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みんみん



 きょうのわんこ/秋の味覚

高速道路を走っていた。
後ろから追い越して行った水色の軽トラの荷台に、茶色い犬と黒い犬がのっていた。びっくり。それとも、よくある風景なのだろうか。
軽トラの荷台に人間は乗ってはいけないことになっているけれど(まあでも田舎では乗っていたりする)、犬は物扱いになるのだろう。でも動く。一応紐のようなもので繋がれているようだが、見ていてハラハラする。といいつつ(わんこー!!)と思いながら後ろをつけていたのだけれど。
犬トラは途中の分岐点で別のルートに逸れていった。どこからどこへ何のために移動していたのだろうか。遊びに?

のいを高速(を走る車)に乗っけたらどんな顔するかな。
それとも、車に乗る=病院に行く、とインプットされているだろうか。


朝の連ドラ、新シリーズが始まる。
先輩(横浜出身・妻は金沢の人)は「連ドラは大阪放送局製作の作品の方が面白い」と仰っていたが、エンターテイメントとして楽しめるという点において、そういうところもあるのかも知れない。
ちゃんと見てきたわけでもないが、いろいろと思い出してみる。「まんてん」はちょっと・・・「こころ」はそれに比べたらまだよかったのかも、とか。
大阪局製作のもので近年のヒットといえば「ふたりっ子」か。確かりー氏の母校が撮影に使われていたはず(学部は違うけど)。
私の印象に残っているのは「京ふたり」だろうか。はっきりとしたストーリーは覚えていないのだけれど(笑)。


日が短くなった。午後の6時といったらもう暗い。
栗ご飯を作る。
栗とご飯のバランスを考えなくてもいいくらいにぽこぽこたくさんくりが入っているのが好きだ(と、去年も書いた気がする)。割合は1対1にしてみたけれど、もっと栗が多くてもいいな。でも、うっすら塩味がついたご飯もいいんだよな。晩ご飯の前に茹で栗をたくさん食べてしまったせいで栗欲求がさほどでもなかったのかも。まあ、1対1くらいでいいのだろう。栗にごはん粒がくっついているようだとちょっと違うな(それじゃあ「いい蒸し」だ)。
栗を10分ほど茹でてさましておいた。米2合を研いでおいで、さっきの栗を15個ほど剥く。10分というのは皮剥きの下ごしらえとしては茹ですぎだった。剥くには簡単だけれど、実が割れやすかった。私もだが、りー氏も中の栗はごろんとしている方が好きなようだ。

子供の頃に食べた栗ご飯は、それこそ1升は炊いていたと思うから、皮を剥く栗の数もそれなりにあった。祖母が剥くのをそばで見ていたものだ。
栗ご飯ではなくて栗おこわの時もあったかも知れない。おこわの時は、小さなかまどみたいなのに火をおこして蒸していた。餅つきもおはぎ作りもお赤飯もそう。

水加減をした米に栗と塩を入れて炊く。お酒は入れない(これは好みの話。ちなみに私はまめご飯にも入れない)。
炊きあがる頃にりー氏帰宅。


「え、家にいちじくあるの?」
と日曜日の日記を読んで知り、リクエストするりー氏。
お互いの行動に同じく、冷蔵庫の中身を把握していません。

2003年09月29日(月)



 栗拾い

朝、母から「裏の栗拾いに来る? それからさつまいもといちじく欲しい?」と電話があったので出かける。
りー氏は昨日の引っ越し(会社の)の残り仕事があるのか、バイクでどどどどと出かけたので、ひとりで行く。通り道の小学校(2校)で、運動会あるいは何かの行事をやっていた。

軍手をして、納屋の裏の茂みに入る。
火バサミでイガを拾い、両足で開くようにしながら(手だと痛い)実を出していった。物陰に隠れているイガを拾うのは宝探しのようで楽しい。
一緒に拾っていた母が、お父さんおかしいんだよ。今だから言うけどね・・・と言う。
「みんみんが(落ちている栗を)全部見つけられないかもしれないから、拾って1か所に集めておいたぞ」
そんな、お父さん、そこまで子供扱いしたらだめだよ、と母が言うと、「じゃあまたばらまいてくる」と再び裏に行ったらしい。適度にばらまかれた栗を私たちは楽しく拾ったというわけだ。拾いながら、関西に住む甥っ子に栗拾いをさせてあげたいなあと思う。
実は木の近くでイガからはずしたが、いくつかきれいなものは、イガに入ったままにしておいた。
それから父の作業している畑に行き、いちじく2種類とさつまいもと菜っ葉とモロヘイヤを収穫した(といっても私がとったのはいちじくとモロヘイヤだけ)。

