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みんみん



 餃子

今日は、妻有(つまあり)アートトリエンナーレ@新潟に行くつもりだったのですが、行きたいと言い出した当事者が、昨夜、「・・・やっぱやめる」と言ったので中止になりました。
はたして、というわけではないけれど、あまりお天気がよかったとは言えない1日でありました。


それにかわる家庭内行事として、晩ご飯の餃子作りを行うことにしました(行うというほどのことでもないが)。
家で食べる餃子、買ってきたものを焼くこともあれば、自宅で作ることもあります。今回は、先日りー氏が餃子特集にひかれて購入した『dancyu』に載っていたレシピを参考にしてみました。ただし皮は市販のものです。手軽さもさることながら、厚い皮より薄い皮派なりー氏の好みによるところが大きいと言えます。
もっとも、dancyuのレシピ通りに作ったわけではありません。レシピではニンニクとニラが入っていなかったけれど、これはどちらもりー氏の好物なので、たっぷり入れました。本場中国の餃子はニンニクを入れないそうだけれどね。
作業分担としては以下の通りです。

具を作る→私
包む→りー氏、私
焼く→りー氏
片づける→私

今までうちで餃子を作る時、中身はいつもテキトーに作っていたのですが、今日他のレシピを参考に作ってみて、どうも今まで通りのやり方でいいんじゃないかという結論に至りました。これは別に「テキトーながら実はスバラスィーレシピであった!」とかいうわけではなくて、単に、食べる人たちの好きなように作っていたからというだけの話です。

実は私たちは必ずしも食べ物の好みが一致するわけでなく、むしろ正反対の嗜好をもっていると言ってもいいかも知れません。ものすごーく簡単にまとめてしまえば、りー氏は濃い味を好み、私は薄い味を好みます。殆どお互いのアイデンティティを賭けてそれぞれの好みを貫こうとする余り、かなり険悪な状態に陥ってしまったことすらあります。アホらしいと言うなかれ、本当に自分(とその生活環境・家族・歴史)を否定されたような、あるいは相手(とその生活環境・家族・歴史)を否定したくなるかのような気持になってしまうのです。正しいとか間違っているとかいうものではなく、それゆえに面倒であるとも言えます。
それが餃子に関しては比較的穏やかに物事が進んでいくように思います。

というわけでたまには餃子を作るのです。
8月も終り。

2003年08月31日(日)



 週末的

昼。
りー氏より電話。
ラーメン屋にいるのだが、財布を忘れたので持ってきて欲しいとのこと。またかよ!
財布を忘れるのはこれで3度目。私が同じことを繰り返したら理詰めで来るのに、こういうのはいいんですか(怒)。
仕方ないので持って行く(お店のご主人はいいよと言ってくれたようだけど)。
同じこと(財布を忘れて外出)を3度も繰り返しているので(しかも1回目は大阪出張で)、さすがに私も今日は怒りを持続するぞ!と思っていたのですが、いざ持って行ったらうまく丸め込まれてしまいました。丸め込んだわけではなく、やはり悪いとは思っていたのでしょう。となるとこちらもばかばかしいし。

怒りとかいざこざといったものに耐えられません。日記や掲示板ではしょっちゅう怒っているし、日常でもいろんなことが気になって、すぐにプンスカ怒っていますが(そしてその都度「いいやろそんなん別にー」とりー氏に言われている)、実際はといえば自分の中で(おかしいなーむにゃむにゃむー)とぐちゃぐちゃ思いながらも完結させようとする傾向があります(りー氏に「どう思うぅっ?!」とぶつけたりすることはあれ)。
怒りをかっている状態に耐えられず、つい、こちらから糸口を作ってしまう。自分自身の怒りについてもツメが甘いかも知れません。絞めた相手の首を最後でゆるめてしまうような、喩えは悪いけど、そんなところがあります。

私の怒りは、口ではいろいろ言っているのだけれど、つきつめるとゼロかイチしかないんじゃないかと思います。大抵はゼロになってしまうので、まあそういうこともありかー、どうでもいいかー、と納得してしまう。
本当に怒ったら、感情は持たないでしょう。怒るなんて愛情に溢れたことは。
まあしかしそこまではなかなか(笑)。


その後、富山駅北口にできたオープンカフェに行きました。
このオープンカフェ、道路(正確には歩道)という公的空間を使って何が出来るだろうかという富山市の実験事業のひとつです。市の呼びかけにパン屋さんとホテル(いずれも道沿いにある)が応じ、それぞれ、路面にテーブルを出しています。
りー氏の勤める会社が企画に関わっているので、一種のサクラとしてオープニング直後くらいに出かけてみました。
いやしかし、土曜日のダークスーツとカフェというのはいまひとつ似合わない(しかも真っ昼間からビール度高いし)。いちおう式典があるのでスーツということなのかも知れないけれど、新しいことをしようとしているのだし、ここはひとつ、カフェにぴったりな出で立ちでお出かけ下さい、くらいのことをアナウンスしておいてもよかったのではないかと思うけれど、どうなんでしょう。難しいのかなあ。「カジュアルフライデー」みたいに。

