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みんみん



 ふーん、なこと

その1。
最近、とある高校の(かつての)クラス名簿を見たら、男子→女子の順序だったのでりー氏が驚愕していました。今のは知らず。

振り返って私どもの通っていた高校(共学)のクラス名簿、順番は男女混合でした。
入学時の席順は名簿順だったけれど、私の前後の席はどちらも男子。
でもそんな高校でも組長は男子で副組長は女子って決まっていました。男子の方が数も多かったけれど。


その2。
先日、初めて国民健康保険の被保険者になりました。
父もりー氏も社会保険加入者だったので、国保のしくみを知ったのは初めてですが、もらってびっくり。私の健康保健証なんですが、表紙にはりー氏の名前が書いてあります。
そして加入の手続きをしたのだけれどちっとも保険料の振り込み用紙が来ないので、どうしたのかなーおかしいなーと思っていたら、先週末りー氏が「おれ宛てに届いていた。31日中に振り込んで」と振込用紙をくれました。市役所に問い合わせて初めてそれが「世帯主たる自分宛に届いた、妻が被保険者となっている国民健康保険」の振込用紙であると判明したようです。
りー氏は自分宛ての郵便物を人に開封されることを大変いやがります。もしりー氏がずーっと留守だったとしたら、私は*りー氏宛ての*保険料をずっと払えないままおかしいなおかしいなと思っていたかも知れません(まあその前に「こんな手紙が来たよ」と連絡して同意のもとに開封していたでしょうけれども)。

(りー氏が長い間留守にすることはないけれど、私はたまに留守な時もあります。そんな時には適当に判断して開けてもらっています。何時までに○○、とか急ぎの指示があると困るので。)

保険料は「国民健康保険税」という言い方をするようです。そしてその税金は世帯ごとにかけられる、という考え方のようです。世帯主が社会保険の被保険者であっても、保険料を払っている被保険者は別にいても、保険証の表紙に記されるのはあくまでも世帯主の名前。違和感ー。

・・・と思っていたらこんな言葉にぶつかりました。
擬制世帯主。これはりー氏のことです。国民健康保険上の世帯主が私。
保険証の名義を擬制世帯主から国保上の世帯主に変更することも可能であることがわかりました。そりゃそうだろな。

なぜ世帯ごとに「課税」するのか。保険料の徴収を確実にするためだと想像します。
私の中では国民年金料と健康保険税は同種の支払いとして認識されているのだけれど、国民年金はあくまで個人の一生を問題にするということでしょうか。健康保険税は掛け捨て、国民年金は積み立て式の保険であるという違いはあります。
って本当に年金はもらえるのか、とかいうのは、オチとしてはありがちでつまりませんね。

2003年03月31日(月)



 いちねんせい

きょう、りーし(注:りー氏)のじっかにいったら、りーかあさんが「りーのこどものときのえがあるよ」といいました。
わたしはりーしのこうこうせいのときのえをみたことはあるけれど、こどものときのえをみたことはありません。それで、とてもみたいとおもいました。
えんがわのしょうじのところにうしのえがありました。えは、りっぱながくぶちにはいっていました。りーしはうしがすきだけど、こどものときからうしがすきだったんだなとおもいました。
みどりいろのがようしに、しろくろのうしがかいてありました。それから、ちゃいろのさくと、あおいそらもかいてありました。それから、うしのしっぽとあしはしましまでした。それから、うしのおなかのほうにぴんくいろのものがかいてありました。きっとそれはうしのちちだろうとおもいました。
とてもよいえだとおもったので、うちにもってかえりたいといったら、りーしはだめだといいました。どうしてだめなのかわかりません。とてもかわいいえなのに。
そして、わたしは、ひょっとしたらえのうらがわに、りーしのじがかいてあるかもしれないとおもいました。しょうがっこういちねんせいのときのじをみたいとおもいました。それで、がくぶちをはずしました。そしたら、せんせいのじでなまえとだいめいがかいてありました。
だいめいをみてわたしはおおわらいしました。



「おおきいおっぱい」



そこしかみていないのかとおもいました。


わたしはおかしくておかしくてたまらなかったので、りーかあさんに「えのだいめいをしっていますか」とたずねました。そしたらおかあさんは、「しっているよ。いやみだわ」とわらいながらいいました。
でも、たしかに、おおきいおっぱいはちゃんとかいてあったので、だいめいはただしいとおもいました。
おわり。

