days;flower-bird-wind-moon
みんみん



 第一弾

お昼前、少しだけ家庭教師に行って(期末試験の季節なのです)、実家に寄る(お米もらってくるの忘れた)。
母と雑談など。

お出かけ。久しぶりに美術館に行く。ぴょんちゃんと。
人のいる近代美術館。
ギャラリーにも行き、それからいったん拙宅に寄り、りー氏と3人でニュイカフェにお茶を飲みに行く。それから富山駅の方まで送ってもらう。りー氏はそのまま弔事のため出かけた。私は失礼してしまった。明日の葬儀には出よう。

そういえば今日は母方の祖父の命日だ。24年が経った。

久しぶりに洋服を見たりいろいろ。
形のきれいなパンツがほしいなあ、と思いつつ、いったいどういう形がきれいなのかよくわかってはいない。そして目が行くのはちょっと面白いスカート。

県庁前公園近くのカフェでちょっとだけお茶をして、近くのお店にて今年度最初の忘年会。
お刺身とか富山っぽいお魚の鍋とか天ぷらとか。お酒はビールと勝駒
お鍋の白菜がトロトロになっていておいしかった。
それからエストカフェでお茶。フレーバーラテ(ヘーゼルナッツ)、ちょっとぬるかった。
Hさんに送ってもらう。

うちの近所に出来た(らしい)アーユルヴェーダのサロン、偵察して報告しなくては。
ゴマ油の力で老廃物を出すということらしい。

まだまだ今年は終わらない。
それにしても、人と会っておいしいものを食べて飲んで話すのはいいな。

2002年11月30日(土)



 あれこれ

昨夜寝る前に、ふと思い立って(本当にかるーい気持で)枕を5回叩いて寝たら、今朝5時半に目が覚めました。いやいやではなくパチッと。
得した気分。

そういえば昨夜居酒屋に行ったとき、なかなかに品のない集団と遭遇したのですが、今日所用にてH銀行に行きましたら・・・あら、昨日の皆様。

冬支度。
ノーマルタイヤからスタッドレスタイヤに交換しました。
りー実家のインパクトレンチ(電動工具)を使って。

りー氏について、ちょっとえらいかも、と思うことあり。

そのりー氏は、じゃがいもを電子レンジでチンして食べるのがお気に入りの模様。

---

25日(月)の日記をアップしました。
猫話全開。



2002年11月29日(金)



 ばんごはん

午後、講座に行く。全4回の、今日が最終日。
最後に終了証をいただく。
どちらかというとテクニック的なものを身に付けたいと思って受講したのだけれど、それはそもそも人に教わってどうこうという質のものではない。なかなか自発的に訓練できないので、強制的に場と時間を設定しようというもくろみ(継続は力なりですな・・・)はさておき、純粋にテーマを楽しむことができた。
補助資料や解説も参考になった。いろいろな意味で自分の仕事にも。

山川出版社の一問一答用語問題集。
高校生の時に買って覚えたものだ。
数学のN先生があるとき「そんなん、用語集ばっかり断片的にやったって、歴史の流れがわかっとらんかったら意味ないんじゃないのか」とおっしゃっていたけれど、それは正しい。流れをつかんで細かな部分にも目を配る。ただやみくもに用語を覚えて自己満足しているようではいかん。
もっとも、その「流れ」は、細かな部分の蓄積の結果であることも事実。

受験参考書で印象的だったのは、「現代文標準問題精講」(旺文社)と、「土屋の古文単語222」「土屋の古文常識222」(代々木ライブラリー)。「現代文〜」はちょっと目からウロコが落ちて、土屋の〜シリーズは納得のいく説明が心強かった(土屋氏はK先生−−Nさんの先生−−のお知り合いと後で知ってびっくり)。

夕方、リフレクソロジーの練習(私が練習するのではなく練習台になって恩恵をこうむる)。

帰宅後、メールチェックをしたら、お楽しみなお知らせが2つ。
わくわく。

夜はりー氏と以前から気になっていた近所の居酒屋へ。ぴょんちゃんからおいしいらしいとの噂を聞き、また別ルートからも評判を聞いたのだ。来月お店を移転するとのことで(移転先も近所なんだが)、移転前にいちど行っておこうということになった。
白子の酢の物、大根サラダ、豚バラとろとろ煮、ブリかま焼、チャーハンなどを食べる。いずれもしっかり分量があるので、かなりおなかいっぱいになる。お店のご主人は若く、もともとは中華料理の修業をした人のようで、裏メニューもあなどれないらしい。お値段もリーズナブル。
いつも晩ご飯を共にする2人が外に出たところで、特に変わった話をするでもないが、
# 「私がガールズオンリーのパーティーに行ったとしたら、
  あんたが合コンに行くのと同じ感じなんかねー」
  「理想の飲み会とは」
  −−私「みんながよく飲みよく食べ、
      しかも帰りの時間を気にしない」
  「いまいちばん会いたのは?」
  −−りー氏「のい。」
  「もしのいが人間だったら(どんなか)」
  −−落ち着きはなさそうだ(りー氏に似ているか?)
今日は途中からついついふたりして人間観察に入ってしまったことを反省します。
客商売も大変よねえ。

向かいのニュイカフェでエスプレッソを飲んで帰宅。

Mさんからりー氏の携帯に電話があるも、りー氏へろへろ状態のため、替わって私が長話。

2002年11月28日(木)



 歯医者

「行かなくてはいけないのだけれど遠ざかって(遠ざけて)いる場所」として、かなり高いランキングに位置づけられるのではないか。
少なくともお医者さんの中ではナンバーワンかも。
というわけで懸案事項の歯医者さんに行った。もう行ってきたから「行った」と自慢気に書く(初回の敷居が高いのねたぶん)。

Kさんが受付事務をしていて、しかも腕がいいらしいので(同業者が治療に来るくらい)、予約を入れてもらい、えいやっと心して行く。
Kさんとはもともとお店のスタッフと客という形で知り合ったのだが、なんだかうまがあったというか(おかしいと思う部分とかツッコミどころが似ているというか)、彼女がそのお店をやめてから個人的におつきあいをするようになったのだった。
歯医者さんでの彼女は、制服を着て、お仕事モードで働いていたのだけど、個人的な友人となった今では、患者、すなわち客の立場になるのが妙に照れくさく、ちょっとおかしかった。
またこれがKさんは美人なので、ペールグリーンのウエアにネイビーのカーディガンなんか羽織っていると(それが制服ですな)お人形さんみたいなんだなー。先生の腕は何より肝腎としても、スタッフにひかれて来るおっちゃんも絶対にいると見た。
ふだんの出で立ちはコンサバティブというより、むしろちょっとだけパンクなんだけどね。

今はパラッパラッパーですっかり有名になってしまった松浦雅也(昔、PSY・S〈サイズ〉というバンドをやっていた)が、「人間は後天的な部分で盛り上がってはいけない」云々と言っていた。その時私は高校生くらいで、音楽やいろいろの趣味が合う友達は周りにすごく少なかったので、えー趣味で盛り上がってはいけないんかい、と思った記憶があるのだが、今は、なるほどと思う。

歯医者さんではレントゲンをとってもらい、初めて自分の歯の全容を知る。
奥の2本は上下左右計8本とも治療済み、親知らずは歯茎に埋まっている。上の2本はかろうじて垂直方向に埋まっているが、下の2本は生えている歯と直角方向に埋まっている。親知らずはどれも存在の気配すら感じさせないが、もしハーさんの気が変わって「やっぱり出てみますわ」となったらけっこう面倒そうだ。少なくとも下の2本は出られないのだから、間違いなく腫れるだろう。まあしかし生えずに終わる人もあるだろうから、そうなった時に考えよう。
今日の治療は、数年前に取れた奥歯の詰め物の修復。私が罹った虫歯の中ではいちばん根が深い歯なので、治療中も神経に触れるというか、なんともいえない独特の痛みが・・・とこういうことを書くといよいよりー氏は歯医者から遠ざかっていきそうだ。
それにしても歯医者さんって大工さんみたい。っていうか外科手術がそもそもそうなのか。削られていると自分がまるで機械になったかのような気になる。美容整形なんて最たるものだろう。トンカントンカン。
次回は詰め物の欠けを修復予定。

2002年11月27日(水)



 こくごのじかん

夕方実家に行くと、「のいの部屋」が出来ていた。れいのサンルームだ。
うへー。いざ間近で見ると大きい。まるで能舞台のよう(それは言いすぎ)。
「人ひとり住めそうな感じがするね」と祖母。まったくそうだ。まだガラスがはまっていないから、中に入ることは出来ないが、存在感は充分に伝わる。
ずいぶん早くサンタさんもいらっしゃったものだ。のい子さん(注・オス)はわかっているのかしらん。

そのサンタさん(仮)がしたおならの音に驚くのい。
なんだなんだっ? と、「ぎょっ」という擬態語そのものの振る舞い。

---

戸棚のなかに何かが入っていた。デパートの包装紙にくるまれている。
「これ何よ」と、父が言って、開けてみると、中からお菓子が出てきた。
「餅か?」
生菓子(なまがし)じゃない? お祝いか何かの。
「ながましか」

「さざんか(山茶花)」は昔「さんざか」と発音していた。
# 漢字で書いたら名残がみえる。
「あたら(新)しい」は「あらた(新た)しい」が転じたもの。
言葉は発音しやすいように変化することがある。
今は「ふんいき(雰囲気)」を「ふいんき」と書いたり言ったりする人もある。そして富山では「ながまし」という。
私など(の年代で)は、「なまがし」ね、と思ってしまう。行事のお菓子としての「生菓子(なまがし/ながまし)」が身近でない証拠だ。

