days;flower-bird-wind-moon
みんみん



 市役所

懸案事項をちゃっちゃと完了して、市役所へ。
市役所の駐車場はなぜかたいへん混んでいた。入るまでしばらく並んだ後、ようやく駐車。

一昨日行った時には書類が足りなかったので、作成済みの書類その1を持参し、同じ窓口に向かう。応対してくれるのは一昨日とは違った係の人だ。
これこれで、と、再び事情を話し、書類1を提示すると、実はさらにひとつ確認しなくてはならない事柄があるという。さまざまな事情を勘案した結果、別の場所へさらに書類その2を取りに行く。

書類2を取り、もういちど駐車場に並んで(今度は地下2階駐車場に入った。平生は地下1階に駐車できる程度の車の量だからかなり多い。いつもはいない誘導係のおじさんも2人くらいいた)、同じ窓口へ。
窓口は同じだが係の人はさっきとはまた違う。みたび事情を説明し、書類その1その2他を提出・提示する。今度は書類が揃っているのでスムーズに進む。ここに至って私も、何がどういう理由で必要なのか、ということが具体的にわかってきているからだろう。明確なことであればあせらずゆっくり自信を持って説明できる。
かくして手続きは完了、質問をいささかして市役所を出る。

一昨日応対をしてくれた女性をAさんとし、今日最初に応対してくれた男性をBさんとし、最後に書類を受理してくれた女のをCさんとする。年齢は、Bさんが最年少で、Aさんが最年長といったように見える。
いろいろと問い合わせなどしてくれたのはBさんだった。私と同じくらいの年代かもしれない。いやもっと若いかも知れない。
Bさんが電話をかけてくれている間、フロアを見渡した。市役所に勤めている知り合いもいないわけではないが、こんなふうにどこかの市の市民サービスに努めているのか、と少し思う。
いろんな人が来る場所だ。

夜になって、帰宅したりー氏に今日の顛末を話す。
なんかさー駐車場すごい混んどってさー。
「え、おれも今日Fさんと市役所に行っとったよ」
Fさんは富山に帰ってきてから友達になった人だが、りー氏と同じ年齢で興味関心に共通する点が多い、と思っていたら最近ではとうとう仕事の面でも一緒になってしまった模様。
でもフロアが違うからいたってわからない。もし見つけたら変な作り顔でもして通ってやるのだが。

市役所が混んでいたのは市議会が開催されているからではないか、とはりー氏の話。
「県議会や市議会の傍聴、いちどくらいしておけばよかったな」

2003年02月27日(木)



 おわけ

こどもの頃。
お菓子なんかを持っている時には、きょうだいや友だちに「おわけしてあげられ(=わけてあげなさい)」と言われたものだ。



朝、りー氏はいつもより早く家を出ていった。

午前、恩納村(沖縄)のガラス工房から小包が届く。日曜日に買い求めた品々だ。
中を開けるとメモが入っていた。郵送用にラッピングを少し変えた旨の業務連絡だが、ちょっとした一言も添えてあった。こういうのはとても心に残る。
その中のひとつ、緑と透明ガラスの小さな一輪挿しと、それから、那覇で買ったちいるんこう(琉球風蒸しケーキ)をりー実家に届け、長居する。
帰りに買い物など。

キャラミル研究所
以前、人様のページで話題になって、やってみたことがある。最近またあいさんが取り上げていて、ひさびさにもういちどやってみた。テストを、間をおいて今まで3度ほどやったような気がするが、どの時も結果は同じだった。
私はタイプ2。読んでみるとなんだかたいへん迷惑な性格のようで嫌だが、でも当たってるところはあるかもと思う。特に「苦手なコミュニケーション、環境」「ヒトに言われがちな短所」とか。だらだら話すのは大好きだけど、無駄に長い打ち合わせや会議(楽しくない)って大っ嫌いだもんなあ。もったいつけるなよと思う。ちゃっちゃっちゃっと話し合いをし、あるいはそのまま飲みに行くなり食事をするなりして、モチベーションを高めていくほうが好きだ。
ちなみにりー氏はタイプ8。徹底していてある意味羨ましい。

夜、帰宅したりー氏に小包のなかの包みのひとつを渡す。中身は気泡の入ったこぶりのビアグラスがふたつ、それから、片口のような注ぎ口のついた泡盛入れ(デキャンタや徳利の役割をはたすような物)だ。
大きさのわりには厚みのあるビアグラスは透明で、気泡のためにサイダーが入っているような質感がある。泡盛入れはほんのすこし緑がかっていて、真横から見た形はペンギンのようにも見える。冷酒器は家にあるが、もっと気軽に冷やで飲んだりするのにいいかなと思って選んだ。花器としても良さそうな形だ。

ハタハタの干物を焼き、サス(カジキマグロ)のさくを切り、キャベツとベーコンをさっと炒め(キャベツ炒めが食べたかった)、エノキダケとわかめのおつゆと共に。魚はりー実家からの頂き物である。ありがたい。
サスは富山ではもっぱら生食用でポピュラーな魚だが、私はずっと好きではなかった。カジキマグロのソテーなどは大丈夫だったから、生がダメだったのだろう。刺身や子つけ(鱈の子を煮てそぼろ状にし、和えたもの。醤油をかけて食べる)は特に苦手で、昆布締めならまあなんとか、といった程度だった。
りー実家の食生活はどちらかというとドメスティックな富山のそれで、サスなどもよく食べているようだった。私はりー実家からもらったサスを食べて初めて、おいしいサスはおいしいのだということを知った。サスの身は時々繊維がひっかかることがあり、そして青魚とはまた異なった生臭さがあるのだが、りー実家が懇意にしているお魚屋さんのサスは、本当になめらかで、あっさりしていて、おいしい。
私はハタハタよりもっぱらサスの刺身を食べた。ハタハタにしたところで、初めて食べたのは確か秋田でだった気がする。



沖縄旅日記は週末以降アップの予定です。



2003年02月26日(水)



 おともだち

おともだち

沖縄みやげ(黒砂糖のお菓子など)を持って実家に行く。

祖母はつまつまと手仕事をしているところだった。
昼寝中ののいがものすごーく眠そうな目をして勝手口まで迎えに来た。
目を見れば今まで寝ていたことはすぐにわかる。でも、迎えに来てくれただけよしとしよう。



--近影

なんだか見る毎にたっぷりしてきている気がするのですが。

用事を済ませ、鼻ツンのあいさつをして、車に乗り込もうとすると、子供たちが猫と遊んでいるところに遭遇した。



--最近うちの周りを徘徊している黒い(立派な)子猫



--ゆうゆうと歩いている(車の左側)

お隣のOさんちの男の子が、友達と一緒に遊んでいた。
これ、こないだの猫? などと話す。先日も男の子と猫が一緒にいるところに遭遇していた。
男の子に名前を聞かれたので、答える。
男の子の名前も聞く。さとし君。小学校二年生。
「はじめまして」と挨拶される。
はじめまして。

さとしくんのおじさんにやすひろくんっていう人がいるでしょう、やっちゃんはわたしのどうきゅう生なんだよ。
あと、さと子ちゃんっていうおばさんがいるでしょう、さとこちゃんが小がっこう六年生のとき、わたしは一年生だったんだよ。

と言ったら、えーー、とちょっと驚かれる。
さとし君のお父さんは、三人きょうだいだった「やっちゃん」の、一番上のお兄さんで、確か私たちとは年が離れていたはずだ。だから、さとし君のお母さんも私より年上である可能性が高いが、それにしても私とさほど年齢は変わるまい。母が今の私の年齢の時、ちょうど私はさとし君と同じくらいの頃だったのだから。

黒猫と写真を何枚か撮ってあげた。



--なかなかに強い目を持つ男の子とオスの子猫



--かなり人懐こい黒猫

人慣れしているのはさとし君のおばあちゃんがえさをやっているからだろう。
こんど、写真あげるね。
さとし君は「また名前忘れた」と言って、三回くらい私の名前を聞いた。その都度私は答えた。

やつはといえば、



--じー




夜、母と電話。
Oさんちのさとし君としゃべったよ。面白かった。
「なかなかきかん気の強い子でねー、3人きょうだいの真ん中だけあって、しっかりしとるよ。いつもひろが来るたびに、お姉ちゃんと一緒に遊んでくれるがよ(=くれるのよ)」
ところでのいはなんかまた太ったんじゃない? トラ模様のしましまが伸びとるような気がする・・・
「そうーお父さんと『芝生のあるところにでも散歩に連れて行かんならん』って話しとるところなんよ。猫の散歩用の道具ってあるかねー?」
猫は急に走り出すから、犬みたいな首輪をつけるんじゃなくて、盲導犬みたいな胴輪を付けるんだよ。
「今度お父さん、東京出張だからその時に買ってくるって言っとるよ」