2003年03月29日(土)



 今後の予定

来月は松阪に行って、5月は関西、6月は東京だと思う。
「あれ、あんた、今月東京に行くっていってなかった?」
んー、あれはやめた。
「なんで〜」
いや、取り急ぎという感じではなくなったから。それに、3ヶ月連続で行くからちょっとおとなしくしていないと。
「お金下ろしてでも行けー!」
いいよ疲れるし。。。

そんなに留守にしてほしいのか?
それならどれだけでも実家に泊まりに行くぞ(のい〜)。

ま、残り数日となった今月は行かないが、最後の言葉はシカと聞き届けたぞ。



今日はよく働いた。

日中は引っ越しのお手伝い。台車で何往復もした。
心配していたお天気もかろうじて持ち、また何より想像以上に作業がはかどった。成果が目に見える仕事はいい。
まったく、お手伝いだとバリバリ働く気になるのはどうしてだ。

それから、数年(10年近くか?)越しの宿題を片づけた。小さい仕事だけど、とてもすっきりした気持だ。
まだ作業は残るけれど、そろそろ本道にも戻りたいし、これはこれで一段落。



映画blueのパンフレットが届く。ノート(のスキャン画像)をお貸ししたお礼である。
映画サイトのトップページに見える懐かしいコクヨのキャンパスノートは私の持ち物。コクヨ本社にも現物はなかったらしい。たまたまこのサイトを作った人が知り合いで、その方の個人サイトでの呼びかけに応じてデータを提供したという次第。映画サイト(およびノート)は「Web Designing」4月号にも登場している。
ちなみに中身はT先生の講義ノート(履修していなかったので数回分のメモのみ)。これはこれで面白いはず。



なかなか寝つけなかった。
アイスコーヒーを1杯、シナモンカプチーノを1杯、エスプレッソを1杯飲んだからかな(しかも同じ店に2回行って)。
1日2杯までなんだな。

2003年03月27日(木)



 みえるみえない

見えないことっていろいろある。
のいと出会って猫が*見える*ようになった(理解しているというわけではない)。
病気をすると健康な身体のありがたさがわかるようになる。
まだ見えていないことがたくさんあるのだろう。そう思うと末恐ろしい。自分の狭量さが。
まだまだ見ていないものごとひとがたくさんあるのだ、と考えてもよいだろうか。

まず、自分で(あるいは信頼出来る人と共に)静かに考えたい。主客転倒しないように。



毎週火曜日は生協の日(共同購入の配達がある日。実家で加入)なので、実家に行く。
祖母はまだ福岡の叔母のところだ。

車から降りて入口に近づいた私の姿を認めると、窓越しにのいが「にゃー」と鳴いた。
勝手口の鍵を開けて入ろうとすると、お隣りのMさんちの庭(こないだのいが集会に参加した場所)に熊猫が座っていた。「遊びに来とる」、と、おじさん。

実家で注文した分と私が注文した分を、それぞれ、冷蔵庫に入れたり取り分けたり。
その間のいは、流しに上ったりしている。「そこはあんたの上るところじゃないやろ?」と言って目を合わせると、(上ってないよ)と言わんばかりにさっと下りる。

掲示板にも書いたけれど、今日は面白い風景を目にした。
外で他の猫の気配がすると、のいはどこにいてもそれを感じ取り、うなり声を上げてそわそわと落ち着かなくなる。今日、その視線の先を見てみると、納屋の裏の方(栗の木のある場所)へ、見たことのないサビ模様の猫がのっそりと歩いていくのが見えた。
しばらくして熊猫が、隣の家から実家の裏手に停めた私の車の下に移動してきた。さらに先ほどのサビも両親の車の下に隠れた。そこに今度はのいと同じ茶トラの猫(のいより年かさなので「先輩」と呼んでいる)がどこからか現れ、都合3匹の猫が2台の車のあたり、微妙な距離を取りつつうずくまっていた(いわゆる箱座り)。猫の集会だ。
しかも3匹の猫は、のいがいる方を向いてうずくまっているようにも見えた。のいもまた、3匹のいる方を向いて、自分も集会に参加しているかのように箱座りをしていた。
推定するに3匹は皆オス猫だが、けんかする風でもなく(実際のいが集会に参加した時も無傷だった)、淡々とお互いを気にしつつそこにいるようだった。父に言わせると彼らはのいがいるのを見越して集まるようになったというのだが。
ところで先輩の姿を久しぶりに見たのだが、久しぶりに見る先輩は、のいよりほっそりしているように見えた。昔は本当に大きく思えたのに、すっかりのいの方が大きくなってしまった。外猫は運動量が違うのだろう。ノラだとすればなおさら。

