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みんみん



 ほんの2、3日

ながら、ちょっとこぶさたでした。
元気は元気です。

今週はばたばたしていて実家にも寄れずにいました。
昨日の午後、人と猫の話をしていたらむしょうにのいに会いたくなって(実は寝る前にも「のい〜」と思えてならなかったのです)、雪道を運転して実家に行きました。
夕方に行くとおなかをすかせているのでにゃーにゃー言っています。祖母が「お父さんが帰って来られたらごはんもらわれ(=もらいなさい。尊敬語の命令形!)」と言ったからか、帰りはまだかとじっと小さな窓枠のところに座って外を眺めています。
爪が長くなっているのですがおなかがすいているときに切ることはむつかしい。おだやかな昼間なら大丈夫なので、また今度にしましょう。なるべく早くに。



地方在住ということもあり、ネットで時折本を購入します。
新本だけでなく古本もよく買います。その種のサイトでは、検索語彙を入れると一度に全国の古書店の在庫情報が反映され、比較検討のうえで買うことができるので本当に便利です。
先日大阪の古書店で本を購入したのですが(思えば暮れから数えてこれで3回「日本の古書店」経由で買い物をしているけれど、それぞれ違うお店でこそあれ、いずれも大阪の本屋さんだったような気がする・・・)、メールマガジン購読会員に登録して図書券をもらってしまいました。抽選の結果ですが、500円分ではありますが、しかしとってもうれしいです。
図書券をもらうと、ちゃんと選んで吟味して買わなくてはーと思ってしまいます(今はわりと見つけた時に勢いで買ってしまえという感じになっていますので。もちろん金額にもよりますが)。



なんだか知らないうちに(句)読点の少ない文章を書くようになっていたんだなあ、と気づく出来事がありました。もともと長い文章はあまり好きでないのですが(といいつつ金井美恵子の文体はクセにもなるのですが)、気がついたら一文はそう短くもなくなっていました。
さらに、以前より(句)読点と(句)読点のインターバルが長くなった気がしてもいます。読点は、打ちすぎると間延びしてしまうし、少なすぎると息切れしたり文がねじれてしまいそうにもなるしで、むつかしいところです。
読点が多いと宇能鴻一郎みたいになってしまうし(笑)。って読んだことはないけど。
読点が多いといえば田中康夫の小説もそうです。

金井美恵子も田中康夫も、小説作品はどちらも好きです。長さだけではないんだな。
ディテール描写にリアルさがある小説が好きなのかも知れないと、いま、ふと思いました。



夜、Hと電話。
今年に入ってから彼の身に起こったいろいろな出来事について。

2003年01月30日(木)



 あと少し

目覚まし時計がわりにセットした携帯電話のタイマーが気になって眠りはとても浅かったが、りー氏がふとんの国にやってきたことはわかった。
今何時?
「7時。うそ。4時」
朝の4時まで仕事をして(いると見せかけて途中から書斎で寝て)いたらしい。
私が居間でうたた寝をしているとだらしないと言ってとても怒るけれど、書斎で寝るのはうたた寝ではないんかね。
携帯のタイマーが5時半に鳴る。すぐに止めたけれどあまりに眠くてさらに50分ほど寝たところで目が覚める。目が覚めてよかった。
たとえ4時まで起きていたとしてもゴミ捨て当番(りー氏担当家事。まとめるのは私)は免除されない。

朝、外に出ると、春みたいだと思った。
小雨が降り、南風が吹いているから。

今日でひと区切りする仕事2つ。
うれしいと思う気持と、これでよかったんかいなと思う気持と。
あまりに開放感があったので、夕方、やったー終わったー、と思ってしまったが、実はまだ終わっていないのだった。

大阪に届いているであろう黄色いお花のアレンジメント。
お店(アズールさん)から写真を送ってもらい、見る。少し紫がかった花などもアクセントに添えられている。
自分で花を選ぶと、つい似たような雰囲気を持ったものばかり取り合わせようするけれど、質感が異なるものを合わせて、それゆえにそれぞれの輪郭が際だって、全体として凝縮された世界になっている。
黄色いミモザの花もすこしこぼれる。

2003年01月27日(月)



 脱着自由(希望)

りー氏は肩こりとか腰痛というものがないらしい。
あんた肩こる?
「(やや間があって)わからん。肩こるってどういうの」
・・わかったよ君は肩こりではないということだよ。

肩のあそことあそこをちょっと取り外して分解してなんとかしたい感じ。

お昼はもともと遅いのだけれど、さいきんはますます遅くなっていて、ちょっとどうなんだろうかというような時間に食べている。ひょっとするとりー実家の夕ご飯と変わらないような時間かも・・・(りー実家は早い。っていくらなんでもそこまではと思いつつ断言できない自分)。これはまずい。しかも夜は普通の時間に食べている。どういうことよ。

サエキけんぞう氏のオフィシャルサイトに、「けんちゃん提供一日一標語」というのがあって(HP上の方)、ご神託を受けるみたいな、点取り占いを開くような感じで面白いので、ときどき見ている。
高校生の時、パール兄弟のファンクラブに入っていたこともあり、サエキ氏の音楽も昔はそこそこ聴いていたのだけれど、最近は特に身近なわけでもない。ひょんなことからこのサイトを知って、他の内容は見ないのだけれど(失礼)、「一標語」だけはなんとなくチェックしてしまう。

暮れにオルテンシアアズールさんに注文したお正月用アレンジメント、さすがに花類はかなり処分したが、アカメヤナギなどは今が脱皮の盛りである。
「脱皮」と書いたが、まさに脱皮しているように見える。赤いよろいをえーい!と脱ぐ感じ。あるいはがんばってセーターを脱ごうとしている子ども。
# 実はネコヤナギと勘違いしていた。>自分
ここのお店の花は本当に長く持つ。そこもまたしばしば利用する理由。
実はまた週明け到着でアレンジをお願いしてある。今度はどんなだろう。
私たちが行かれないから、花に行ってもらおう、というわけで。

2003年01月25日(土)



 このごろは

2日に1度のペースになっている日記。

行きたいと思っている展覧会が2つほどある。
正確には、行きたいと思っているのだけれど、しかも開催は直近なのだけれど、どう考えても行かれなくてくやしいというかふがいない(自分が)、という展覧会。

その1。高寺めぐみ展。
秋に国立でやった展覧会の大阪展。関西は高寺さんの地元でもある。

その2。池田暁子個展「ハビタ」。
りー氏の大学時代の同級生であるところの池田さんの初めての個展。池田さんとは2度ほどお目にかかったことがある。

本当は、どちらも、はしごして行くつもりだったんだけれど、私の要領が悪くて行けそうになくなってしまった。うわーん。
高寺さんの方は先回の国立展で見られなかった大作が展示されるとのことでとても気になったし、池田さんの方はひょっとしてかなーり好きなんじゃないかと思わせられるような絵でこれまたたいへん気になっている。

▼高寺めぐみ展
2003年1月27日(月)−2月1日(土)
ギャラリー白
大阪市北区西天満4-3-3 tel.06-6363-0493

▼池田暁子個展「ハビタ」
2003年2月2日(日)13時−20時
セッションハウス2F セッションハウス・ガーデン
新宿区矢来町158 tel.03-3266-0461



いつものように美容室から「そろそろカットはいかが」のご案内を頂いたのだが、今回は、行かなきゃね(というかまとまりの悪さに耐えられなくなって行きたくなる)・・・という実感があまりわかない。パーマをかけたことで、髪の扱いがずいぶんと違っているからだと思われる。
パーマをぐるんとかけた時のカットのタイミングってどうすればいいんだろう。

「1日1猫」提唱のIさんよりハガキが届く。
新しい仕事先は猫がたくさんいるとのこと。いいな!
私も今日は1猫(ニュイカフェにてのらさん−−オーナー夫妻に「キリー」と名付けられている−−を)。


2003年01月23日(木)