小さい頃、私たちきょうだいがおみやげをもらったように、こんどはのいが買ってもらうらしい。
「お猫さま」というのではなくて、実家の父と母と祖母の日常のなかで、愛らしく、時には困らせつつ、存在している。その空気は、ひとときしか一緒に暮らしていない私たちには少し薄らいでしまっていて、なおかつ羨ましいものだ。

2003年02月25日(火)



 沖縄行き:最終日(首里城→帰宅)

最終日。
飛行機は15時発だからちょっとした観光(らしいこともしてみよう)ならできる。というわけで首里城に行くことにする。
ホテルのチェックアウトを済ませて、車に荷物を積んで、高速で那覇に向かう。ホテルさんさようなら、ありがとう。

首里城わきの県営駐車場はいっぱいで、近くの民間駐車場を紹介された。そこで入場券を安売りしていたので(団体券をバラ売りしているらしい)、前払いの駐車料金を払う際に2枚買う。
団体旅行の行程には、ほとんど首里城が組み込まれているのだろうか。観光客(含・私たち)がたくさんいた。
石段を登って門の内に入る。段には高さがあって、体格がそうよいとは思えない昔の人には難儀だったのではないかと想像した。
場内を廻る前にちょっとお手洗いに。
と思ったらこんなところにもシーサーだか龍のようなものが。



口からジャー。

入場券を提出し、案内で示された順序に従って場内を廻った。
今の城は近代になって再建されたものらしく、とてもきれいに整備されている。係の人たちは伝統的な琉球の衣装に身をつつんでいる。
先回の八重山行きでも、今回の本島行きでも、つくづく、沖縄=琉球は中国の文化の影響をつよく受けていると実感したけれど、この首里城でも再確認させられた。今までに感じたそれらの影響は、いわば人々の生活レベルでのものだったけれど(死者にお金をお供えするとか)、首里城で確認したのは国家(と、敢えて書こう)レベルでの行跡ということになるのだろうか。歴代の王の肖像画は、孔子廟などに掛けられている聖人の肖像画の出で立ちにそっくりだ。いわゆる殿様の出で立ちとは全然違う。
服装などの風俗の違いだけでなく、肖像画に書かれた人物の向きも違うと思った。伝統的な日本の肖像画では、人物を身体を斜め方向から描いているものが多いようだけれど、首里城に掛けられた王の肖像画では、人物は真っ正面を向いている。睥睨するかのように。
建物だって中国風なのだろう。

ひとめぐりして終点に近いところできれいな売店にたどりついた(というか自動的にたどりつかされた)。そこでおみやげを買った。ちんすこうとちいるんこうというお菓子。
ちんすこうは沖縄みやげの代表とも言えそうだけれど、作っているお店ごとに風味も微妙に違うらしい。最もポピュラーなのは新垣菓子店のそれだと思う。空港でも売っている。私は新垣カミ商店というお店で作っているちんすこうが気になっていて、機会があれば買って帰りたいなと思っていたのだけれど、ラッキーにも首里城の売店でこの新垣カミ商店のものを扱っていた。箱入りやら袋入りやらいくつか多めに買う。
それからちいるんこう。これも琉球菓子のひとつで、卵の風味がする目の詰まった蒸しケーキである。黄色い生地の上に、赤く染めた落花生のスライスと、柑橘類の皮を煮て細かく切ったものが散らしてある。
ちいるんこう、実は中学生の時に初めてその存在を知って以来、ずっと気になるお菓子だった。全国の伝統的名菓がいろいろ載っている本を見て知った。他の土地の菓子は皆いかにも抹茶煎茶に合いそうな、あんこ度和三盆度の高い、いわゆる和菓子ふうなものばかりだったのだけれど、沖縄のページを見たらそこだけ異質な趣だった。「ちいるんこう」という名前もよくわからない。なんだなんだ?と強く印象に残っていた。
というわけで、念願の品であったおみやげ2品を買うことが出来、ほくほくした気分で売店を出た(単純)。

私の旅行は猫しか見てないのかと言われたらかなりあれだけれど、目に入る猫はもうしようがないので、(今回の)沖縄猫おさめ。
人も行き来する有名観光地だから期待していなかったのに。



−−−石垣を歩く黒猫。



−−−うずくまるしろ(+ちょっと薄茶)ねこ。


首里城(のあたりは高台になっている。高級住宅街の趣)を出て、レンタカーを返して、那覇空港に到着。

お昼ごはんはサンドウィッチ。
最後のおみやげチェックをすませ、免税店(国内線では初らしい)をのぞく。化粧品の海外通販を利用したことはあるけれど免税店に行ったことはない(海外旅行未経験だし)。海外通販のカタログなんかだと自分が欲しいと思う品がなかったりもするのだが(特に色もの関係)、免税店にはけっこうあった。しかもカウンターで普通に買うよりかなり安かった。
と言いつつ、実際には(りー氏への)話のネタにマスカラを1本買った程度。ぴょんちゃんはわりと買い物していた模様。

海の上を飛んで、雲のあいだから島を見て、2時間したら小松に着いて、再びバスに乗って金沢駅から通勤通学の人たちと同じ電車に乗る。
そういえばせっかく2人で旅をしたのに、一緒に撮った写真は1枚もないねえ、と、帰りの電車の中で2ショット写真を撮ってみたりした。
ぴょんちゃんが先に下車。それから30分ほどして富山駅に到着。

ぴょんちゃん=旅の連れに感謝をして、旅日記おしまい。



それからエストカフェでりー氏にピックアップしてもらい、久しぶりにざんぐりでごはん(りー氏はお酒も)。
途中からF氏が合流。ちんすこうを1袋差し上げる。



琉球菓子2種の感想も書いておきましょう。
ちいるんこう(チールンコーとも)
普通の蒸しケーキなんかを想像すると、ずいぶんあっさり、どうかするとぱさぱさしているし(脂分が少ないのだろう)、卵くさい。でもこれは念願かなったという感じだからそれでいいのだ。これで気が済んだ。ひょっとするとお店によってこれまた違う味なのかもしれないけれど。
▼ちんすこう(新垣カミ商店)
ヒット。多めに買ってきたにもかかわらず、たまたま人に会ったりなんかもしたので、せっかくだからとお分けしたら手元には1袋(1箱にあらず)しか残らなかった。それはそれでよい。もっと買って来ればよかったと思った。
買って来ればそれだけ私の体内にはいるわけで(りー氏は「はい」と出さないと食べない。のうみそが小さいのと面倒くさがりなのとですぐに忘れてしまうのだ)、それって健康的にはちょっとまずいんじゃないかという気もする。しかし今まで食べたちんすこう(といっても大して食べているわけではないけれど)の中でだんぜん好きだと思った。
あっさりしていて少し固めのところが気に入った。他の、もっとしっとりしているちんすこうを食べた時の音が「ほろっ」なら、このちんすこうの場合は「ぽりっ、さくっ」な気がする。
しかし取り寄せてまで食べたいかというとちょっとまた違うだろう。ちんすこうって値段が安いから、運送費の方が高くつきそうだし。だから今度本島に行った時、また首里(本店もここらしい)の方に買いに行けばいいわけだ。

**

りー氏の友人Kさんは、沖縄へもよく行っていらして、今まで私たちも何かと沖縄情報を教えていただいている。
そのKさん(既婚・男性)にとって沖縄は、妻ではなく恋人的なスタンスなのだそうだ。いつも帰る家ではなくて、でもたまにどうしても会いたくなって行く、というような。正確なことばは忘れてしまったけれど、たしかそんな風に発言していらっしゃったと思う。
配偶者と恋人と愛人の違いについての定義はさておき、しかしそんな思いは私にもわかる気がする。少し距離を置きながら、でも好きだというような。
沖縄が好きかと言われたら、少し考える。私よりもっと沖縄が好きな人はたくさんいる気がするし、好きなんです〜、と簡単に言ってはいけない気もする(そんなあほな)。かっこつけているだけかも知れない。
でもまた行くだろうことは確か。りー氏も一緒に行きたいと言い出す場所なんて、実はあんまりない。
今度は、本島なら南のほう、知覧近辺に行ってみたい。離島なら竹富島探検と、宮古諸島あたりか。