拾った栗を袋に入れて置いていたら、のいがとても興味を示していた。
袋の中に顔をつっこみ気味にして匂いをかいだり、イガの方に手を出してはひっこめてみたり。

栗ご飯にしようと思ったけれど、まず茹で栗にした。
なんということはないのだが、割ってスプーンですくって食べるととてもおいしい。
明日は栗ご飯にしよう(あ、新米もらってくるの忘れた)。

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巨人軍の原監督が電撃辞任ということですが(うっかり解任されたと書きそうになりましたが、一応違うんですよね)、記者会見を見ていて、巨人という野球チームにおけるナベツネという人の権限の大きさを知りました。
私は巨人ファンでもアンチでもないのですが、富山は正力松太郎の出身地ということもあってか、巨人ファンの人は多いとききます。実家の両親や祖母なども、シーズンになると巨人戦の結果を気にしていたりしますから、巨人びいきであると言えるのでしょう。

これは一私企業の問題であると言わば言えるのですが、権力について、よく似たようなことを思う出来事がありました。
私の母校は(ご多分にもれぬ)大学改革の波のなかで、ほとんど「民主主義ってなに?」というようなやり方で行政にねじ伏せられようとしています。人文科学系は、中でも最も影響を受けるといっていいと思います(私の出身は人文科学系です)。
私(たち)の苛立ちは、在籍した(あるいは、している)学科がお取りつぶしになるから、というレベルではありません。公的機関である大学が、公的機関であるにもかかわらず、当事者である大学にも、また住民の代表であるところの議会にも、何の事前協議もなく、いきなり行政の側だけで強硬な路線変更(修正とはあえて言いません)という荒技をやってしまったということです。長の権限というのはそれほどまでに強いのか。行政は自分の首を自ら絞めているということではないのか。

行政に関わる人々一般を批判しようという気持はまったくありません。身近にも公務に関わる者はおり、誠実に仕事をしていると信じています。
だからこそ、これはきっと特殊事情なのだろうと思いたいのです。

自分の慣れ親しんでいる、あるいは慣れ親しんだ物事に対して、客観的に見つめることは難しい。
でも、しようがないよね、じゃなくて、それっておかしくないか? と今回は言いたいのです。
すぐにぷんすかぷんとなるわりに、本当のところは、なんでもありだろうなぁ・・・と思っていたりもするのだけれど、でもこの件に関しては、ただ、腹立たしく、情けなく、唖然としています。

今日、緊急のシンポジウムが行われる予定であると聞きました。

2003年09月28日(日)



 降ったり止んだり

また雨。
ぐずぐずというか、なんか変な感じ。


早稲田青空古本祭。10月1日から6日まで。
毎年恒例(と初めて知った)特別企画。

「青空古本祭」会場にて千円以上お買上の方にもれなく、会場近隣の早稲田古書店街・全店でご利用できる1割引券を進呈。期間中は何軒でも何回でも使用できます。

高価な買い物であればあるほどお得だ。しかも何回も使えるっていうのがいいな。
残念ながらこの時期には行かれないけれど、心覚えに。
古本祭の詳細はこちら
# ソースは日本の古本屋メールマガジン。


県立図書館で取り寄せのお願いをする。
本は愛知県からやってくるようだ。中部地区の公立図書館間で相互協力サービスというのをやっているらしく、対象となる他館に所蔵されている場合は、無料で利用できるらしい。ちなみにその他の図書館から取り寄せる場合には、往復送料(ゆうパック)を負担する必要がある。
富山も愛知も同じ中部地区だけど、それを実感することはあまりない。あちらは太平洋ベルトの上、こちらは日本海側(裏日本とはよく言ったものだ、と、認めたくはないがこういう時には思う)。高速道路が名古屋まで開通すればずっと近さを実感できるのかも知れないが、今は関西より遠い気すらしてしまう。心理的には。
でも今日はご近所さんを実感しましょう。