 ちょっと働き者

であった。
家に帰る途中、ノドを使ったという感じがあった。

「わかる」というのは、まず、物事の流れが見えるということなのかも知れない。
何が大事で何がさほどでもないか、そのアクセントが自分でつけられる、というのは、既に「わかっている」ということだろう。

赤くて、丸くて、甘くて、酸っぱくて、かたくて、(主に)寒いところでとれて・・・

という要素から、「それはリンゴだな」と自分で考え、導きだしていくところに、知り学び考えることの醍醐味はあると思う。
しかし、
「これはリンゴです」
というところまで言わないといけないみたいだ。
それって面白くなくなーい?
感動半減(以下)ってかんじー。



夜、家庭教師先に行くと、中に上がるなりお母さんが、「先生実は・・・」とお話を始められたので、何事であろうかと聞く。
私立高校の推薦入試も始まり、中学3年生はそろそろ志望校(このへんでは皆県立高校を第1志望にするのですな)決定の時期に入りつつある。
Eちゃん(生徒)にはずっと行きたい学校があり、私も中2の6月から関わってきたのだけれど、なかなか如実に成績を上げることは難しかった。少し現実をみたほうがいいのかも知れない、というわけで、ランクを下げた実力相応の高校を志望校とすることにみんな(本人・ご両親・私)落ち着きつつあったのだが、ここに来て学級担任の先生が、「1教科4点ずつアップで計20点アップすればいけるかも」とおっしゃったらしい。
しかし今までの実績からいって成績が合格ラインに達しているとはとても言い難い(志望校の推薦も学力面で叶わなかったようだし)。
いったい何を根拠にこんな時期になって先生はそういうことをおっしゃるのだろうか? と、お母さん、それから折しもそこへ帰宅されたお父さんと3人で、うーん・・・と考え込む。
学力面はともかく、内申面では強みをもっていることは事実なのだけれど、しかし特技(職業科である志望校と関連がある)がどこまで引っ張ってくれるのか。
何より今からの時期、20点アップというのが可能なのか。そりゃあ、平均点85点の子が4点ずつ上げようとすることよりは現実的な提案なのかも知れないけれど、しかし今から上げられるものなのだろうか。大学受験ならともかく、高校受験であればあるいは可能なのだろうか。
ご両親(特にお父さん)には、自分の実力に合ったところを、という気持があり、本人には、行きたいところを受けたい、という(今いっそう盛り上がっている)気持が再びあり、では私は、というと、どうすればよいのかわからない。
合格する喜びも、自ら進路を決めて進むことの誇らしさも、どちらも経験させてあげたい。両立すればよいけれど、大丈夫、と言えるほどには安定していない。
もし、自分の子供なら、どうするのだろうか。
# 大学受験と高校受験とでは違うけどね。

そんなわけで、今日は勉強よりもカウンセリング(といっても私も一緒になってハテサテナーと言っているだけなのだが)に時間が取られてしまった。
まあそういう時もあってよいのか。



今日は結婚式の記念日(結婚記念日にあらず)。人生最大(今のところ)のコスプレより2年が経つ。
そういえば今日実家に寄ったら照れ屋の父が珍しく「土曜日(=還暦の祝いの日)はありがとね」と言っていた。早く帰ってきた母も「ありがとうってあんたに会ったらまず言わんにゃならんなと思っとったんよ(今度食事でも)」と言った。
当日もりー両親をはじめ親戚にお疲れさまと言われたのだけれど、終わってみると、はて、私は何をしたのだろう、という気持が。
いや客観的に考えたら準備をしたのは私なんだけれど(と断言。笑)、だいたい、好きな花屋さんに大きな花束をお願いするとか、贈り物を見つけるとかって、楽しい遊びだったし。
たぶんこういうお祭りみたいなことが好きなんだろう。少なくとも目に見える達成感はある。誰かが喜んでくれる、という。

2003年01月21日(火)



 たい

朝、二度寝。
昨日は何も出来なかったので、少し早起きでもして、と思ったけれど、全然だめで、ぐうたらと寝る。
思い切って眠ったら却ってよかったようだ。

やる気の出る類のことと出ない類のことと。
まあ、しょうがないかー。

夜。
昨日の祝い膳に出た尾頭付きの鯛、私は手をつけずに持ち帰ったので、鯛飯にしてみた。
本当は土鍋で炊いたりすればよいのだろうけれど、炊飯器でも十分においしくできる。以下つくりかた(あまり大きすぎない焼鯛1匹ぶん)。
米1合半を研いで、適宜浸水する。
昆布と、薄口しょうゆならびに酒各大さじ11/2くらいを入れ、普通に水加減をして、鯛をのせて炊く。
炊きあがったら、鯛の身をほぐしてご飯とまぜる。簡単でおいしいよ。
鮎飯なんていうのも食べたことがあるので、尾頭付きの焼魚が余ったら炊き込んでみると目先が変わっていいかも。

しかし鯛って子供の時はあまり興味がなかったな。
「え、おれ、子供の時から好きだったよ」だから昨日もすっかり食べてしまっていたんだね。私は最初から残して持ち帰るつもりだった。骨酒にでもするかー、などと考えていた。
ついでに、鯛って、実は脂がのっている。なんだか意外な感じがしてしまうのだけれど。

2003年01月19日(日)



 還暦

お祝い。
竹○堂に紅白饅頭を取りに行き、その足で今回欠席の叔母@福岡のところへ記念品を宅急便で送り、実家へ行く。

早速自宅宛てに送ってもらった花束をチェック。
おお、おお。

ひろ(甥)は大騒ぎで家の中を駆け回っている。ことばもどんどん出てきていて、話をするのがとても面白い。
それとは対照的にとてもナーバスなお方。



---おれって今日どうすれば
  世界はおれの知らない匂いにみちみちている(大げさ)

皆さん続々と到着され、迎えのバスも到着し、さっそく会場へ移動。
私は車で移動。

外には雪が少しだけ残っていた。



---雪が楽しいお年頃

子供は雪にわくわくするものだけど、ずっと関西に住んでいるひろにとっては、とりわけとても珍しく楽しいはずだ。



---集合写真(イメージ)

この後、母より花束の贈呈があり、父より挨拶があった。
「もうかなり酒が入っておりますのであまりちゃんと話せないかも知れませんが・・・(省略)・・・4人の子供もそれぞれ自立しまして・・・」
あと1人って誰?(笑)

# 推察1.4人きょうだいである自分と混同。
  推察2.目の前にひろがいたのでつい4人とカウントしてしまった。
  推察3.のいが三男として認識されている。
  推察4.ひろ+のいで1人分に換算されている。
  推察5.本当にどこかにもう1人いる。

父自身は自分の父の還暦の祝いに立ち会ったことはない。還暦どころか初老よりも前に父の父は亡くなっているから。
父の父は私には祖父だけれど、写真で見るその人は、父よりもずっと若いので、じいちゃんと言うにはちょっと妙な感じだ。
自分の人生をほとんど全て自分で切り開いてきたのだ。迷うとか悩むという贅沢が許されない日々があった。そのことが父という人を作ってきた。
父にとっても特別な感慨があっただろうと思う。最後のスピーチで、今までの自分の苦労については語らず、ただ、他人に対する感謝の気持を述べていた。
これからは人にしてもらうことがあってもいい。

とりあえず無事お開きと相成る。



今日のお花。



---オルテンシアアズールさんの花束

今使っているデジカメ(FUJI FinePix401)は赤に深みが出ないようだ。青みが足りないのか、実際よりも黄色っぽく写ってしまう。本当はもっと大人っぽい濃い赤の花束であった(質感もあった)。同じく、父に贈ったメイド・イン・フランス/ゴアテック製のウインドブレーカーの色も、写真で見るよりずっとシックな色である。
贈り物については皆からも好評を得たようで安心する。
「こりゃー畑にいいのう」と父。
「畑にはもったいないよ」と母。
どっちでもいいです。有効活用してもらえれば。

今日の猫。



---くんくんくん

目の上に飛び出したように生えている白くて長い毛は眉か?ひげか?