窓越しにのいが見ていると思うと3匹のところへはなかなか行かれないけれど、でも応援している。

2003年03月25日(火)



 チャーハン

りー氏が21時前に帰ってきたので驚く。
今日は、夜、いきいき文化財博士養成講座の開講式に出るため、早めに会社をひけたらしい。講座は、建造物・美術工芸・史跡の3コースからなり、りー氏が受講するのは建造物コースである。想像していたより受講者の年齢は若かったようで(年配の方ばかりではなかったという意味)、しかもえらくたくさん人がいたそうだ。
それにしても、「いきいき」とか「きときと」とかつくといっぺんにふにゃふにゃと萎えた気持になるのはなぜだろう。講義内容はふにゃふにゃではないと思うのだけれど。受講生にもやる気があるのだろうし(たぶん)。
夏の終わりには、りー氏も立派な「いきいき文化財博士(建造物)」になっていると思われますので、せいぜい、案内役として利用してください。ギョウザ1皿、ラーメン1杯、お好み焼orとんかつ1枚より承ります(本人の許可なく勝手に営業)。



夕飯はりー氏の希望によりチャーハンを作る。
「ごはんに溶き卵をからめておいて炒めると、パラパラとほぐれやすいらしいよ」とりー氏が言うので、レンジで解凍したごはん(りー氏の要求に従い、大量)に卵を溶いて混ぜる。ごはんが大量だったので卵も多めに入れる。
フライパンにねぎのみじん切りとにんにく、それから焼豚がなかったのでベーコンを炒め、くだんの卵かけご飯を入れる。黄色いごはんが黄色いまま加熱されていく。フライパンは満員電車状態。チャーハンっていっぱいいっぱいにして作ってはいけないんだけれど、なまけている。
そして出来上がったチャーハン(当然大量)を大皿に盛る。盛ったら小山が出来た。おつゆのしたくもしていたのだけれど、2人ともおつゆにまで至る気力がない。

料理を大量に作りすぎた時なんかにのみ、りー氏は「新婚さんだし」と言って笑う(今日は言ってないけど)。




後日談。
大量のチャーハンは当然残って、これまた残った他のおかずと共に、翌日のりー氏のお弁当となった。ねぎを足して炒めなおしたのだけれど、お弁当箱に詰められたチャーハンを見てりー氏が一言「パエリア?」−−−黄色いから。

2003年03月24日(月)



 特別番組

夕方までほぼ家にいた。
お昼すこし前くらいから、どのチャンネルも同じような番組を流しはじめた。そんなことは、直近では一昨年の9月11日以来だ。
その翌日、12日にわたしはちょっとした手術をして(といっても全然大したものではない)、今から考えたら大げさに自分の身の振り方について考えてみたりし(笑われるかもしれないけどでもその時には真剣だった)、ちょっと泣いたりもしたのだが、そんなとき、どのチャンネルに変えてもてろてろてろとやっていたのには本当に参った。
私はあまりテレビをみる方ではなかったのだけれど(最近はわりとみている)、その時はバカバカしいバラエティ番組とか、普段だったらいよいよみないような番組がみたくてならなかった。でもそんなのはどこでもやっていなくて、しようがないからETVの福祉番組をみたりしていた(そうか、ビデオでもみたらよかったのか)。

いま、病いを抱えている人はどんな気持だろう。

悪者は地獄におちる(えらい簡略化)、と、物の本には書いてあるにしても、それを人間が自ら口にすることはできるのだろうか。人間は神でもないし仏でもない。

2003年03月20日(木)



 ますのすし

を食べました。

ますのすし、富山の人は日常的には殆ど食べません。
昔、実家に来ていた行商の魚屋さんから、木製の大きくて立派な押し寿司器(?)をもらって、その人の指南のもと、母が手作ります寿司を作ったことがあるけれど、家庭では殆ど作りません。あくまで、たまーに、何か機会があると(県外からお客様が見えたとか)、買ってきて食べる程度です。
でも、どのお店でます寿司を買うかは、家々によって異なります。駅弁大会なんかに必ず並んでいる○(漢字一字、イニシャルはM。パッケージには中川一政の絵)のます寿司でないことは間違いないかも。