スーパーに行ったついでに、切れていたゴミ袋(大)を買った。
レジに持って行ったら、担当の女性が、
「ゴミ袋、今日は特売のがあるよ、ここまっすぐ行ったつきあたりに」
と教えてくれた。
じゃあっ、というわけで、つつつつと走って取り替えに行った(列の後ろの人、ごめん)。わずかのことではあるのだけれど、教えてあげようという気持が嬉しかった。ありがとう。

2003年09月25日(木)



 ぱらぱらと

やっと『猫の手帖』と『クウネル』を買った。前者は定期購読中、後者は月刊化第1号。
りー氏は私が本を借りたり買ったりしてもあまり興味を示さないが(その逆はあるかなあ。でも全部はフォローしていない)、猫ものだけは「だらだ」と言いつつページをめくっている。

『クウネル』に武田花さんのインタビューが載っていた。
おそらく、武田百合子『富士日記』が好きで、なおかつ花さんの写真とエッセイが好きだという人が企画したのだろう。私も『富士日記』は好きだ。ものすごく落ちこんでいた時に読むといい本として位置づけられている(他には『すてきなあなたに』暮しの手帖社なども分類)。というか、初めて読んだ時がそうだったのだけれど。読んでいて励まされるような、涙がわけもなくぽろぽろぽろぽろ、もっとこぼれてくるような。いいのかわからないが。
武田百合子の文章はちょっとさみしいところがある。

それから、吉本由美さんのビデオ評も載っていた。
吉本さんは雑貨スタイリストのはしりのような人だが、今はむしろエッセイストとして知られている。
前出の武田花さんはかつて『H2O(エイチツーオー)』(現・NHK出版)という雑誌に写真エッセイを連載していて、なんともとぼけた味わいがよかったのだが、吉本さんも連載を持っていた。私は花さんも好きだが、吉本さんの文章もまた好きだ。スタイリストとしても好きだったが、エッセイストとしても好きだ。
吉本さんは猫が好きで、『だから猫はやめられない』(ワニ文庫)という本を出してもいるのだが、私の猫紀元前(猫に心ひかれてしようがないやられてしまった、と公言する以前の時間)においても、猫好きだとかそういうこととは関係なく、目のつけどころのようなものも、文章の調子も、いいなあと思っていた。猫紀元後の今は、同じく猫好きという点においても気になっている。

雑誌『TITLE』で、吉本さんと村上春樹と都築響一がいろんなところに言ってあれこれしゃべるという連載がある。
私は都築響一も好きなのだが(以前、夢に都築響一が出てきた、しかも悪からぬ関係で、とりー氏に言ったら、一応「ガーン」と言っていた)、『だから〜』のワニ文庫版の解説は都築氏が担当している。これがまた、えげつないくらいにシャッと切れる都築作品のいろいろとは趣の異なった、フツーの男の語り口になっていて、ちょっと笑ってしまう。解説自体は無難なものだが、そういった意味では面白いかも。

2003年09月22日(月)



 小さく知ったり思ったり

ホテルで観た夜中のテレビ。
ホッキョクグマは肉食だけど、雪の中から出てくると(冬眠ののち、ということか)まず最初に草を食べる。おかあさんグマの姿を見てこどもグマも草を食べる。これは一節によればおなかの調子をととのえるためとのこと。
猫も草を食べるよ! やっぱりネコ科のなかまだね!(クマに向かって言っているらしい。)

コンビニで、富山では売っていないタイムスリップグリコを見つけたので買う。「ライディーン」か「Mr.サマータイム」か「私のハートはストップモーション」あたりが入ってるといいなー、と思ったらアン・ルイスだった。なあんだ、と思ったのだけど実はシークレットバージョンと言われている1枚だった。作詞が吉田美奈子・作曲が山下達郎。