夜は、とあるイベントに出かけ、「フラットワールド」を観ました。お子さん率高し。
つい、ふとった猫を応援してしまいます。最後はめでたしめでたし。


すいかを観ながらすいかをむしゃむしゃ食べる。
すいか、好きです。まとまった数の梨とすいか大1玉をもらったとして(ただし、正味重量は同じとする)、梨は腐らせてしまう可能性があるor飽きてしまいそうだが、すいかならひとりでもくもくと食べ続ける自信があります(もちろん1日でではないよ)。それとも「梨はさほどでもない」というだけのことか。
はっ、すいかの季節、もうすぐ終わってしまうよ。また買いに行こう。

ちなみにりんご1箱もらってももくもくと食べ続ける自信があります(よくわからない自慢)。>蜜入りでない方が好み



りー氏の日記が更新されています。
一応宣伝しておこう。

2003年08月30日(土)



 -lingual

バイリンギャルなんて言葉もありました。

某地元のタウン誌の、とある歌手(連載記事を持っている)を紹介する記事の中に「トワイリンガル」とあった。これ、前から訂正されずにあるけれど、trilingualのことだろうな。
とするとトリリンガル(日本語表記で失礼)じゃないの? と思い、英和辞書を見たら、トライリンガルという発音もあるようだ。トライアングルというしね、なるほど。トワイ(「twi-」?)だとむしろ3より2にもどってしまいそうだ。
こういうことがあると指摘したくなるのですが、意地悪かなあと思ってなかなか出来ない。誤植ならいい(ないに越したことはないが)。一回性だから。でも何度も見かけるので、あ、誤解しているんだ、と思うのだ。以前も書いた「富山市在中(「在住」のあやまり)」もそうだけど、文章書いてお金もらっているのだからね。
# 他方で、お金が発生すれば仕事として成立したということだ、とも思うのだけれど。
まあ、厳しいことを言っていたら何もできなくなるし、書き手それぞれの好みや個性、文体というものもあるから(トワイだの在中だのは文体の問題じゃないけど)一概にクレームが通用するかといえばそうでもないのだけど。

あ、でも、「トワイリンガル」という私の知らない発音、あるいは単語があるのかも知れませんが。その時はごめんなさいと言います。


午後、七尾に行く。
七尾は石川県七尾市、能登半島の南東部である。富山からだと、車では、氷見市を廻って海沿いに行くことになる。
お墓参りなど。

今日お会いした七尾の知人(お坊さん)の奥様は、14歳の時にハンガリーからスウェーデンに亡命し、日本人と結婚して七尾に住んでいる。
ご夫婦の間には1歳5ヶ月にになるお子さんがいる。お家=お寺は、現・ご住職夫妻と知人夫婦+子供という家族構成である。
日常会話は何語で行われているのか、と尋ねると、日本語と英語を適宜ミックスさせているそうだ。おじいちゃんおばあちゃんたちとは日本語(というか、能登の言葉でしょうな)のみだろう。
しかし奥様にとっては、日本語よりは堪能かも知れない英語さえも、実は母語ではないわけだ。それどころか、そもそも、母国とか母語とかいう場合の「母」にあたる要素は何なんだろうかという問題すらあるかも知れない。夫である知人いわく「そのへんは(=言葉については)もうめちゃくちゃらしいですけどね」と。
言語歴とか言語観について聞いてみたい気もする。親の仕事の都合で、とかいうような事情ではないし、言葉について語ることが、同時に、人生とか自己同一性について語ることになるのかも知れない。


帰り、七尾の街なかで茶トラ猫に会った。運転中だったからごあいさつはできなかったけれど、赤い首輪をしていたので、どこかの家族なのだろう。
行きには、ものすごい勢いで海沿いの道を横断する(海側から山側へ)猫を見た。たぶん猫だ。黒っぽい茶色の瞬間移動が見えた。
# 走り回る猫といえば、阪神戦に乱入した猫、見たかったな(笑)。




銀行振込。
同一支店内であっても今や手数料を取ることになっているんですね。ネットバンキングの口座を持っているとかでない限り。

2003年08月29日(金)



 検討中

現在拙宅ではCATVに加入しているのだが、りー氏、YフーBB!に加入する、と宣言。
常時接続環境だという点ではそう変わらない。加入者間における電話が無料というのも、今やあまり長電話もしないし、長電話したい、あるいはするような相手は、たぶんYフーBB!に加入し(てい)ない場合が多いので、特段のメリットはなさそうである。
何かくわだてているらしいんですがね。私にはわからんたぐいのことで。

それで早速調べてみたら、拙宅は光ケーブルが敷設されている地域なので、YフーBB!はできませんと言われたようだ(よくわからないが概略するとそういうことらしい)。
光だと確かに速そうだが、利用料金は割高になる。そんなに大きなデータをやりとりしているわけでもないし、うむ、そこまでのことも、というわけで、CATV脱出(それが目的というわけでは)作戦は一時棚上げ中である。