家庭教師へ。
いつも英語と数学を1時間ずつやっているのだが、期末試験を前に、国語でわからないところがあるというので、プリントを見せてもらう。万葉集・古今和歌集・新古今和歌集の違いについて、五七調だの、長歌だの、反歌だの、これはまたえらく丁寧だ。というか細かい。
田舎の小さな中学校に通っていた私は、こんなことまで教えてもらった記憶はないなあ、と思うのだが、忘れているだけかもしれない。いま教えている子の行っている中学校は、わりと大きな学校なので、レベルも高めに設定してあるのか。
帰宅してからりー氏に憤慨しつつあきれつつ報告する。
係り結びの法則って、たしかに中学3年の国語の時間に聞いた覚えはあるけど、そんな重要な扱いではなかったと思うなあ。
「・・・係り結びの法則ってなに?」
ほんとだ。そもそもそうだよ。
だけどそんなことはたぶん教えてはいないだろう。
そういうもんだ、といって教わる。

---

夜、2日目のカレーは、さすがにりー氏も思うところあったか、ようやく普通の粘度になっていた。りんごを半個すりおろして入れたら甘くなったとやや不満げな様子。ならばカレー粉(ルーではない)を入れたら? と提案する。
「それでも甘いな」というけれど、普通、味見して量を加減しながら入れないかい?
炊きたてのごはんと共に。

2002年11月26日(火)



 のいとばあちゃん

今、のいがいちばん長い間一緒に過ごす人は、私の祖母です。
日中を1人と1匹ですごし、同じ部屋(祖母の部屋)で眠ります。
祖母は夜中必ずお手洗いに起きますが、その時にのいも一緒にトイレタイムです。

私たちきょうだい(TとHと私)はずっと、祖母は猫が嫌いだと思っていました。
よその猫が家の中に入ってきてスプレー(おしっこによるにおいづけ)をしていったときなんかも、いち早く察知していましたし。
それがまあ今のなかよしぶりときたら。のいと祖母は本当にいいともだちです。
あ、父とのいもともだちですね。遊び仲間です。母には「おかーさーん」と甘えています。りー氏とは「永遠のライバル」(りー氏談)だそうです。何を争うんでしょうか(笑)。
実家にのいが来ると知った祖母は、母に「わたし、猫好きなんよ」と言ったとか。祖母はどちらかというとサバサバした人ではありますが、人の思いというのは親しくてもわからないことがあるのですね。

そもそも実家には、私が生まれるまで猫がいたのでした。
子供が生まれるからどうしたものだかねえ、と大人が話していたら、ある日何かを察したのか、いなくなってしまったらしいということでした。

編み物や身の回りの縫い物をする祖母は(だからこそゴムひもが手近にあったわけですな)、実家の一員になるなり、のいのためにお手製のおもちゃをいくつか作ってくれました。
そしてこれはのいのベッド(の一部)です。



布や毛糸で出来たカバー類は祖母の手作り。
アップリケ状の小さな布には、祖母の手でのいの名前(カタカナ)がフルネームで記してあります。
お天気のいい日にはお布団を干してもらっています。

のいとばあちゃん。



実は祖母の持つトレーの中には大福もちが。
のいとしては気になります。

なかよく元気でね。

2002年11月25日(月)



 相談

それにしても最近はどうして早起きが出来ないのだろう。

いつものように、だらだらとゆるやかな緊張感の漂う日曜日。
もっとパキッとメリハリのある過ごしかたは出来ないものか?

夜、T(上の弟)より電話。
来年還暦を迎える父の、祝い事の相談など。
田舎ということもあり、初老(「シジュウニ=42歳」の祝い)だの還暦(干支一巡=数えで61歳)だののお祝い事は、概してきっちりやる傾向にある(男性の場合は)。シジュウニ(「初老」よりこっちの言い方のほうが地元では一般的なところから、いかにも「冠」の一行事として位置づけられていることがわかる)の時はともかく、さすがに今回の祝いでは子供が仕切るという次第。
それを受けて母に電話。いちばんの問題は、転職したばかりのHが、年明け早々お休みを取れるか否かということ。

---

電話で聞くさいきんののい。
・母が泊まりがけで出かけて帰ってきたら、たいへんな甘えよう。
・水はもっぱら水道の蛇口からぴちゃぴちゃと飲む。
・母が障子を張り替えて以来、今のところおとなしい(破ってはいない)。
・そのかわりに植木鉢をほりほりしている(これはあんまりよくない)。

2002年11月24日(日)



 お店/映画

夕方、りー氏と買い物。一緒に買い物をするのは珍しい。
少し前にオープンした、ちょっと郊外の雑貨屋さんに行く。まちなかのお店の出店である。
品揃えは、家具、いろいろな雑貨、ペット用品など。年末ということもあり、来年の手帳が特にいろいろ目についた。しかし私はこのところずっと、イロケのない黒の能率手帳を使っているから、あえてチェックせず(なぜって、欲しくなったらシャクだもの・・・)。
ペットコーナーに行くと、以前から気になっていた商品があり、早速購入。でもそれはのい用ではなく人間(りー氏と私)のためのものだったりする。なんといっても、犬グッズばかりで、猫用の商品というのは本当に少ないのだ。犬の方が種類も大きさもバラエティに富んでいて、しかも何やかやと人間が手をかける場面も多い(散歩とか)ということなのだろうか。猫なんて自分がいやとなったらぴゅーと逃げるし。小さいからかろうじて抱えていられるだけで。
そのお店にはまるでベルベットのようにつやのあるグレイの短毛を持った犬がいた。お店の人の犬らしい。
他にも、バッグとか、欲しいなと思わせられる商品がいろいろあった。
それで結局、お店はお店の人によるなあ、と思ったりして出る。
そのあと隣りのユニクロへ。

国立での高寺さんの展覧会が終わって2週間ほど経とうとしているけれど、絵も何枚か売れたようだ。売れる売れないもだけれど、まずは人に観てもらえたことが何よりだったと思う。しかもNさんたちのお店で。
冬の大阪展にも行かれたらいいなと思う。大阪に行きたい理由は他にもいろいろあるのだ。

シネモンド@金沢のスケジュールをチェック。
来月はじめにゴダール関連のプログラムがあるので、観に行こうという話になっている。
他の上映予定も見る。河村隆一が太宰治役で主演する映画。そのキャスティングって・・・この映画にはりー氏のすきな緒川たまきも太田静子役(役名は太田静)で出演する。それもいかにもじゃないか? 緒川たまきは(田中康夫が指摘していたような気もするけれど)基本的に愛人(あるいは「倫」ならぬというか・・)キャラだからなー、というようなことを言う(りー氏に)。
悪態つきはともかく、お芝居はいいのかもしれません(ちゃんと観たことはないが)。もしそうだとしたら、本人のキャラクターが先行しているかのような位置づけは、それはそれで貴重だと思いつつも、ちょっともったいない気もしなくはない。>たまき嬢

2002年11月22日(金)



 シーズン

いま、英和辞書をひいたら、「季節」のseasonと「(〜に)味をつける」のseason(ing)は、別項目ではなく、ひとつの語として立項されていた。
ほほー。

---

季節の味。
今日にかんしていえば、ボジョレー・ヌーボーか。
と、一応言ってみるのだけれど、しかし、実は今まで飲んだことはない。りー氏も若い赤ワインにはあまり興味がなかったようだ(本当は今でもどうでもいいらしい。でもあれば飲む)。
出かけたついでに、駅北のみずはた(酒屋)さんに寄って、樽詰めのハーフボトルを買ってきた。それから、甘酒も。
いつ飲んだっていいのだろうけれど、でもやっぱり、寒いときに飲むあたたかい甘酒は格別だから、これも季節の味かと思う。今日買ったのは福岡の国菊あまざけ。ふつうの白いタイプと、黒米で作ったタイプがあって、とりあえず白いのを買ってきてみた。

ワインは色も薄くてフレッシュ、というか、本当に軽い。ジュースみたい、というのとも違うし・・・
これはこれで今の季節のものですよ、と思って飲むところに意義があるということだろう。
甘酒は、市販のものはお砂糖が加えられていてちょっと甘みがきつかったりもするのだけど、国菊のは自然の甘さで、とてもやさしくてほっとする味だ。
どーせりー氏は好きじゃないだろうと思って(甘酒って好みがあるような)、いいわいそれならひとりじめだわい、というつもりで買ってきたのだが、冷たいままちょっと飲ませてあげたら、意外にうまいと思ったらしい。
アルコール分はいっさいないらしいし、まあおやつですな。私はとても気に入ったので、とりあえず今度黒米のを買いに行って、飲み比べてみようと思う。
ばーちゃんへのプレゼントにもいいな。常温保存できるし。

りー実家から蟹とおでんをもらう。若いワインと一緒に。

---

リフレクソロジー練習台2回目。

今日の猫語彙。
フランス語で猫がのどをゴロゴロいうのを“ronronner”というらしい。名詞だと“ronron”。
ろんろね。ろんろん。ごろごろごろ。

2002年11月21日(木)