今日食べたのは、東町(於保多神社ならび)の「小林」というお店のものです。私とわりと食べ物の好みが似ている友人2人が勧めていて、ずっと懸案事項になっていたのです
ます寿司について、りー氏は「前留」というお店のものが好きで、私は「せきの屋」(漢字で「関野屋」というのもあるからややこしい)のものが好きです。前留のは味が濃い。欲を言えば、ちょっと薄めなますの身がもっと厚ければいうことがない、と思いつつ、「せきの屋」のすしは酢で締めた魚の味がして、何より食べ慣れたものです(これは実家の好みでもあります)。

さて、今日のますのすしは、おいしかったです(とここで話が終わってしまう)。
まず、ますの身が厚くて、やわらかい。今日は2段重ねを買ったこともあり、なんだか、すしケーキといった雰囲気でした。食べていくとやっぱり魚のすしなんだけれど。
すし飯はちゃんと酸味があるけれど、ますは酢に負けることなく、脂の甘味が感じられます。名物といったところで実際に富山の川でますが獲れるわけもなく、これは(も)輸入ますであると思われます。
もうちょっと魚が酢で締めてあってもよいのでは、という気もしなくはないけれど、これはもう個々人の好みです。魚の生臭さとレアな感じの境界線は。

小林のますのすし、「(全国)発送中心なんじゃない」とはりー氏の弁です。
駅では一般的に売っていないし(駅前ビルの物産コーナーには日替わりで並んでいる)、発送が中心なのでしょう。なるほど宅配便の荷物が店先に並んでいました。
私たちが次にますのすしを食べるのはいつのことやら。



ちなみに、同じ押し寿司で、「みょうが(茗荷)寿司」というのもあります。スーパーのおそうざいコーナーに売っているのを見たこともあるし、おうちで作ったのを頂いたこともあります。実家でも作ったことがあったような気がします。ますの切り身よりみょうがの方が手に入りやすいせいもあるかも知れません。
これはこれで、シンプルですが、またおいしいものです。

2003年03月19日(水)



 ホワイトデー

実家方面に用事があったついでに実家へも立ち寄り、りー氏より母へのお返しを届け、父からのお返し(母の見立て)をもらってくる。

あんた昨日外に出かけたんやって?
みんな心配するからあんまり出んほうがいいよ。
と、甘え猫に訓話(する猫バカ)。

オフィス街にあるコンビニエンスストア−−父の勤務する会社の前だったりする−−に立ち寄ったら、社章を付けたおじさんたちが複数名、残り僅かとなった棚からホワイトデー用菓子を買い求めていた。
時間は16時をまわっていたと思う。これってしかし、買うタイミングとしては微妙じゃないか? もっと早くに渡したりはしないのかな。それとも、やっぱり忘れていたか。買うだけかわいいものだとみますか。
かくいう父は会社の人宛てには自分で買ったのかなあ。昔は自分で用意していたこともあったようだけど。いずれにせよお返しを忘れることはないと思う。



CMにおけるクマ問題・追加。
つぼ八(居酒屋の)には「つぼっち」という赤いクマのキャラクターがいるらしい。

いろいろ面白い特集が多い@ニフティ・デイリーポータルZの今月の連載。お花がたくさん咲いている。

2003年03月14日(金)



 おつかい/脱走劇

家から2番目に近い本屋さんへ、定期購読の雑誌を取りに行く。
今日は1日遅れで(地方なので)『猫の手帖』が発売される日でもあるので、「取りに行かされている」ではなくて「取りに行く」気持である。だが、どういうわけか本日はまだ入荷していなかった。とても悲しい。
そのかわりに、というわけではないが、I波書店の書籍を中心とした一部の商品が80%オフ(!)で売られていたので2冊購入。I波新書と同ジュニア新書を1冊ずつ。
ジュニア新書のシリーズは内容がわかりやすく具体的でよい。NHKの「週刊こどもニュース」みたいな感じというか(もっとお兄さんお姉さん向けだけど)。中学校の図書室で出会って以来、ジュニアでなくなった今もたまには購入する。
それとI波文庫のリクエスト復刊から1冊。これはプロパーで。
80%オフ書籍はしばらくすると90%オフになるようだ。60%→70%→80%と期間を追って段階的にお安くなっているらしい。ハードカバーの書籍には、私の興味関心と一致するものはないようだったが、I波新書やI波文庫(特に赤帯)は比較的広範囲に数多く陳列されていた。
希望の書名をお知らせいただければ調査のうえお買い物承ります(笑)。

