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みんみん



 じいちゃんばあちゃん

犬カフェ(仮)に行きました。
犬カフェには猫もいます(なので「猫カフェ」と呼ぶ人もあるようです)。離れの席に座っていたら、猫が来ました。
ルークという名前のこの猫は15歳です。猫は1年で人間の18歳ほどにまで成長し、その後は1年で人間の4歳ぶんずつ年をとると言われています(いろいろな計算式があると思います)。なので人間でいうと80歳を越えている計算になります。立派なおじいさん。ちなみにのいは人間でいうと20歳くらいになります。じいちゃんと孫ですね。
体臭も異なっているようです。年齢だけでなく外に出歩いているか否かにもよるかも知れません(あと、のいは毛づくろいが上手なのです)。じいちゃんはだいぶ歯が弱ってきているらしい匂いがします。でも食欲はばっちりあるらしく、犬のぶんまで食べようとするとか。

実家の祖母は大正8年(1919)生まれ、先日84歳になりました。さすがに身体の動きは緩やかになってきましたが、痴呆もなく、縫い物や編み物などを楽しんでいます。そして何より健康的にしっかり食べます。時々電車で出かけるととんかつなどを買って帰ってくるほど。
若いときは苦労をした人ですが、今は本当に楽しそうです。帳尻というのは合うように出来ているのです。きっと。

ばあちゃんに若い頃があったように、ルークにも若い頃があり、そしてのいもいつかじいちゃん猫になり、私もばあちゃんになるのですなあ(じ、と書きかけたが、それはないと思う)。

2003年10月29日(水)



 かにとねこ

1ぱい100円のかにを3ばいもらった。
お味は1ぱい100円なりの味。1ぱいずつ食べた。
残りは明晩かに汁にしよう。



ねこばな。

朝、縁側を網戸にしていた。
何か気配を感じたのでふと見ると、黒白猫(ピンクのノミ取り首輪をつけている)が座っており、にゃー、と言ったような気がした。
お、ごはんでも食べてゆかれますか。戸のすぐ近くにエサが置いてあったので、においにつられてやってきたのかも知れない。近づくとにゃーではなくしゃーと言った。そんなつれない。

実家に行ったら黒ちゃんの話になった。
黒ちゃんはお隣りのMさんちでごはんをもらっている野良の黒猫だ。黒い毛色がなかなかシャープだが、押しが弱く、時々他の猫に追いかけられていたりする。野良猫にしては目つきが険しくない。
「S(地名。計ったことはないが、実家から3kmは離れていると思われる)に黒ちゃんのことを欲しいっていう人がいて、えさ付きでもらわれていったんよ」と母。
へー。
「でも帰ってきてしまったんだって」
そりゃ外に出してたらそんなこともあろうかね。でもなんで帰ってきてしまったんだろう。
「やっぱり慣れた場所がよかったんじゃない。猫は捨てに行っても戻ってくるっていうからね。Mさん、『またえさ買って来んならん』って言ってたよ」
猫捨てるなー(そういう話ではない)。

捨てられるということに関しては、のいの方が知っているのかも知れない。
散歩中、道に迷っただけかも知れないけれど。

「あんな黒い猫がいいっていう人もおるんかー」と父が言った。いや、黒猫好きな人というのはいるよ。
それに黒ちゃん性格いいもんー、と母と私。そこを横切る茶トラ。よその猫の話をしているというのが気配でわかるのだろうか。あっちに行ってしまった。
のいはかわいいけどワガママかね。

あっちに行ったままだ。

のいはかわいいよー

と、「あっち」に向かって叫んでおいた。

あとでかににつられて来た。でもあんたにはやれん、と念押ししておいた。悪いね。


2003年10月28日(火)



 抜け道

田んぼに向かって曲がっていく車を何台も見かけた。
これは何か事情があるに違いない。抜け道という事情が。
と思ったので、帰りは抜け道の出口と推定される場所に向かってみた。はたして朝見た入口へと出た。

田んぼの中の道は、舗装されているが信号が全くない。対向車にもあわなかった。
そのかわり、へーびが轢かれて死んでいた。なまんだぶ。
へーび、はぜひとも平板化させて読んで欲しい。するとばあちゃんの呼び方になるから。
へーびを轢くとぼよんと跳ねた乗り心地になるそうだ。