2003年02月24日(月)



 沖縄行き:第5日目(ホテルにて)

朝はゆっくりと起きた。
朝ごはんは、和・洋・中ほかの選択肢があった。朝早くホテルを出発したホエールウォッチングの日(昨日)をのぞき、わたしたちは毎日同じフレンチレストランに入った。



−−−朝食のテーブル。テラスの向こうに海。



−−−舌ではありません。



午前中のすごしかた。
本当は2人揃ってフライフィッシングに挑戦する予定だった。しかし今日も波は高そうだったので、昨日の経験を鑑み、私はキャンセルすることにした。
行ってらっしゃいと送り出す。

船はだめでも車の運転は大丈夫だったので、出かけることにした。ホテルまでの道すがら、ちょっと気になっていたお店(ガラス製品のギャラリー+カフェ)があったので偵察に行こうと思った。

途中に気になるショーケースの店。



−−−山田商店

こんな感じのお店は多い。
中を覗いてみると、



−−−商品。
   揚げ物が中心らしい。おいなりさんやおにぎりなども。

お父さんが作り、お母さんが売り、家族が手伝う店。
ただ写真を撮って逃げるのも気が引けたのので、地元メーカーのさんぴん茶(ジャスミンティー。沖縄でよく飲まれている)のペットボトルを1本買ってみた。
ダンプカーの運ちゃんや軽四の家族連れがぽつぽつと入って買い物をしていた。

目的のお店は見つかった。しかしまだ開いていないようだったので、外からガラス越しに偵察した。
帰りは、旧道を通ったりしてみる。町なかの郵便局のポストから投函。



部屋で本を読んだりしているとぴょんちゃんが帰ってきた。
お昼はホテルの中の日本料理店にランチを食べに行った。

ぴょんちゃんの釣りはとても楽しかったようだ。
釣果の方は、フライでは結局釣れなかったそうだけれど、エサをつけたら1匹釣り上げることができたとか。それから、引き上げることこそ出来なかったものの、とっても大きな魚がひっかかったらしい。引き上げられなかったのは、道具に比して魚が大きすぎたから。
もともと定員5名くらいの小さなツアーだったが、今日の参加者はぴょんちゃん1名のみで、お兄さんにマンツーマンで教えてもらったそう。しかも“ship”もちょっと運転させてもらったとか(これはあんまり大っぴらに言っては、だな)。運転したり立っていたりすると酔わないらしい。

料理店の外の人工池では、本日挙式のカップルが記念撮影をしていた。
結婚式は一昨日にも1組あった。お式は、海を背にしたロビーに祭壇を作って行われる。一昨日は本当にお天気がよくて、ロケーションが映えていた。今日はちょっと曇り空で、それに風が強い。風に吹かれつつ記念撮影。



さっきひとりで行ってみた(偵察してみた)ガラス工房+カフェに2人で行ってみた。今度は開いていた。
いまふうなお店で、巻き貝のような形の小さな一輪ざしを2つ、おみやげに選んだ。それから自宅用に、ソーダ水みたいに気泡がたくさん入った小ぶりのグラスを2個と、注ぎ口がついてペンギンみたいな形の泡盛入れを買った。ゆうパックで送ってもらうことにする。



夕方からアロママッサージを予約していたので(女同士の旅っぽい)、それまで本を読んだり、お風呂に入ったり。
サロンの予約の都合で私が一足先に行く。問診票に記入。ただいま気になる症状などにチェックし、自分の好きな香りとも照らし合わせてマッサージしてもらうオイルを決めた。
アロマオイルで好きなのは、ラベンダーとかゼラニウムだけれど、実際に香りをかいでみると、なぜか今日はそれらの香りにはひかれず、ローズマリーのすがすがしい香りが気になった。問診票をみてサロンの人が勧めてくれたオイルもまたローズマリーで、へええ、と思う。アロマテラピーでは、その時その人が欲した香りに、すでにその人のコンディションを反映されていると聞いたことがあるが、本当なのかも知れない。漢方薬だって煎じているあの匂いからしてもうお薬なのだというではないか。
今回私は全身をマッサージしてもらったが、皮膚がものすごーく乾燥していると指摘される。お風呂から上がったら、ローションとかクリームでは追いつかないだろうから、オイルを塗ってください、と言われる。それからに水分を意識して摂るようにしてください、とも。それほどまでに乾燥しているのか。乾燥気味の肌だとは思っていたけれど。
私が終わったのと入れ違いにぴょんちゃんがやって来る。

部屋に帰ってきたぴょんちゃんからはローズのようなゼラニウムのような甘い香りが立ちのぼっていた。



夜はイタリア料理を食べた。昨日は飲んでいないお酒も飲む。
食事をしているとガラス窓越しに白黒猫が歩いていくのが見えた。

2003年02月23日(日)



 沖縄行き:第4日目(クジラに会いに)

結論からいうと、私は会えたような、会えなかったような。
でもぴょんちゃんはすぐそばで会っているはず。



早起きをした。今度こそ座間味へ行くのだ。
沖縄自動車道経由で泊港へ。ホテルから港までは、富山から金沢までと同じくらいの距離感かと見当をつけていた。土曜日の朝で道が空いていたのか、1時間くらいで到着してしまった。思っていたより早かった。
港へは木曜日にいちど下見に行っておいたから楽な気持だ。

座間味行き高速フェリーのチケットは既に手配してあった。切符売り場の窓口が開くのを待って、この手配済みのチケット(しかも既にいちど乗船日時変更済み)を今日の分に振り替えてもらう。
ツアー主催者から、お昼ごはんをあらかじめ用意しておいてください、との指示があったので購入する。ジューシー(炊き込みごはん)のおにぎりなど。ぴょんちゃんはスパムミートと卵の入った四角い押し寿司のような形のおにぎりも買っていた。なぜかバナナも買ってしまう自分。
高速フェリーはたいそう立派で、テレビなどもついている。韓国の地下鉄火災のニュースを見る。

およそ50分ほどかかって座間味港へ到着。座間味(ざまみ)島は、渡嘉敷(とかしき)島と並ぶ、慶良間(けらま)諸島におけるホエールウォッチングの拠点のひとつである。
座間味でホエールウォッチングをするには、地元のホエールウォッチング協会へ申し込むか、あるいは島内の各マリンショップへ直接申し込むか、そのどちらかになる。協会を通して申し込んだツアー客は、適宜それぞれのマリンショップへ自動的に振り分けられていく。協会を通す方法がおそらく最も一般的だと思われるが、ショップによってクジラとの遭遇率はさまざまでもあるらしい(そりゃそうだろう)。いろいろ調べているうちにそんなことを知り、じゃあショップを検討して直接申し込むほうが納得がいくかも、と思った。そんなわけで今回はあるショップに直接申し込んであった。
今日は土曜日、しかも欠航続きの後とあってか、ツアー客の数もそれなりあった。しかしながら今日も若干波が高くなってきていて、一度に大人数が乗船することは難しいそうだ。それで、どうしても2回乗りたいという希望者を除いて、それぞれが午前・午後の部に分かれて乗船することになった。
私たちは午後の部に振り分けられた。出発まで3時間ほどあった。せっかくだから島の中を散策してみることにした。

街を歩いて行く。小さな島なのですぐに街なかでなくなる。時間もたっぷりあるし、展望台まで行ってみよう、ということで、徒歩30分ほどかかって高月山に上る。車も通れる道で、足元の心配はない。マイクロバスで一気に上っていく観光客一団もあり、しかし私たちはよいしょよいしょと上っていった。
歩いたら距離も高さもいっそう実感できる。晴れていることもあり、うっすら汗をかく。



−−−高月山展望台より、島の東側を望む。
   真珠の養殖も行われているおだやかで美しい湾には、
   ターコイズブルーと青色の二つの色がある。
   ターコイズの部分はサンゴ礁。



−−−南西の方向、座間味市街を見る。港もこの方角。
   海を隔ててさほど遠くない場所に
   いくつかの島が見える。

座間味周辺の無人島への定期航路はないが、頼めば2人以上で渡してくれるらしい。しかも料金は、島にもよるけれど、往復千円くらいから。
山のてっぺんから眺めていたら、行ってみたい島を見つけてしまった。

再び街へと降りていく。

沖縄ではよろず屋的な商店を多くみかけるが、座間味のような小さな島では、その役割もいっそう大きい。食料品を扱うのはもちろんのこと、本屋さんでもありDIYショップでもありドラッグストアでもある。まさに島のデパート。
例えばこんなもの。