日中はお手伝いに行く。
後で、同じような時間に同じ建物の中にT(上の弟。阪神間在住)がいたらしいことを知る。

明日はホワイトデーなので、りー氏のかわりにお返しを買い求めるべく、清水町の洋菓子店・プラリーヌに行く。会社の女性3名ぶん、プラス私の母のぶん、計4セット、小さな焼菓子の詰め合わせを買う。
夜。買ってきたよ、とりー氏に伝える。
「おれ、プラリーヌで買ってきてって頼んだっけ?」
プラリーヌは地元のケーキ屋さんの中でりー氏がいちばん好きなお店である。
石焼き窯のパン屋さん・ボブのバナナケーキにしようかとも思ったけど、小分けな方がかわいらしくていいかなと思った。OLさんは見ているところは見ていらっしゃるわけなので、こういうところで気を抜いてはいかんのだよ。ただお返しを買うだけならどこでだって買えるだろうけど。
と、恩を売っておく。
私については、好きなものを買ってきなさい、だそうな。えー、高いぞ。



用事があったので母に電話。
「今日びっくりするようなことがあってねえ」、というときは、のいの話かも、と思ったら、やっぱりそうだった。
夜、父がお客様に対応しているあいだに、のいが外に出て行ってしまったらしい。しかもその時点で逃げ出してしまったことを父は把握していなかったらしい(これもちょっとどうかと思うが)。
両親とも帰りが遅かったのだが、母の方がより遅かった。
「お母さん帰ってきたら、お父さんがパジャマ姿で駅(注:無人駅。実家のすぐ前)から出て来たんよ。お父さん、気が変になったんかと思ったわ」
実は父はのいを探していた(パジャマ姿で)。
結局のいはお隣りの家で発見された。その時近くには、このへんがテリトリーであるところの大きな茶トラ猫(「先輩」と呼ぶことにする)と、れいの熊猫もいたという。庭先に茶色い姿が見えたので、母が「のいちゃん」と優しく呼ぶと、ちゃんとわかったのか母の方へ歩いてきた。
「のいの姿が見えたとき、涙が出そうになったよ」
もっとも最初に近づいてきたのはは熊猫で、君じゃないんだよ、と思わず(もちろん富山弁で)話しかけてしまった母。さいわい、のいは先輩や熊猫とけんかした形跡もなく、無事母に抱かれて帰宅したのであった。
さすがにこの一件は大いにのいにとって運動となったらしく、帰るなり残していたエサをがつがつ平らげていたという。

「そりゃ外に出たいよなあ」とりー氏。

2003年03月13日(木)



 

のしかたというものがあるわけでもないだろうし、すごーくいっぱい旅しているわけでもないのだけれど、旅は好きかもしれないと最近思いはじめた。
最近購入した本−−スコス ステーショナリーズ・カフェ/寺村英次・浅井良子『文房具と旅をしよう』(ブルース/インターアクションズ、2001)に掲げられていた「旅行中の鉄則」とは、

1.高い所に上る。
2.たくさん歩く。
3.スーパーマーケットに入る。
4.おいしい物を食べる。

というもの。
民俗学者宮本常一が父から教えられた十ヶ条(『民俗学の旅』講談社学術文庫)もよい旅のためのヒントになるが、こちらの「鉄則」は現代的なバリエーションとも言える。

旅をするのは、見知らぬ世界を知るためでもあるし、自分の日常を確認するためでもあると思う。
移動すればそれがすなわち旅になる。だから、いつだってワープすることはできるし、仮に逃げても逃げおおせることはできない。なにかやだれかから逃げるのではなくて、だいたい自分から逃げようとするだけだから。でも逃げるのは得意かも。気持よく逃げおおせているかどうかは別として。
これは私のばあい。



るすばんのいに会いに行く。
ノドをならすことといったら、たいへんなものである。最近は、以前のようにただひたすら甘えまくるというよりも、いたずらをしかけてくることの方が多く、会うなりごろごろいうことは少なくなっていたように感じていた。でも、さすがにずっとひとり(擬人的表現)というのはさみしいのか(人間に都合の良い解釈)、今日はほんとうによくのどを鳴らした。