会がお開きになって、皆で再び実家に戻った。
お酒を飲んでいなかった私が、りー氏に替わってりー両親を車で家まで送っていった。
りー実家に到着すると「少し上がっていけば」といつものごとく言われて、じゃあ少し、と言って上がる。
ちょっとホッとした気がしてあれこれ話しているうちに時間が過ぎる。逃げていると思われるとイヤなので帰ります、と言ったら大笑いされた。
実家に戻ったら皆さん既にお帰りで、それぞれにくつろいでいるところだった。
のいは居間の戸袋の中に入って遊んでいた。そのうち自分で戸袋を開けることを覚えてしまった。飽きたら今度は父のおなかの上に座った。次に私の膝の上にやってきた。彼のライバル(ひろ)は2階で遊んでいるようだ。
あんた安心したの、そう。
などと話しかけつつ撫でていると、自分のところへは全く来ようとしないことに業を煮やしたりー氏が横からのいをうばっていった。
のいもおかしいが、のいをめぐるりー氏の言動もかなりおかしい。

2003年01月18日(土)



 パスタ・フォーク

明日のためのこまごまとした雑用少し。
久しぶりに大きなホームセンターに行ったついでに、キャットフードコーナーものぞく。いろいろ興味深い品があり、ウエイトコントロールかつヘアボールコントロールのためのドライフード2種と、缶詰を1種類買う。
ついでにニュイカフェに来ている白黒猫さんのためにも缶詰を買う。
ステンレスのトレイなども買う。楽しいー。

そんなこんなしているうちに遅くなってしまった。
ご飯がなかったので夕ご飯はパスタにしてみた。
頂きもののロースハムがあったので、買い置きしてあったトマトの水煮缶と玉ねぎと、それからにんにくをいっぱい入れて、トマトソースのパスタをつくる。
初売りの日に柳宗理のパスタフォークを見つけて2本買ってあった。せっかくなので取り出して使ってみた。
これがたいへん食べやすくて小さな感動をおぼえる。フォーク部分のカーブが絶妙で、ソースがうまくからまってくれる気がする。

パスタに関しても、
「なかなかおいしかったな」
と珍しくりー氏からそれなりのお言葉もたまわりまして。
(めったに褒めないんだわこれが。)

2003年01月17日(金)



 目の仕事

目を酷使していると思うことの多い昨今。
目が、と殊更に感ずるのは、あまりいいことではないのだろう。確かに疲れている。
胃の調子がよいとき「ここに胃があります」とは思わないように。

県立図書館へ。
特殊文庫の資料を閲覧したら、「バーコード入力していない本については、閲覧願を書いていただくことになりました」と、書類を書かされた。といっても何も特殊な物事ではなく、公立図書館における貴重書の閲覧手続きとしてはむしろそちらの方が一般的だ。しかし以前が極めて楽(手続きとしては書庫内にある本の出納と同じ)だっただけに、紙切れ一枚とは言え、むむ、という気持になる(わがまま)。
この種の本の複写は今まで通り出来るんだろうか? マイクロ撮影のみ後日渡し、とかになったら面倒だな、と思いつつ(わがまま)、これもありがち。
感謝して適切に閲覧利用し恩恵に預かりましょう。

閲覧室で普通に話をしたり電話をしたりするおっちゃんやカップル。目につき耳に障り気になってしまうのは久しぶりのせいか。
まあそんなことで目くじらを立てても、と思わなくもないが、同じ机で勉強したり調べ物をしたりしている人はたまらんだろう(私にもそのような経験はある)。スマートに注意するのも難しいし。注意する方が気を遣うなんておかしいんだけど。

いやしかし、注意する方が悪者になりがちなところはある、概して。

単純な作業をしているだけなのだがあっという間に時間が過ぎた(スタートが遅かったせいもある)。
個人的な楽しみの本もながめてみる。
ぴょんたさんから届いた猫のお茶会の絵はがき(“THE CATS HAVE COME TO TEA”by Kate Greenaway“MARIGOLD GARDEN”)がとてもかわいらしかったので、図書館でケイト・グリーナウェイの本を探してみる。『マリーゴールド・ガーデン』と、それから『花言葉』『窓の下で』の3冊が所蔵されていた(和書のみ検索)。『花言葉』は白泉社、その他の2冊は新書館から出ていて(ほー!)、翻訳はいずれも岸田理生という人(あまり詳しくないけれど、演劇の人か)による。
印刷は必ずしもよいとは言えないのかも知れないが、あちらの、昔の本の雰囲気は出ているのかもしれない。銀杏書房@国立(洋書専門の古書店。絵本などは新本もおいている)あたりに原書がありそうな雰囲気。

こういう本に小さい頃から慣れ親しんだりすると、児童文学を経てそのうちイギリス文学が好きになったりするのかな。
そんな私は、最近ようやく外に目が向きつつある。

2003年01月16日(木)



 小正月

ヘアカラーやパーマをかけた髪でもさらさらとまとまりがよくなるという某エッセ○シャルシャンプー&コンディショナーを買ってきてみた。早速使ってみた。
たしかにまとまる。まとまるけど、香りがきつすぎる。
思わず「どうよ?」りー氏に頭を嗅がせてしまう。

ネット(ユカリさんち)で注文したいろいろが届く。
今回はもこもこシリーズ。グレーのバッグ、プチマフラー、マットの3種。
いそいそと封を切って中から取り出してりー氏にも見せる。
「だらっぽーい」
だら=あほあるいはばか。しかし、りー氏の「だら」は罵倒ではない。むしろ、あほあほと思いつつもどこか愛すべきものごとひとについて言われる場合が多く、だから、これはこれでがっかりする必要もない気がする。
「あんたまたバッグばっかり買って」
それはちょっとだけ本当か・・・今、振り返れば後ろにはバッグ1、2、3、4、5・・・(以下続く)でも、みんなあれです、あの、(以下省略)
りー氏にも貸してあげるよ!!

夕方、久しぶりに犬カフェに行ってみる。久しぶりだったのでちょっと長居してしまった。
スーパーに寄ってニラと豆腐と小豆を買って帰る。今日は小正月、実家では毎年この日に鏡開きをして、ぜんざいを食べていた。
帰宅するなり小豆をはかって洗って水をはかって圧力鍋に入れて火にかける。
アサリのしたくをする。
麻婆豆腐たくさんとアサリのおつゆ。ワンタンがあったのでワンタンスープでもよかった。その方がむしろ統一感ある献立。でも気づいた(指摘された)時には既にあさり軍団@お口ポカンは味噌のお風呂(というには熱い)につかっていた。
それにしてもりー氏のおなかの容量についてはなぞの部分が多い。
火を止めて蒸らしてあった小豆の様子を見る。ふっくらといい具合に煮えていた。
素晴らしい。圧力鍋で便利な思いをするたびに、お礼を言いたくなる。

夕食の後に早速ぜんざいをつくる。小さな鏡餅を焼いて、さっき煮た小豆と共に。
以前、15日は成人の日だったから、このお休みの日の朝に揃ってぜんざい(少しカビ臭いお餅入り)を食べる、というのが実家での習いだった。カビ臭いお餅もなんだが、朝から甘い物を食べられなくて(当時は朝ご飯を口にしていたにも関わらず)、とてもしんどい思いをして食べた覚えがある。
りー氏用には甘さひかえめなぜんざいに仕立て、自分用にはまったくあずきを入れないで作る。あずきは嫌いではないが、甘くない小豆はもっと好きだ。ひょっとすると豆類の中でいちばん好きなのは小豆かも知れない。あの独特の香り。
明日ヨーグルトを買ってきて一緒に合わせて食べよう。ついでに寒天も作ろう。バニラアイスクリームを合わせてもいい。

今日、「旅に出よう」という記事を読んだけれど、なにで読んだのだったか。雑誌だったか。

2003年01月15日(水)



 お気に入り色々

午前中、仕事を終えた後、家から2番目に近い本屋さんに行った。定期購読雑誌の受け取りと、本の注文のため。
雑誌コーナー、当日発売のものはコーナーに平積みされる。
「本日発売」のpopの下には、『猫の手帖』。
新規参入である。さて、売り上げ1冊増貢献なるか?