広尾の図書館に行くのに、有栖川記念公園の中を歩いていく。
ちょうど夕方のお散歩タイムにかかっていて、犬おおぜいに遭遇する。10匹くらいはいたんじゃないか。中には小さいテリアのきょうだいみたいなのもいて、広場で放たれていた。どこかに行ったりしないのかなあ。私は気にならないけれど、苦手、いや嫌いな人は気になるだろうなあ。テリアくらいだったら小さいからいいけれど、大きい犬だとちょっと恐いかも知れない。それにテリアでもブルテリアみたいな性格の犬だとこれまたちょっと恐いかも知れない。顔がぶすかわいいブルテリア。
広尾は、周りに大使館が多いということもあり、インターナショナルな雰囲気のまちではあるが(なので老若男女の英語での会話を耳にすることは珍しくないが)、ブランコをしていた女の子が「わたしフィリピン語もちょっとならしゃべれるよ!」とかなんとか叫んでいた(これは一応日本語)。
別の一角では、なつかしき「だるまさんがころんだ」をする男の子たち。そこを横断してはならぬと知らず知らず気を遣って遠回りしてしまう。

図書館でコピーをお願いしたら、福祉作業施設の人が作業にあたっている旨書いてあった。以前はどうだっただろうか(ものすごく久しぶりだったので全く覚えていない)。縦書きの資料に穴を開けて閉じるとなればと、左端に余裕があるよりは、右端に余裕があった方がいいんだが・・・と思いつつ、まあでも実際には閉じてないのが殆どだったりするじゃないか、と自らにツッコミを入れる。
社会の一員であると自覚できるのは大事なことだ。金銭を得るとか、自己実現とかいったものももちろん目的となるのだろうけれど、自分の中に、社会的に存在したいという思いがものすごーくあったりする。はたからはあまりそういう風に見えないかも知れないし、実際自分が社会貢献をしているかという点についてもかなり心もとないものがあるのだけれど。

でも、いつも乗るバスの窓から満開の白い梨の花を見たとか、猫にいっぱい会えたとか(しかも中に子猫がいたとか)、実用ではないそういうことだって、毎日の中にはあるじゃないか、そういうことであって。

話がずれました。

2003年09月18日(木)



 ぶつぶつつぶつぶ

「夏の週末」(8/23)に対して「秋の休日」って、芸がないなあ。>昨日の日記


映画の公式サイト(の、特にトップページ)ってどうしてフラッシュだのなんだのばっかりなのか。
理由はわかるよ、わかりますとも。
でも面倒くさい。名前を連呼する選挙立候補者のように。
ミもフタもない自分。


私のよく知らない理由により、拙宅のネット環境はCATVからYahoo!BBになり、同じく知らない間に、ネットワークは再びつながり、劇的な変化はいまのところ何にもないけれど(ああ、電話をかける時に「ブツッ」という音がするな)、以前と同じくらいの「困らなさ」は維持できていて、ありがたいことだ。


「にほんごであそぼ」という番組は、「英語でしゃべらナイト!」の姉妹番組なのだろうと思う。
あれは国語能力を強化しようというのではなくて、外国語に対する母国語としての日本語、に対するエキゾチシズム、もっと言ってしまえば逆輸入っぽい視点で受け入れられているのかも。趣味のにほんご。
昨今の高等教育機関において、「日本語教師」を養成するコースは激増しているらしい。これは趣味のにほんご現象(仮)とどう関連するのだろうか(いやしないかも)。

よい文章は、読み上げて意味の通るものではあるけれど。

2003年09月16日(火)



 秋の休日

朝からりー氏はアメリカシロヒトリ退治にいそしんでいた。
キアゲハ一家に危害が及ばないよう、慎重に。


午前。
親戚の結婚式に出席するりー両親を車で送って行く。
新郎はりー氏のいとこ。せっかくなのでお式を拝見させていただく。式にあたって情報提供もしたので。
行ってみたら(話には聞いていたけれど)、簡単に、という話が、あんまり簡単ではない式になっていた(たぶん披露宴も)。身内だけではあるが、これは県外出身である新婦のご両親の意向によるものらしい。が、先に結婚しているいとこの妹さんの方の結婚式も、お姫様みたいだったらしいので、伯母さんも伯父さんもつい一緒に走ってしまったのかも知れない。
しかも式の数日前になって仏壇参りをしたいとの申し出が向こうのご両親からあり、伯母さんは慌てたとのこと。水合わせもされたらしいし。
身内だけの式ではあるが、新婦側の親戚が一族でいらした模様。
田中康夫「伊豆山・蓬莱旅館」を思い出す。