キッチンカウンターの上の筆記用具を取ろうとして、その方向に歩いていくと、のいもささささっと素早く移動して私の足元に待機している。あんたまで一緒に移動かい、とほほえましく思っていた。でもたぶんちょっと違うのだ。
筆記用具のある場所の近くにはのいのえさ入れが置いてある。ごはんは、毎日決められた分量をはかって、決まったタッパーに入れてある。そのタッパーが筆記用具のすぐそばにあって、ちょうど足元の方にはのいの食事コーナーがある。
単にきみは腹ペコなだけなんだな。
ちょっとかわいそうだったのでタッパーから少しだけ取り出してやった。
がつがつ食べていた。



ぼちぼち沖縄の旅の記憶をひっぱり出してきております。


2003年03月11日(火)



 手帳を買う

目覚ましをかけずに起きる。
だからといって遅くまで寝ているわけでもないが、それでも、拘束されている感じがないのはいい。



りー氏と共に実家へ。
久しぶりに猫にちょっかいをかけるりー氏。のいの現在の体重は4.5kgくらい。
父は猫用おもちゃを買いにチューリップ市(仮)まで出かけていって留守だった。富山市内ではなくわざわざ西へ向かうのは、ただチューリップ市方面に行きたいからで、他に理由はないようだ。普段行かない場所に行きたいのだろう。
ファ○ーレ敷地内のカ○マにだって、のいの大好きなねずみのおもちゃ(一番安いタイプ。安上がりな猫)は売っているのだけれど、チューリップ市に行きたいらしい。



4月始まりの手帳をようやく買う。数年来ずっと同じ型の手帳を使っている。4月始まり・月曜日始まりの手帳。
そろそろ来年度の予定などを記さなくてはいけない時期に来ている。しばらくは2冊の手帳を平行して眺めることもあるだろう。もっとも、今の型の手帳を替えた頃から、過年度分の手帳は捨てずに取ってある。いろいろのメモ書きを保存するために。

2003年03月09日(日)



 物と私

Nちゃん最後の家庭教師。
3月に入ってから1週間に3回ペースで通った。試験日は来週の火・水曜日。発表は再来週。
最後にお母さん(P○LAレディ)からバラの香りのボディソープとバスエッセンスを頂戴する。ありがたいことであります。
本人から知らせが来ることを祈るばかり。周りもどきどき心配だけれど、いちばん不安で心配なのが本人であることは言うまでもない。



実家方面に行ったので実家にも寄ってみた。
今日は祖母が福岡へと出発する日なので、たぶん両親は留守だろうと思っていたらはたして留守だった。
玄関も勝手口も鍵がかかっていて、のいに会えないぞ、と思ったけれど、どこか一箇所くらいは開いているだろうと家の廻りを徘徊したらはたして一箇所鍵が開いていたので(だめじゃん!)、そこから侵入、もとい入っていった。

いつもなら迎えに来るのだが、お迎えはない(確かにいつもとは違う場所から入ってきたけど)。
のいー、と呼んでみるけれど返事もない。
どこかいな、と思って振り向くと、食卓の祖母の席(エアコンの風が当たるいちばん暖かい場所)に丸くなって、チラッとこっちを見ていた。
鼻先に指を差し出すとペロペロなめた。頭を撫でてやった。でもそれだけだ。
もう見るからにねむそうだ。ねむー、一応なめとくか、チラッ、という感じ。
さみしくなったので撤退した。



最近、雑誌を買いがちだ。
もともと雑誌は好きで、学生の時から毎回買っているものもあったが(定期購読ではない)、最近は購入数もめっきり減っていた。買ってもきちんと読み通していなかったり。
買い物は手っとり早いストレス解消法でもあるが、デパートなどでばしっと買い物が出来るのは、ある程度気持にハリのある時で、もっと自分の中でダメダメ感が強くなると、本屋さんで雑誌を複数冊手に取っていたりする。ちょうど折良くというか折悪しくというか、雑誌の発売日近辺だったりすると買う甲斐がある。