−−−黒い線香と黄色いお金。

いずれもご先祖様にお供えする品である。黄色いお金は先回石垣島でりー氏が発見しゲット済み。よろず屋の行く先々でこの2品はまず必ず見かけた。本土の商店にロウソクやお線香が置いてあるのと同じだろう。
島のデパートの品揃えを見ることで、そこに住む人たちの生活の様子も窺うことができる。その土地の人たちにとって何が生活必需品であるかがわかる。

店内をぐるりと廻るとこちらにもお仕事中の方が。
冷蔵庫の前にしっぽ1。



−−−三毛さん。




−−−よっ、つかまえた。

両前足の先には小さいイモリ。


お店を出て港へと近づいて行く。港の近くは、いわば、駅前商店街みたいなものか。

働く猫シリーズ。



−−−看板娘(あるいは看板息子)。

外に出ている猫にはめずらしく、長毛種だった。首の後ろのあたりが皮膚病にかかっていて、気の毒。



−−−げんきでね。

要は、どこへ行っても、猫は気になるんだということ。

港を眺めながら少し早いお昼ごはん。2錠めの酔い止めをのむ(1錠めは泊港を出る時にのんだ)。



さて、いよいよホエールウォッチングである。
白いクルーザーは島を離れた。沖に近づいたころ、順番に2階のデッキに乗せてもらう。前方の海面から霧が上がった。潮吹き。その下にクジラがいる。ほんの一瞬、黒い背中が小さく見えた。
最初のポイントに到着する。クジラと遭遇出来る場所はもちろんその日によって異なる。当日のいろいろの情報と、それから経験とカンで、それぞれの船がポイントを見定めて行くのだ。このポイントには他の船も何艘かいた。



−−−沖へと進む船。2階デッキより。

写真を撮らなかったわけではないのだけれど、観るか、撮るか、どちらかで精一杯だった。撮るにも、デジカメはシャッターが切れるまで若干のタイムラグがあって難しい。それなりの大きさにして見ると確かに潮が上がっている部分もあるようだ、という程度の写真しか撮れず。

それより問題は、最初のポイントの後、次のポイントに移動するまでの間に私がひどく船に酔ってしまったことだ。いやー。

船は方向を変えて走りだした。波の高さと船の揺れとスピードがすべて比例してはげしくなった。
後ろのデッキにいた私たちも当然高い波をかぶり、私はレインコートを着ていたにもかかわらずずぶずぶになってしまった。ぴょんちゃんは靴までずぶぬれだった(後で黒いビルケンシュトックの革靴は潮が吹いていた)。もちろん髪は海水でボサボサ。久しぶりに塩水をなめた。
酔いは、波のせいもあるけれど、クルーザーの後ろから出る排気にやられたのが直接の原因かも知れない。

わー!! という歓声がしたので、よろよろと立ち上がって、背びれというのか、黒い背中の一部分を見た。ここまで見たのち私はダウン。
あとでぴょんちゃんに聞いたところでは、クジラの親子を見たそうだ。黒い部分だけでなく白い部分も見えたそう。

むりやりまとめ。
クジラとは遭遇できた(一応)し、かろうじて潮を吹いている場面を撮影することもできなかったわけではないが(歯切れ悪い)、私は見るべき場面の半分以下しか見ていない。りー氏曰く「ぴょんちゃんかわいそうにー」。私も本当にそうだと思う。ぴょんちゃんすまん。。。しかしもしりー氏と2人で乗っていたら、2人して大変なことになっていたに違いない。
最近は車を運転するようになったこともあって、体調がよくない時とかお天気がよくない時を除いては、酔うということをかなり忘れていたと思う(私は車に酔う子供だったのだ)。そういえば私って酔うんだったと思い出した。そして今回はかなりひどかった。
クルーザーに乗るまえ、「もし世界一周をするとしたら、船旅と飛行機と、どっちがいいと思う?」と、ぴょんちゃんに能天気な質問をしていた。ちなみに船酔いしなかった(でもあとちょっとであぶなかったかも、と)ぴょんちゃんは、飛行機旅がよいと言った。船は途中で降りられないから。
私はと言えば、沖縄に来る直前に阿川弘之の船旅紀行を読んできたこともあり、ひそかに船旅に憧れてもいたのだが、これはいったん棚上げだな、さすがに。

ホエールウォッチングについて、乗り物酔いの経験が人より多い人は、ある程度船に慣れてからの方がいいかも、と思う。あるいは経験者に、船に乗るorホエールウォッチングのコツをよく聞いて行くことを勧める。出来れば余裕ある日程で、島に泊まるなどして、なるべく波のおだやかな日を選んで行くとなおよいのではなかろうかとも思う。私もまた乗ることがあれば気をつけてみたい。そうしたら今回ほどひどいことにはならないかも知れない。今もし乗るとしたら、強力な酔い止めの力を借りなくてはならないだろうけれど。

船内で涙を流しながら寝て(むりやり眠って)いるうちに、いつしか再び座間味港へ到着。
帰りの高速フェリーの時間まで若干あったので、ひたすら休息。酔い止めをもう1錠のむ。

いつかダイビングに挑戦してみたいと思っているのだけれど、絶好のダイビングスポットに到達する前に船酔いでボロボロ、なんてこともあるのかなー、などとあれこれ考えた。こんな顛末であったとしても、自然の一面を体感させてもらったことに間違いはない。
でも泊港に着いた時、とても嬉しかったことも事実。

私たちの乗ったフェリーは急病人を運搬していたらしく、泊港には救急車が横づけされていた。座間味にも診療所はあったようだが、処置にも限界があるだろう。大事でなければいいと思った。



帰りはR58をゆるゆる走って、再び名護のホテルに戻る。
毎晩お酒は飲んでいたけれど、さすがに今日は一滴も飲まず。普通の疲労とは違った身体の感覚。まだ揺れているようで、ふぬけのようになっていた。ぽわーん。



後日談。
ある日、これら↑の海の写真を並べつついろいろと思い出していたら、夜、夢を見た。ダイビングに挑戦する夢。
りー氏は全くダイビングに興味がないというので、もし挑戦としたら、私はりー氏抜きでレッスンに参加するなり海に潜るなりしなくてはならない。
私には「あまり(比較的)興味はない」ということはあっても、「全く興味がない」ことはあまりない。「ちっともわからない」ことにも感動を覚える(これは尊敬の念に近い)。もし可能なら何だってやってみたいさ。

海中展望塔の中から海底を眺めていた時、やっぱり海の底って山の中の谷みたいだと思った。「やっぱり」というのは、石垣島でグラスボートに乗った時もそう思ったからだ。身を沈めていく、と思ったらこわいけど、底にたどりついたらそこにも地形がある、と思ったら、こわくないんじゃないかと思えた。海をなめてかかってはいけないのは当然だとしても。

2003年02月22日(土)



 沖縄行き:第3日目(名護あたり)

またもやホエールウォッチングツアー欠航。くじら〜(涙)
というわけで今日は名護近辺を探検の日とする。

まずは超・近場からいってみよう。
ホテルにもさまざまなアクティビティが用意されている。
その1・グラス底ボート。ガラス張りの船底から海の中を覗くことが出来ます。

問い。これはなんでしょう。



答え。水。
船端から身を乗り出して見た海の水。
確かに水色なんだけど、じゃあほんとにこんな色した水がふだんまわりにあるか、といえば、そうはない。
八重山でも見てすでに知っていた色だけれど、やっぱりきれいだな。



−−−海の風に吹かれております。

潮風に吹かれながら「釣りしたーい!」と叫ぶ人。
もともと海や魚は好きだったらしいぴょんちゃんは、いま、たまたまお仕事でも魚と関わっている(といっても氷見−−ひみ。寒ブリで有名な港町−−の魚河岸勤務とかではない)。でも釣りの経験はない。というわけで、釣り欲求がふつふつとわき起こっている模様。
ちなみに私は釣りよりむしろ潜ってみたい。