肝腎の抜け道だが、抜け道になり得ているのだろうか。
信号がないが、時間短縮につながっているのか、距離は短縮されているのか、わからない。次回は抜け道を通って行ってみようと思う。


夜はアジの開きを焼いた。


2003年10月27日(月)



 みんみんなくのは

ぴょんちゃんちに「谷川俊太郎 みんみん」の検索語彙でいらっしゃるお客さまが少なくないそうだ。
あなた(がた)がお探しの詩はこれですよ。


みんみん    
      谷川俊太郎

みんみん なくのは せみ
そうっと ちかづく あみ
はやしの むこうに うみ
きらきら かがやく なみ
よびごえ きこえる みみ
いちばん なかよし きみ
とこやに いったね かみ
まっかに みのった ぐみ

(『ふじさんとおひさま』童話屋、1994)


絵が佐野洋子なところが今は昔。

2003年10月26日(日)



 初・小津

小津安二郎「小早川家の秋」を観る。

映画が始まる前に「阿修羅のごとく」の予告編が流れた。ドラマは観ていないけれど、つまり「細雪」?
大竹しのぶは和服があまり似合わないような気がする。和服が、というより、額を上げた髪型が似合わないのかも知れない。

さて、ずっと「コバヤカワケノアキ」だと思っていたが、セリフによれば「コハヤガワケノアキ」であるらしい。
「コバヤカワっていう名前にはイヤな思い出が」
へえ、どんな思い出よ。
「仕事でイヤな目にあった」
同じ会社の人?
「仕事先の人。まあおれだけじゃなくてみんなイヤだったんだけど」
イヤといってもいろいろな種類がありますわな。
「仕事が出来すぎて周りがついていけんかった」
でもそれは一緒に仕事をする(社内の)人が大変だね。
「これがまたそのグループというのがおそろしく仕事の出来る人たちばっかりで(泣)」

りー氏はビデオでこの映画を観たらしいのだが、ストーリーは見事に忘れているようだった。私は、これこれこうで、と話す。
原節子がしゃべって動く姿をほぼ初めて観た。実際に観て初めて、理想の女性として語られていることに納得できた。というのは、写真で見る限り、彼女の風貌はつつましやかな和風ではなく、むしろバタくさいように見える(と思う)からだ。目鼻立ちがくっきりとしていて、そのパーツはどこか鳳蘭と相通ずるところがないだろうか(鳳蘭ほど徹底してはいないが)。
新珠三千代や司葉子といった人たちは、典型的な古き良き時代の美しい日本の女性といった映り方をしている。対して杉村春子はそういう扱いではない。
着物や洋服がすてきだった。いちばん派手な色は黒、と、最後の葬儀のシーンを観て、どこかで見たそんな言葉を思い出した。八掛の白がぱたぱたとはためいていた。あれは偶然なんだろうか、それともことさらに強調しているのだろうか。

同じ映画館でいま「福耳」を上映中である。宝田明・司葉子が出演している。併せて観てね、ということか。

面白かったので、他の小津作品も観てみたいと思った。同時代の他の日本人監督の作品も観たい。いずれも、できればスクリーンで。


2003年10月22日(水)



 ここ数日のこと

テレビ東京系列の「ポチたま」(富山では別枠でやっていたのに、なぜか観られなくなってしまった模様)で、人間の手で育てられたエゾ鹿の話をやっていた。
番組がそろそろ終わるころに観たので、そのいきさつは知らないのだが、現在は森で暮らしながら、週に1度ほど「ふるさと」に帰ってくるということだった。
いまは自分の子を連れてやってくるらしい。母さん鹿と子鹿1匹。なるほど「かこじものひとり子」だ。
「かこじもの」とは「鹿子自物」(鹿の子のようなもの、の意)で、「ひとり子」にかかる枕詞(たらちねの→母、とか、ぬば玉の→黒、とか、あれです)。年に1度、1匹だけうまれる鹿の子のようにひとり、ということだ、と頭の中では知っていても、実例を見ると非常に説得力がある。おもしろい。
鹿の親子もとても愛らしかった。

BSでやっていた小津安二郎特集。>Tさん
「小早川家の秋」の回をちらりと観て、あ、これはよしておこう、と思った。
実は小津映画は1本も観たことがない。部分的に観たことはあるが、ダメかもしれないと思っていた。でも今観てみたら硬い質感を持った画面が新鮮だ。いま地元のシネコンで「小早川家の秋」を上映しているので、せっかくならスクリーンで観たいので「よそう」というわけ。
翌日も確か「秋刀魚の味」をやっていたと思うのだけれど、これは最初から観損ねたのでやめ。



