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みんみん



 準備

昨日の話。

その1。
のいが来たのをいちばん喜んでいるのは、実は祖母(大正8年うまれ、現在82歳)かもしれない。
じゃらし方なんかもなかなかどうしてけっこうハードで(腕には既に噛み痕が。笑)、のいは大喜びである。
のいが起きている時にはじゃらし、寝ている時にはそのまま編み物仕事をする。毛糸は買いに行かずとも、いろいろなところからやってくるようだ。ばあちゃんおばちゃん仲間の注文に応じて、チョッキなどを編んであげている。そのチョッキは、決して「見よい(=見た目がよい)」ものではないかも知れないが、背中が出ないようにこれでもかこれでもかとたっぷり丈が取ってあったり、とにかく、ゆるやかなオーダーメードではあるらしい。途中、色を変えて太縞が入っていたりするのは、ばあちゃんのアイディアなのかな。もちろん編み図なんてあるわけない。

その2。
城端(じょうはな)に行った。
その日の用事が済んで、狭い路地を車で通り抜けていたら、前方に白い猫がタッタッタッタッと走って出てきた。
スピードを緩めてじっと見る。猫を見るなんて幸先いいかんじ(だといいな)。
そういえば黒猫が目の前を横切るとよくないと言うけれど、私の場合はむしろ悪くなかったよ?

今日の話。

とにかく体調は最悪だった。連動して精神的にも。
仕方のないことなのだが、やつあたりするなと言われる。そういう言い方がいちばんムカッとする。
今はへいき(ちょっとのことで別人やね)。

明日のドライブ(というと楽しい響きだな。あ、楽しみですよ)に備えて、新しいロードマップを買う。
昭文社のマップルシリーズ。いちばん見慣れている地図(の会社)なのでつい選んでしまう。中部地区の広域地図に各都市の詳細地図もプラスされた、リング綴じの大判のものを選んだ。
ロードマップの他には、「立山」(生酒)と「満寿泉」。駅北のみずはた酒店で。お使い物のお酒はいつもここで買う。おばちゃんにあいさつ。
ドラッグストアでこまごましたもの。
ガソリンを満タンに。
それから、りー氏にのい近影を数枚プリントアウトしてもらう。今持ち歩いているのはちょっと小さい頃の写真だからな。これも旅じたく(笑)。

りー氏夜のお出かけ。
さっきプリントアウトしたばかりののいの写真(私のだ)を持っていきました。

2002年07月31日(水)



 心配

夜、実家に電話。用件は「のいのトイレ(今日届いた)を持っていったけど、わかった?」というもの。

「明日からどこに行くの?」日中、祖母にちらっと話していたのを伝え聞いたのだろう。
いや、明日じゃなくて明後日と明々後日。T先生の別荘が清里に出来たから、泊まりがけで行くことになって。
「あれ、いいねえー」
車で行くんだけどさ。松本まで車で何時間かな。
「えー大丈夫ー?(松本までゴニョゴニョ←父に聞いている声)3時間半だって、『ぺっちゃんこになるなよー』だって」
・・・

松本から清里まで多めに見積もって約2時間として。
だんだん不安になってきた(今までの最長運転時間は富山〜武生の3時間)。
でもりー氏は東京まで1人で運転していたし。
それにしてもまるで脅しのような心配だ(笑)。>父(母)

まあいざとなったら帰りは松本で1泊してきてもいいや。
というわけでもしかして疲れたら松本で泊まるかもよ。
りー氏「いいよ(♪)」
・・・まだ決めたわけじゃないんだって。

小淵沢(清里はもう少し北)から国立なんてそう遠くはないしなあ。
実は大した距離なのかも。>富山〜清里

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のいは本性発揮で暴れ気味らしい。
「来なさい」と言っても来ないが、人が行ってしまうとやって来るという性格(笑)。
自分の名前が「のい」であることは認識している模様(ウチにいたときはあやしいもんだったが)。

2002年07月30日(火)



 名残

昼、りー実家に届け物をし、実家に忘れ物を取りに行き、金沢へ。

時に、口当たりのいいことをいう人が、本当に理解してくれているかというとそんなことはない、ということはわかっているつもりである。だから一喜一憂するのも間違っているが、あくまで断片的でしかないだろう言葉の中にも、流れを見通すヒント(と私が思うもの)はあったりするから、油断はできない。
それでも腑に落ちたこととよくわからんことと。
まあ、いいや。私は私の仕事をやれ(できるだけ好意的に)。

森毅氏が何かの本で「勉強したいと思うことを(授業で)教える。教えると勉強するから」と言っていたのは、なるほどまったく正しい。
初めてその言葉に接した高校生の時には不思議に思ったけれど。

久しぶりにピアノに触ると、意外に大きな音がするので驚く。
自由自在にピアノを弾いている夢を見ることがある。暗譜して弾くのではなくて、自分がイメージした音を鍵盤で即座に再現出来るという意味での自在さ。そのためにはいわゆる絶対音感が確立していないといけないし、もちろん自由な表現を妨げない程度の技術も必要。
高校生の頃までピアノはやっていたけれど、あまり指の廻る方ではなかったと思う(今は更に廻らないので弾かない)。耳はそんなに悪くなかったんじゃないかと思う(今はあやしい)。
今、ピアノを弾く用事(笑)は全くないが(住んでいる家にはピアノがないし)、歌うときには頭の中に鍵盤が出てくる。それで指を動かして音程を取る。
# ちなみに弾きながら歌うことは出来ない。