ドメスティックを面白いと思う私が、自分の時に、仏壇参りをしましょうか、と言ったら、りー母さんに笑って断られた。りー母さんはあんまりそういう事柄が得意ではない。これはしかし私としては楽。

式場となった神社は、私たちも式を挙げたところであるので(話を伝えきいたいとこが自分たちもぜひ、と言い出したとのこと)、自分の時のことなどいろいろ思い出したりなどする。
参道で、また結婚式したーい、と言ったら、にやにやしながら近づいてくるりー氏(意味不明)。


思いのほか時間が経ち、昼過ぎになったので、近所のカフェで一服。
帰宅して私は友人に会いに行った。いろいろと話すことなど。


夕方、デザイン関係の古本屋とカフェが一緒になったお店に行く。雑居ビルの中の一室で、なかなか面白いロケーション。
その後、りー氏のリクエストにより、ゴルゴの店(仮)にお好み焼きと焼きそばを食べに行く。豚玉・豚そばをシェアし、イカ玉をテイクアウトで。
どちらかというとこってりしたものはあまり得意ではない私だが、ここのはおいしいと思う。

「ぶどう狩り行きたーい、行けばよかったー」とりー氏が言う。
来週にでもね。

2003年09月15日(月)



 反省

仲秋の名月だと知っていながら。
実家にいたころはおだんごを作ったよ、などと話しながら、だんごの話をしながら(でも作っても食べてもいない。去年一昨年くらいは作った気がする)、月を見るのを忘れたよ。

反省。

白米にそば米を混ぜて炊いたら香ばしくてとてもおいしかった。
ちりめんの山椒煮の封を切ったのだけど、ちょっとじゃまだったくらい。

久しぶりにりー氏の好きなたくあんを買ってきた。
これを切って食卓にならべて満月(乱視の人が見たバージョン)に見立ててみた、ということにしておこう。

2003年09月11日(木)



 kawaii

りー氏にはずっと気になっている車があって、毎日のように関連したサイトを眺めては「カワイイー」と言っている。
今日もいつものごとく晩ご飯のあとに「カワイイー」と言っていたが、見ているのは自転車のサイトだった。イタリア製の自転車が気に入ったようだ。
確かに色もきれいで「かわいい」。お値段的にも車よりは安価だ(相対的に)。

カワイイー でも値段カワイくないー

と言いながら今日もりー氏の夢想は続く。

りー氏はいわゆる車好きなわけでなく、またいわゆるバイク好きなわけでもなく、自転車好きなわけでもなく、オーディオ好きなわけでもないだろう。物に対する態度も過度ではない。でも好きな車は好きで、好きなバイクは好きで、いいなと思う自転車やオーディオがある。

このぶんだと次のカワイイ・ターゲットは一輪車か。それはいやだなあ。実用性に欠けるよ。


普段は大学生がいっぱいいる場所で、中学生を多く見かける。軟式テニスの練習をしていたりする。
きっと男子大学生などは、「萌えー」とか思ったりするんだろう。実際その種関連のものは「市場」にも出回っていることだし。りー氏だってセーラー服にはあやしいもんだ。
でも私は男子中学生に萌えーってなることはないなあ。中学生男子の多くは幼く見え、それに対し女の子の方には既にしてそれぞれのある雰囲気が備わっているにせよ。
「萌え」るとか「萌え」ないとか、違いはどこにあるのだろう。性差なのか個体差なのか。

2003年09月08日(月)



 私の欲しいボタン

かなり有名になってしまったへぇボタンというのがあるけれど、私は、マサカァ(>U.T.@YMO)ボタンが欲しい。


りー氏がのいに会いたいと(珍しく自分から)言うので、野菜などもらいに行きがてら、実家へ。

りー氏は変なちょっかいばかりかけるので、噛まれたりキックされたりしている。
キックしながら噛みながらなめていたりする猫の心情もよくわからない。嫌よ嫌よも好きのうち、みたいなものか(ちょっと違う)。


嫌よ嫌よも好きのうち、ってあるんだろうか。


某日。
午前中、主婦向け情報番組を見ていたら、投書の募集があった。
「お子さんが登校拒否・引きこもりなどで困っている方、募集」
正確な語句は忘れたけれど、「困っている」という言葉を使っていたことだけはたしかだ。