ホテルの中にあるアンティークショップで、アメリカのデッドストックの布を買った。ヨーロッパ物を中心とした瀟洒な品揃えだったのだが、中にそんなものもあったのだ。綿ブロードが4種類、先月買い付けてきたばかりらしく、状態もとてもよかった。あちら(と言って男性を示す)が買い付けてきたんですよ、女の人みたいな趣味でしょ、とおそらくはオーナー夫人が言っていた。価格もリーズナブルだったので迷って1枚だけ買った。
買ったのは薄い黄色の地にファンシーな柄(ライオン・きりん・しまうま?・ワニ・ヤシの木・家)がプリントされたものだ。パッと見た時、昔、叔母が作ってくれたワンピースのことを思い出した。それで思わず買ってしまったのかも知れない。この布もワンピースにして小さい女の子が着たらかわいいだろうなあと思った。誰が着るというわけでもないのに。

既に書いたように、りー氏には、大好きなとんかつ屋のソースを買ってきてくれと頼まれていた。それで買いに行ったのだが(せっかくなので2本)、持ち帰り用の包みを作ってくれると知り、これをおみやげにしようと思った。帰宅直前にもういちど来なくてはならない。


最終日の予定が早く終わったので、お茶の水に出て、レモン画翠と丸善に寄り、自然食品店「GAIA」に行き、ルヴァンのパンを買う。カランツとくるみのクッペ、チェリーとカシューナッツ、の2種類。前者はりー氏の好きなもの。ルヴァンのパンは天然酵母パンでもちょっと特別の味だと思う。焼きたてもまたとてもおいしいけれど、時間が経ってもおいしい。
GAIAには毎日違うお店のパンが入荷しているらしい。木のひげやザクセンのパンなどは私にも懐かしい。いいなあ。
それから聖橋を渡って聖堂脇の坂を下り、外神田、というかつまりは秋葉原に出て、くだんのとんかつ屋へ。お店と人の雰囲気がまたよい。あたたかい包みを出来るだけ斜めにしないようにして持つ。
贅沢させてもらったので、まあ、おみやげもくふうしてみましたよ。

その他にはポストカードを数枚買ったくらい。あとはわりと大量の複写物。大変さより便利さに感謝することにしよう。昔の人はそんなわけにはいかなかったのだ。
4日のあいだ、何の約束も入れず、自分のためだけに時間を遣ったということが何よりの贅沢だったと言える(これが昔は辛かったのだけれど)。でも全く孤独というわけではなくて、世界は狭いので、行く先で知り合いに遭遇もしたり、思いがけない時間があったり。
地味と言えばこんなに地味なこともないのに。ああ面白かった。

そのうちにだんだんこんなことも出来なくなるのかも知れないが、出来なければ出来ないで、きっとまた違う贅沢がやってくるのだろう。

2003年10月18日(土)



 昨日は

はっ、昨日は祖母の誕生日だった。うわーん忘れたのは初めてだ。
ばあちゃんおめでとう84歳。

昔の人って届けを出した日を誕生日にしたりする。祖母も本当は9月生まれらしい。


実家に行ったらタッタッタッタッ!とのいが駆けてきた。
うわーん可愛いよう〜、と思いつつ(いつものあほパターンだと思って下さい)、撫でたりしていたのだが、ちょっとつめがのびているとのことで、切ってやることにした。すると途端に猫パンチ猫キックの嵐。
それから後は警戒して近寄ってくれない。ちょっとちょっかいをかけて遊んでやったくらい(目がキラーンと光り、黒目がパッと大きくなる)。
帰る時もどこかに行ってしまっていたし。つまり今日の私は油断ノナラナイ奴として認識されていたのだ。むう。


なんだか知らないがバタバタした1日だった。

2003年10月14日(火)



 他者との関わり

今日私が関わった人たち(一部)。


近所の方。
ゴミ集積所の掃除当番、今までは大家さん(のおばさん)が店子の番まで請け負っていてくれた。しかし亡くなられたことで今は5軒の持ち回りとなり、あっという間に廻ってきてしまうので、一部当番を分担してもらえないかとのこと。
そもそも当番制が始まった当初は拙宅も分担していたし(そのうち大家さんがやってくれるようになった)、その後入居されていて事情を知らない他の店子の皆さんにも掛け合ってみます、と伝える。