去年の暮れ、松山在住のYさんに、またもや美味しい興居島(ごごしま)みかんをいただいたので、大変遅ればせながらこれまたお酒を返礼すべく、いつもの、みずはた(酒店)さんに行く。
先日Yさんも交えてみんなで行ったお店で、「勝駒」を飲んで、とても気に入っていらしたようだったので、4合瓶を1本と、それから、この季節ならではの生酒を選ぶことにする。生酒の方は「成政」にする。
勝駒は高岡市の酒蔵、成政は福光町の酒蔵。
先週末の連休に合わせて送ったらよりよかったのかもしれない。今週末はもたもたしそうなのに。もっとも、晩酌が欠かせない人には問題なしか。
御年始ののしを付ける時期には1日遅かったので無地のしで(これも至りませんで、だな)。
勝駒の生酒は来月上旬に出るという。その時にまた買いに行こう。
そろそろ酒蔵見学の季節。

仕事2が終わり、家庭教師に行く前に実家に寄ったら、珍しく両親が揃っていた。
今週末の集まりの席順について、ダイニングのテーブルに紙を広げ、父と母と顔つき合わせてプランを書き出していたら、茶色の彼も「おれもー」と言わんばかりに参加してきた。人がいるとたいへんご機嫌なお方。
またねずみのおもちゃを買ってもらったらしい。彼の場合、高級なおもちゃは不要である。カラカラと音のする、最も単純かつ安価なねずみのおもちゃがいちばんのお気に入りらしい。

2003年01月14日(火)



 至りませんで

未明、うなされて目が覚める。

夢を見ていた。その夢はいろいろな断片から成る。
目が覚める直前のストーリーで、私は教育実習生だった。
研究授業で、好きなようにやれ、と言われていたはずが、途中から先生が替わって(ちょっと私がやりますとか何とか言って)、そのうち殆ど授業をやってしまう(私の研究授業であるはずなのに)、という夢だった。そんなのあまりにもひどすぎます、とか何とか言ったような気もする。ズタズタな気持になって目が覚めた。起きたら心臓がバクバクいっていた。
おかしいのは、私が指導を乞うているらしい先生というのが、小学校の時の担任の先生(女性)だということ。別に私はその先生に恨みなどないのだけれど。実はあったのか? 夢はよくわからない。
ほんとうは心臓がバクバクなった直接の原因は他にある。自覚だけはあるのだ。

傍らのりー氏に、うなされた、と言ってみたけど機嫌悪そうに「うー!」と言ったきり無視。人間はひとりで生まれてひとりで死んでいくのね(笑)。
お手洗いに行ってメールチェックをして二度寝。

きざみうどんとは何ぞや。
暮れに友達からもらったきしめんがあったので、ちょうどあった薄揚げを使って、きざみきしめんにしてみた。
めんを茹でて付属のだしを煮立てる。細く切ってカリッと焼いた揚げとねぎの小口切りをのせて出す。
「きざみうどん(きしめんだけど)ってこういうのかなあ・・・」
不満らしい。
りー氏のイメージするきざみうどんは、揚げを細く切って(ここまではいい)そのまま煮るのだという。油抜きもせずに。つゆに油が浮くのが特徴。そしてねぎは斜め薄切り、と。
私の作ったきざみうどんもそれはそれでアリだと思うが、しかしりー氏がイメージしたものと違うことは確かだ。
別バージョンのきざみうどん、煮るにせよ茹でるにせよ油抜きぐらいはするんじゃないかと思うのだけど(料理法一般からいうと。でないと味もしみないし)どうなんだろう。
こっそり情報求ム。>関西にゆかりの方

2003年01月13日(月)



 大人の行動

よいお天気が続くのでうれしい。

父の還暦祝いが今週末に迫ったので、いろいろの最終的手配をする。
まちなかに出たら、成人式帰りの人たちにも会った。歩きながらのタバコは品がないよ。

ところで「大人」ってどんな状態のことをいうんだろう。

りー氏が焼肉を食べたいというので、郊外のお店に食べに行く。
もちろん車で行って、もちろんりー氏はお酒を飲んで、もちろん私はお酒を飲まない(イヤミ。というか損な性格>自分)。
飲み食いも終盤になってから、いよいよ気持を高めるように焼肉の歌をうたうりー氏。
「♪やっきにくやっきにくー」
楽しいね。よかったね。
絶対他の席にも聞こえている。

2003年01月12日(日)



 雑感

昼、電車で金沢へ。

ちょっとはっきり言いすぎたかな。もちろん、スタイルや考え方の違いもあるだろうけれど。
まあそれはそれでよいのだろう(と、思うことにする)。

ときどき私は、りー氏や母に、「会話のはじまりが唐突すぎる(前後の文脈を補わなくては、一瞬にはわからないような話の始め方をする時がある)」と言われることがある。今日は、「唐突な話を受ける側の人」(りー氏や母や)の気持がわかるような出来事があった。
あ、これが唐突な話し方か、なるほどー、返事をするにはこちらでも言葉を補わなくては、誤解が発生しそうだな、と思った。そんな話し方をした人は年上なんだけれど、あなたの意図している事柄が、必ずしも皆の共通理解であり前提知識であるわけではないでしょうし、それに何より、あなたの話だけをしているわけにはいかないのだし、というニュアンスを含めつつ、答えてみた。
その人はとても丁寧な言葉を使った。私もなるべく丁寧な言葉を使いつつ(頭の中でパズルをしているみたいだったけど)、たぶん、生意気なことを言った。
慇懃さと傲慢は隣り合わせなのだろうかと考えた。
慇懃さが確信犯的でないなら、ちょっと損なときもあるのかも知れない。

ときどき、合わせ目に立つことがある。
本当はたぶん、みな、自分しか信用していないのかも知れないが、それでも小さなサークルを作る傾向にあるようだ。私はそのどこに属すのかと言えば、たまたま立場上、どこにでも触れているとも言えるし、しかしどこにも属していなかったりもする。
小さなサークルはそれぞれにいろいろな利害を共有し、私もその恩恵に少しは預かり、時々、その利害に反するような人たちの噂を耳にしたりもする。サークル同士は重なりながらも、必ずしも同じ流れに合しないこともある(あからさまに反発はしないにせよ、ゆるやかに反れているというか)。
私はだんだん耳年増になっていって、合わせ目に立って、さて、どうしたものか、と思う。

自分の考えとは違うことを言わなくてはならない場合もある、と、ある文脈でりー氏は言った。
それなら私は、できるだけ、自分が思うことだけを言おう。自分で判断しよう(これは案外難しいものだ。知らないうちにいろいろな影響を受けているものだ)。
言いたくないときは、無理して違うことを言ったりしないで、黙っていよう。
それくらいはしてもいいだろう。

弁が立つ、それがなんだというのか/黙っていること、のなにが偉いのか。

夜の特急電車でずっと話して帰った。
こういう時、身体は辛くても、頭は冴える。

2003年01月11日(土)



 E先生のこと

出かける予定が、怠惰きわまりなしの日。

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哲学から数学に転向したE藤先生(仮)についての補足。
高校生の時に入っていた美術部では、毎年夏に研修旅行があった。
年によって海と山と交互に行くのだけど、E藤先生は山の年に一緒に付いて来て下さった。私が高2の年である(ちなみに高1の時は海で、その時はりー氏もいた)。
先生は絵を描くわけではなかったけれど、宿で休むでもなく、私たちと一緒に山のスケッチポイントまで車で送ってもらって、あちこちを散策されているようだった。山がお好きだったのかも知れない。