お次は海中展望塔へ。



−−−展望塔のガラス越しに見る魚。



海の後は半島一周ドライブ。
山の中のとても居心地のよいカフェに行く。



−−−屋根の上にはシーサー。

私たちは、ウチナー(沖縄)ドメスティックおやつとも言うべきチンピンとぜんざいを頼み、シークァーサージュースおよびコーヒーとともにいただいた。
チンピンは黒糖味のクレープ。ぜんざいは温かいものと冷たいものがあるそうだが、今日はとてもよいお天気なので冷たい方をお願いしたぴょんちゃん。冷たいぜんざいは一見氷あずき風だが、小豆のかわりにうずら豆をあまく煮たものが添えられている。甘味としてはこれまた黒砂糖を用いている。
チンピンはいかにもお母さんとかおばあちゃんがフライパンで焼いてくれたような食べ物。黒砂糖の甘さがなんとも素朴でほっとするようで、とても印象に残った。沖縄で食べたいろいろな食べ物の中でも特に心に残った。味だけでなく、場所や景色やお天気も含めてすべての記憶かも知れない。本当になんということのない食べ物だから。いやだからこそあの景色の中でいきたのかも知れない。ゆっくりゆっくり食べた味が忘れられない。



−−−2階の縁側にて。



つづいて今帰仁(なきじん)城跡へ。石の城郭・石畳・石垣の残る中世の城跡。
琉球の北部(北山)を統率した王の城(グスク)。かつて本島北部での一大勢力拠点として栄えたと伝えられる。
城へは山の中をぐるぐるドライブした後にたどりついた。車を降りてさらにいささかの石畳を上っていった。
てっぺんまで上ったら海が見えた。今帰仁の王様(殿様じゃないんだな)はずいぶんよいところにお住まいで。

入場券売場に猫の写真が貼ってあったので、猫がいるんですか?と尋ねてみた。2匹の捨て猫をかわいがっているそうだ。

入場券売場(小屋)の横に丸くなっている猫。



とその拡大図。



もう1匹の白猫も、一般客立ち入り禁止の調査区域@世界遺産でお昼寝していた。窓口の脇に、猫のえさ募金の箱があったので、私も500円玉をひとつ入れた。
かわいがってもらうんだよ。
(石垣の写真も撮っていないわけではないのに、猫の写真を載せる自分。)



海沿いを選ぶように車を走らせる。
橋を渡って行かれる島があるというので、渡ってみる。瀬底島という。ぐるぐると道なりに進んでいくと、そのうち畑の中に入っていき、行き止まりになった。Uターンをしてまた同じ道を戻った。それだけで、島の中ではお金も落とさず、何もしていない。でも行ってみた。あ、ぴょんちゃんは絵はがきを投函したな。



再び名護市内に戻る。市庁舎にもしっかりシーサーが鎮座まします街。
食事を摂るにはまだ少し早いかな、と言いながら、さびれた街の中(ぴょんちゃん曰く、「高岡の街みたい」)を歩く。



−−−早めの晩ご飯。タコライスとタコス。

タコスの皮がやわらかくておいしかった。タコライスもおいしかった。
タコスの中身は牛肉をチョイスした(他に鶏肉の選択肢があった)。久しぶりに豚肉以外の肉を食べた気がする、と言い合った。

ふだんi-modeで検索をしたりすることは殆どなかったが、ここのところお天気(具体的には波の高さ)が気になる毎日だったので、予報サイトをしばしば利用した。べんりべんり。
その結果、明日こそはたぶんクジラツアーに行かれるだろうと判断し、名護市街のスーパーで準備の買い物をする。その他、ぴょんちゃんは乾燥機用柔軟剤シート(外国製)も購入していた。日本製よりリーズナブルなんだそう。



−−−ホテルから眺める夕焼け

あまり波が高いと、クジラは海上に出てこないそうだ。
さあこれで2日お休みしたから、明日はひとっ働きたのんだぞ。



個人的には、この日は、今回の旅の中でも特に思い出深い、好きな1日として記憶されている。そこそこ動いて(あんまり歩かなかったけど)、でものんびりもして。
うんと遠出をしたわけでもないし、ちょっと贅沢な遊びをしたわけでもないのだけど。

2003年02月21日(金)



 沖縄行き:第2日目(R58・残波岬)

本来なら座間味へホエールウォッチングのため渡航する予定が、あいにくの高波で中止となった。幸い日程には余裕があるので、明日以降の適当な日に再びチャレンジすることにする。
とりあえず、夕方借りる予定にしていたレンタカーを、午前の配車に変更してもらった。チェックアウトをすませ、昼前にホテルを出発する。
まず最初に泊港まで行ってみた。座間味への船はここから出ているのだ。心づもりとして偵察しておこうという次第。
港のターミナルビルにスーパーがあったので寄ってみる。先日の八重山行きでは完全なパックツアーのため、こういう場所(地元の人にとってのごく日常的テリトリー)に行くことがなかなか難しかった。
生鮮食品売場で目をひいたのはやはり豚肉コーナー。



豚肉が多い。しかも薄切り肉や挽肉ではなくかたまり。あるいは骨付き。あるいは内臓。よく出汁の出そうな。ぺらぺらした薄切り肉じゃだめなんだと言わんばかりにどーんとパック詰めされて並んでいる。置くと音がしそうなボリューム。
他に目をひいたのは、そば類の充実(ゆでうどんやゆでそばのような扱いで沖縄そば−−ものによって呼び名は違うが−−のめんが並んでいる)、豆腐の存在感だろうか。
豆腐は1パックが大きい。料理番組では、材料の分量を示す際、地域性に考慮しなくてはならないというが、「豆腐1丁」というと沖縄ではたいへんなことになる。もっとも、東京と富山でも1丁の大きさは違う。東京では1丁300g入りが標準だが(そして多くの料理番組・料理本でも基準となっていると思われるが)、富山では200gだ。
紀○国屋でも明○屋でもなくごくごく普通のスーパーマーケットなのに、外国製の品物を見かけたことも印象に残っている。このスーパーに限ったことではなく、他のスーパーでもそうだった。肉の加工品やお菓子や日用雑貨などがあたりまえのように陳列棚に滑り込んでいた。

今晩からは名護のホテルに泊まることになっていたので、R58沿いのドライブを楽しみつつ、北上していく。今日しなくてはならないことといえばホテルのチェックイン(とホエールウォッチングに関する確認の電話)だけなので、地図を見ながら適当に走っていく。
R58は片側4車線の大きな道路だ。富山にはこんな大きな道路はないので運転していてちょっと緊張する。車の量も多い。でも飛ばしている車はあまりいなくて、速度遵守で皆さん流れているという印象だ。
Yナンバーの車を初めて見た。車のナンバープレートの「あ」とか「て」とかいうひらがな部分に「Y」のアルファベットが付いている。米軍関係者の車を意味する。ぴょんちゃんは横浜出身なのでYナンバーの車はよく見かけたそうだ。
だんだん街の雰囲気が変わってきた。「北谷(ちゃたん)」だの「嘉手納(かでな)」だの、ニュースで名前を耳にしたことのある地名が見える。日本だけれど日本ではない場所。

読谷(よみたん)村・残波岬の方へまわることにした。



−−−海の色がちがいます。



−−−海とぴょんちゃん。
   この時すでに「釣りしたーい」と叫んでいたような。



−−−風に吹かれまくる人(撮影:ぴょんちゃん)。
   こんなにいいお天気でも、波が高くて船は出られない。

近くの公園にはヤギの親子やにわとりたちがいた。昨日君の友達を食べたばかりだよ・・・子ヤギはとてもかわいかった。
再び国道に戻るようにして、途中でお昼ごはんを食べる。ぴょんちゃんはいろいろ入った幕の内、私はスミ汁定食。スミ汁というのはイカスミ汁の意である。真っ黒なおつゆの中に白い(黒っぽくなっているけど)イカの身が入っている。食べるともちろん歯は黒くなる。ちなみにメニューには「ナカミ汁」というのもあった。ナカミ汁というのはイカのはらわたまるごと入れた汁物である。これもおいしそうだ。ナカミはおそらく「中身」だろう。とってもわかりやすい名前。

読谷村より名護まで、本島北側の海沿いにはリゾートホテルが多い。今日宿泊するホテルもその中の1つ。小さな半島が全てホテルの敷地になっている。
チェックインして部屋に落ち着く。しばらくはここが私たちの「家」。



ホテル内のライブラリーに行って借りてきた本は、沢木耕太郎『若き実力者たち』(文藝春秋、1973)と、田辺聖子『姥ざかり』(新潮社、1981)の2冊。
『若き〜』はたぶん沢木の初めての単行本。『深夜特急』を読んだ時に著書をまとめて読んだが、なぜかこの本の記憶はない。たぶん読んでいないのだろう。
この人のルポルタージュの、ちょっと悪趣味な−−なんと表現したらよいのだろう、気味悪いというか取材対象に対する斜に構えた見方というか居心地の悪さというか、そんなもの(もちろんそれらが魅力ある切り口となっていることは言うまでもない)を、久しぶりに読んで思い出した気がした。
田辺聖子は、出発前にたまたまテレビで話しているのを観て、なんやらかわいい人だなあと思って気になっていたため。単行本は小学生の時にわけもわからず読んだことがあるくらい(「カモカのおっちゃん」のシリーズとか)。それから『暮しの手帖』で連載されていた『乗り換えの多い旅』は印象に残っていた。

村上春樹訳、フィッツジェラルドの『マイ・ロスト・シティー』(中公文庫)もあり、これも借りてこようかと思ったけど、こういう場所でフィッツジェラルドを読むというのはいかにもすぎるような気がしてやめた。



夕食後、座間味のマリンショップへ再び電話。
相変わらず波は高いそうだ。というわけでホエールウォッチングツアーは明日も欠航となる。本当に会えるのか?クジラ!