 お休みモード

中(ちゅう)そうじをして、ふとんを干して、シーツを洗う。

大家さんからカブをもらう。

Nさんからポストカードが届く。
その写真は、私たちの共通の知人(後輩ですな)が撮ったもの(そうかやっぱり!)。

KNさんからおみやげのプリン。

Kさん夫妻からお借りした八重山諸島関係の本をぱらぱら。
12月というシーズンを考えるとシュノーケリング(未経験)は無理だろうが、その他の事柄をいろいろ考える。

昔、帰省して母に、あーどこかに行きたいなあ、と言ったら、
「あんた毎日旅行しとるようなもんやろ」
と言われて、(えー、そりゃ富山の人からみたら東京は旅行かも知れないけど、私には日常だよ)と思ったが、しかし一方で、(確かにその通りだよな)とも思った。いい意味でもわるい意味でも緊張感があった。と、それは、再び富山が日常になった今になって思うだけだ。
でも一面で本当にここが日常なのかと一瞬思ったりもする。いや日常なんだけど。

叔母に送った荷物が届いたようで、早速メールが来る。

近所の猫の家を通ったら、茶とら・その1(かその2かは不明)と白黒が一緒にうずくまっていた。そそーっと距離を取りつつ眺めると、こちらの気配を感じたらしく、眠そうな目をわずかにこちらに向けた。でも身体はうずくまったまま。
2匹いたらお互いに暖をとれるわけだ。
のいもたまに私の膝の上に乗ってくるが、あれも私が暖気を提供していることになるのだろうか。冷え性ですまんという気持(私はもちろんあったかい〜)。

2002年11月20日(水)



 こんな日も

今日は我ながら暗かった。
落ち着きもなかったし、同時にぼんやりもしていた。

ようやく、叔母といとこに宛てて、お茶とお菓子を送った。出先から叔母の家に戻った私を、その都度ねぎらい迎えてくれたおいしいお茶のお礼。
翌日の夕方には到着するという。想像していたよりも早く到着するようだ。よかった。

実家に行ってのいと遊んだ。
じゃあね、と、ドアを開けて出ようとすると、急に、にゃあにゃあ言い出して、私とドアの間にごろんと寝ころぶ。
自分が外に出たいだけなのかもしれないのだけど。

これはまずい、なんでなんだろ、と思えるなら、まだ大丈夫だろう、たぶん。
そういうこともあるだろう(と、今は思える)。

2002年11月19日(火)



 初雪

富山では既に降ったらしいのですが、それは留守にしていた時だったのです。
自分の目で確認した今年初めての雪を、金沢から富山に帰る道すがらに確認。

---

金沢へ。
夕方、再び、金沢駅構内で栗蒸し羊羹を買う。
その後、里帰り出産を無事終えて帰ってきた友人宅へ。
生後、ちょうど2ヶ月目に入った男の子とご対面。やあこんにちは。パパに似ています。
友人ともいろいろな話を久しぶりに話す。
彼女の実家の猫の写真なども見せてもらう。猫も彼女に先んじて出産したらしい。母猫がまたたいへんな美人。すっとしている。
友人の実家は東京郊外にあるのだが、田んぼの真ん中の古い農家を借りて住んでいて、動物もたくさんいる。猫も十何匹はいるらしい。
こういう家なら助けてくれるだろう、と捨てに行くなんて。じゃあ飼うなよ、だ。

帰りのR8(金沢市内)が非常に渋滞。なかなか高速道路に乗れない。
高速と平行して走っていて、更に他の道路と随所で合流するしくみになっているのだけれども、ノロノロ。

ややイライラしながらカーラジオを聴いていたら、フォーククルセイダーズの「あの素晴らしい愛をもう一度」が流れてきた。再(々)結成ということもあって、名前も曲も、昨今しばしば耳にする機会がある。私にとってリアルタイムの曲ではなく、フルコーラスで落ち着いて聴いたのはこれが初めてだ。
この曲、ある年代の人たちにとっては、中学の音楽の授業で歌った曲として認識されているのではないか。合唱用に編曲されていて、私もそっちの方でなじみがあるのだけれど、いま初めて原曲を聴いて、仕上がりというか雰囲気の違いに驚く。合唱曲の方が歌い上げ、盛り上げんとするつくりなのに対し、原曲のなんと淡々としていることよ。別の曲ですな。
そりゃそうだよなあ。加藤和彦が声張り上げながら歌っているとはとても思えん。

曲は3番目まであって、1番、2番、3番と、それぞれメインで歌っているのは違う人だと思われるのですが、3番は加藤和彦だとして(コーラスがかぶさってちょっと聞き取りにくいけど)、1番2番は誰が歌っているのでしょうか。きたやまおさむはどっち?
それぞれが歌う順序はこれでいいんだろうなとは思いました。

・・・いやしかし、今流れているのは、再々結成バージョンだったりするのか?(オリジナルメンバーではないバージョン)
と、今ふと気づく。

余談ですが、歌の歌詞について、普通は「1番、2番・・・」と言いますが、富山では「1題目、2題目・・・」と言います。
模造紙のことを「がんぴ」を呼ぶのと同じ類の方言。

今日はCちゃん(義妹)の誕生日。オメデトウ(見てないけど)。

---

遅くなりましたが、カウンタ5000ヒットありがとうございます。
ちょうど半年経ちました。

2002年11月18日(月)



 電話

本当にしなくなった。
嫌いではないのだけれども、話しているうちに会いたくなる気持がつよくなった。

日付が変わった頃にHから電話。
月曜から仕事場が変わった。とても、とっても、忙しいとのこと。
仕事って何だろうねえ、という話をする(答えはもちろんひとつではなかろう)。
いくら私より先に社会に出ているからといっても、Hは私より7つも若いのだから、私と同じような「物わかり」をしてもらっては悪いだろう。あまりにも勿体ない。
まだ若いのだから、という一言ではもちろん片づけたくもないし、私と同じ場所に無理矢理いさせるのも悪い(私にとって都合がよくても)。
年上の(姉である、というよりも)私がもっともらしいことを言うことは、やろうと思えば出来なくもないが、それは避けたい。
大阪に行ったら食べに行くよ(読んでないけど)。

---

最近は冷えるから、だんだん朝起きるのがつらくなってきた。
それでも、起きなくては、と思うのだ。
お昼、縁側の椅子に腰掛けていたら、あまりに暖かくてウトウトしそうになってしまった。もしものいが家にいたら、きっとここでひなたぼっこしているに違いない。
目がつぶれそうになっていく自分と、ねむそうなのいの姿を重ね合わせる。

ヘルシンキで春画が公開されるらしい。
# 早速情報を頂戴しました。ありがとう。>Sちゃん

---

結婚したから、りー氏とは長電話もしないし、短い用件以外にはメールももらえなくなってしまった。
少し、つまらない。

夜、母に電話。
今日はりー母さんと一緒に北○ナーセリー(郊外型園芸センター)に行ったとのこと。
寒くなってきたので、実家では、外に出していた鉢植えを室内(主に居間など)に入れたらしい。
さてそうなるとうれしいひと、じゃなかった猫が1ぴき。
彼は、かつて、引っ越してくるなり、りー実家からもらった盆栽をほりほりした前科があるのだけど、ほりほりできる土の量といったら、今回はその比でありません。
鉢植えはけっこうな数だから、居間はいわば小ジャングル状態となる。その鉢と鉢のあいだにすがたをかくして、ジャーンプ。
ああそりゃ楽しいやね!(家族は大変)

2002年11月17日(日)



 秋色

今日の空は色を感じさせなかった。
駅までつづく銀杏並木が、黄金色をして濡れそぼっていた。
雨の中、作業車が柳の枝を伐採していた。枯れ葉はいらないんだ。

あれやこれやが気になって。
ただ、眠い。



これは木曜日ののい。
久しぶりに、昔の家にてあちこち探検中。
黄色みを出そうと白くとばしたら、違う写真みたいになった。
元の写真はりー氏による。

---

福岡の叔母に送ろうと思って買ってあったお茶とお菓子。もたもたしているうちにお菓子の賞味期限が近づいてきてしまった。富山から福岡へ宅急便を送るときは、2日は見ておいた方がいい。
というわけで、自宅用に開けてみた。
おいしい。1本があっという間に3分の1くらいになってしまった。1棹は小ぶりだし、普通の羊羹よりぐっと甘さが控え目で軽い。普通の羊羹はどちらかというと苦手な私もぱくぱく。
月曜日金沢に行ったらまた買ってこよう。今度こそ手紙とともにすぐに送ろう。
そして自宅用にも買ってこよう(あとは栗好きのりー母さんに?)。松葉屋@小松の「月よみ山路」(栗蒸し羊羹)。
・・・自宅用だけっていうのがもったいないくらいの話で。

2002年11月16日(土)



 忘れないように

時系列で小分けに書いてみよう。

洗濯物をたたむ。
黒っぽい服に、白っぽい、短い、のいの毛がくっついている。
なんだかうれしい。
衛生的にはよくはないんだけどね。

こどもの頃に見聞きした「エメロンシャンプー」、最近リニューアルしてまた出ている。昨日、ドラッグストアに行ったとき、店内を一巡し、石けんの香りにひかれて買ってしまった(シャンプーとかボディソープ類は、その日の気分で使い分けたいほう)。
さて使ってみると、お母さんっぽい匂い。化粧品の匂いとでもいいましょうか。
案外、髪もうまくまとまってくれる。