プリンタ。
2台(A3が出るレーザーと、カラーのインクジェット)あるけれど、どちらもあんまり調子がよくない。
キャ○ンのレーザーを購入するということは決定しているのだけど、A3サイズが出力できるものにするかどうかで迷っている。日常的にはA4が印刷できれば十分なのだが、たまーに大きなサイズが必要な時があるのだ。しかし価格的には確かに違う。さてどうするよ。
そういう出費ならいいと思うんですがね。
どういう出費ならだめなのだろう(笑)。



白いくつしたをはいた(ような毛色の)子猫が鳴きながら暗闇の中を通り過ぎていった。
人の気配があるとかくれるのに、みゃーみゃーわかりやすく鳴いて行くというのは、ちょっと矛盾しているような気もする。でも猫にとっては、人間も、世界の一部でしかないのだね。きっと。

2003年08月28日(木)



 仕事とサービス

2人いる弟はどちらも関西在住なのに(上は阪神間、下は大阪市内)、どうも西の方には行く機会がありません。先日京都に行ったときは、日程の都合で日帰りだったし。

先週末、母が上の弟の家を訪ねました。甥っ子をキダムサーカスに連れて行くためです。
ついでにお昼を天王寺で食べたそうです。下の弟が働くお店に行ったそうです(彼は料理人です)。
弟は主にピザやパンを作る担当のようですが、とてもおいしかったと母は言っていました。身びいきかどうかは不明。私もパンは好きなので、行かなくてはと思っています。

とあるお店に下の弟と行って、料理を作るのが仕事だと言ったら、そこのスタッフの女の子に、作ってくれと言われたことがありました。
弟は笑っていましたが、私にはそういう発想はありません。おのおのの家でご飯を食べるというので自発的に作ってもらうならともかく、ある行為によって既に金銭を得ている人(それをプロというのですが)に、ただで「仕事」をしてもらおうとは思わないからです。
私はまた、友達だから負けろ、という言い方もあまり好きではありません。そりゃ割り引いてもらってうれしくないわけはないが、どちらかというと友達だからこそプロパーで買い(食べ)、客となることで正当にその人の仕事を評価したいと思っています。友達の仕事を評価するというのはとても難しいので、お金という尺度を利用しているわけです。
もちろん、向こうが自発的にサービスしてくれることもあります。そういう時も、客として相応の買い物(飲食)をすることは忘れてはいかんのうー、と思っています。
親しさとずうずうしさは別、ということで(別のシチュエーションでは私もよく度を超して失敗しますが)。


実家に行ったら、のいがいつもよりにゃごにゃご言っていました。夕暮れ時はライバルの気配も外にちらほら、大忙しです。
シッポをタワシみたいに太くして走ってきました。何かに驚いた様子。
あんたなにそんなしっぽ太くしとんの、と言いながらなでてやったら、しゅうぅ、とまた細くなりました。
気持があらわれるのもたいへんですな。

2003年08月26日(火)



 ぼんやりと。

出かけて帰ってきた。近くだけど泊まりがけで行った。
日中、部屋に帰ってきたら、なんとも心落ち着かないのはなぜだろう。
昨日山の方の温泉に行ったら、猫の親子に遭遇した。三毛猫おかあさんと7猫きょうだい。少し離れたところでしゃがんでいたら、子猫が3匹くらいとことこ歩いてやってきた。うへー。
どんな猫もすきだけど、子猫はとくべつにかわいいな(と、前にも書いたけど)。

1匹残っていたはずのいもむし幼虫がいないよ。

贈り物は難しい。
贈るよりもらう方がもっと難しいかも知れない。贈り物が上手な人は、もらうのもまたうまい気がする。卑屈にならず受け取り、でも喜びをきちんと伝えてくれる。

大家さんの息子さんがいらっしゃった。家賃振込口座のことや、その他これからのことなど。家賃、今まではおばさんに手渡しだったけれど、これからは振り込まなくてはならない。家の管理も外の会社に委託するらしい。
いつまで住むのか決めているのか(以上要約)というようなことをちらりと言われる。


顔見知りの方から詩誌が届く。
最近は詩をどうやって読んだらいいのかよくわからない。難しく考えすぎるのか。

それにつけても谷川俊太郎という人はやはりちょっとすごいと思う。特別な言葉とかムツカシぶってる言葉なんて全然使ってないのにいつも新しい言葉を見せる。そうはできないことだ。
この人の詩は慣れすぎて身近すぎて、もうあたりまえみたいになってしまっているけれど、時々(すげー)と心につぶやくなどして思いださなければならない。

光村ライブラリー全18巻。こんなラインナップ。うへー欲しい。装幀は100%ORANGE(最近よく見るなー)。
小・中学校時代は光村図書の国語教科書だった。
小学校の国語の時間ってずーっとおんなじことやってて飽きちゃったりもしたけれど、教材じたいはよく覚えているから、いま見るときっと懐かしいだろうと思う。


1日半ぶりくらいにりー氏を見たら、髪が短くなっていた。
いもむしがいなくなったことを共に嘆く。

2003年08月25日(月)