実家ではのいにあいさつ。猫の鼻はひんやりとしている。
昼間はテレビの裏で寝ているようだ。

2002年07月29日(月)



 

実家に子猫を置いてきた後、りー実家に寄ったら、グッピーの子が生まれていた。子猫をいつくしむ家あり、幼魚をめでる家あり。
# 猫と幼魚の両方、という家もあるようだ。

ケージのない縁側はすっきりしている。
ちょうど1ヶ月まえ、縁側に来ていた時は、来たらすぐわかるように、いつでも縁側を網戸にして開け放っていた。梅雨どきの肌寒い日も。
それから数日して家族になってからは、外から大っぴらに見えることが憚られもして、窓は控えめに開けていた。
今は、暑い夏の日にいつもそうするように窓を開け放っている。
蝉の声。りー氏が餃子を焼く音(餃子を焼くのはいつもりー氏の役目)。

猫の引っ越しの件、「おれすっかり悪者キャラ(涙)」と自嘲するりー氏。
りー氏に対しては、なんでダメなんだ!と思う気持と納得せざるを得ない気持の両方がある。そして、りー氏が「いけない」と思う理由と私がそう思う理由とは、微妙に違ってもいる。
りー氏にとっては、契約違反であるということと、自分の家ならともかく、借り物である人の家を傷めるのはどうかということが問題だった。だからこの家に住んでいる限り、持ち家でない限り、動物をめぐっての状況は変わらない。
対して私は、こそこそ飼うことで日陰もの的な存在にしたくはなかった。嘘をつくところまでは行っていなかったが、隠微な嘘ではあっただろう。後ろめたい思いがあった。それがのいに対して申し訳なかった(猫バカと言われても)。
もっとも、りー氏の↑なころは、ちぇっ、と思う部分でもあるが、反面、非常に安心出来るといおうか、信頼できる部分でもあるので、まあ、しょうがない。ムカつくけど(笑)。長所と短所は裏表だ。

つらいつらいと言えることなら、まだいいような気がする。のいは実家にいるのだから。父さんも母さんもばあちゃんも気にかけてくれている。
でもいいかげん父さんには名前で呼んでもらいたいものだ。いつも「猫、どこよ」で済ませるのはいかがなものか(笑)。
そしてりー氏のさみしさはじわりじわりと。
あんなにしゃらくさいことが嫌な人が、かわいがって、さみしがっている。私と2人で撮った写真はちっともないのに、りー氏がのいと撮った写真なら何枚もある(笑)。

夜、母から「のいさん情報です」と電話。
家にも家族(父母祖母)にもすっかり慣れ、水を飲んだりご飯を食べたり。
母の足のあたりにまとわりついたり、父にじゃれたり。祖母が新しい家族に思いがけなく喜んでいる(日中はいつも祖母だけなのだ)。編み物好きの祖母が毛糸の玉をふたつ作ってやったら、大喜びで遊んでいるらしい。
実家は駅のすぐ近くなので、列車が来ると様子を窺ったりしているらしい。網戸の隙間から入ってくる虫に興味津々(たまに食べる)。車の音にさっと走って逃げてみたり。
父さんには名前で呼んでもらわんなんね。「うん呼んどるよ」
ありがとうお母さん。
家族のこと、知っているようで知らなかった。父も母も猫と暮らしていたとは。祖母も猫好きだったとは。
私は身近な大人の昔話を聞くのが好きだ。子供の頃の話とか。

うれしいさみしい。
とりあえず明日も明後日も実家に行く用事があるし。りー氏ひとりでも気をつかわずに行ってよいのだよ(当たり前だけど)と言う。

のいあるいは猫という動物を通して、今までとはまた違った風に物を見ていたような気がする。いいとかわるいとかではなくて、面白い経験だった。
今回は「猫」が媒介だったけれど、今後またいろいろそのような経験はあるだろう。「生」とか「死」とか。
経験していないことは想像するしかないのだけれど、想像よりは経験の方が説得力はある。一個人の生活歴の中では(全て経験者が「えらい」、とは言いたくない気持もあるのでこんなことをいってみる)。
わかっているような気でいて、ちっとも人のことなどわかっていないんだろうなあ。同じ人間がいない以上、わかるなんて無理だけど、わからないことによる救いもあるかも知れない。わかろうとすることの喜びも。
手持ちの札をとにかく組み合わせていくしかない。札を増やす努力も。

いつかまた猫とくらしたい。子猫から一緒に。
猫は1匹より2匹の方がいいみたいだよね。でも大変かな。
「変わらんやろ」
そう言うりー氏は犬を飼ってみたいようだ。もちろん茶色の雑種(「だらわんこ」)を。
でものいはのいだけだ。
のいさんや。

2002年07月28日(日)