大根、なかなか火が通らない。
こんな時は圧力鍋か。大根の性(しょう。個々の大根の性格・性質)にも原因がありそうな気がする。今日のは、いかにも根っこって感じ。

家からいちばん近い本屋さんがリニューアルオープン。それなり充実の品揃え。思い入れも感じられるコーナー作り。
内田百里盖氾跳魄譴眤靴辰討い襦それから堀井和子さんも。
# 吉田健一、お勧めできるほどには知らないのです。
  思いつくのは、「金沢」でも読んでいただいて
  北陸への旅のきっかけにでもなれば、とそんなこと。
  >P様@私信
2Fは文庫本とマンガコーナー。フロアにはかばんを持って入ってはいけない。富山の書店では初めてではないか。
マンガをチェックするのを忘れていたけれど、りー氏によれば充実とのこと。りー氏は文庫本をあまり買わない。
小説読みたい。でも読むのがこわい。

のいの昔の写真をながめていた。
うちに来るまでのあいだに、おなかをすかせた日もあったんだろうか。
たった4ヶ月半前の家のことすら忘れてしまうのなら、それより前、外で過ごした毎日のことも忘れているんだろうか。
いろんなことは忘れても、今ののいの小さいあたまのなかに楽しいことだけあるならば。

2002年11月15日(金)



 冬をまつ

実家に行ったら庭師の人が雪つりをしていた。
雪つりとはこのようなもの。小学校のPTAでも、父兄が集まって学校の木々に雪つりをしつらえるという行事があった。冬じたく。

---

のい抜糸。
ダイニングの、お気に入りの場所(エアコンの風が直撃する椅子の上)で寝ているところを起こし、病院に連れていく。すまんのう。
今日はりー氏の希望で、実家→病院→実家ではなくて、実家→病院→拙宅→実家というコースをたどってみた。のいはかつての家を覚えているか?
結論としてはどうも覚えていないようである。その落ち着きのなさといったら。かといってキャリーの中にすぐもどってしまうわけでもないのだけれども。
「やっぱり忘れとる(涙)」(りー氏)

病院への道行きはいつも、にゃおうん、なおおん、と太い声で鳴くのだが、用事が済んで帰ってくる時は、比較的おとなしくなる。何かわかっているのか?

実家に到着。キャリーのとびらを開けてやると「脱兎のごとく」飛び出していった。
# 「脱兎」ってそんなに駆けるのが速いんだろうか。
  ぴょこたん、ぴょこたんしている兎しか見たことがないから。
エリザベスカラーから解放され、お得意の、物陰から人間に飛びかかってくることも、再び難なく出来るようになる。
物陰にかくれているぞ、というような時に、わざと、「のいはどこかなー、のい、どこにおるかちっともわからんなー」と言って立っていると(言う方もアホだが)、ここぞとばかりに飛びかかってくる。

---

リフレクソロジーの勉強をはじめたKさんの練習台になる。彼女の先生に2度施術してもらったことがあるので、緊張するー、と言われる。
片足分が終了したところでウトウトと。

2002年11月14日(木)



 得るもの(今日得たもの)

先週から全4回の予定で通いはじめたとある講座の、第2回目に行く。
30人ほどはいるであろう受講者の年齢層はおそらく60〜70代が中心で、それぞれのレベルは必ずしも一定ではない。
慣れてきたせいか、共に学んでいこうという心・他人に対する思いやりのない言動があり、げんなりする。たぶん、まったく悪意はないのかも知れないが。
以前、この種の講座を受講したときに(先生と内容は違う)、やはり同様のことがあり、同様の感想を持った。ついでにそんな折にそれぞれの先生の性格みたいなものが見えてくる気もした。「かわしかた」の違いとか。
こういう光景を目にすると、若者のよい点は、今後自ら切り開き、変わりうる可能性があるということだ、と思えてもくる。
というわけで今日もまた「学ぶ」ってどういうことなんだろうかと考える1日。

私にとっては、この講座から学ぶものはある。私が得ているものは、先生の思惑と一致しているかも知れないし、ひょっとすると違うかも知れない(むしろそういうところもないと面白くない。でも、何か新しいことを知ることが出来たら、それでよい。どんなことにせよ、自分以外の人と接して学べないことなんてあるだろうか、面白くないことなんてあるだろうか。
と、私は、思うんだけれど、さて。

---

今日の猫話。

猫を愛するお友達から言葉のプレゼントが届く。
なごなご(猫の鳴き声のように和むさま。造語)してしまった。

家から2番目に近い本屋さんに、定期購読第1回目の『猫の手帖』を取りに行く。

あの、(みんみん名字)ですけれども。
お店の人「はいっ!」

すぐにお取り置き棚から持ってきてくれた。
昨日はりー氏分の雑誌を取りに行った。そして今日も、改めて発売日(北陸は1日遅れなんですな)当日に取りにいくなんて、やる気まんまんな感じが伝わったかと思う。
パラパラめくって一言。
▼「猫又指南」(p35)
それは私もいい夢だと思う!(笑)
▼pp68-69にある猫のイラスト
どこかで見たことあるなーと思ったら、滝川商店さんだった。富山にお店がある。
実はこのお店、猫を飼い始めた頃にたまたま通りがかり、猫ものということでチェックしていた。そのとき、デスクにかけてあった猫の手帖カレンダー(写真は小さいけど、猫は365日毎日違う!しかも日めくりじゃないから実用にも耐える!--と思う。笑)に目が行って、うへー!これほしー!!と思ったのが、いわば、『猫の手帖』を買うに至った最初のきっかけといえる。

2002年11月13日(水)



 スペシャルディナー

結婚記念日(=婚姻届を提出した日)。ということで今日から3年目に突入です。
「がーん」(りー氏)

夜、家庭教師に行ったら、中学生の手帳の今日の欄に「1年たつ(ハート×3)」と書いてあるのが見えました。見たんじゃなくて「見えた」。赤いペンでそんなふうに書いてあれば目立ちます。
今日は何から1年たつんですか、と、しらばっくれて聞いてみると、え、それはちょっと、と中学生。
今日私たちは結婚記念日なんですねー、そういう種類のことなんじゃない? うちは丸2年だけれども。
すると、そうです云々のお返事。せっかくなので相手の男の子の志望校も聞き出してみました(中3なんですな)。
おねーさん(年齢的にはきついな)ぶろうとかいうわけじゃなくて、ただ、あなたにとっても意味を持つ日なのね、実は私もそうなのよ、ということを共有したかっただけ。

さて帰宅してみると、りー氏が餃子(65個くらい)を作っておいてくれました。うひょー!
餃子さんたちは大皿2皿にきれいにならんでラップをかぶせられています。おお、ずいぶんと包み方が上手になっているではありませんか。
りー氏はといえば、ひと足先に紹興酒を飲んでいます。あとは餃子を焼くだけ。これもりー氏の仕事です。というのは、餃子を焼くのはりー氏の方がうまいので、いつもやってもらっているからです。今日は半分だけ焼きます(=明日も餃子)。
りー氏の反省点としては、
・もう少し味付けが濃くてもよかった(濃くしたつもりなんだけどなー)
・ショウガを入れすぎた
だそうです。
「作るのにはものすごい時間がかかったのに、食べてなくなるのはあっという間だ(涙)」
うひひ、いつもそういう思いをしているのだよ作る人は。
ありがとう。お礼にりー氏の好物の洋なしを切って剥いてあげました。めでたし、めでたし。

2002年11月12日(火)



 いいはなしとどうでもいいはなし

きょうのすてき。
2週間ぶりに走る道の木々は、見ぬうちにすっかり赤く黄色く色づき、いま、まさに葉を落としている最中だった。
住宅街の中の広い道路。とってもよいお天気で、気持ちよく走る。
左手の歩道におばさんと何か小さな生き物。犬? と思いきや、猫だった。
すてきすてき。
しかもそのお散歩猫さんは、リードをつけていないのだ。首輪はついているけれども。おばさんの方を見上げるように気にしながらついていく白茶の猫。
こんな猫の散歩を見たのは初めてだ。逃げ出さないなんて。すてきすてきすてき。

と、りー氏に報告したら、「本当にその人は飼い主?」と言われる。
「ただ知らない人に猫がついていっているだけじゃないの」
むーん。おばさんと猫さんの間に心の糸がみえた気がしたんだがー。

実家で泊まってきてもいいんだが、その後、反動でのい欠乏症になるのはちょっとなー。いいやまた火曜日に行くから♪

いったことのないまちから届いた便り。
丸い消印を確認する。ありがとう。
# 以下私信。>Nさん
  いただいたカード、写真を撮った人の名が記してあった
  けれど、私たちの共通の知り合いと同姓同名。
  まさかその人ではないですよね?

