなんてしゃらくせえと言わんばかりの、穀物としてのそばの風味を楽しめる。ざー(粉を入れる)、じゃー(水を注ぐ)、ぐるぐる(かきまぜる)、しゃっ(ラップをかける)、ちん(レンジをかける)、で、計2分くらいだろうか。きれいに作りたいならラップで茶巾絞り風にすればよい。私はデュラレックスのグラスでがさつに作った。
めんつゆの他、試してはいないが、あんこやきなこ、黒蜜などとも合うのではないかと思う。


夜、へろへろになって帰宅したりー氏。遅い晩ご飯を取りながら、
「あのあひるって16Mだっけ?」
と突然言う。あひるとはこれ(某所で話題沸騰の品)。
http://www.solidalliance.com/press/press.html#0301
「assist on(http://www.assiston.co.jp/)あたりで扱いそうだけど。また買っといて」
と言っていたが、待ちきれなかったのか、食べ終わると早速購入していた(黄色いの)。
もちろんりー氏が使うのである。

必要があって、私のPCのデータを別のPCに移した。
それなり時間をかけて作ったデータ(仕事で使うのはテキストファイルを基本に、一太郎、Word、たまーーにExcel)よりも、一瞬のパチリ(jpg)の方が転送にも時間がかかる、ということを改めて確認する。まあわかるけどよう、という気持。
今のところ、特別なことでもない限り、私の1年の仕事なんてあひる1羽に収まってしまうだろう。年毎の仕事の成果をあひる1羽ずつに移して並べておくというのも自虐的でいいかも。

2004年03月01日(月)
初日 最新 目次 MAIL HOME