2003年02月20日(木)



 沖縄行き:第1日目(那覇)

沖縄に行った。ぴょんちゃんと2人で行った。
5泊6日の旅。

霜の降りた朝まだ暗いうちに家を出た。りー氏に富山駅まで送ってもらった。
実は今日は私の誕生日だ。りー氏はおよそ祝うということをしない人だが、富山駅のロータリーに寄せた車から降りるときに、「おめでとう」は? と言うと、なぜか「ばんざーい、ばんざーい、ばんざーい」と手を3回上げた。それから二度寝をするためにりー氏は家に帰っていった。
金沢まで電車で行き(私の乗った車両にはおじさんと2人だけ)、そこから小松空港行きの高速バスに乗る。30分ほど電車に乗ったところでぴょんちゃんが乗車。こんなに朝早く会ったことはないので不思議な感じがする。
小松空港よりJTA便にて那覇空港へ。



そもそもはこんなことだ。

あるさむーいさむーい冬の日にぴょんちゃんから1通のお便りが届いた。
そのハガキには、旅のお誘いです、という一文があった。1週間くらい旅に出ましょうと。
おしわかったよ。

行き先の選定にあたってはそれなりの検討があった。海外に行こうかという話もあった。実は私は外国に行ったことがない(パスポートは持っている)。りー氏とはしないような旅がいいな、とかいろいろ考えた。
旅の基調だけは決まっていたのだ。のんびりしようと。
それから、毎日私たちは寒いところにいるのだから、ここより寒いところじゃなくてあったかいところに行こう。
というわけで沖縄に行くことにした。ぴょんちゃんは行ったことがないというし、私も本島は知らない。
その後、泊まりたいホテルを最初に決め、ホエールウォッチングをイベントらしく加えた。今回はぴょんちゃんのお友達のSさん(旅行代理店勤務)のお手を煩わせた。



小松から2時間ほどで那覇空港着。お天気はあいにく悪く、空港をとりまく水色の海とサンゴ礁を見下ろすことは出来なかった。確かにぴょんちゃんにとって沖縄は初めての地だが、私にしたってたった1度来たことがあるきりだ。なのになんとかきれいな風景を見せてあげたいとまるでツアコンのように一喜一憂する自分がおかしい。沖縄だって雨や曇りの日はあろうに(というよりむしろ、お天気が不安定な地でもある)、いつも「写真のような」青空を見せてくれると思ってしまう。
タクシーでホテルに向かう。チェックインの時間まで間があったが、荷物を預けてお昼を食べに出かける。バスに乗って牧志の公設市場へ。
ホテルの近くにバスターミナルがあり、そこへ向かうが、そもそも「牧志」という地名が読めない(まきし、と読む)。



−−−沖縄市内を走るバス。ウルトラマンのよう。
   後ろに見えるのは1日目に宿泊したホテル。

バスの窓越しに国際通りを眺める。道の両側に観光客目当てのお店がたくさん並んでいる。人はたくさんいるのだが、道が狭いせいもあるのか、どこか昭和の名残を残したようなごちゃごちゃした印象がある。



−−−牧志市場の猫。
   お客さんからもうまいものをもらっているらしい。
   衛生管理面とかそういうことはあまり気にしないように。
   赤い竹製ベンチの下に薄茶、奥のスツールの下に三毛。

豚肉度の高い生鮮食品売場を横目に、市場二階へ上っていく。いくつもの食堂がぐるりと並んでいる。そのいずれかに入ろうと思うのだが、どこに入ったらいいのかわからない。あまり込みすぎていない一角のお店に決める。
沖縄そばとゴーヤチャンプルーと海ぶどうを注文。
まだ沖縄にも旅行にも慣れていない。テレビで「まんてん」が流れている。確かに朝は早かった。でもだってまだお昼だ。
おなかがいっぱいになった。特にどこかへ行こうという思惑もないままにぶらぶらと歩く。

特に決まった予定もないまま、というのは、この旅全般にあてはまる姿勢かも知れなかった。座間味島沖でのホエールウォッチングの予定は入れていたけれど、これも変わりやすい沖縄の天候で2日延期になったから、その間予定もくるくる変わった(ことをこの時点での私たちは知らない)。

そういえばこの近くに陶芸の盛んな場所があるはずだ、というのでめざして歩く。ゆるやかな坂を上るように、壺屋と呼ばれる地区にたどりついた。
あちこちにシーサーがいて、ぴょんちゃんは心奪われている模様。私は猫に心奪われている。猫だけでなく犬も見かける。
陶芸品を置いてあるお店も覗く。いろいろな絵葉書が置いてあったので、何枚か買う。
工房が集まるこの一角は、落ち着いた雰囲気の住宅街でもある。沖縄に特有の白い壁の家が多い。空き地に、無造作に捨てられた陶器の破片がある。
ぷらー、ぷらー、と歩く。ちょっときょろきょろすることも忘れずに。



−−−壺屋の一角にあった電機店。
   細かな部品類がガラスケースに入って売られている。

三越の隣りの民芸品店(洗練された感じのお店)で、しまうまのような鹿のような模様の小さなポーチをぴょんちゃんに買ってもらう。買おうかどうしようかと考えていたらお誕生日プレゼントに買ってくれた。おそろいで。うれしいな。
うろうろしているうちに疲れてきたので、スターバックスでお茶を飲む。
道行く人を眺めつつ作戦会議など。ほどよい時間になったので、いったんホテルに戻る。

夜。
沖縄料理を食べつつ、ちょっと飲むことも出来るようなおすすめのお店はありませんか、とホテルの人に尋ねて、勧められた国際通りのお店に行ってみる。
沖縄料理をいろいろ頼む。
ミミガー(豚の耳)、ヒラヤーチー(チヂミのようなお好み焼き)、ナーベラー(へちま)の煮物、クーブイリチー(昆布の炒め煮)など。ラフテー(豚の角煮)もあったか?
それから、山羊の刺身。1切れだけ食べた(話の種に)。



−−−誕生日の晩餐。
   テーブルセンターは紅型。バティックのよう。
   手前のカラフルな箸は沖縄では一般的らしい。
   食堂などでよく見かけた(暮れに石垣島で購入済)。



−−−沖縄旅行団団長@食事中

お酒は泡盛のカクテルなど。

外は小雨模様。
明日のホエールウォッチングはシケのため中止となった。代替案を考える。
そして初日からおやすみも言わずに眠りこける自分。実は滞在中ぴょんちゃんにおやすみなさいと言ったのは二晩くらいしかない。残りの三晩はいつの間にか眠りこけていた。

2003年02月19日(水)



 箇条書き

朝。
昨日結束しておいた古新聞古雑誌の山を出す。空きビンも出す。出したのはりー氏。結束は私。田舎の中学生時代、生徒会で毎月1回廃品回収をしていた(予算捻出のため)。昔取った杵柄?
なんにせよすっきり。
今日のお弁当のおかず3品、中間色でやわらかい色合いになった(自己満足)。

りー母からカードが届く。

昼。
ほええ、と思うできごとひとつ。
当事者にならないとわからないことは多いな。その都度立ち止まって(急ブレーキのことも多いが)自分の意向を確かめる、ということのくりかえしだ。

りー実家に寄る。カードのお礼などを伝える。
実家に寄る。
のいは浴室のドアを自力で開けられるようになっていた。その方へ行かせないように、他のドアが開いていないか注意する必要がある。
たぶん今は人間でいうと中学生とか高校生くらいの年齢に相当すると思われる。猫の学生さんはぐんぐん成長中だ。