金沢に行ったついでに、丸八製茶場の献上加賀棒茶と、「月よみ山路」という栗蒸し羊羹を買う。叔母へ送るつもり。

---

きょうの悪趣味(私の)。
夜、某ホテルの最上階にあるカフェラウンジにてとある集まり。少人数なので別に貸し切りではない。だから一般のお客様もいらっしゃる。この会への参加はこれで何度目かになるが、他のお客様を見かけることは殆どなかったような気がする。
それが今日は、1時間半のあいだに2組の客があった。それぞれ男女のカップルなのだが(1組目はバブルを経験していそうな30代くらいの男性と20代の女性、2組目は50〜60代の男性とふっくらした感じ−−ある程度年配の男性は、やせているよりむしろ少しふっくらした女性を好むような気がするのだが−−の30〜40代の女性)見たところ、恋人同士とか夫婦とかいう雰囲気ではない。この夕方の時間帯に、女性のほうはいかにも仕事帰りではない雰囲気。・・・これっていわゆる同伴?
夕方、銀座のウエストあたりに行くと、そういった光景を見ることができる、ときいたことはあるが、富山でもあるのかーへー(と、勝手に決めつけている)。

そういえばこの間、情報誌をめくっていたら、「男性お断り! 女性だけのクラブ!」という文字が飛び込んできた。ホストクラブの広告である。
私はホストクラブに行ったことはないが、どういうものなのだろうか。そもそもああいうノリ(あくまで想像)は苦手なのではなかろうかという気もするし(さもなくば全く反対に一緒になって騒ぐか・・・)、疑似恋愛みたいなものを楽しむのがひとつの目玉だとすれば、そんなのはどうでもいいやという思いもある。
# 内実を知らずに勝手な想像をしている可能性も大。
気持のよい相槌をうたれるより気兼ねなく飲みたいわ。ホストクラブじゃなくて、同性スタッフ(ホステス的な)相手に飲めるバーっていうのはないのかね(疑似恋愛感情を伴わず)。っていうか男の人はホステスじゃなくてホスト相手に飲めるクラブっていうのがあったらどうなん? そういう発想はないんかね?
「ないね」、とりー氏。
ふーん(やっぱりか)。
一種の演劇的な空間でうまく騙されたいと思わない私は、とっても現実的な人間なのかも。
ホストクラブよりはゲイバーのほうが面白そうだと思ってしまうけれど・・・どうだろう。そのへんをつきつめていくと、自分の得意なことと苦手なことがわかりそうな気がして面白く、また怖い。

ときどきおつきあいで女の人がいるようなところでお酒を飲むことがあるのだけれど、お店の女の人と話すのは好きだったりする。そもそも私は人と話すのが好きなんだけれども(人見知りもするのだけれども)。
知らない人と話すことができるのはいいと思うが、それが損得勘定をはずれて個人的な関係に発展しうるものでないと、ちょっとつまらないなと思ってしまう。仕事の関係などはまた別として。

2002年11月11日(月)



 日曜日の夕方

は、たいてい、けっこうブルーな時間。

夕食は長崎みやげのちゃんぽん。上に載せる具は合議により決定。
ひとつずつ好きなものを挙げることにしよう。「いいよ」
もやし。
「いいよもやし。白菜」
キャベツじゃなくて?
「白菜がいいなー。」
ふーん。まあいいや(キャベツのほうがいいけど)、キクラゲ。
「たけのこ」
何か動物性のものを入れんなんやろ。豚肉はまず入れるとして、何かねー。
「イカを入れたいところだけど・・・でもいい」
魚介類欲しいよねえ。あさり?
「・・・」
長崎のはピンク色のかまぼこ入ってるよねえ。
「板についたやつね」
あと考えられるのは・・・ちくわとか。
「・・・」
干しえびは?(普通のエビは苦手。>私) ダシ出ると思うな。
「じゃそれでいい」

そして買い物に行き、材料の準備をしていると、りー氏が「作る」と一言。
作ってもらいましょう。

しばらくして完成。うまいうまい。
ちゃんぽんと野菜ラーメンは違うのですな。最後にひとつ鍋で煮込むということを初めて知りました。

たけのこは、春、大家さんからもらった自家製水煮缶を使ってみた(買ってくるのを忘れたのだ)。缶から出して、仮に食器に移しておいたのだが、全く残っていない。
たけのこの残りは?
「え、出してあるだけ使った」
・・・全部かい。普通、具材のバランスとか、適当な量を考えないか?
# トマト水煮缶(大)の大きさ。たけのこは好きだけど・・・
しかも薄切りにはせず、缶に詰められたままの形で入っていた。一口大にゴロンゴロン。野性味あふれるちゃんぽん。
ごちそーさま。

18時からのテレビ、「ようこそ先輩」@NHK、今日は立川志の輔が先生。
今朝、父から電話があり、録画しておいてくれと言われていた。実家ではタイマーをセットしてきたが、ついでだから私も見てみた。
# 録画を頼まれたのはお昼の囲碁@ETVとこの番組。
  「夕方6時からの・・・」と言われたので「モグモグコンポ?」
  と、とっさに出てしまったが、「それは昨日(=土曜日)」と
  言われた。食べるのが好きな父がよく見ている番組。
今日のテーマは「間(ま)」。人とのつきあいにおいて間は大事である。間はいつも決まっているわけではなくて、時と場合、そして相手によって違ってくる。適当な間のとりかたというものがあるのだ、という話。
最初の説明がちょっと難しい印象。苦心している様子がみえる。りー氏はここで「案外つまらん」と言ってテレビの前から去っていったのだが、私は、どうなるんだろうこんな抽象的なテーマで、と思いながらも、なぜかというかやはりというか展開が気になって、ちらちらと見続けていた。
まとめとして、グループ分けした生徒たちにフィールドワークを課していたのだが、この結果は面白いケースが多かった。ひょっとすると子供たちが自ら考え出したのではないかもしれないけれど、うまく実例になっていたと思う。
最後に生徒の感想が取り上げられていたのだけれど、それはいまいちな感じ。都合のよい感想が出なかったのかも知れないけれど、「間」を個別的具体的な例としてしか認識できなかったかなーやっぱり、という印象。
いや今はそれで十分なのか。具体的なものから抽象化して捉え直すという作業って、年端がいっても苦手な(発想にすらない)人はいるから。
そして志の輔氏はちゃんと先生だった。

今日の猫。
近所の猫一家に久しぶりに遭遇。道ばたで2匹(茶トラ、白黒)並んで座っていた。
君たちそんなところにいて大丈夫かい。
近づこうとするといったん引っ込んで、お父さんも連れてやってきた。
そのうち1匹(茶トラ)と鼻ツンに成功。わーい。その前におやつを食べたばかりの私の指からおいしそうなにおいがしていたからに違いない・・・

その前には別の場所で、中学生の女の子が茶トラ(しっぽの先だけ白)猫と遊んでいるところを見かける。小さな犬なみに立派な体格のように見えた。
なかなかにいい夕方。

2002年11月10日(日)



 4にんと1ぴき

両親が留守のため、夕方、りー氏とともに私の実家へ。

祖母とHと4人で夕食。のいも夕ごはん。
実家のキッチンは対面式である。対面式はいいのかわるいのか、本当のところはよくわからないが、あれこれ話しながら支度が出来るのはたのしい。孤独な感じがしなくていい。暖房もきいてあたたかい。
大根とつみれの味噌煮、小さいいわしの酢漬け(頂き物)、ゆで卵とブロッコリーと鮭のサラダ、高菜チャーハン、れんこんのおつゆなどを食べる。
れんこんのおつゆは祖母がよく作ってくれたもの。だしを取り、すりおろしたれんこんを入れ、火が通ったところで味噌をとかし、ネギの小口切りをちらす。すごく簡単だけど、なんとなく身体があたたまる気がするし、冬っぽくていいかなと思う。見た目は呉汁のよう。
いつも2人ぶんしか作っていないので、4人ぶんってどれくらいの量だ?などと考える。量は少なくないか。
母は仕事をしているので、富山に帰ってきて実家暮らしだった時は、たいてい私が夕食を作っていた。その時は4人ぶんを作ればよかったのだが、およそ「作りすぎる」ということはなかった。作りすぎてもそのうちきれいになくなった(父はよく食べる人なのだ)。
祖母は、りー氏とHと私が話している様子をニコニコと見ている。
会話の内容は共有出来なかったとしても、若い者のいる気配がうれしいのかな、と思う。
のいはエリザベスカラーにもだいぶ慣れたようす。
鳴き声が少し変わった気がする。飛びついたりしないのは、去勢手術のせいか、エリザベスカラーをしているせいか、まだ不明。

ご飯のしたくをしている間に、居間にふとんを2組敷いてもらった。今日はここで寝る。
ふとんの上に座ってテレビを見ていると、なんだか合宿みたいで楽しくなってきた。

片づけが終わってから、若い者3人はお出かけ。カフェにてお酒やお茶やスープ、パンメニューなど。

実家に行けばいつでものいと遊ぶことができるけど、なんといってもお泊りは格別だ。一緒に寝られるから。
わき腹のあたりに触れるふさふさの存在感がとてもうれしい夜。

2002年11月09日(土)



 寒い日

母の横浜土産の豚まん。
賞味期限は明日までだったので、夜、ふかして食べた。
ふかしているうちにもともと大きかったまんじゅうがさらに巨大になり、蒸し器がたった3個の豚まんに占拠された。具には百合根も入っていた。しゃきしゃき。

今日はのいを迎えに/送って行き、写真の現像を取りに行った以外、まったく行動的でなかった。イカンナー。
寒いとだめですな(天気のせいにするな)。

フィルムは2本現像に出したのだけど、1本はなぜか未露光だった。まあ何を撮ったのかも記憶になかったのだ。
もう1本は、猫写真+長崎で撮った仕事関係の写真。仕事関係の方は至近距離すぎたのか皆どれもピンぼけで(デジカメで撮ったものがあるからよしとするか)、結果的に猫の写真ばっかりになってしまった。といってもどれも遠くから撮ったものだから、猫じたいは小さい。のいを写したのが2枚くらいあるが、これはピンぼけだし。
猫写真はどんなかというと、片町@金沢の裏通りの黒い子猫と、七尾の茶トラ猫と、近所の猫一家の。

Kさん夫妻から石垣島の本が届く。本格的。
ありがとうございます。

---

朝、のいを迎えに行く。
獣医さんの診察室で待っていたら、奥の方からにゃおうん、にゃおうん、という声が聞こえた。他にいるのは子猫ばかりのようだから、たぶんのいの鳴き声だろう。