富山平野は海に向かって開けていて、背後には北アルプスが屏風のように聳え立つ。
私は富山市の南隣の町に住んでいたから(高校へ行くにもいったんJRで北へ向い、それから再び富山市の南の方にある高校まで電車に乗った)いつも背中に北アルプスがあるような気がしていた。
研修旅行でやってきたのは、富山から見るとちょうど北アルプスの反対側にあたる白馬(はくば、というのは最近の呼び方で、しろうま、というのが旧くからの呼び名なのだ、と地学のK川先生は言っていた)という町で、私たちは北アルプスを正面に見ながら、真夏の、そのみどりの山を描いた。
イーゼルを立てて山を見た。いつも背にして振り向いて見ている山々を、今日は正面に据えて(しかも反対から)見ているんだな、とふと思った。そしたらちょっと不思議な気がして、新鮮な気もして、その発見が嬉しかったので、すぐ隣りで描いていた同級生にそのことを伝えようとした。しかしどうも反応はいまひとつで−−彼女はウォークマン(当時MDプレイヤーはない)で音楽を聴いていたからということもあるのだが多分それだけではない−−自分の過剰な喜びが子供じみているような気がしてしまった。
でも少し向こうではE藤先生が(うんうん、言っていることはわかるよ)というように頷きながらニコニコしていらっしゃったのだ。

実は哲学科から転向、というのは、卒業後ずっと経ってから上の学年の人から聞いた話(私たちの学年は教わっていないから、たぶん同級生でもE藤先生のことを知っている人はあまりいないだろう)だ。しかし私には何かとても似つかわしい履歴のように思えた。
授業がわかりやすい、という意味での「よい先生」というのはいらしたし、大変お世話にもなったと思う。
E藤先生に数学を教わったことのあるりー氏によると、授業そのものについては「よく覚えていない」(またかい!)とのことだ。授業テクニックという点についていえばインパクトに欠ける人だったのかも知れない。というようなことについてはSちゃんも同意見のようだから、覚えていない云々というりー氏の言葉も、まあ信用できなくもないか。サンプル数2。
授業テクニック(と呼べるようなもの)はとても大事だ(否定しないし恩恵に預かりたい)。けれど、それだけじゃない気がする(もちろん、テクニックとそれ以外の要素は並立しうるとも思うのだけれど)。
見せかけの/押しつけがましい情熱をふりかざす人でもなさそうで、でも体温は決して低いわけではなさそうで。
縁側で一緒にお茶を飲みたいぞ。
でも、お話ししたことなんて、本当は殆どないのだ。
# 今はTろう学校の教頭先生をされているらしい。>調査による(笑)

2003年01月10日(金)



 huna-de

りー氏が定期購読しているカーサ・ブルータスが届く。通常の5倍くらいの厚さ。ぱっと見ただけでは雑誌というより箱。
「もー!何でもくっつけるのはいいかげんにしてくれー」
今号はエール・アールニオデザインの「ポニーチェア」のミニチュア(あの海洋堂製)附録としてくっついてきている。これだけ分厚いと仕舞うにも場所ふさぎだ。
「こんなおまけ要らんからその分安くしてくれー」
ミニチュアは全部で5色(黒・グリーン・ピンク・黄・白)あるらしい。拙宅に届いたのは白で、これは定期購読者限定色。
しかもどうせなら黄色い方がよかったんやろ。
「そうだそうだー(ぷんすかぷん)・・・あ、雑誌だけ取りはずせた」
そして分厚い箱型のごみが残った。
とりあえずポニー・ミニチュアはCDラックの上に置かれている。

昼、金沢へ。
同じ時に雪が降っても、富山よりも金沢の方が概して積雪は少ないけれど、念のため普段より心もち余裕を見て家を出る。
仕事。あけましておめでとうございます、と言う。

夕方いったん帰宅。郵便物とメールをチェック。
とても幸せなお知らせがあった。急いでメールを打つ。
バスに乗って再び家を出るまで5分ほどしか時間がなくて、だからもう本当に用件のみで、かといって夜中に帰ってきてから書くなんて悠長すぎて、詳しくはのちほど追って、という気持で、とにかく打った。
私は(も)その人のニコニコ微笑むバラ色のほおが好きなのだ。

りー氏とともに家を出る。ひざまである長靴を履いて出ようとするりー氏に。街なかに出るのだから長靴はやめたら、と靴に履き替えさせる。しかしバス通りまでの「近道」はさすがにまだ雪に埋もれていた。
待ち合わせの時間まではまだ少し時間があったので、洋服などを見る。
ちょっとかわいい靴を見つける。セールだったら買えなくもないかなという値段。でもサイズがあるかどうか。聞いてみるだけ聞いてみればよかったんだけど、「出てるだけになりますー」と言われたら憂鬱というか鬱陶しい気がしたのでやめた。
他には、アイボリー色したコーデュロイのパンツに、ツイードの生地にボタンがアクセントになったスカート、モスグリーンのあたたかそうなジャケットなどを手にとってみる。
手羽先のおいしい居酒屋でYさん夫妻と飲み会。夫@Yさん(正しくは夫@(Yさん)さんだな)の渡米壮行会を兼ねる。
コショウのきいた手羽先、焼き鳥、ゲンゲ(という魚がある。煮たり、鍋仕立てにすることが多い)の唐揚げ、大根サラダなどを頼む。りー氏懸案の串かつ(ずっと食べたいと言っていたのだった)も、ソースと味噌の2種類があった。嬉々として注文するりー氏。
だんだん酔っぱらってきたー、と言い言い飲む。りー氏は酔うほどには飲んでいないような。
たっぷり飲んで食べてカラオケ屋に移動。最近カラオケづいているな。りー氏が珍しく新しい歌をうたいかけたところで終了。
最後に握手をする。お元気で、ご帰国のあかつきにはまた。

2003年01月09日(木)



 きょうの雑事

昔お世話になった先生に年賀状を出したら、そのお返事に猫についての質問があった。家族は3匹や否や?と。3匹というのは、友人宅の猫それぞれ1匹ずつと、のいのことである。
いえいえ、そうではありませんで・・・と、猫のことを尋ねらるとじっとしてはいられず、年賀状のお返事(!)を書く。猫についてのみ書いてもよいが、先生はengineeringにも近しい人なので(長く工業高校で教えていらしたがその担当教科は図学と現代社会と国語!いずれの分野をも専門的に勉強されたという経歴の持ち主)。だからきっとダム云々の話にも興じて下さるだろうと思い、先日日記に書いた賀状解題をさらに補足して、プリントアウトしたものを添えてお便りをしたためた。

私は教わっていない(部活の顧問ではあった)高校の時の数学の先生は、哲学科から数学科に転科したという経歴を持っておられたそうだ。前出の私の先生も(工学部の後は)専攻を哲学から(広い意味での)言語学へと変えている。
哲学から数学や言語へと向かってしまったというのはとてもよくわかる気がする。言語や数学から哲学に行ってもいいんだろうけど。

年賀状のお返事シリーズとして他にもハガキを1枚書く。

昼過ぎ、実家の近くの料理屋さんへ。来週末に行う父の還暦祝いについての打ち合わせ(というほどのことでもないが)。
(以前も書いたような気がするが)本当は皆揃うことの出来る時に、内輪(おやきょうだいばあちゃん。のいはるすばん)でどこか北陸〜関西にかけての温泉にでも行きますか、ときょうだいは考えていたのだが、その旨母に話すと、親戚の還暦祝いにも呼ばれているのでこちらも呼ばなくてはならない・・・しかもこの手の祝いは新年早々春のうちにやるもので・・・お父さんはC里山荘(実家近くの料理屋)ででも〜と言っている云々。
席の配置・お料理とお酒・バスの送迎などについて最終確認する。