 夏の週末

お盆を過ぎてから急に夏がきたようだ。
天気がよいので−−「ので」ではないけれど−−夏休みの自由研究、どうしよう、と思っていた子供の頃を思い出す。

先日F町で買った産直販売のすいか、みずみずしくて好きな感じ。たぶんりー氏はもっとむっちりみっちり甘い方が好きなはずだ。
りー氏の好きな食べ物は大分把握できていると思う。でもときどきついうっかりな時もある。こないだは豚のしょうが焼きに玉ねぎスライス(輪切り)を入れるのを忘れた(ちなみに豚肉もバラ肉のスライスがお約束。しょうがはスライスでたっぷりと)。
しかしところであんたは私の好きなものを理解しとるわけ?
「味のないもの。すいか」即答。
・・・そうだけどさ。


外国で生活するということ。
スタッテン島のコンペで勝ったりー氏の後輩(日本人)は、もうずっとNYで生活し、仕事をしておいでだ。震災後の神戸(阪神間というべきか)に住むことはなく、ずっとNYで暮らしてゆかれるはずだ。
話によると彼のメールはすべて英語だそうだ。
なぜなんだろう、と思っていたけれど、それは英語による思考することを維持しつづけるためなのかもしれない、と、ある日記を読んでふと考えた。既に一定の生活歴と職歴を持つ彼の場合は、英語で書くメールや文章が通常モードで、そちらの方に合わせているのかも知れないけれど。


りー氏と飲み・食べに行く。場所が移転して、少し拙宅に近くなったお店に歩いて行った。
カウンターに座ってもくもくと食べたり飲んだりしていたのだけれど、しだいに耳がダンボになってきた。このお店にはいちどだけ来たことがあるが、その時も保区利苦銀行某支店の皆様のお口アングリな会話に2人で耳ダンボになってしまったのだった(なぜわかったかというと、社章がついたままだったから)。ひょっとしてここでは耳ダンボになる宿命なのか?
「そうなんじゃない」
今回はカウンターのお隣りに座っていた、ちょっとインテリ気取りな(でも気取りきれてない)ミーハーおっさん×2とお店の人の会話だったが、またお店の女の子が面白がって聞くからおっさん大喜びだ。
えらいわ〜女の子。私だったら真綿で首しめるような慇懃かつ遠回しなイヤミを連発してしまうわきっと。

こちらはこちらで悪趣味な盛り上がりの後(私が勝手に鼻息荒くしていただけかも知れないけど)、適当に切り上げる。



いもむし一家(父母は異なるかも知らねど)その後。
サイケな5匹は皆姿を消した。5匹がそれぞれ茎にとまり、淡々としかし着実に食うていた風景がなつかしい。5匹というより5「台」と呼びたかった。
いくら保護色だからって、あんなにイノセントに表に出ているのはどうだったかと、1匹だけ残った小さな幼虫をしゃがんで眺める。いなくなる直前の幼虫の中には、虫としてはかなり生長した時期のものもいたようだ。あと少しでサナギになりそうな。

サナギの足場としてはパセリの枝は細すぎる。みんながみんな食べられたのではなくて、もしかしてサナギになったのがいるとしたら、パセリのすぐ隣の朝顔の支柱か、それとも家の壁か・・・と思いつつ見ると、おお、小ぶりのサナギが、家の壁にほそい糸1本でつながっていた。
幼虫に比べればサナギはグロテスクではなく、動きはない。動かないので面白みも少ない。面白いとか面白くないとか、そう思うようになったとは。もちろん、相変わらずさわることはできない。でも5匹並んだ風景、あれはあれで、楽しかったなあ、ちょっと、と思った。何が楽しかったのかというと、自分以外の生き物がいるということだ(りー氏も面白いが)。


「ぶどうの実が全滅しとる」
ええ?
うちの店子は虫も実もやられっぱなしかい。
ぶどうの方では、薄緑色した、また別のうまそうないもむしが葉っぱを食べていた。
「こんなにでっかくなってどうするいうんかのー」
どうするんでしょうか。

2003年08月23日(土)



 観察日記

店子(=キアゲハ幼虫)、夕方見たらまた1匹消えていた。うわーん。
せっかく情がわいてきたところだったのに・・・
けっこうサイケなもようだわ、とか、正面から見ると電車みたいね、とか、こわごわながら観察もしていたのに(でも触ることはできない)。
今日は久しぶりに晴れたので、朝、水やりをしたのだけど、せっかくだから彼らの賄い付き集合住宅(=イタリアンパセリ)にもシャワーを浴びせてやった。そしたら、ぬー、と黄色いつのを出していたので、ああ、シャワーは不測の事態なんだと知って面白かったりもしたのに。

今いるのは小さいシマシマと極小(まだ黒い)の2匹だけだ。

私は思った。
昨日も今日も、ぶどうの木に鳥がやってきている。
あれは実をついばみにきているわけではなくて、いもむしを食べに来ていたんだろう。そりゃまるまると太っていたもの。ぶどうにも虫はついているけれど、比較にならない。
まだ色づいていないようなすっぱいぶどうの実を食べに来るわけがない。現実はそんな少女趣味なものじゃないんだろう。


私の粘膜(鼻とか目とか)は、どうものいの毛に反応している気がする。
お盆に遊びにいった時も、昨日病院に連れて行った時も、鼻がグシュグシュいって、鼻腔を水で洗うまでティッシュが手放せなかった。昨日は右目をこすったりもしたので、ものもらいが出来たみたいに腫れてしまった。
前は平気だったと思うのだけど・・・のいー