朝早い時間なのに小さな猫が何匹も見えるのは、入院しているのだろうか、それとも行き場がないのだろうか、と気になってしまう。どちらも辛い話だ。

エリザベスカラーをつけたら、キャリーの中では身動きがとれそうもない。というわけで昨日、大きな洗濯ネットを買ってあったのだが、のいはキャリーの中の方がいいらしかったので、そのままネットは使わず、来たときと同様の状態で、何もつけずに帰る。
車中からHに電話。着信履歴もあった。今○○(=ローカル地名)のあたり、もうすぐ着くからお迎え頼むね、と伝える。帰宅するとHが玄関の外に出ていた。
まずのいを家の中に入れ、エリザベスカラーを付けてやる。
へんなものは首の回りについているし、腰の辺りはたぶん変だし、昨日全身麻酔で手術をしたばかりだし(たとえば人間の場合ならとんでもないことだ)、歩き方ときたらひょこひょこだ。

ダイニングにて、そうだ、約束だったねえ、と、カステラを小さくちぎってやる。
おつかれさん。

しばらくうろうろして、まず、トイレに入って、砂を掘りまくり、おしっこ。これがまあ、びっくりするような量で、トイレの砂が巨大な塊になる。よっぽどがまんしとったんやねー、と驚く。
またしばらくうろうろして(とにかく落ち着きがない)、今度は排便(お食事中のかたすみません)。大か小か、今、どっちをものしているかは、見ただけでわかる(身体の動きで)。
祖母曰く、猫はトイレの最中に見られるのをいやがるもんだけど、のいは全然平気だねえ、と。人間と目が合ってもいっこう平気で目的を遂行している。ごはんの最中に話しかけられてもあまり気にしないようだ。だから、どう考えても神経質な猫じゃないね、と思っていたのだが、さすがに今回の一件は難儀だったか。
ここは自分のテリトリーだ、と、まるでいちいち確認するかのように、家のあちらこちらをまずは徘徊していた。エリザベスカラーのおかげで、視界は限られるし、通れない場所もあったりするしで、さんざんだけれど。患部を舐めないように注意して(少なくとも2、3日経って傷口が固まるまでは)たまにははずしてやってもよいだろう。

一段落したところで祖母が、ちょうどふかし上がったばかりのさつまいもを出してくれる。なんだか子供の頃を思い出すようで懐かしい。みんなで食べる。のいはその間2階の窓辺で、すずめを観察していたらしい。すずめ大好き。

たくさんふかしたおいもをもらって帰る。

出張中の母が、実家に電話し、少しはおとなしくなったかと尋ねたところ、誰か知らないが(父かHですかね)やさしい声で鳴くようになった、と言っているらしいのですが、そんなわかりやすく変化するもんかね・・・

---

たとえば病気で卵巣を摘出した女性があったとして、その人を「女でない」という風には思わない。
あるいは病気で精巣を摘出しても、変わらず男性であると認識していくでしょう。
のいもオス猫でしょう。獣医さんでは「♂に斜線(/)を重ねたマーク」で去勢済みを認識されているようです。
では同性愛者である男性が精巣を摘出したとしたら、その人をどう認知するのか。これは女性だと認識するのだろうな。
性を決定するのは染色体だけど、人間は望めば自分で性を決められるということか。
sexはgenderに対しどこまで強制力を持つのか/持たないのかということを考えたり。

2002年11月08日(金)



 逆転

のいを病院に連れていって、帰宅して、O山町の山の方へ届け物をして(メモもつけて。これは先日持っていくのを忘れた自分が悪い)、F中町のりー氏の実家へおみやげその他を持っていって(時間がなく、立ち話を少しだけ)、K羽へ。
こういう芸当は車でないと出来ない。

立場を逆転させてみること。
普通の人はもっぱらお客さんであるのみだが、例えばお店で働いてみると、客としてのあるべき姿が見えてくるのではないか。ぜひとも受けるべきサービスというのはあると思う。しかし度を超したものはちょっと問題だし、それからマナーの面での問題とかね。
お店で働く人はお客になってみる。すると、お店の人の死角になっているような部分が目につくだろう。
「客」と「客に対する人」は、飲食店や販売店に限定せず、比喩的にいろいろ用いることが可能だ。各自の仕事の場に置いては、皆それぞれ、いろいろな性格のお客様を持っているからだ(そうでなければ「仕事」とは言わないだろう)。
運転手は助手席に、助手席の人は運転席に。教わる人は教える人に、教える人は教わる人に。見る人は見られる人に、見られる人は見る人に。その他。

いや、仕事に限ったことではないな。

犬カフェに、長崎みやげのカステラを持って行った。
どういうのを持って行ったかというと、小豆の入ったもの。冬季限定らしい。ふつうカステラから持って行くべきなのだろうが、ちょっとだけ食べてみたくて、あ、そうか、おみやげにすればいいんだ、と思いつく(りー氏は応用みたいな食べ物はあんまり受け付けないほうなのだ。そして、好きな食べ物なら毎日同じメニューでもいいというタイプ)。
小豆カステラ、すごくしっとりしていてとてもおいしかった。これはいいんじゃないか。

---

本日ののい(手術の日)。
朝、実家に迎えに行く。おなかがすいて大暴れかと思ったが、案外おとなしい(ひとしきり暴れた後、疲れたのかおとなしくなった模様)。「記念写真」などを撮る。
いつもそうなのだが、病院へ行くとき、のいは自分からケージに入っていく。
猫はせまいところが好きだから、と理由づけることはできるが、たとえば病院がきらいな猫なら、そこに入るのをいやがるとかそういうことはないのだろうか。そこまで知恵はないのだろうか。
のいは「基本的にだら(=あほ)」というのがりー氏の見解だから(Hもちょっとそう思っているかも)単に「せまいところだいすきー」なだけなのだろうか。いやしかし私としてはもう少し何かがあると思いたい(願望)。どうなんだろ。

西尾さん(いつもお世話になっている獣医さん)では今日もムート(看板犬のパグ)がお出迎え。ムートおはよう〜。
しかし後方ケージのあたりでは不穏な空気が。もちろん、ムートの姿を見せないように、ケージの隙間を隠すようにしてムートとごあいさつしているのだが、やつは感じているらしい。ウゥー(シャーッ)という声がする。
# ムートじしんは犬が苦手らしい。

西尾動物病院では手術の折に1泊することになっているので、今日は初めての(厳密には久しぶりの)外泊。
明日はエリザベスカラー(エリマキトカゲというか漏斗というか)をつけてご対面のはず。とてもケージ(子猫の時に買ったから最小サイズなのだ)には入りそうもない。
100円ショップで大きな洗濯ネットを買ってくる。猫の移動方法としてはケージと並んでポピュラーらしい(神経質な猫だと、ネットを入れて更にケージに、ということもあるらしい)。
「これならおれも入れるぞ」と言って実際に入ってみるりー氏。
よし、医者に連れていく時はのいのネットを借りよう。
# 肩くらいまでなら入ります。笑。

2002年11月07日(木)



 狼と羊とキャベツ

12月の連休に石垣島へ行くことになった。
母の知り合いの代理店の人を通してのツアーだが、参加人数は10人くらいで、時間も自由に使えるようだ。ツアーとしては非常にお得なものらしい。
さいしょ母は父と一緒に行こうと思って予定していたのだが、年末は忙しいかもしれないと父が言ったので、ならば、と私のところに誘いの電話が入ったのだった。
石垣島行くかもー、とりー氏に言ったら、ちょっと行きたいそぶりだったので(実はこんな態度は珍しい)、母にその旨伝えてみる。
母は賛成しつつも、3人一緒の部屋になるというのは気が引けると言った。
考えてみたらあんたたち新婚旅行にも行っていないし(なぜなら、りー氏が乗り気でなかったからだ)、いいよ、お母さんは何か考えるよ、と気をきかせてくれようとする。
いやでも元々は母が行きたかったわけだし、と考え、そうだ、りー母さんを誘ってみればいいんじゃない?と思いつく。りー母はあんまり遠出したことのない人なので、喜ぶかもしれない。
りー父に悪くないかという話もあったが、たぶん誘っても遠慮するに違いないだろうという結論に達し、早速りー母に電話した。結果はOK。

ということで2人の母とりー氏と私で石垣島へ行く・・・はずだった。

ここで再び父が登場。やっぱりおれ行けるかも、と。
えーっ。もうりー母に言っちゃったよ。
しかしせっかく行く気になった人にやめろというのはかわいそうな気がした。夫婦で行きたい気持もあるだろうし。でもりー母も楽しみにしているに違いない。
いいよお母さんたち(=私の父と母)とりーさんのお母さんと一緒の部屋にすればいいじゃない、と私の母は言った。部屋はいくらなんでもシングルということはないだろう。
母と一緒とはいえ、りー母は父と一緒の部屋はイヤでしょうよ。気をつかうでしょう、と私は言った(だって生活したこともなければ友達でもない異性なんだよ?)。いいよ私たちがりー母さんと一緒の部屋になれば。

ここまでくるとどうしてりー父が参加しないのかという話にもなりそうだ。
まあしかしりー父は緊張するたちの人なので、私の両親と一緒だと気が張ってしまうだろう。だからこれでいいといえばいいのかもしれない。

父曰く「りーさんのお母さん気を遣われるだろうなあ」。
そりゃそうでしょう。
私も自分のペースで動きがちだし、父の気まぐれも実のところよおおおく理解できるところがあるのだが、しかし、それは家庭内のみにしてほしいものだよ。人を振り回すから。