祖母は今日家のまわりで小さな黒猫に遭遇したらしい。いいな子猫。会いたいな。
食べ物にはちゃんとありつけているのかな。

家庭教師先のEちゃんは、結局、自分の力にふさわしい高校を受けることになった。つま先立ちにはならないということだ。
終わってから雑談などする。ちょっと遅くなる。でもまあいい。

夜。
遅い晩ご飯。昨日の残りのシーフードカレー。冷凍のシーフードミックスを使ったのだが、まったくもって魚介類のにおいで驚く。
明日の確認など。



そんなわけで明日からしばらく留守にします。
ちょっと、また、南の方まで。

2003年02月18日(火)



 ・・よりも

牛乳より豆乳の方が好きだ。
以前から気になっていたスゴイダイズをスーパーで見かけたので、2個買ってみた。普通の豆乳は大豆を絞って作ったもので、おからが別に出来るけれど、「スゴイダイズ」は固形(おから)と液体(豆乳部分)とを分けずに、まるごと絞ってしまったという代物である。
バレンタインデーのために作った生チョコ、チョコレートとクリームを溶かしたボウルに、少しだけ固まって残っていた。そこへ牛乳のかわりに温めたスゴイダイズを入れ、さらに湯煎をして溶かし、ホットチョコレートもどきを作ってみた。これは14日の朝、りー氏に出した。
その後自分でもスゴイダイズを飲んでみた。
豆腐と大豆の水煮をミックスして丸ごと飲んでいるみたいだ。のどごしにザラザラとした繊維質が感じられる。

牛乳よりヨーグルトが好きなので(プレーン限定。贅沢言って牛さんごめんよ)、さわやかヤスダヨーグルトも気になっているところだ。近所のスーパーではまだ見かけない。

私はたぶん、肉がなくても生きていけるんだろう。菜食ではたんぱく質としてしばしば豆製品を使うが、卵も好きだし、魚も好きだ。

りー氏はあまり私にものを尋ねることはないが、私はしょっちゅうりー氏にはかっている。
私は懐疑的になりすぎて混乱する(こういうところはほんっとにいまだ80年代的だと自分でも思う)。対するりー氏は、あまり迷わずに判断を下していく。
もっともりー氏が自信満々な人というわけではなく、たまたま、私が考え込んでしまう質の事柄に関してはそういう傾向になるというだけのことだ。反対にりー氏の方が慎重な部分もたくさん、たくさんある。
ときどき、余所で、自分とは異なる見方(価値観だったり距離だったり温度だったり)に出くわすことがある。それはそれでしようがないことなのだろう。現実は現実だ(それでも一応あがいてみたくはなるのだが)。問題は、異なっていても、違うことを認識し許容しあえるかどうかだ。
もちろん、「同じ」であれば居心地はいいに決まっているけれど、「そうは思わない」ということだってある。そんな時のお互いの応対でこそなにかわかるのだ、なんて、そんな物言いや発想すら不遜。


久しぶりに手紙を書いた。

2003年02月15日(土)



 雑雑

郵便局に行き、確定申告をし、銀行に行くなどする。
書店に定期購読分の『猫の手帖』を取りに行く。
寿岳文章訳・ダンテの『神曲』が文庫で出たというので、もしやあるかしらと思い、平積みの棚などざっと見渡したけれど、見あたらず。そのかわりに野口晴哉『風邪の効用』のちくま文庫版を見かけたので購入。

作業をしながらいろいろ思うところはあり。
そこまで私が振り回され悩む(というと大げさだけど)必要があるのかと。



今月号の『猫の手帖』は読者からの投稿写真が多く掲載されていて、いつもよりいろんな猫さんたちに会えた気がしてとてもうれしくなる。いろんな猫がいるんだなーと思い、やっぱり猫が好きなんだなーと再確認し、そしてのいのことを思う。

たまたま手元の雑誌に、動物(ペット)との相性を占うページがあった。
私はのいに対し、〈気まぐれなきかん坊に振り回されたい!〉と思っているのだそうだ。「扱いにくく、気まぐれなコに対して、可愛らしく甘えてくるペット以上に深い愛着を感じ、むしろ偏愛してしまいそう」云々。コメントを読んでいると、そういう一面もあるかも知れないと思える。
しかしそれ以上に納得したというか笑ってしまったのがりー氏との相性。
〈良くも悪くも似た者同士で永遠のライバル〉。
永遠のライバル。まえからのいのことをそう言っていたよねえ。



夕方、生チョコをつくる。
たいへん簡単なレシピで申し訳ないので、せめて材料くらいはいいものを使おうと思い(材料を選べるのが手作りのいいところ)、クオカで注文してあったチョコレート、フレッシュクリーム、ココアパウダーを取り出す。
フレッシュクリームをあたため、チョコレート(セミスイートとスイートと2種類使ってみた)を溶かし、型に流し入れる。今日はここまで。
溶かすためのチョコレートを削るのが案外たいへんだけれど、今回はチップ状のものを使ったため、ますますお気軽に出来てしまった。あまりお菓子を作ったりする方でもないけれど、年に1回だけ作っている。

ふと思い立ってにんにくの芽を夕食の炒め物に使ってみた。
「またにんにくの芽使ってね」
好物なんだねー。>りー氏

2003年02月13日(木)



 春の隣

朝、久しぶりにお弁当を作る。
作業的には大したことをしていないのだが、比較的時間があるため、もたもたと(ゆったりと、とは言うまい)時間をかけてみた。

家で地味ーな仕事。
午後、気分転換のため外に出る。レンタルビデオを返し(借りた2本のうち1本は結局観ていない)、車のガソリンを入れ、市立図書館で本を返却し・予約し・借りる。
図書館のカウンターにインターネット予約のための手続き用紙があった。せっかくだから早々と手続きをする。といっても実際の稼働は4月1日から。パスワードを忘れてしまいそうだ。
それからピングーお花見弁当箱獲得に向けて具体的に行動(=ドーナツを630円分買う)。今回の獲得カードは2枚(300円につき1枚のため)、獲得点数は3点。
累積点数はこれで6点。カード2枚につき3点ずつ獲得している計算。10点につき1個の引き替えだから、この調子でいくとあと千円分ほど買わなくてはならない。



日が長くなった。車で川を渡りながら傾きつつある陽をながめる。
春はあけぼの、というけれど、私は春の夕方が(も)好きだ。
今の時節は、現代の暦のうえでは、また実感としても、まだまだ冬なのだろう。けれどふとしたときに旧暦そのままに春を感じさせるような時もあって、春なのか冬なのか、なんだかもどかしいような気になることもある。
冬というにはもうすでに何かが確かに兆している気もするし、まだ少しためているのもそれはそれで悪くない気もするし。



お地蔵さんの隣の家では、今日、れいの茶トラが1匹だけひなたぼっこしていた。のいよりずっと目がほそい。
以前はかならず他のきょうだいたちと一緒だったのに。なんで他の猫たちはいないんだろう。白茶さんや白黒さんやサビ猫さんたち。
なんでだろ。

2003年02月12日(水)



 ぽつぽつ

何とはなしに日々が過ぎてしまいました。

今日でないある日のいろいろ。

雪すかし(除雪)をしたりー氏。
「猫の足跡があった」
なに! またにぼし置いとかんなんね(=置いておかなくてはならないね)。
でも暮れに猫用にぼし処分してしまった。
「なんで? オニー!アクマー!」
置きっぱなしで酸化してしまったかもと思ってさ。

あたらしいスーツとくつを買ってきたりー氏。
茶色のくつに目が行きがちなりー氏だが、スーツに合わせる靴は黒色だ。
新しいくつはモンクストラップ。
1年生。このうえは名前入り鉛筆でもお祝いに贈るべきか。

駅前の交差点で信号待ち。
何気なく横を見ると、定休日の商店の前に白猫がいた。
あらにゃんさん。
見たところ年配の白猫は、隣りの店先(これまた定休日)まで歩いていったかと思うと、緑色したビニール製の足ふきマットの上に座り、ガッガッガッと爪を研ぎはじめた。

お地蔵さんの角の家の子猫その1に久しぶりに遭遇。
おお、ずいぶん大きくなっている。あれはたぶんきょうだいのなかでいちばんやんちゃな茶トラだろう。お地蔵さんの前をゆうゆうと歩いて隣の家の垣根に入っていく。
顔つきがひろ(甥)と似ている。
のいとは全く違う顔。猫の同級生(たぶん)よりは人間の先輩に似た顔。

前髪の分け目のところ、微妙に毛が抜けている気がする。円形、とまではいかないけれど脱毛風。
ストレス・・・はどれがどれだか。幸い、髪の量は多い(そういう問題でもないか)。

その後ドーナツの点数はちっともたまっていない。

久しぶりに「午前様の夫を待つ妻」をやってみたら、なんだかそわそわして、のいー、と思ってしまった。うちに猫がいてくれたらなー、と。
「つまりおれは猫の替わりということか」
猫ハモットカワイイ?