お盆が明けたらりー氏の帰りが早く(21時前に帰宅)なった。おお。

2003年08月20日(水)



 ほだされて

昨日。
夜、台所の床にナメクジ(小)がいた。いやだ〜
「どうするよ」
どうするもなにも、つまんでどっかやって。
「どこに」
うー、裏にでも。
にわか大家は他の生き物にも懐が深いのだ(トイレに流さないというだけ)。
「青虫のところに持っていくか(瞳きらーん)、異種格闘技」

今日。
アオバラでも書いたけど)青虫一家、5匹から2匹になってしまったよ。
これは正確には黄緑と黒のツートンの数である。それより小さい黒っぽいのはいた。しかしまるまる太った者から1、2、3、といなくなってしまったことは、生物の掟というものを実感させる。
あれ、なんか、筆致が数日前と違ってないか?>自分



年に一度の三種混合ワクチン注射のため、のいを獣医さんへ連れて行く。
こないだまで食欲減退週間だったのだが、つい先日より再びペロリと平らげるようになった。ちょっとやせたように見えたんだがなあ。獣医さんで体重をはかると・・・5.8kg!
誰があれって、そりゃ父ですたい。
父は自分の食生活は律することのできる人なのだけど(ただし、タバコはやめられないようだ)、のいには甘い。甘すぎ。それはだめどす。
そして今日も肛門腺を絞ってもらう。やはり肥満の証明か(運動不足or肥満の子に多いらしい>肛門腺の腫れ)。犬かと思うようなうなり声をあげていた。

待合室には同じくワクチンを打ってもらいに来たと思しき柴犬さんが。
これがまたハッハッハッハッと息が荒い。待合室の空気をひとりでせわしなく動かしているようだ。元気だなあ。
りー氏は毛が長めな犬などを「だらわんこ」と言うけど(私はだらとは思わないけどね)、こういう犬も別の意味でだらわんこというのではないかと思った。
愛すべきわかりやすい犬とも言えよう。お出かけ嬉しいッ!モード全開。

その時のいは「ウウゥ〜」と言っていたかも知れない。ケージの中から(なるべく隙間から見せないように工夫して座ったけど)。


2003年08月19日(火)



 お盆明け

昨日。
お友達2人と食事。
正しくは、お友達とこれからお友達になるであろう人。2人は大学の後輩でもあるのだが(そのうち1人はゼミの後輩でもあるのだが)、授業などで重なったことはない。なので、後輩というのは失礼な気もする。それぞれに自分の道を持つ人であるから。
1人は富山の人であり、もう1人は春、富山にやってきた人だ。富山ガラス造形研究所でガラス工芸の勉強をしている。ふしぎなご縁。
富山にやってきた人は、富山に来てからまだあまりいろんなところに行っていないというので、なるべく研究所近くのお店に行ってみることにする。まず犬カフェ。ガラス工房の方もいらっしゃるらしい。それから呉羽山山頂のイタリア料理店。
なんだかあっという間に時間が過ぎた。もったいない時間。

今朝。
りー氏の机の上に、Sさん(9.11コンペ入賞)に出すはがきが置いてあった。私は7枚書いたのだけど(お祝いに贈る品のコンセプト上、ある程度枚数が必要なので、複数枚書いてもいいらしい)、りー氏はデジカメで撮った写真をプリントアウトしてpostcardにしている。
いいなあー、私も猫の写真ほしかったー。
「そんなん昨日のうちに言ってよ。今日中に出しておいてね」
(自分の家のことながらどうやってpostcard大に印刷すればよいかよくわかっていない。)
明日速達で出せばいいじゃん。
「余計なお金はつかわんでもいいやろ」
えー猫ー猫ー猫ー(泣)
「S、猫きらいかもしれんよ」

むー。
のいの写真ー。


ぶどうの木、鳥が実をついばみに来ています。


その後むりやりのい写真を印刷、画質はよくないが(しかも設定のしかたをいまひとつよくわかっていないので余計なものが印刷されている)、とにかく好きなんだー猫がーのいがーという気持を伝えかったということにしておこう。
書いた文字数の多さなら自負はある(ただし内容はない)。

というわけで本日普通郵便にて発送いたしました。明後日には到着するはずです。>Kさん

2003年08月18日(月)