実家に寄る。もろもろの注文などする。
冷蔵庫をのぞいたらロールケーキが1本入っていた。箱を見ると、いちど食べてみたいと思っていたケーキ屋さんの名前があった。というわけで3/5くらい頂戴する。包みから取り出し、カシャカシャとやっていると、さっきまで眠くて眠くてとても起きて出迎えには来られない眠かったはずののいが座ってじーっと眺めていた。音がしたくらいでは起きないけれど、匂いには負けてしまうのだね君は。
これはのいのじゃないよ、と手早く切り分けた分をラップで包む。流し台の上に落ちた小さい小さい小さいケーキのかけらをふんふんと食べる。なんだかかわいそうになったので私の手にくっついていたクリームもなめさせてやった。

出かけたついでに郊外のショッピングセンターに行ってみる。
久しぶりにF.O.B.CO-OPでお茶。ちょうどお茶どきのせいか、ほぼ満席。オーダーを取りサーブするのが精一杯らしく、食べ終え飲み終えた食器類を片づけるところにまで手が回らない。急いではいないのでのんびり待つ。
店内に置いてあった雑誌をパラパラとめくる。隣りの雑貨部門で扱っている雑誌である。ちゃんと読むのは初めてだが、読んでみたらなかなか面白かったので早速隣りで最新の5号とバックナンバーの4号の計2冊を購入する。帰宅してさらにABCの通販でバックナンバーを2・3号と注文(残念なことに創刊1号は既に品切れ)。

2003年01月08日(水)



 

せりなずなごぎょうはこべらほとけのざ
すずなすずしろはるのななくさ

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牛や馬は、草だけ食べて、あんなに大きな身体で、あんなに大きな力を出して、いったいどういう身体のつくりになっているのだろうか。
それとも雑食の人間には想像もつかないくらい大量の草を食べてエネルギーを得るのだろうか。

久しぶりに圧力鍋を出し、豚の角煮をつくる。豚バラと一緒に大根も煮る。
圧力鍋を使うと短時間で柔らかくなって感動する。本当に魔法をかけたみたいだ。
傍らで粥を炊く。七草を刻んで入れる。
朝、食べるものだろうけれど、夜に食べる。
それから小松菜を茹でる。

「んー、なんというか、草むしりみたいな味だね」
七草粥は前にも出したことがあるのだが。まあ言わんとしていることはわかるよ。
「何が特に『草むしり』なんだろうか」
えー、そりゃあ、なずなとかまさに草やろ。はこべはうさぎの食べる草だし。
「まあ、すごくおいしいというものではないね。ちょっとだけ食べればいいってかんじ」
もともと君は青っぽいものがあんまり好きじゃないからね。
「ごちそうさま」
小松菜もちょっと食べなさい。
(言われてようやく、一切れだけちょっとつまんで、角煮の汁につけて食べている。)

ちなみに猫は、本来、肉食であるらしい。

2003年01月07日(火)



 保湿の重要性

# 検閲が入りましたので一部若干訂正済(笑)。

あいかわらず路面のコンディションは悪い。
出かけるのに目的地まで普段の倍の時間がかかった。

大晦日に実家に泊まったら、寒かったわけでもないのだがなぜか風邪気味になってしまった。母には「あんたうちに来たらいっつも『風邪ひいた』って言うね」と言われた。「いっつも」ってこともないと思うが、確かに先日の八重山行きの時にも、前日に実家に泊まり、その結果ちょっと鼻をぐずぐずいわせていた。
拙宅の暖房設備は全て灯油を使用していて、エアコンを暖房用としては使っていない。対して実家は完全に電化されている(井戸水もモーターで汲み上げているから、停電すると水にすら不自由する。ということで水洗トイレも流れない。一応戸外には水道も取り付けてある)。
母には、エアコン(の乾燥)には弱いんだよ、と言っておいた。これは本当だ。
それで鼻ばっかりかんでいたら鼻の下がガサガサになってしまった。ただでさえ最近は乾燥がひどくてどうしたものかと思っていたのに。
実家で母の使っているD○Cを改めて(かつてのように)拝借してみたらこれがよかったので、コンビニへトライアルキットを買いに行った。
使うこと数日。母ほどではないが乾燥気味の私の肌に合っているようだ。

オリーブオイルはよかったね、とりー氏に言ってみる。
「買ったん?」
うん。
「そんなん、買わんでもうちにあるがんに(=買わなくても家にあるのに)」(ト言ツテ自分ノ(てらてらノ)顔ニ指ヲナスリツケ私ノ顔ニナスリツケヤウトスル)
それはオリーブオイルではない。何か別の邪悪な脂(あぶら)・・・

2003年01月06日(月)



 降り続ける

こんここんこどころではなく雪が降っていた1日。
それでもちょっとお茶でも飲みに出かけたくて、車(りー氏のジムニー)に乗って出かけてみたのですが、道路が圧雪されてデコボコでたいへん運転しにくい。
路面がツルツルなのも怖いけれど、デコボコだとさらにハンドルがどこへとられるかわからないのです。しかもジムニーというのはホイールベース(車軸と車軸のあいだ)が短く、小回りはきくけどそのかわりにハンドルのブレも大きいのです(直進安定性が悪い)。ちょっとしたデコボコがすごい衝撃となって伝わります。もちろん対向車は来る。
というわけで買い物だけしてさっさと帰ってきました。
今年は暖冬ではなかったのか。確かに寒くはないけれど、どーんと降る日も多い気がする。
さて明日はどうなることやら。さらに降り続けるらしい。

初売りの日に、大橋歩さん編集の『Arne(アルネ)』2号を遅まきながら買いました(1月2日の日記参照。「明日にでも」と描きつつ明々後日に書いています)。
B5判より横が大きいサイズで、少し厚手の光沢のない紙に印刷されています。本文が全36ページで500円というのは適正価格か否か、と思い、1号は買いませんでした。
でも2号は買ってしまった。おそるべし猫の力。吉本由美さんのエッセイが載っているのです。
エッセイにはもちろん大橋さんの猫イラストがいくつも添えられているのだけれど、その中に茶トラ猫も描いてあって嬉しかったり。
他にも心ひかれる特集がありました。本郷の街探検とか甘いものとかタートルネックのセーターのこととか。

1号も売っていたから後で買いに行くか・・・

ちなみに3号(3月中旬発行予定)は、おしゃれ特集らしい。
それから村上春樹のエッセイも載るらしいです。>お好きな方

---

夢でかうつつでかはっきりしないのですがとにかく眠くて寒い中で補足訂正しなくてはと思っていたことを思い出したので以下に記しましょう。
にゃんこ先生(@いなかっぺ大将)はトラ猫だけどあれはたぶんムギワラという模様なのだ(茶色に黒のトラ模様が入っている)。
のいは茶トラ(または、赤トラ)。
トラはトラでも違いました。
# 案外茶トラの猫って見かけるようで見かけない。
  (サバトラやキジトラに比べると。)

2003年01月05日(日)



 年賀状雑感

「1枚だけ入っていた」と、夜、りー氏が私に年賀状を手渡した。高校時代の友人からのものだった。
彼女も富山に住んでいるから、これは配達ミスではなくてたぶん直接本人がポストに差して帰ったのだろう。どうせなら寄っていってくれたらよかったのに(笑)。

年賀状をどこまで出すかいつもとても悩む。賭けのようなところがある。
今年は届いてから10枚くらい書いた。つまり賭けに破れたのだ。

前出の友などは、もう勝手がわかっているから、文面を読んでなるほど忙しかったのねと納得できるし、たとえ遅かったとしても、そういうこともあろう、と判断する。
去年は出した(来た)人でも今年は出さなかった(来なかった)り。
もちろん、今年初めて書いた人もある。そんなことのくり返しで、全体として枚数は増えていくのかも知れない。
本来年賀状というものは、出したいから出す、あるいは出さない、でいいはずだ。出す相手だって毎年違っていていいはずだ。
私自身のことを言えば、根本的に手紙というものが好きなので「出さない」というところには至らないにしても。
全体的には儀式化して狂騒的になっていることも確か。