今日のこと。

誰もいない実家に行ったらのいが留守番をしていた。
なんだかちょっとふとったんじゃないのかい?
まあ、いいか。

たった今右手首に小さい小さい水ぶくれを発見。やけど?
いつの間に出来ていたんだろう。

2003年02月11日(火)



 思い出/ドーナツ

昨夜はAちゃんち@金沢に泊まった。
そお君は生後4ヶ月が経った。首もしっかりすわって、あーとかうーとかいろいろ表現するようになってきた。快いにせよ不快であるにせよ、意志が伝わることは面白い。
本当は富山に来てもらってもよかったのだけど(Aちゃんがのいに会いたいというし)、インフルエンザがちょっと心配だし、もう少しあたたかくなってからの方が、と母に言われて、それもそうだなと思い直して、やはり私が出かけて行った。



Y先生がお亡くなりになった。
教わったことはない。お話ししたこともない。ただ人づてに話を聞く程度だった。
卒業証書は(当時)学部長を務めておられたこの先生から手渡しでいただいた。後に総長になられて、ますますお忙しくなって、健康上の理由でおやめになったと聞いている。

あー、この先生は、きっと照れ屋なんだろうなあ、でもって、学生と接することが本当にお好きで、話しかけられるだけでうれしいと思っておられるのだろうなあ、と、遠巻きに思っていた。なんだかそんな人のように見える、と、教え子であるところの同級生に尋ねたら、はたしてそういう人なんだと言っていた記憶がある。
Y先生が総長でいらしたということが、そのまま、あの大学の象徴であったような気がする。総長なんかになるのはもったいないという気持と、総長でいて下さるなら大丈夫だという気持と(そんなことは在学中にはリアリティのないことだったけど)。だから今朝AちゃんちでH新聞−−なぜか地方紙なのに写真入りだった−−を開いた時、あっ、と、思わず声を上げてしまったのだ。
先生さようなら。



実家の祖母は、来月の初旬からしばらく福岡の叔母のところに行くことになった。
「のい、さみしくて家の中をばたばたにせんかのう(しないかなあ)」
大丈夫だと思うけど・・・でも今まで夜はばあちゃんと一緒に寝ていたわけだから、さみしいか。
たまには泊まりに行かなくてはだな!


ミスタードーナツに行く。ふだんは殆ど行かないのだけれど、今日はノベルティー目当てだ。
今回の景品は「ピングーのお花見お弁当箱」で、4種類の中から選ぶことができる。
「術中におちいっとる」
どうせおちいっとるわい。と言いつつ、高校生の時も集めたりはしなかったし(オサムグッズは好きだったけど。あれ?)、たぶん花見という言葉にやられたんだな。
今日が獲得への道の第一歩。とりあえず1つもらうまで2千円ぶんくらいドーナツを買うことになるのか・・・

ドーナツを選ぶ時には好みが出る。
自分で食べるとしたら、シュガーレイズドとかホームカットとか、せいぜいフレンチクルーラーあたりの、ごく普通のが好きだけど(フレンチクルーラーにアイシングがかかっていないとさらによい。それはフレンチクルーラーなのかという問題はあるにせよ)、頂いたりするといろいろ入っている。クリーム系とか。こんなのがあるのか、と気づく。
りー氏はチョコファッションなどが好きだ。
ドーナツ以外のものも少しは置いてある。以前は飲茶などもやっていたが、添加物騒動の影響か、今は縮小されてしまったようだ。
結婚する少し前のある日の夕方、引っ越しに備えて(既に借りてあったけれどまだ住んではいなかった)今の家で雑用をしていたら、会社帰りのりー氏がミスドの大きな肉まんを買ってきてくれた。二人して肉まんを食べながらパソコンを設定したことを覚えている。
でもりー氏はぜんっぜん覚えていないそうな。どうでもいいことをよく覚えている/すぐに忘れる家族を持つと苦労しますな。フッ。

2003年02月05日(水)



 モウモウ

今日はぴょんちゃんとごはんをたべた。
再来週の計画を立てた。

家に帰るとモウモウとあぶらくさい煙のにおい。にんにくの芽と豚バラ肉を炒めたらしい。
りー氏がひとりで料理をして食べることは珍しい。

モウモウあるいはもうもう、またはモーモー、もーもー。
煙るさまでも牛の鳴き声でもなくて、小さい頃、お化けをこう呼んでいた。
「そっち(夜、暗い場所など)行ったらもうもう来るよ」
と母に言われたものだ。幼児語なのだろう。しかもたぶんローカルな。
その種の語として他には「こち」という言い方もある。よそ・向こう・あちら・遠く、というような意味らしい。
「こち行かんが(よそに行ったらだめよ)」
今は「モウモウ」って言わないんだろうか。そもそも「もうもう」ってなんだろ。
食生活はどっぷり富山ネイティブなのに富山弁の基本語彙も知らなかったりする(「ねまる」=座る、を知らなかった)りー氏に聞いてみたらなんと知っていた。
「だってあんた言っとったから。・・・だらだ」

ってことは日記に書いたこともあるのだろうか(忘れている)。
いずれにしてもにんにくの芽と豚バラ肉を炒めると出るモウモウとは関係のない話。

ところで気づくと部屋がきれいになっている。
えらい! ありがとう!>こびとさんりー氏

節分なので豆まきをした。
玄関と縁側と(本当は家じゅうの窓という窓からまくべきなのだけれど)。
それからお風呂場。お風呂場の方はりー氏が担当。

2003年02月03日(月)



 梅見月

中国では今日が新しい年の始まりらしい。

映画の日。
郊外のシネコンに「水の女」を観に行く。
「水の女」のサイトによれば、上映館は概してミニシアター系が多いようだ。監督は富山ゆかりの人ということで、自らプロモーションに来ていたりもした。シネコンでの上映は富山だけである。もっとも、富山にはユーロスペースとかバウスシアター@吉祥寺とかシネモンド@金沢とかシアターキノ@札幌みたいな映画館がないのだけれど。

観覧後。
これってテレビで見た方がしっくりきそうだよなあ。
と思っていたら、りー氏は「NHKの単発ドラマでやってそうな感じ」と言った。
なんでそう思うのだろうか。
UAはまあよかったか。
りー氏は浅野忠信の関西弁がとても自然だったと言っていた。たしか神奈川出身の人だったと思うから、耳がいいのだろう。
結末についてはあれでハッピーエンドなんだろう。



実家に寄る。たまにはのいにも会わせてあげよう。>りー氏
シュークリームを少し持っていたので、祖母にあげて、一緒にお茶をいれる。
なにかを食べたい時、のいは人の両足に自分の前足をひっかけるようにして身体を伸び上がらせる。
ちょーだい、ちょーだい、ちょーだい。
まあ自分だけ食べられないのもちょっとかわいそうな話ではある(と言いつつ、父には、人間の食べ物をやってはいけないと言い続けているのだが)。
つめが伸びていたのでりー氏と2人がかりで切ってやる。ごほうびにちょっとだけクリームをなめさせてやる。自分の鼻までなめている。


愛情だけでは結婚は続かないというらしいけど、と未婚の人に言われ(その人は既婚者にそう言われたことがあるらしい)、そうなんだろうか、と思う。
どう思う? と、りー氏にたずねてみる。
「わからん」(やっぱりな。)
しばしあって。
「ごはん」

「ごはんがあったらつづくとおもう」
そりゃそうだ!

愛情だけで云々という言葉の意味もわからなくはないけれど、でもそういう言い方は好きではない。いかにも未婚者に対するわけ知りな言葉という感じがしていやだ。
広義でのコミュニケーション(を取る努力)が足りなかったら続かないとは思うけど、それは別に結婚に限ったことではなく、友情だって血縁姻戚関係だって同じだ。


夕食。
久しぶりに普通のごはんを作って食べる。りー実家から貰ったブリのみそ漬け、漬かり(漬からせ)すぎてしまった。
さすがにしょっぱかったね。

2003年02月01日(土)
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