 メタファー

(書斎の)窓を開けて、とりー氏が言いました。
「おお、涼しい涼しい」
軒下の朝顔棚が見えます。
「種だけになってしまった」

苗を園芸店で買ってきたら、早々に花が咲いてしまったのです。今も咲いていないわけではないけれど、圧倒的に種の方が目につきます。

なんかメタファーだわー。
「何の?」
いや、いろいろ。朝顔見てると思うね。

まあつまり、人のなりわいについて思ってみたりするのです。


先日、「メタファー」の、バカバカしい用例に出会いました。上京の折にお邪魔したCさんちで観たAV、「スチュ○ーデス卑弥子」においてです。用例というほどのことでもなく、男優さんが女優さんに対して「メタファー」云々と言う、というだけのことですが、妙に大仰な物言いが笑えます。
アダルトビデオを観る趣味はありませんが、あまりにばかばかしいというので、後学のために(何の)みせてもらうことにしました。そして、ニキータ・ミハルコフの「機械じかけのピアノのための未完成の戯曲」、某都立高校音楽祭・文化祭ビデオと4本立てのうちの1本として観ました。
Cさん夫妻と3人で観たのですが、男優が本来の目的に集中してしまうと言葉の方がおろそかになり、観ている方はツッコミが入れにくく、ちょっと照れくさくなってしまうのでいけません。
それにしてもバカバカしかった、とりー氏に言うと、
「アダルトビデオってそもそもバカバカしいものじゃないの」と一言。でも一応照れもなく職務遂行という作品もあるんじゃないかと思うのでね。

2003年08月16日(土)



 店子

庭(というほどのものでもないが。本当に)のイタリアンパセリに虫がたくさんのっかっていたよー。
と出勤前のりー氏に言う。

「どこどこ?」

ここここ。
と言ってイタリアンパセリを指す。遠慮しいしい。

「おー!キアゲハの幼虫だ」
ふとっているのやら小さいのやら、黄緑と黒のしましま(泣)が大小取り混ぜ6匹くらい。
「このままにしとかれ(=このままにしておきなさい)」
うえーん。
といって、直視できるわけもなく、したがって、除去することもできないのだ。

「おこってツノ出すぞ、ほら」
中くらいのしましま虫を車のキーでちょんとつつくと、前方から、ういーん、と黄色いツノが出てきた。出さんでいいって。
「くさいしるが出るぞー」

なんであんたはそんなにたのしそうなんよ。


朝、実家へ電話。
くろちゃん(ノラ猫)がサンルームの下に雨やどりに来ている声が聞こえた。
くろちゃんは甘え猫だ。「くろちゃん」と呼ぶと、人なつっこい声で、にゃーん、とこたえる。隣の家でごはんをもらったりしているようだが、隣の人も、あげたり、あげなかったりらしい。
どうしたものかのう。

2003年08月14日(木)



 書く

昼、駅のKIOSKでA新聞を1部買ってくる。恩師が写真入りで寄稿していると聞いて。
決して多くない文字数での原稿を依頼され、記者の方に渡したら、文章上手ですねー、だか、うまいですねー、だか言われたと笑っていらした。そりゃそうでしょう、っていうのではない、ちょっとうれしそうな表情だった。


Sさんのはなむけ企画に参加すべく、ポストカードを書いた。立て続けに3枚書いた。
この調子だといったい何枚になるだろう。10枚は書こうと思っているけれど、よゆー、という感じになってしまう。
ざざざと書いたらちょっと字が乱れてしまった。しかもペンのインクもきれかかっていたりして。ガザツだなあ。
明日はもっと落ち着いてちゃんと書こう(でもそれもちょっとかっこつけている気がする)。

2003年08月12日(火)



 二つの言葉

朝は、そんなわけで(アオバラ参照)、猫脱走騒ぎにより起こされたのだが、結局実家には行かなかったにもかかわらず、なんだかあっという間に夜が来てしまった気がする。え?もう午後○時?というような。


かつて留学生のチューターをした時に担当の方から言われたことがあった。それは、外国語としての日本語のスキルと、その人全体のポテンシャルとをイコールに考えてはいけない、ということだ。日本語がたどたどしいと、その人の思考まで稚拙であるかのように(ともすれば)錯覚しがち−そんなの全然違う、って冷静になれば、いやならなくてもわかりきっていることなのだが、実際陥りがち−−だが、それは違う。そういうことを確認された。
その時私はロシア人の女の子のチューターをしていた。この時のことは、実は私にはちょっと苦い経験として残っているのだが、まあそれはいい(苦さの原因は私だけにあるわけではないし)。

月に1度、英語で話をする集まりというのがあって、しばらく前からお誘いを受けて行っている(と書くとちょっとあやしいが、別にあやしくはない)。そして今日がその日だった。
私以外は皆さん海外渡航(っていつの時代よ)経験があり、さらに私を誘ってくれた友人以外は海外赴任・滞在経験があるようだ。そんなわけで、私はその集まりにおいて、極端に話せず・聞き取れない人だったりするのだが、それでどうするということもなく(それもどうかと思いつつ)何となく行っている。
その会は、毎回外国人のゲストを迎えている。今までは、アメリカ・イギリス・カナダなどからの人々であったけれど、今回はサウジアラビア出身の男性だった。
実は彼とは知り合いだ。話す時はいつもほぼ日本語、時々私のいんちき英語、という感じだったので、今回のようにほぼ英語というのはすこし変な感じ。