私はりー氏と違って、読み終えた雑誌は特別のケース(仕事関係である、特集がとってもとっても面白い、など)を除いて処分している。面白いと思えた特集も、取っておいてしばらく経ったら処分してもいいなと思えることも少なくない。
物がない白い箱の中で暮らせたらどんなにいいだろうかと思うが、それはさすがに無理のようだ。少なくとも今は。物を所有したいという気持はあまりないのかも知れない。物が多いのがいやだ。・・・しかし買い物は好きだ。だから買う時はなるべく考えるか、さっさと処分するか、どちらかになる。
さっさと処分する、というのはしかし、自分に許されていることなんだろうか?とも思う。それは、贅沢な話だと思う。となると、よく考えて買うよう(あるいは広義での二次利用が可能なように)心がけるしかない。その心がけが遂行されているかどうかはあやしい。

2003年03月08日(土)



 試写会

Nさんのお誘いで、『ラストプレゼント』の試写会に行く。会場は、先週の土曜日に『戦場のピアニスト』を観た郊外のシネコン。
試写会に行くのは初めてである。Nさんは映画がお好きでよく観ていらっしゃるようだが、試写会に当たったのはこれでようやく2回目とのこと。
近くのちょっと洒落た感じのお菓子屋さんでオレンジパウンドケーキを買い、手みやげにする。

『ラストプレゼント』は、Nさんのお友達(アメリカ人)曰く「韓国映画らしくロマンチックな感じ」らしい。ストーリー性があり、観客も感動移入することの出来る映画なのだろうと解釈する。終演後、涙を浮かべていた人もあったようだ。
夫も妻も(夫婦の話なのだ)、大事なことをお互いに正面から伝えようとせず、すれ違う。しかしそれは、夫婦によくありがちな自己中心的な思いからではなくて、むしろ自己犠牲的気遣いの気持が高じてなのだった。というようなところがロマンチックといえばロマンチックか。

映画やコンサートが終わった後に食事をしながら話をしつつクールダウンできる場所が少ない。夜遅くまでやっているお店が多くないという理由もあるけれど。だいたい10時で終わってしまう。というわけで今回はファミレスへ。
話は、映画のこと、仕事のこと、個人的なこと、その他。

21日にYパパ(先生)の最終講義が行われる。
教えを請うたことはないけれど、お酒はご一緒したことがある(そんなんばっかり)。祝日なのは、聴講者の便宜をはかってか。
私もその講筵に列しよう。

2003年03月07日(金)



 最近のくま

CMより。

その1。
オタフクソース
オタフクソースの宣伝には30秒も要らないので、くまでも見ていてくれ、というもの。笛を吹いてたいこをたたくおもちゃのくまが登場。
ただ音楽が流れているだけ、という別バージョンもある(もっと他のバージョンもあるのかも知れないが未見)。

その2。
チェルシー
女の子がうたた寝をしているすきに、チェルシーを取り合ううさぎとくま。
取っ組み合いしなくても私があげるよ! と思う。



実家に行く前にコンビニに寄り、車に戻ったところで、さとし君に会った。実家のおとなりさん。
家から実家に行く途中の道沿いにあるお店だから、遭遇する可能性がまったくないとはいえないが、思いがけなくて、あれ、と思う。
向こうも私のことを認識してくれていたようで、一瞬、じっと見ていた。それでああやっぱりさとし君だ、と確信して、手を振る。



実家に来ている黒い子猫のこと、祖母は「熊猫」と言っていた。

2003年03月06日(木)



 ひな祭り

外に出たらあたたかかった。空気がやわらかいかんじがした。
こういう日に春一番は吹くのかな、と思っていたらやっぱりそうだったようだ。
でもそれは朝だけの話で、そのうち雨が降って、昼には本当に寒くなっていた。
明日は雪が降るとか言っているから。



夕方、実家のおひなさまに会いに行った。
もう30年余のお付き合いだから、「見に」というよりは「会いに」という方が心情に近い。前々から出してあっただろうに、今日になって(しかもほぼ手ぶらで)行っているしまつ。
おひなさまは座敷の床の間の脇に飾ってある。
日が暮れてはりきっている猫(なぜか夕方はやんちゃ度が増す)はオスなのでおひなさまはあまり関係ないが、一応顔見せに行く。しかし床に下ろすとたいへんなことになるので、しっかり腕に抱えておく。
ぼんぼりも付けてしばし眺める。

ひな祭りの日はいつもちらしずしを食べることになっていた。
今日は母の帰宅が遅いので、実家では昨日食べたとのこと。「冷蔵庫の中にかんぴょうやしいたけを煮た残りがあるから、持って行かれ(=行きなさい)」と言われていた。遠慮なく頂戴して帰る。かんぴょう、しいたけ、にんじん、れんこん。ありがたい。