しかしよくわからないのは(前々から亡きおばさんとも話していたことなのだが)、借家の住人は当番を分担していて、道をはさんだ向かいにあるアパートの皆さんは免除されているということだ。アパートのつくりから言って単身向けではなく、若夫婦プラス乳幼児、といった人々をターゲットにしていると思われる。つまり住人は私たち(借家住人)と同じである。
理由として考えられるのは、集積場がアパートのすぐ隣りにあるから、ということだろうか。集積場はアパートの大家さんの所有地内に設置してあるから、一種の迷惑料ということかも知れない。しかし集積場ができる前はうちの大家さんちの一角にゴミをまとめていたわけなのだけれども。
町会に出ていない者はしかし文句言っちゃいかんです。
おばさんありがたかったなあ・・・


隣の学校関係者。
明日から中学校の隣りの小学校の方ではつり工事があります、またご迷惑をおかけしますが云々、とご挨拶。よい機会なので、今までに感じていたことなどをお伝えする。

・工事については致し方ないものであるし、難癖をつけたいわけでは決してない。無事安全に工期が終了することがいちばんだと思っている。
・しかし、近隣住民に対する説明がややお粗末ではないかと思う節もある。住民はなにもわからん者ばっかりだと思ってはいかんよ(注・こんなきつい言い方はしていない)。
・工程上仕方ないのかも知れないが、休みなしで日曜日にも作業音がするのはちょっと(でも慣れたけど)。
# 日曜日もやっているとは施主側はご存じなかった?


某図書館(2館)の方。
私は自分に与えられている権利を最大限に利用していて、対する彼(女)らは私の要求に業務としてこたえてくれているというだけのことなのだけれど、それにしても、この窓口がなかったら私はどんなに不便だろう。
彼らは仕事を遂行し、私は目的を果たす。
あたりまえだけどあたりまえだと思ってはいかん。本当にどうもありがとうございます。改めて念じておこう。あまりにもあまりにもな方が一方ではいらっしゃるしね・・・(一所懸命なのかも知れないけど。)

2003年10月10日(金)



 万年筆

(昨日のつづき)
リビナヤマギワで何を買えばいいのだろうか。
「あ、わかった、あんた万年筆買えば」

万年筆が欲しいと言っていたのを聞いていたのです。

ふだんは水性ボールペンやシャープペンシルを使っています。
たまに万年筆を使います。目上の人にお手紙を書く必要がある時などに。でもちゃんとした本格的なものは持っていません。
いつもの筆記具は細字が好きだけれど、万年筆で書かれたゆったりと大きな字にはほれぼれします。人様から頂いたお手紙を見るとそう思います。もちろん細い文字を書くのにぴったりな万年筆もあるはずです。
でも手紙を書くだけの万年筆もどうなんだろうか。使う時はいつも緊張する時、ということになってしまうじゃないか。
その緊張感をやわらげるためには、もったいぶらないで日常的に使う必要があるのかも知れない。

私はどんな万年筆が欲しいんだろう。
イコール、どんな字を書きたいんだろう。
なんだかまだよくわからないのです。

今日も簡易万年筆で手紙を書きました。

2003年10月07日(火)



 ソースばんざい、それから

青じその白い小さな花が咲いています。
みつばちがやってきています。こういう情報はいったいどうやってみつけるのだろう。キアゲハがセリのなかまを見つけるのなんかもそうだけれど。
彼らにとっては目標物が浮き出て見えるのでしょうか。あるいは匂いが突出しているとか。


りー氏の愛する秋葉原のとんかつ屋「丸五」の特製ソースがだんだん少なくなってきました。上京の折にはたいていここのとんかつを食べ(私は食べたことがない)、常備用としてソースを買ってくるのがりー氏の習いなのですが、このごろご無沙汰しているのでだんだんだんだん少なくなってきているのです。
「来週あたり東京行ってくるかな」
え、ソース買いに行くため*だけ*に?(そんなことはないのですけどね。)
来週、私、行くかもよ。
「なら買ってきて」