もちろん、りー母に「やっぱり父が行くと言いだしたので、4人で行くことにしてもいいですか?」と言ったとしたら、りー母の性格からして「もちろんどうぞいってらっしゃい」と言ってくれるに違いない。
しかしもし私の両親とりー氏と私という組み合わせで旅行をしたらどうなるか。それはそれで大丈夫だとは思うけれど、両親(特に父)と私のあいだのやりとりはきっとよりえげつなくなり(わはは)、りー氏はまあまあまあまあと言うしかなくなるだろう。それはちょっとかわいそうだ。私にとって私の両親は、言動パターンとその都度の気持を一致させられる−−要は勝手知ったる人たちであるのに対し、りー氏にとってはあくまでも他人だ。これはりー氏にとってはちょっとかわいそうだ。
というわけで、やっぱり5人で行くのがよかろう、と考えた。当初母が気にした、りー氏と私を一緒の部屋にしてやりたいという気持は反映されないぞ、と思わなくもなかったが、私はたぶんそのへん(どのへんだ!)はうまい・・・と思う。
だいたいみんな石垣島に行きたいと思っているんだから、行きたい人がみんなで行けばいい。

というわけで楽しみ。石垣島。

2002年11月06日(水)



 1週間ぶり

朝。
携帯宛てに叔母からメールが届く。
ちょっと泣きそうになる。

寒いのでちょっとラフな恰好で仕事に行く。
「寒い」ことが「ラフな恰好」になる理由にはなっていないけれども。

長崎から送ったカステラが届く。
荷物を開く。りー氏の鼻息が荒くなる。
これはりー実家への(ふつうカステラとチョコレートカステラの詰め合わせ)。これは家庭教師先への(チョコレートカステラ。このところ立て続けに日時を融通してもらっていたので)。そしてこれは犬カフェへの(冬季限定小豆カステラ。お相伴にあずかる予定)。
「・・・これだけ? ふつーのカステラはないの?」
あるよ。はい。
と言って通常の1/2サイズのを差し出す。
「(しくしく)これだけ」
そうだよ。だってあんた私がいろんなおみやげ買ってきたっていっつも結局食べんやろ。で結局私がひとりで食べとる。だからこれで十分。
他にりー氏用おみやげとしては、ちゃんぽんの麺とか九州ラーメンっぽいものをいろいろ。

夕方。
時間が少しあったので実家に寄る。実家宛てに送ったおみやげはまだ届いていないので、今日は手ぶら。
母が早く帰ってきていた。横浜中華街みやげをもらう。肉まんと、りー氏と私にそれぞれお守り。
のいはとっても元気。先日、獣医さんに行ったときに「平均的な大きさではあるけれど、ちょっとおなかのあたりがたぷたぷしているかな」と言われたので(あのほっそりしていたのいが!)、それ以後えさの量を調整してもらっている。
父と祖母がえさをやったりするのだが、皿の中を見てそれぞれが適当に調整したりしていたので、相対的にはどうしても量が多くなりがちだったのだろう。おなかがすいているだろうから足してやろう、と考えてみたりとか。猫は犬と違ってやったらやっただけぺろりと食べるということはないが(自分で適当に調節して食べている)、けじめをつけるのは大事だ。というわけで、今は、朝、あらかじめ母が、のいのえさ入れタッパーに1回ぶんずつ小分けにして入れておくという方法を取っているようだ。
のいはえさが足りないのか、えさの入っている袋をがしがしとかじったりもしたらしい。だからえさの保管場所も変えてあった。
私が行った時はちょうどおなかがすいてきた頃らしく、にゃーん、とよく鳴いていた。私たちをえさ入れの方に誘導しようとしたり。

さて居間に行くと、色あせたタオルが3枚ほど縦方向に縫い合わせられてびろーんと垂れ下がっていた。
新しいのいのおもちゃかね、と思って母にたずねる。
そうじゃなくてねえ。
なんと父が作ったらしい。母は横浜に行っていたのだが、留守中、どこかから針と糸を探し出して縫ったらしい。
居間は和室で、戸は襖である。閉め切ってしまうとのいは出入りすることができない。しかしこの寒い時期、少しでも開いている部分があると、すきま風が寒い。
というわけで、父はいわばカーテンを縫ったのだ。一応、もうボロボロ加減なタオルを選んで縦長に上下方向にそれぞれ縫い合わせ、細長い1枚の布状にする(それぞれのタオルの色も違わせてある!)。縫い目を見るとそれはそれはざっくりしたものだが、父が玉どめを作ったのかと思うとおかしい。
のいのためのカーテン。

「それとねえ、今度、ダイニングの窓際に、サンルームを作ることにしたんよ」
そこにのいのトイレなどを全部置くという。母が留守のあいだに見積もりに来てもらったらしい。サンルームがあるとたしかに冬場の洗濯物干しには都合がいい。しかしのいのトイレがあるとなると・・・果たして利用されるのかどうか。まあ乾燥機を使えばいいのだけれども。
そしたらそこでひなたぼっこできるわね、のいさんは。
わはは。父のボーナスの使い途。

T(上の弟)が転勤するかもよ、という話をする。
ひろ(甥)は今年七五三だし、もうすぐCちゃん(義妹)の誕生日だし、なにか送りたいね、と母と話す。
私たちきょうだいは七五三というものをしていない。地元では、子供の習俗としてはむしろお寺に稚児にあがる方が一般的だったようだ。仏縁を結んで子の成長を願うという行事で、3人それぞれの年に、眉間にビンディをつけ、独特の衣装を身につけた写真が残っている。留袖を着た母も一緒に写っている。

夜。ニュイカフェへ。
食べたり飲んだり読んだりしゃべったり。

2002年11月05日(火)



 帰る日

いいお天気。風が強い。

叔母とCちゃんと一緒に宅急便を出しに行って、それから、めんたいこを買って送ってもらった。うちとりー実家とに。
それから秋月へお出かけ。名前がいいですな。
石垣の残る秋月城趾。郷土博物館では、秋月藩の歴史を知ることが出来る。九州は、山の中に少なからず小京都と呼ばれるような地がある。秋月もそうだし、他にも日田や吉井といった場所が思い浮かぶ(行ったことはない)。歴史があり、豊かな文化もある。話には聞いていたが、実際にその場所に行ってみると感慨というか説得力がある。
紅葉の時期で小さな町なのに人がたくさん。お昼になったので山菜葛うどん(おつゆがちょっとぬるかった。甘め)を食べる。それからさつまいもまんじゅう(ふかしたて)。叔母とCちゃんはよもぎの焼き餅。

帰りは最終のサンダーバード号です、とりー氏に確認のメールを打ったら、「MさんとFさんとうちで鍋をやることになったので、タクシーで帰ってきてくれると嬉しいんだけど、なんて」との旨、返事があった。
どうせ帰ったら宴のあとだけが残っているに違いない(明日はウィークデーだしね)。それはいちばんつまらんパターンではないか。
配偶者を置いて数日出かけるというと、たいてい、「(りー氏が)さみしいんじゃない?」と聞かれるのだが、そんな風では全くないりー氏。少しくらいさみしがってみせてもいいのに、ぎょうざやとんかつやラーメンの歌(留守の間、左記の品々が思う存分食べられるというココロ)をうたったりなんかして、その目の輝きはむかつくほど(笑)。

叔母の家を少し早めに出発。そのまえにパチリ。



ジュリちゃん。足がとっても細い。
保健所にいたのをいとこのY君がもらってきた。
子犬のころには、あんまり大きくなれないだろうと言われていたらしいのだけど、それなり普通の大きさに成長した。でも足が細いだけあって全速力で走ったりするとたいへん疲れるらしい。車酔いもするし、アトピーだし、押しの強い犬じゃないけれど、でも、叔母の家族に愛されている、とってもいい子。

ありがとう、またね。

---

飛行機のダイヤと予約状況、および私の予定の関係で、帰りは博多からのぞみに乗る。京都で最終のサンダーバード号に接続。時間帯からいって乗り継ぎはたぶん最速(に近い)パターンだと思うが、それでもおよそ5時間半の長丁場。

博多まで出て少し買い物。
おみやげなどは既に宅急便で送ったりしたので、かなり身軽。化粧品などを見る。ロクシタンで、塗るタイプの口紅(軽めの色づき)とマッサージオイル(アロマテラピー的側面をもつ。リフレッシュのために)を買う。それからヴェレダのトライアルサイズの歯磨き(ソルト)。
本も少し買う。あと、食べ物(飲み物は持っていたので)。

今回の旅のお供(本部門)。

▼10月31日(木) 丸善@天神にて購入。
・長崎県高等学校教育研究会社会科部会編『新版 長崎県の歴史散歩』(新全国歴史散歩シリーズ・山川出版社、1989年)
# 旅の定番(本来はもっと早くに買って準備しておくべきだった。うっかり買い忘れていた)。
・『寺田寅彦随筆集』第2巻(岩波文庫、1964年改版)
・村上春樹『村上朝日堂ジャーナル うずまき猫のみつけかた』(新潮文庫、1999年)
# 以上2冊は猫切れへの処方として。村上春樹のほうはすでに単行本で読んだことがあった。しかし、猫好きを自認(他の人も猫好きだと認めるだろうな)する今改めて見ると、見え方が違う。