帰宅するなり米を研ぎ、浸水して、酒少々を入れ、昆布を敷いて炊く。
その間にすし飯用の甘酢を作り、菜の花をさっと湯がき、おすまし用の分を少しだけ取り分けて、後は塩昆布と和えておく。薄焼き卵を焼く。さめたらくるくる巻いて細く切る。錦糸卵を作るのはけっこう好きだ。
近所のスーパーにはまぐりは売っていなかった。もう売り切れていたのか。そんなわけでおすましの具は菜の花とわかめ。
生のほたるいかを茹でる。鯛のお刺身と。

食後に道明寺。
昔、JRで天王寺から奈良に向かったら、途中で「道明寺」という駅があった。もちろん道明寺粉を使った桃色の菓子が先なのではあるまい。
関西、特に奈良・京都の駅名地名は、そのまま歴史の教科書のようでいちいち驚いてしまう。「○○之荘」とか。
大学生のとき、奈良の大学に行った友人から届いたハガキに「今日は授業をさぼって自転車で1時間かけて唐招提寺まで行った」というようなことが書いてあったことがある。私とは違う時間と空間の中に住んでいるのかと思われた。

かつて東京在住だったころ、旅行に行きたいなあ、と母に言ったら、「あんたは毎日旅行しとるようなもんやろ」と言われたことがある。母にとっては東京は見知らぬ地のひとつだったから、憧れの意もこめてそう言ったのだろう。
確かに富山にはないものがあるだろう。そういう意味では旅行だ。しかしそれとはまた違う意味で、確かにあの頃は毎日旅行しているような気持だったことも事実だ。
今だってそうかも知れないけど。

本当は私の誕生予定日はひな祭りの日だった。でもこの春らしい日には生まれてこなくて、雪の降る日に生まれて来たらしい。臥薪嘗胆?

2003年03月03日(月)



 THE PIANIST

今日から3月。

郊外のシネコンでポランスキーの『戦場のピアニスト』を観る。
レイトショーだったが、そこそこ人は入っていたようだ。たまたまお昼(に放送されるのだ、富山では)の「開運!なんでも鑑定団」で、実在の人物であるところの主人公のピアニストのご子息が登場されたことは関係するのだろうか。

上映時間は約2時間半とかなり長いが、最後まで一気に見る。
面白いとは思うけど、パルムドールを獲るほどの映画かなあ、とりー氏。
「最近少なくない戦争映画のパターンという気がするし、カンヌの受賞パターンなのかなという気もして。『鬼が来た!』と同じじゃないかと思った」との旨。
『鬼が来た!』を観ていないのでなんともいえないけれども、それは違うんじゃないかなあ。香川照之怪演と伝え聞くのでつい勝手なイメージをふくらませてしまうだけなんだけど。

ホロコーストを描いた映画は他にもあるけれど、ひねりがない、という感想は他の人からも聞いた。
この映画ではやはりショパンの曲がかなり大きな意味を持っているのだろう。ピアニスト「だった」男が、ドイツ人将校の前で、戦時下のポーランドで、ショパンの曲を弾く。当時ポーランドではショパンの曲を演奏するのは禁じられていた。これより約100年前、ポーランドという国は世界地図の中になかった。祖国を失ったショパンは亡命している。
戦争が終わり、最後のシーンで演奏するのは、ショパンの「アンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズ」(オーケストラ用に編曲されたもの。この曲といえばホロヴィッツの演奏が思いうかんだが、そういえば彼もユダヤ系)。男は再びピアニストの生活を送るようになる。

最初の方はこちらもひたすら(ナチス)ドイツへの憎悪を共有するのだが、ストーリーが進むにつれて状況は変わってくる。
誰か「だけ」を悪者にしようとする映画ではない。
虐殺シーンについては、映画だから実際に目の前で殺人が行われているわけではないと知りつつもやはりどきりとする。今行われていないだけでかつて行われていたことは事実だし(今だってどこかで行われているのかも知れないし)、だからもういちど観たいかと言われたらためらってしまう。音楽のあるシーン−−実はそんなに多くはない、そのことが逆に効果的でもある−−はもういちど観てみたいとも思うけれど。

2003年03月01日(土)
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