お店は20時まで営業しているとのことなので、所用をすませた後で買いに行くことも出来そうです。

「それでヤマギワでなんか好きなもの買ってこられよ(=買ってきなさいよ)」

ヤマギワとはリビナヤマギワのことです。
え。
あまりにも唐突にそんなことを言うのでびっくりしてしまいます。
えっらい高いソースだね。
「だってすぐ裏だから(丸五の)」

じゃー椅子買おうっと。

・・・と思ったけど気がとがめるから電球にしておこう。
# ヤマギワは照明メーカー。

というのも何だから、椅子よりは電球寄りの買い物をする、ということでひとつ。

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東京都民で私のサイトをご覧下さっている方がどれくらいいらっしゃるのか(お顔が思い浮かぶ方はもちろんあるけれど、ひょっとしたらそれ以外にもいらっしゃるかも知れないので)わからないのですが、主に都民の皆様に。
都立大の件って、一般のニュースとして、どの程度認識されている/されていないのでしょうか。
学科が縮小されるとか消滅するとかいう以前の話のようにも思えます。何より、在学する学生さんたちのことが全く考慮されていない。
まさに消滅させられようとしている学科に学生として在籍していた者としては、そして今でも無関係ではない身には、とても(何と言ったらよいかわからない)。

2003年10月06日(月)



 団体行動

昨日。
珍しくりー氏とお出かけ。
市民プラザに行きたいと言われ、そのご近所の国際会議場の駐車場に車を入れて地下から上がってきたら「盆栽展」とあった。これが観たかったのかー、となぜか思ってしまった。
せっかくなので拝見する。県内の愛好家自慢の鉢が大小一同に、ということのようだ。小さな檀(まゆみ)の鉢に薄桃色の実がなっていたのがとてもかわいらしく、印象に残った。

お隣りのブロックにある市民プラザで、TOYAMA ADC展・富山デザインフェア2003(日本パッケージデザイン展)を観る。同じ階の複数ギャラリーを使って同時開催されていて、ADC展は富山のデザイナー作品限定、デザインフェアの方は国内の代表作優秀作、ならびに、協賛企画として富山のデザインいろいろが展示されていた。
ADCはともかく、デザインフェア・ローカル部門の方は、*デザイン*といった観点から見れば、母集団が少ない中からとにかく出してならべましたというような印象があったことも否めない。機能は果たしているわけだし、いざ作るとなると大変なのは言うまでもないのだけれど(言うまでもない、それはわかっている)、一緒に並んでいるのがメジャーというか、よりにもよって選りすぐり作品ぞろいなだけに、どうしても差が出てしまう。
地元の美術系学生向けのコンペもあり、テーマに沿った作品がいろいろと並んでいた。自主的に応募というよりも授業の一環で応募という雰囲気をみてしまったが(テーマの了解とか解釈の仕方も人それぞれだ)、悪くない趣向のものも中にはあって、それは浮き出てみえた(と思ったら最優秀作だった)。

それから近代美術館に行き、ポスタートリエンナーレ富山展を(やっと)観る。館内リニューアルしてからは初めての近美行き。
図書室があったり学芸員室があったと思しき中二階は、常設展コーナーとして拡充されていた。こどもの遊べるコーナーもあった。三重県立美術館あたりを髣髴とさせる趣向(そういう方面ではたぶん有名なんだろうなあ。>三重県美)。

次に郊外のショッピングセンターで開催されていた古本市に行く。
ざっと見たところ、私にはあんまりお目当てのものがなく、ひとめぐりしたところでお茶を飲んでいた(とは気づくまい)。りー氏は、とりたてて珍しくはないがそれなり有意義で高価な本を割安に買う、というタイプの買い物をした模様。
それからたこ焼きを少し食べる。

外で晩ご飯を外で食べようとしたがいまひとつピンと来ず、家にあるものを食べる。


日曜日。
免許の更新をしに行く人と家の中で自業自得の焦りを募らせる人と。
りー氏の買い物に出かけるも結局目的は果たせず。実家から栗ご飯をもらったので、おかずだけ買って帰る。

届いていたメールを読む。いい大人が自分の保身にのみ走ろうとするのはあまり「見よい」(祖母がよく使う言葉。見ていて快い、の意)ものではない。もちろん私の中にだって自分の身を守ろうとする心はあるし、利己的な自分もいる。誰の中にもあるだろう。志の高さとはまた別に日常の生活というものがある。それはわかるけれど、大人(先に生まれた者)としてあるべき姿というのもまたあるのではないか。
などと思う。