それで、はい、困ってます、何とかしてください、とでも言うのだろうか。

2003年09月06日(土)



 コンビニ

実はコンビニが好きだったりする。

何かさっぱりしたものを飲みたくなって、飲み物の棚をのぞいたら、ROCHETTA(ロケッタ)という微発泡性のミネラルウォーターが並んでいた。ガス入りミネラルウォーターは、ソフトドリンクの中でいちばん好きかも知れない。

パンダコパンダチョコ
「玩具菓子」が充実しているお店があって、こんなのもあるんだー、と思いながら、1つ買ってみた。
りー氏に見せたら「全種類買っといて」とのこと。

以上、いずれもロ○ソンにて。


にゃんにゃんにゃんこシリーズの玩具菓子もあったけれど、がまんした。
「んで棚(=たからものを入れる棚。書斎に作りつけのガラスケース)に入れといて」>パンダコパンダ
あんたの棚に?
「いやあんた(=私)の棚」
いいけど・・・ますます私の棚って動物園だわ。
# 動物園の中にはりー氏私物だってあるんですが。自分のところはすかした棚にしていやがる。

2003年09月04日(木)



 となり町から

実家へ。
近くの踏切付近に立つカメラの人々。鉄道趣味の人たちだ。
実家隣町の八尾(やつお)町におわら風の盆というお祭りがあり、近年有名なのだが、この単線のディーゼル車専用ローカル線にも臨時列車がいろいろ走るらしい。実際、立派なのからレトロ風なものまで、普段は見ないような列車がゆるゆると走っていた(見た)。

城端(じょうはな)と八尾は似ている、としばしば言われる。どちらも富山県にある町で、それぞれ東西の山あいにあり、絹を重要な産業としていた。
「(おわら)そんなにいいかのー」とりー氏。
それはやっぱり『風の盆恋歌』(高橋治の小説→石川さゆりの演歌)は絶大でしょう。
城端の曳山祭りもいいけれど、あれは男性だけのお祭りだ。女性はあくまで目立たない。女性の踊り手がいて、男女の踊りのからみがあるところに艶があるんじゃないの。別に八尾町に美男美女が多いというわけでもないだろうけど。笠のうちに幻を見たいのだよ。
それに、元禄から連綿と続いていると思われているんじゃない?
「えー、そりゃないやろー」
おわら風の盆、確かに元禄期から始まったおまつりだけれど、実はいったん廃れ、近代に入って復興されたといういきさつがある。
たぶん、一般的説明においては「廃れて復興」の部分はカットされているんじゃないか。「元禄期から」の方だけが取り立てられているんだよ。さっきニュースでもそう言ってたし。ま、そんなもんやろ。
「・・・コピーの勝利やな」

「おわら」いいお祭りだと思うけど、町の規模に比して、今や人出が多すぎると思う。
あと、もうちょっと出し惜しみをしてもいいんじゃないか。しょっちゅうやっている気がする(しかも宇奈月なんかでも)。ありがたみは薄れないのか? 観光資源として活用しない手はないということか。
分散して来て貰った方が本番の混雑は緩和されるということか。いや、それとも却って倍増か。

# 正確には、今は「となり町のとなり町(市)」に住んでおります。



昨日観た『ファム・ファタール』は、「サスペンス映画(エロチック風味)」じゃなくて、「エロチックサスペンス」そのものを銘打っているようた。確かにチチは大いに出ていたし、思わせぶりな感じだった。親とは一緒に観たくないタイプの映画というか。
どこかで、レズビアン&セックス・・・みたいな紹介・宣伝が打たれていたのかも知れない。中年以上の男性ひとり客って映画館であまり見かけないのだけど(しかも平日の午後)、そういう目的であれば、隣のおっさんみたいな人がいたことにも納得がいく(偏見)。
昔、『美しき諍い女』が上映された時も、渋谷のル・シネマに並んだのはスポーツ新聞片手のおっさんが多かったらしい(知り合い情報)。お目当ては本邦初公開の毛。
ついでに映画『失楽園』当日、有楽町の映画館の前を通った時には、中年男女が多かった。