お正月番組では賑やかに騒いでいる。
でも生放送でもない限り、そのめでたさは擬似的なものなのだ。そう思うと萎える。
それと同じで、本当は元旦に年賀状を書きたいところなのだけれど、なかなか。

もらった年賀状に書かれた近況を見ていたら手紙を書きたくなった。

2003年01月04日(土)



 2003年賀状解題

年賀状裏面にいろいろの写真を印刷しました。
それぞれの詳細は以下の通り。りー日記に既出の写真も多くあります。

▼1段目左より
・あづま湯@音羽町のタイル絵。
・FJOK邸宅のjunjun。りー氏が買ったおみやげと一緒に。
・富山駅前行き市内電車@南富山駅。
・神岡・大津山坑跡。
・アーケードの照明@総曲輪通り。
・小口川第三発電所サージタンク。
・中川幸夫+大野一雄「花狂」@新潟妻有。ヘリコプターからばらまかれたチューリップと大野が座っていた椅子。
▼2段目
・富山問屋センターのハイサイドライト。
・札幌ススキノ。
・生後3〜4ヶ月頃ののい。拙宅居間にて。
・神岡鉱山社宅跡@神岡・大津山
・立山千寿ヶ原にかかる常願寺川の橋。発電所専用か。
・立山砂防工事軌道・トロッコ電車。立山砂防ダム見学会にて。
・東町・金比羅神社の狛イノシシ。
▼3段目
・のい@実家。生後5ヶ月頃。みんみん撮影。
・チューリップの花びら@入善。
・呉羽山からのぞむ梨の花。
・小牧ダム@庄川町。
・のい@拙宅。みんみん撮影。
・豊島区大塚・東亭の餃子。りー氏の餃子ベストワン。
・五福「vis-a-vis」閉店パーティ。
▼4段目
・神樹通りのハナミズキ。
・錆びた管@新湊・富山新港。
・上市川釈泉寺の円筒分水。
・神戸・六甲山ロープウェイ跡。
・小口川工事用軌道(現役)。
・高岡ステーションビル。
・チューリップの花びら@魚津・片貝川河岸。
▼5段目
・砂防ダム見学会にて。ヘルメットと私。
・立山温泉跡@砂防ダム見学会。
・護国神社のみの市。
・チューリップの花びら+アアルト。
・海さんと。神戸K夫妻邸にて。
・バーション1:東西線木場駅トンネル側壁。
 バージョン2:竹富島。
・京都の70年代っぽいドライブイン跡(詳細失念)。
▼6段目
・実演販売@秋葉原。
・松川の水門@磯部町。
・浅野氏顕彰碑?@婦中町。
・浅野家墓地。鏝絵のゾウ@同上。
・神岡鉱山跡。カミオカンデへと続く。
・店頭の新巻鮭(「シオビキ」)@一番町。
・チューリップの花びら@魚津・片貝川河岸。

去年の年賀状も似た形式でしたが、写真は皆違います(同じように見えるかも知れないけれど。笑)。
特筆すべきは動物、特に猫の多さでしょうか。猫(5カット、うちのい3カット)・イノシシ・ゾウ・鮭・人間(2カット)。
4段目、りー氏と一緒に映っている海さんは、神戸在住のK夫妻の家の一員です。たいへん大きな猫さんらしい。なんだか1人と1匹の雰囲気がとても似ているように思えてなりません。君たちはきょうだいか?
母は年賀状のこの写真を見て「よそのうちの猫と映って!」と一言(笑)。
# お友達なんだよー、と説明。
5段目、右から2枚目の写真は、宛先によってバージョンが違います。八重山に行く前に印刷した分は木場駅の写真、帰宅後印刷の分は竹富島の写真です。私は遠方在住の方・目上の方への年賀状を初めに書きましたが、そちらでは多く木場駅バージョンになっています。

りー氏の1年であって正確には私の知らない場所も多々あります(行ってない場所だらけとも言う)。デジカメを携行している度合いが違うので仕方ないかな(これはりー氏の専用ではなく、家庭用)。
来年はやっぱり私の1年も入れてもらおうー。

2003年01月03日(金)



 長い1日(あるいは長い日記)

毎年お正月には実家で口祝い(親戚が集まってのお正月の食事会)をする。しかし本年ははじきに父の還暦祝いを控えているので、集まりはその時に、ということになった。
というわけで、1日のこととはいえ、比較的自由度の高いお正月。

長い、と言いつつも、やったことといえばおそらく単純。
朝、少し雪のちらつく中、りー氏と8時半のバスに乗り、富山駅まで出る。所要時間は10分くらい。
都市部ではない地方在住者の常として、私たちもいつも車で動くことが多いが、今日は地元の私鉄(富山地方鉄道。通称「地鉄」)が出している年末年始限定のフリー切符を利用し、岩峅寺(いわくらじ)の雄山神社まで初詣に行こうという計画である。地鉄は、電車(路線は3つ)・バス・市内電車を運行しているが、このフリー切符を使うと、年末年始のおよそ1週間強のあいだ、任意の3日(連続でなくてもよい)が乗り降り自由なのである。しかも無記名だから貸し借りもできる。
この地鉄電車、立山や宇奈月(うなづき)温泉への公共ルートとなっているが、とにかく運賃が高い。片道30分も乗れば余裕で5〜600円くらいにはなる。バスも同様。このフリー切符は1枚千円だというのだから、いかにお得かということだ。沿線の人ならば、1回往復するだけで十分に元を取ることも可能。

私たち以外には数人しか座っていないバスのいちばん後ろの座席にどっかと座って、スクラッチ式になっているフリー切符の、「2日」のところを百円玉できれいに削り取る。
「おれにも(硬貨を)ちょうだい」
だんだん楽しくなってきたね。
「すこし」

富山駅前到着。
書いたばかりの年賀状を持って、バス停の目の前のローソンに昨日から設置されたばかりのポストに投函する。ローソンの隣りのビルは郵便局で、その前にはポストだってあるのだけれど、何となくせっかくだから新しいことをしてみたくて、わざわざ入る。
Uターンは既に始まっているらしく、JR富山駅は朝から賑わっている。りー氏は構内で立ち食いそば(富山の駅そばはおいしい)。私は早速忘れ物をしたことに気づき(なんということだ)、コンビニにて購入。
JRから電鉄富山駅に移動し、9時過ぎ発の地鉄上滝(かみだき)線に乗る。南富山経由岩峅寺行き。電車は2両、バスに続いて、私たち以外の乗客は、前の車両に1人、2人いるかなという程度。
がたんごとん、がたんごとん・・・

この上滝線を、私は高校生の時に利用していたことがある。私の通った高校が南富山駅の近くにあり、高1の途中から高2までは、朝、富山駅から乗っていた。ダイヤ改正の後、乗り換えの都合で利用できなくなってからも、帰りに時折乗ることがあった。
高校へはむしろ市内電車で行く方が一般的だったから、私も市内電車の定期券を持っていたのだけど、南富山までなら上滝線に乗ることも出来ると知って(そして上滝線を利用した方が到着も早いし混雑も少ない)使い分けていたのだ。ちなみにこの定期の有効利用を教えてくれたのは当時私が入っていた美術部の部長。
市電の定期で上滝線にも乗れるってあんたに教えてもらったんだけど。
「そだっけ?」
まあ、どうせ何も覚えてはいるまい。

そしてりー氏にとっての上滝線は、おばあちゃんちに行く路線として記憶されているらしい。りーばあちゃん(母方)が沿線に住んでいたのだ。
上滝駅から大川寺(だいせんじ)駅までの間におばあちゃんの家はある。今、おばあちゃんは伯父さんの家に住んでいるから、たまにしか上滝へは戻らないけれど。