▼11月4日(月) メトロ書店@博多にて購入。
・南部和也・南部美香『ネコともっと楽しく暮らす本』(王様文庫・三笠書房、2000年)
# きりがない類の本。
・永江朗『インタビュー術!』(講談社現代新書、2002年)
# もちろん、タイトルはスタッズ・ターケルを意識しているでしょう。面白いし、よく整理されている。比喩があんまりうまくないところがぽつぽつ。
・木村聡『赤線跡を歩く2 続・消えゆく夢の街を訪ねて』(自由国民社、2002年) 
# 丸山遊郭跡を散策しそびれてしまったのだけれども。九州上陸記念に。
富山の遊郭についても項目が設けてあった。ひどい記事だったけど(と、りー氏と言い合ったことだった)。ひょっとしてりー氏が持っているのかも知れないと思いつつ買う。「2」は持っていないそうな。
こういう本を読むからといってこういうことを容認しているかというとちょっと違う。念のため。

京都で乗り換えたあたりで、叔母から携帯にメールが入った。
言葉と行間とを読む。うれしい。泣きそうだ。

じつはこの叔母は何か自分に通じるところがある、と私は勝手に思っている。姿かたちだろうか、性格だろうか、わからないのだけれどなぜかそう思ってしまう。だから言葉のひとつひとつが痛いときもある。
昔、叔父(この叔母の弟)に、「九州の姉にそっくりになってきたねえ」と言われたことがあって、いよいよそうなのかもしれないと思った(最近はまた少し違ってきたかも知れないけど)。

0時を少しだけ廻って富山に着く。

2002年11月04日(月)



 長崎(その3=最終日・2日目)

朝。
まず、市内のカステラ屋さん・松翁軒に寄って、宅急便で送ってもらう手続きをする。
待っているあいだにお茶とカステラの試食が出てきた。ふつうのとチョコレートのと。しかし私は朝方はものを口にしたくないほうなので(特に甘い物を朝から食べるのは苦手)、ごめんなさい、今おなかがいっぱいで、でも後でぜひ頂きたいので包んでもらますか、簡単にでいいので、と、ずうずうしくもお願いする。
おいしいものを食べきれないという時、この手をしばしば使う。お店の人の気持をむげにしたくないし、後でだったら食べたいと思うから。

諏訪神社と博物館を廻って、昨日と同じ場所へ。
今日はさむーいので、昨日の朝買った使い捨てカイロを腰の後ろにぺたり。

お昼ごはんを食べて戻ったら、入口のところに猫が。
や、やっと会えた!



長崎市文京町の猫。

猫は人の多いところにいるせいか(そしてえさをもらうことも多いのか)、ニャア、と言いつつ近づき、撫でさせてもくれた。さっきのカステラをやってもよかったのだけれど、うむ、君の(なかなか栄養状態はよさそうな)身体にはあまりよくないよ、と思ってやめる。イジワルでじゃないんだよ〜。
するとさっさと退場。



牛みたい。

終了後、Tさんがやってきて「今朝、丸山で小さい茶色の猫ちゃんに会ったんですよ」と、デジカメ写真を見せてくれる。かわいい! それになにより街の風景によく似合っている。丸山遊郭のおもかげ(美輪明宏はたしか丸山の生まれですな)。
私はさっき牛猫を見ただけですよー、と、しばし猫写真の披露。傍らで今晩の飲み会の話をしている方々がいるにも関わらず。笑。

雨の中、市内電車にぎゅうぎゅう詰めになりながら、繁華街へ。
ぱぴさんに教えてもらった茶碗蒸しと蒸しずしのお店「吉宗」へ。今日も長崎に泊まるというS(C)さんを誘う。
ちなみに店名は「よっそう」と読む(「よしむね」と読むとパッパカパッパカいう蹄の音とともにテーマ曲が流れてきそうだ)。
小さなどんぶりにそれぞれ入った、茶碗蒸しと蒸しずしのセットを頼む。他に小鉢などがついている。程なくして運ばれてきた茶碗蒸しの具は、かまぼこ・鶏肉・あなご・麩・ぎんなんなど。蒸しずしの上には錦糸卵と鶏そぼろ、それから昔懐かしいピンク色した「でんぶ」。蒸すとお酢の酸味が和らいで、普通のおすしとはまた違った味。おいしい。
Sさんといろいろ話す。近況についてとか、それぞれが思うことなどについてとか。
ワルクチではないが、どうして、と思うことはある。その気持をどこかで消化/昇華させたい。別に言うことでもない。と思いつつ、たぶん何かを抱えてそれぞれいるような気もする。
自分の中にある「どうして」と思う気持は、時々、少し引いてしまう・歪んでしまう気持でもある。だからそれらを口にすることは、自分のあさましさに気づくことでもある。なんだかなあ、と自分でも思いつつ、少しそんな類の気持を話したような気がする。
まあ、それはそれでもいいか。

お店を出てお茶を飲んで「とても楽しかった」と伝えて別れる。
私は長崎駅から特急に乗って戻る。今回の長崎行きは行きも帰りも「白いかもめ」号だった。このシートがまた、すばらしいのだ。
叔母の家にたどり着いて、緑茶を1杯飲んで人心地になる。ただいま。

2002年11月03日(日)



 長崎(その2・1日目)

再び長崎へ。今日は夜遅くなるので泊まりで。

叔母の家から長崎までは約2時間弱、昨日も泊まれば身体は楽だっただろうに、どうして泊まらずに往復したかというと、それは叔母のつくるごはんが食べたいから。
すごーく変わった食材を使っているわけでもなく、ごくごく普通のおうちのごはんなのだが、なんだか好きなのだ。ちょっとした材料の取り合わせとか。
テレビや雑誌などの媒体で紹介された料理をうまく取り入れているのかも知れないが、それにしても、いいな、おいしいな、と思って食べる。

寒くなりそうだったので、長崎駅のKIOSKで貼るタイプのカイロを買う(これは結局今日は使わなかった)。
それから駅ビル内の無印で実用品など。
数年前長崎に来た時、この駅ビルが建設中だったこともあって、駅前はほんとうに寂しい感じだった。長崎駅は終点で、電車が往来するにぎにぎしさという点ではちょっと欠けるような気がして、県庁所在地の駅前としてはずいぶん寂れているのだなあ(しかも観光地なのに)と思っていたのだけれども。

午後、仕事。
夜、懇親会(まあこれも仕事か)。+2次会
晴れたらグラバー邸で懇親会だったのだけれど、あいにくの雨のため、ホテルにて。久しぶりの人など。

猫好きのTさんとCさんに、のいがばあちゃんのパンツのひもをのみこんだ話をする。長崎に来てまで。

2002年11月02日(土)



 長崎(その1・日帰り)

通勤通学の時間帯に叔母の家を出る。特急「かもめ」で長崎へ。
乗るたびにいつも思うのだが、JR九州の車両は、どれもバラエティに富んでいて、便利だ。特急列車についていえば、お手洗いが男女別なのは当たり前だし、女性用については、着替え用のフットレスト(?)もついている。伝染したストッキングを履き替えたいなどという時に使える。

車中から見る佐賀平野は広い。九州の山はそんなに高くなく(阿蘇とかは別だろうけど)、ずっと連なっている。佐賀の山を見たら、雲のかかり方がちょっと独特だった。高山ではないのに中腹の方に切れ切れにかかっていた。気象の関係があるのだろうか。
宮本常一(民俗学者)が父から教わった十ヶ条に、電車に乗ったら車窓からの風景をよく見よ、というのがあった。見知らぬ土地に行くといつもそんなことを思い出して、キョロキョロする。その言葉を知る前からやっていたことではあるが、非常に納得がいく言葉だ。

今日のメインな予定を一番にクリアし、後はふらふら。まず、市立博物館に行く。
近くに原爆資料館がある。修学旅行の大型バスが次々と並んで走っていった。原爆資料館の中にも、修学旅行の小学生がたくさん。修学旅行というと私は中学の時にしか行ったことがないので(これは富山の公立学校に通っていた人なら一般的な経験である。なんなんでしょうか)、たとえば小学生がうろうろしているのを見るとふうんという気持になる。
少しおなかがすいてきたので松翁軒へ。2階の喫茶室でカステラとコーヒーを注文する。運んできた女性曰く「いつもは出来がいいんですけど、今日はちょっと・・・」。
えっ、そんなことを言われても。じゃあ今日はカステラを買わない方がいいってことか? 梱包するのはまた違うのか? などといろいろ考える。はがきを数枚書く。
カステラは一切れだけ食べて、もう一切れは包んでもらう。

孔子廟はちょっと期待はずれか。黄檗(宗)の寺にでも行けばよかった。でもオランダ坂の近くだったので、歩いてみたのはよかった。
他には中華街をふらふら。市内のあちこちに鎖国・幕末時代の史跡が残っている。

市内電車と徒歩で移動したのだが、市内電車の運転手さんのなんと温厚なことよ。人へのもののたずね方を知らない(=ありがとう、と言わない)修学旅行の小学生が生意気に聞いてきても、ぶっきらぼうになることなく、短気になることなく、親切に受け答えしていた。もちろんサービス業にはそれが大事なのだということも出来るが、そういう問題でもなさそうだ(というのも、その後いろいろな場面でのんびりほどよく人懐っこい気質に触れる機会があったから)。
カリカリした方が負けってことですな。もちろん怒るのも大事よ、大事だけどね。

帰宅して叔父(長崎赴任経験あり)に「長崎の人って・・・」と話すと、「長崎の人は怒らないねー。のんびりしている。本当にあれはえらいところで」と返ってきた。
笑いながら「怒る人は長崎の外に出ていってしまうんだよ」とも。
さて真相はいかに。

2002年11月01日(金)
初日 最新 目次 MAIL HOME