それにしても、レズビアンって偏見多いんだろうなあ。テキトーな男からの。



実家で久しぶりにピアノに触った。ずっと楽器に触っていなかった私の頭の中のスケールは半音低く設定されていたことが判明した。ぼけている。
ちょっと弾いて立ち上がったら、ピアノのそばにのいがいた。きちんと座って、ちょっと首をかしげて聴いている風。ちょっとかわいげだぞ。やれば出来るぞ。来たときとはおおちがいだ(迎えにも来ず、ダイニングの椅子の上でぐーすかぴー)。
最近はピアノの上でひるねをしていたりするらしい。まさか音が鳴るとは思ってもいなくて、なんなんだこれは、といったところか。

2003年09月02日(火)



 9月1日

そのまんまのタイトル。

週末、新しいプリンタを設置するために私の机の上の物を一掃(とりあえず避難)したら、すっきりとたいへん気持がよい。液晶モニターに変えようか、思い切ってノート買ってしまおうか、というところまで行きかけたけど、やめた。別に今のPCに不便があるわけでもないし(感謝して使いましょう)、モニター・キーボード・マウス以外の立体物を常駐させないだけでも違うはずだ。
物がない状態に気分をよくして、早速資料をバタバタと広げ、お店やさん状態にする。かわうそのまつり。


映画の日。
用事のついでに郊外のシネコンで「ファム・ファタール」を観る。サスペンス映画(エロチック風味)に分類されるのだろうか。音楽はセカイノサカモト。
ラスト15分くらいで、えー、こういうのってありか? という事態になり、ちょっとムッとしてしまった(観る予定の方がいらっしゃったらごめんなさい)。私は推理小説を読まないけれど、これはその種の小説でいうところの、オチとして最もありがちな反則のひとつではないだろうかと思う。しかしそこから一応展開があり、それはそれでめでたしめでたしというか、そこそこいい話にしてある。

どちらかというと、選り好みをして映画を観てきたと言える。ただでさえ少ない鑑賞本数のうち、ロードショー系は更に少なく、観るとしたらミニシアター系のものをたまに、という程度だった。鑑賞本数は少ないほうだろう。最近は映画館に行く回数が増えたが、この環境ではミニシアター系よりどりみどりというわけにもいかず、それなりピンときたものを適宜観るという状態である。しかし、郊外のシネコンで観る映画の多く(いわゆるハリウッド系だろう)は、あまりに具体的すぎるというかスピード感がありすぎるというか、観て考える暇や隙がない。あるいは観た後で考える余韻が残らない。それって何なんだろう・・・でもそれもありなのかな。考えさせる作品は気力がない時にはしんどいこともあるし。

ところで、隣のおっちゃん、映画を観ている時に前のシートに足を投げるのはやめよう。暗くて見えないからやってもいいだろとかそういう問題じゃなくて、品がないよ。
おばちゃんの対面式座席足投げはまあいいのかな、と思えるのは、足を投げ出す角度の違いによるところが大きいかも。おばちゃんの足が平行方向であるのに対し、おっさんの足は上向きで、偉そうだ。

同じシネコンで、11月上旬に、観たかった「おばあちゃんの家」が上映されるらしい。
これは母を誘って行ってみよう。いやー泣きそうー。その頃そんな余裕はあるのかな。


気まぐれに自分の昔の日記をチェックしたりすると、誤字脱字だとか、リンク漏れがあったりして、とても恥ずかしい。


すいかを食べるぞーと意識しはじめたとたんに9月になってしまった。そして、スーパーからすいかが消えていることに気づいた。それでもかろうじてカットすいかを見つけたので買い、食べておきながら、うむ、でも朝日(すいかの名産地@F町)のすいかの方がみずみずしくておいしいよ、と思った。まだ軽トラで路上販売しているだろうか。
いつも作っているカスピ海ヨーグルト、今日は牛乳バージョンと牛乳+豆乳(1:1)バージョンでしかけてみた。無糖ヨーグルトは好きだが牛乳はあまり好きではない。牛乳と豆乳だったら豆乳の方が好きだ。豆腐とヨーグルトだったらどっちだろう・・・明日の完成が楽しみ。



去年の9月1日の猫
ひえー、痩せている。

2003年09月01日(月)
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