りー氏も私も、共に方言を「母語」として持ちながら、高校卒業後(という、いわば第2の物心がつく時期)の短くないあいだ、故郷を出たことのある者だ。
りー氏と再会してしばらくは、2人の会話において方言は全く出なかった。それはお互いの気遣いや距離感から来ていたのかも知れない。富山という土地に対する複雑な距離感もあったかも知れない。
いつからか方言が出るようになった。いつからだったかは忘れた。
今はお互いの間でどういう言葉を話しているのか、自覚すらしないけれど、たまに論理的な話をする時など、気がつくと方言は消えている。語尾がそれ風かというくらい。昔、ちょっと(は)すかしていた頃、それは気になることだったが、今は気にならない。
私にとって方言は思考のための言語ではないのかも知れない。しかし、もしここ(=富山)にずっといたらどうだったんだろうか。


ところでのいはどんな気持で外に出たのかなぁ。
脱走劇はこれで3度目のような気がするけれど。ちょっと聞いてみたいわ。
しゃべってやっとるけど、あんたらがわからんだけやろ、ダラブツ、と猫語(の富山弁)で言われているのかも知れないが。

2003年08月11日(月)



 台風一過

の日曜日。
なんだけれど、通り過ぎていったという実感は少ないかもしれません。
台風の進路の真ん真ん中であったにもかかわらず、ふつーの雨の日程度の降りでしかなかったのは幸いでした。拍子抜けといってはいけません。そびえ立つ山々よありがとうという気持です。

昨日は帰省中のしーちゃんとお会いし、チェリオにて語らい、お茶をのみました。
その後ぴょんちゃんと合流し、某オフ会にてフレンチレストランに行きました。デザートの前にチーズが出たり、かなりしっかりした構成でした。お料理自体は重すぎることなく、おいしく頂きました。
実はこのレストランがある通りの、隣りのブロックあたりにりー氏の会社があります。昨日も出勤のりー氏。罪滅ぼしにレストラン特製のカラメルカスタードなど買って帰ってみました。
実は今日も打ち合わせのため出勤です。ほんと、このところ、まるまる1日お休みだったことって、ない。

縁側に面した居間のPCでメールの返事を打っていると、私の視界のすみ、軒下の方でごにょごにょと動いた気がしました。ぶどうの葉のそよぎ? 
目をこらすと、サビ柄のチビ猫が、ぶどうの木の下を歩いていくところでした。今まで2回くらいやってきたことのある子です。
おはよう。玄関から急いでキャットフードを持ってきて、テラスに置きました。もうどこかへ行ってしまっていたけれど。


図書館は人でいっぱい。
公共の場で音楽を聴きながら勉強するのってどうなんだろう? 音が漏れ聞こえなければよいのかな。
昔は県立図書館ってもっと空いていたように思います。リニューアルしてから利用しやすくなったのでしょうか。


それはともかく、どうにも落ち着かない。
だからってわけじゃあないけれど、猫特集の雑誌を買ってみた。>CREA

2003年08月10日(日)



 旧暦七夕

お飾りを見て、あっ、と思った。


夜。
試写会に当選したので、「HERO」という映画を観に行った。あれは台湾映画になるのか?中国映画?それともアメリカ? トニー・レオン監督の映画は初めてだが、これは初のアクションらしく、秦の全国統一前夜が舞台だ。
中国のスケールの大きさがよくわかる。あと、中国の思想や歴史が好きな人の気持もちょっとわかったかな。色はきれい。でも時々なんか体育大会の応援団みたいというか、同人誌的というか、「花とゆめ」的というか。
画面の雰囲気もそうだが、いったんたたみ込んでは引き戻すような話の作りからして、もっとコンセプチュアルに持っていくこともあるいは出来ただろうけれども(そういう風に作る人もいるだろうけれども)、そういう風にはしていない。話はとてもわかりやすい。
マギー・チャンという女優さん、モデルの中川比佐子に似ていてびっくりした。80年代の象徴だったなー、中川さん。たぶん今は見る影もないと思うけれど。でもご本人が幸せならそれでいいのだ。
試写会の司会は、地元で有名な男性アナウンサー(A本さん)。実物を見るのはこれで2度目。


この夏行きたいところ
−−行こうと思ったらすぐ行けるよ編−−

▼ポスタートリエンナーレ富山@富山県立近代美術館。
これはりー氏も行きたいだろうから、一緒に行けばいい。最近あんまり一緒に出かけていないし(ごはん食べに行くのは別として)。
▼大島町絵本館
こぐまちゃんえほんの原画展。ブルーナとどう違うのか?とか言わないように。あれはあれでいいんです。
▼七尾
一種のお礼参り。



この旅の雑感。

その1。
NHKの朝のニュース番組「おはよう日本」をつけたら、住田さんが出ていなかった。住田さんというのは住田功一アナウンサーである。
その昔(たぶん今の司会者の2代前)、「生活ほっとモーニング」という番組で、この住田さんと黒田あゆみさんが組んで司会をしていて、ほぼ毎日観ていた。というよりほぼ毎日観たくなるような絶妙の掛け合いだったので、自然とチャンネルを合わせていたというのが正しい。確か同学年に相当する(でも入社年次は黒田さんの方が1年早かったと思う)お2人の、いじられキャラな住田さんに黒田さんの鋭いツッコミが入るあたりなど、悪くなかった。黒田さんは旧姓久能木さんといい、かつては朝のニュースをさっそうと担当していた。当時はまだ女性キャスターというのは少なかったから、その涼やかでシャープな印象がいかにも理知的だと子供ながらに思ったものだ。そんな下地があって、あの久能木さんがこんなツッコミ、と思うと、面白くもあった。