電車が進むに連れてだんだんだんだん雪深くなっていく。

大山寺駅到着。
たっぷり雪が積もっている。無人駅で(というか、地鉄沿線で有人の駅を挙げる方が早い)、ちっとも除雪がしてなくて、ごぼっ、ごぼっと雪を踏みしめて歩く。
それでも雪に濡れるくらいならまだましだ。公道まで出て、常願寺川を渡る。一応歩道はあるが、歩く人のことはまったく考えていなくて(歩く人はいないのか!)、ここも除雪はしていない。車道の方の融雪装置の水がじゃばじゃば出ていて、歩道にまで進出しているので、靴が雪ではなく水に濡れる。そこへ通り過ぎる車が水しぶきをかけていく。半身がかなり濡れる。車が来る前に、もう、嫌みたらしく、車道側に傘を掲げ気味にしていく。
日本の道路行政はどうなっとるんだ! だの、歩行者のことを考えないまちなんてロクなもんじゃない! だの、ナンバー控えてやるう!だの、口々に言いながら(お正月なのにねえ)、雄山神社に到着。ちなみにここは私たちが結婚式を挙げた場所でもある。
お参りをしてめいめいにおみくじを引く。りー氏は吉、私は小吉。
おみくじというと、高校生くらいの頃からもっぱら大吉ばかり引いてきた私には(なぜかそうだったんです本当に)なかなか厳しい内容。晩秋に長崎で引いた時もそうだったけれど。新年からちょっと泣きたくなるが、本当のことを言うとそう言われても仕方がない現在の自分であったりもするのだった。お前さんそりゃ調子がよいよ、と。
よいおみくじは持ち帰る。努力を要する旨のおみくじは境内に結んで帰る。というわけで、かじかんだ手で(手袋もして来なかったのだ)結ぶ。りー氏も結ぶ。

泣きたくなる気持のまま(苦笑)社務所にてお祓いの手続き。せっかくだからりー氏もお願いすることにすれば?と言う。

神様にお願いをする時は住所と名前を併せて述べるが、私たちと同じ10時半の回にお祓いをしてもらっている人たちの住所を聞いていると、中新川(なかにいかわ)郡、あるいは常願寺川流域に在住の人たちが多いようだ。雄山神社のある立山町(私の母の実家もある)や上市町、あるいは川を越えた大山町(りーばあちゃんの家がある)が多く、それから富山市でも東の方、例えば水橋、山室あたり。
対する私たちは、富山市の、どちらかというと西の方に住んでいる。それでも心理的距離が近いがゆえに来たという次第。

お祓いを終えて破魔矢やお札類、それから神酒を頂いて、岩峅寺駅へと向かう。時間の関係で小走りになる。無事間に合う。
今度は地鉄の「本線」と呼ばれている立山線に乗る。岩峅寺駅は立山線と上滝線の中継点だ。本線に乗って終点の立山駅まで。がたんごとん、がたんごとん・・・

終点のひとつ手前、本宮(ほんぐう)駅を過ぎたあたりで、急にスピードが緩くなる。景色もいよいよ山岳電車の趣き。傾斜も上がっているし、何より雪がまた一段と深くなって、線路の上に積もっているから、安全を期しているのである。
そのうち、隣の座席から煙が立ちはじめた。しかもなんだか妙なにおいもしてきた。これってまずいんじゃないか。前の車両に避難する。
立山駅到着。りー氏が運転手さんに「後ろの車両の座席の下から煙が出てましたよ」と教える。
「ありゃー、抵抗焦げた!」
その言い方は、また焦げたかというニュアンス。古い古い車両を使っているので、ゆっくり走っていると負荷がかかってそんなことになるらしい。この車両は折り返し電鉄富山行きとなったが、立山駅を出発してすぐに、適当な場所で車両の下部に雪をかけて、ヒートしすぎた抵抗を通常状態に戻していた。

本当は立山駅付近でいろいろ探検したかったらしいりー氏。でも、駅の構内は静まり返ってお店も何も営業していない様子。それで私と同じく折り返しの電車にそのまま乗ることにする。
岩峅寺までは今乗ってきた線路をたどり、その先からは本線の線路に入る。沢中山、釜ヶ淵、下段(これが私の母方の実家最寄り駅)、榎、五百石・・・
そして寺田駅にてりー氏は下車。ここは立山本線と宇奈月線の中継点だ。線路がちょうどY字になっている。入ってきた特急電車を早速デジカメで撮るりー氏。

私は富山駅まで出て、母と駅前のカフェで待ち合わせてお昼ご飯を食べ、まちなかまで初売りに出かける。
大橋歩編集の『アルネ』2号をチェックする。私にとっては興味深い内容が多く、購入(これについては明日にでも書きます)。一緒にパスタフォークなど。

買い物を終え、デパートの前で迎えに来る父の車を待っていると、前方からどこかで見たことのある人(りー氏)がやってきた。おーい。手にはS武の袋。あれはおかいものクマだな。
寺田駅で別れた後、各駅停車で終点の宇奈月まで行ったが、えらく長くてずっと寝ていたという。なんじゃいな。市電に乗ってまちまで出てきて、今からバスに乗って帰ろうと思っていたという。じゃあ一緒に送ってもらいましょうということになる(バスに乗ればふりーきっぷのシメとしてはよりよかったのかも知れないが)。
途中、ラーメンの香りにいざなわれ、父と4人で入ろうとするも、すみませーん、もう3人分しかないんですー、と言われ断念。おとなしく帰る。
出直して別の店でラーメン、りー氏は+ぎょうざ。
その後ニュイでお茶。F氏に遭遇。
その後ロー○ンに寄って出てきたらM氏に遭遇。コーヒー豆をもらう。
帰宅。新年2日目終了。

2003年01月02日(木)



 謹賀新年

あけましておめでとうございます。
皆様にはおだやかな新春をお迎えのことと存じます。

昨夜はりー氏と共に私の実家にて年越しをしました。
夜は、のいとひとつ布団に眠ってとても幸せでした(どうしてりー氏のふとんの中には入っていかないんでしょうかねえ。うむ。笑)。
年が明けて今日の午後は、りー実家に行き、りー親戚にお邪魔したりしました。
というわけで比較的オーソドックスなお正月の一日を過ごし、日記でのご挨拶が遅れました。
まだ初詣が済んでいないので落ち着かない感じです。
明日こそは行く予定です。

本日記を含むネットにおいても、またオフラインにおいても、昨年同様、本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
皆様にとって健康でよき年となりますように。

---

1日の覚え書き(追加)。
朝、のいに起こされる。
上ったばかりの初日を部屋のガラス越しに見る。予報では、初日の出は見られないかも知れないということだったが、幸いにも天気はよく、すばらしいお日様を拝むことができた。



---元旦の猫。

身支度をし、母の手伝いを少しして、仏壇と天神さん(富山では正月に菅原道真公の像−−普通は掛軸だが、木像の場合もあるらしい−−を床の間にまつるという慣習がある)と神棚に新年のご挨拶をする。
父・母・H(下の弟)・りー氏・私と揃って朝食(祖母は叔母の家で、今日のみお休みのT(上の弟)一家は尼崎の自宅にて新年を迎えた)。お雑煮、黒豆、数の子、お煮しめなど。のいには特別にかつおぶし少々。



---お雑煮。

年賀状が届く。ここは実家ゆえ自分宛にはお店からの2枚しかないのだが、宛名別に分類をする。
父は地元の神社まで還暦のお祓いを受けに行く。
りー氏と私はいったん自宅へ帰り、年賀状を確認し、13時半頃りー実家へ。
そのままりー父母とともに親戚宅へ年頭のご挨拶に出かける。17時頃辞去、再びりー実家にて夕食。
親戚ではお祝いのお酒も出て、りー父とりー氏はその間ずっと飲んでいた(私は運転手のためお茶のみ)。飲み過ぎのりー氏はお造りなどを少し食べただけでダウン、その他。
りー氏の回復を待って(その間りー母と話しつつ)21時過ぎに自宅へ戻る。

とそんな年の初め。

2003年01月01日(水)
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