日曜日の夜はまたしばらくブルーだ。

2003年10月05日(日)



 サイト新装開店のご案内

表紙をつけて*自分の*bbsを加えて、とそれだけのことではございますが、新装開店いたしました。
yapeusも導入しておりますが、こちらはちょっと調子がわるいもよう。残念。

サイト全体の統一性(主に見た目の)を考えると、裏うたかたの日々はちょっと違っているということになるのかも知れないけれど、今までずっと2本立てできました。そもそも掲示板ありきだったといってもよいのです。そこから一歩踏み出さなくてはいけないとずっと思いながら、このまま維持していたいという気持もまた強くありました。
うむ、と考えて、表紙には入れず、aboutの中に入れることにしました。これはいわば、おしながきにはないけれどフツーに出しております、とそういう気持のつもりでもあります。さてどうなるか。

「なにもなかれどなごなっていってくたはれ(NNNIK)」は「何も無いけれどゆっくりしていってください」の意。

今後ともよろしくおねがいいたします。

2003年10月04日(土)



 気になるもの

家で食べる夜のおやつ(だめだよ)として、ここのところ気に入っているのは、軽めのチーズ系デザート。アイスクリームしかり、ムースしかり。

文房具やさんへコピー取り&買い物に。
文房具やさんには購買欲をそそる品々がたくさんある。しかもものすごーくお高いものというのはそうないから、ついあれもこれもそれもとなりがちだ。
色鉛筆か極細のダーマトグラフみたいなものはないかと店内を徘徊していたら、消しゴムできれいに消せる色つき替え芯というものに出会ってしまった。色ものの芯は、便利そうだが、いまひとつ弱くて薄くて使いにくいイメージがあった。でもきれいに消すことができるというのは大きい。見たところ新しい商品のようだし、削らずに使えるのは便利かとも思い、試しに赤を購入してみた。
早速使ってみると、色はやはり若干薄めだけれど、消えることに関してはまったくその通りで、この点についてはたいへん満足だ。調べてみると3色シャープなんていうのも出ているらしいことがわかった。こっちの方が便利だ。明日探しに行こう。

最近、たまにやってくるカエルがいる。
玄関に立てかけてある小竹(キアゲハ幼虫要塞のなごり)の上に、コンパクトな状態でいたりする。たぶん同じカエルだろうと思う。というのは、毎度やってくるカエルが、よくいる緑色ではなく、灰色にまだら模様という特徴を持っているからだ。それもよくある模様なのかも知れないが。
というようなことを書いているとまるで私がカエルを愛する人のようだがそんなことはなく、どちらかというと、というか、かなりダメである。キアゲハ幼虫に関しては、しゃがんで見るほどには進歩したけれど、カエルはダメだ。ダメだけど、カエルであろうと虫だろうと来てくれる家でこそ、という妙な気持が私の中にあることも確かだ(でもさわれないけど)。
本当は、虫よりカエルより猫の来る家であるように願っている(カエルも来てもいいよ)。

2003年10月03日(金)



 にわかに

パタパタ。

catvからyahoo!BBに移行したせいで、画像@日記のリンクがことごとく切れてしまっていることに気づく。りー氏のサイトについても同様。
なんとかしないとー(でも後回し)。


車に乗っていた。
家の近くでむむむと予感がして傍らをふと見ると、白/グレーの子猫がいた。美容室の人たちにかまってもらったいたようだ。
車のそこそこ流れる道だったから止まることはしなかったし、また戻りもしなかったのだけれど、元気でいろよー、とねがう。

野良猫は厳しい顔をしているという。
実家にもやってくる黒ちゃんは、野良猫だけど顔つきは険しくはない。でも、だんだんと意志のある顔になってきている。のいの顔は子供(外猫時代)の時の方が鋭かった気がする。


実家からもらったさつまいも(父謹製)をレンジでチンして食べてみた。いつもなら蒸かして食べるところだが、先日来蒸し器のふた(ガラス製)が割れてしまっているのだ(買いに行かないといけない)。
あんまり甘くなかったと父に言われていたが、ベタベタもせずもさもさと、好ましいさつまいもの口当たりでよかった。

というようなことを書くと、明日くらいに「おれもさつまいも食べる(泣)」と言われるのだろう。

2003年10月02日(木)
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