住田さんもまたなんというかとぼけた感じの人だ。
調べてみたら今は大阪放送局にいらっしゃるらしい。

ところで黒田・住田コンビの後、司会者交替があり「生活ほっとモーニング(その筋では略して「ナマホモ」というらしい)」、んー、今ひとつだなあ、と思っていたのだが、今春また交替があって、今度は野村正育アナウンサーと別の女性アナウンサー(印象が薄くてお名前が・・・)が担当している。野村さんもまじめさが伝わっておっとりニコニコなところがいいかんじ。


その2。
今回の旅でいちばん大活躍した小道具は、ユニクロの折りたたみ式ナイロントートバッグだろう。
出かける前の日にリフレクソロジストである友人の家に行ったのだけれど、友人宅はユニクロの近所なので、いつもちょっと入ってしまう。時間調整にもいいのだ。
私が初めて行ったユニクロはたまらん坂(RCサクセションが好きな方にはおなじみの)のお店だった。そこへなんで行ってみようかと思ったかというと、電車の中で見かけたバッグが良い感じだったからだ。あれどこのだろう?と思っていたらそれがユニクロだった。そういうわけで、小物はいわば、私にとってのユニクロ導入編とも言えるのだった(結局その時は買わなかったけれど)。
広げたら薄手のトートバッグになるが、使わないときにはたたんでポーチ状になる。これを大きな旅行かばんの中にしのばせておけばべんりべんり。

2003年08月07日(木)



 りー氏の小さな旅

というわけで帰って参りました。
今回は清里→東京と廻りました。

ところで私の留守中に、りー氏も1泊2日で神戸に行っていたようです。行きたいな行けるかなと言っていたのですが、行きましたね。
れいの9.11コンペに入選した方のお祝いの集まりがあり、久しぶりの皆さんにお会いできて、それはそれは楽しかったようです。また翌日にはお友達のKさんにいろいろ面白いところに連れて行って頂いたようで、これまたそれはそれは楽しかったようです。
帰宅すると私の机の上に包みが2つ置いてありました。ははあ、これがKさんから頂いたというおみやげだな、と早速開けてみました。有馬筆とかごに入ったはりこです。
有馬筆というのは初めてみました。はりこについては、わー、犬ー、と私は言ったのですが、「猫じゃないの?」とりー氏。どっちだろう・・・いや、どっちでもいいんですが。かわいいから。
ちょうどイカリのようにくるんと描かれた口元には、時折りー氏の描く「だら動物」と通ずるものがあります(あ、はりこはかわいいですよ。念のため)。さっそく書斎のたからものコーナーに置きました。
ちなみにこのたからものコーナー、最初は大事だったりちょっとプレミアだったりする本などを置いていたのですが(それは今でも変わらずにあるのですが)、最近はプチ動物園のような体を示しています。特にくま率が高いです。

神戸で買ってきたという雑誌を嬉々として見せてくれました。大橋歩さん編集の『Arne』でした。
「猫の悲しい話とか載っとったから」
それ、「クロワッサンの店」にあるよ。私も1号だけ持っとる。たぶんその猫の号だ。
「え。とりあえず全部買ったんに(がーん)。『BRUTUS』なんかも買ってしまった・・・」
いつも買う雑誌を旅先でことさら買い求めてみるというのは私もよくやることだよ、それもいい旅の思い出になるやろ。
「で知らないうちに捨てられとる(涙)」
踏んだり蹴ったりになってきました。

「ねむいー」と言いながら、袋の中から「はい」と小さなカードを取り出したりー氏。青いカードに描かれたのは、ゾウの上におんどりがのっている絵です。
これはゾウ好きへのおみやげ?

小さな旅、と書きましたが、いやいやどうして大きな旅だったのでしょう。

2003年08月06日(水)



 総本山

東京でのひとこま。
以下、本当は2003年8月6日(水)のことである。


丸の内を散策したついでに、東京中央郵便局に行ってみた。中に入るのは初めてだ。
「速達」「書留」など、それ専用の窓口がある。しかも(例えば)「速達」だけで3つくらいの窓口がある。すごーい、すごーい、すごーい!
定形外の郵便物を出すのはどこかいな。たくさんある窓口のうちのひとつから、大きな封書と、長いはがきを送った。

記念切手を売るコーナーはまた別にあるようだ。まあそれはとりあえずいいだろう。

うわさのプリクラ切手販売機もある。ちょっと撮ってみたい気もした。でも、ひとりでプリクラを撮るのはちょっと恥ずかしい気がしてやめた。プリクラ切手を作るならのいと一緒のがいいな。りー氏でもいいけど。

世界の切手を販売しているコーナーがあった。片隅に複十字シールなるものも販売していた。切手のような形をしているが、これは切手ではない。安野光雅氏の絵が描かれている。なんでも、結核予防の募金になるそうだ。かわいい買い物をしていささかのお役に立つならなおよい。
小さなシートを2枚買う。

2003年08月05日(火)
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