 引っ越し

のいと一緒の部屋に寝たら、夜中、思っていたよりものいはにぎやかに運動していた。夜行性の証明。おとなしく私の近くで一緒に丸くなってくれたこともなくはなかったけれど。とても暑い夜だったので、私は寝汗をかいていた。そしたらのいが額の汗をなめてくれた。
猫の舌はとてもざらざらしている。手をなめられるぶんにはあまり気にならないが、顔の皮膚はうすいので、一所懸命になめられると実は皮膚が痛い。でも猫ばかは嬉しくて、痛ッと思いながら心の中で喜ぶ。やめるなやめてくれやめるなやめてくれやめるな・・・眠いながらもグルーミングのお礼を言い、私もなでてやる。

朝起きたらつんとしたにおい。のどの奥が痛くなるような。
空中散布のにおいではないか。でもこんな街中でまさか(田舎じゃあるまいし)。外に出たりー氏が、除草剤のにおいだろう、草が枯れている、と言う。
うちの周りは雑草が生い茂っている。りー氏の命により(笑)むしり取ることは禁止されている。しかし大家さんは目に余ると判断し、その結果*好意で*除草剤がまかれたのだろう。朝顔や葡萄やキウイの周りは避けてある。だからそこは変わらずに青い。
昨夜母がやってきた時に、まだ草は青々としていた。それが一晩で枯れる。夏の緑の中に、季節にはそぐわない部分的な茶色。知っているのに違和感のある風景。どこか「間違っている」ような異様さ。

昔、のいがやってきたばかりの頃。ある朝、まだ野良だったのいが、水たまりの水をぴちゃぴちゃと飲んでいたことがあった。私が朝顔に水をやったら、土のくぼみに水がたまったのだ。
そんなことを思い出した。のいが草を食べたりしなくてよかった。のいはもう外に出ていないのに一瞬そんなことを思う。

別に大家さんは悪いことをしたわけではないし、除草剤は必要悪なのかも知れないし、きれいごとばかりでもないのだろうとは思うけれど、あからさまな変化にはショックを受ける。

農薬のにおいはすぐにわかるのだ。私は田舎の子だから。

夕方、車のトランクと後部座席いっぱいに荷物を載せていよいよ引っ越し。
ケージ・届いたばかりの猫砂たくさん・使用中猫砂・えさ・トイレ(仮)・猫本2冊・のいノート(覚え書き)、それからキャリーに入ったのい。
実家でのいが行動を許された場所は、玄関・廊下・居間・ダイニングキッチン・脱衣所・階段・2階のうちの2部屋。他の部屋はドアや襖を閉めておくことになった。
ダイニングの一角にトイレと食事場所を確保した。寝場所はこれからのいが決めるだろう。

新しい家(と、わかっているのだろうか。言い聞かせてはあるけれど)の中をくまなく探検。
初めてうちに来た時ののいの目といったら、(人間の)子供と同じやね、と母。

夜、『釣りバカ日誌』シリーズ最初の作品をテレビでやっていたので、りー氏と両親と4人で寝ころんで観る。お約束のシーン(が、あるんですな)で、やだなー親とこういうの観るの、と思っていると、じつにタイミングよくのいが部屋に入ってくる(笑)。
意外なキャスティングをも楽しむ。

2002年07月27日(土)



 普通の一日

髪を切る。

カタログハウスの猫砂、お届けは8月初めになります、などとわざわざメールがあった割には、今日あっけなく届いた。
最初、代引きで届くはずの猫トイレかと思って、あ、代引きですよね、と言ったら、「いえ、違います」と言われた。注文した時の印象では、トイレはさっさと届くような風だったのだ。
遅くなります、と言って早く届くのと、早速に、と言って思いがけず遅いのと、結果は同じだったとしても心証は違うよね、と言い合う。
荷物は5kg×8袋入りの段ボール箱。宅急便のおじさん、大変だ。

それにしても夏の図書館は本当に人が多い。みんな涼みに来ているのだろうか。
数年前にリニューアルしてから閲覧室の席が減ったせいもあろうか。ごみごみしていて非常に落ち着かない。資格試験やら採用試験やらのせいか。まあ座れればまし(休日は席がなかったりする)。
出納業務やらコピーやら、窓口の人も仕事とはいえ大変だ。元気のいいお兄ちゃんがいるのだが、彼の声も疲れ気味。と言いつつ自分も何度も請求しているわけだけど・・・

夕方は獣医さんに行く予定だった。薬を飲みきったところで、のいのおなかから完全に虫が落ちているかどうかチェックするためである。
しかし肝腎の便がトイレにない。いつも朝昼晩と出しているので(健康的な・・・)、今日もてっきり日中にするもんだと思っていたが、朝出たきりだったようだ。
こまったな。一緒に病院に行く予定にしていた母(明日からのいの家族)の職場に電話する。その前に、
「ケージに閉じこめてみたらいい。他に何もすることなかったら『する』やろ」
とりー氏。本当かいな、と思いながら、とりあえずケージに入れ、電話をかける。のいもトイレに入っていく。
肝腎の便が出てないんだわ。今トイレに入っとるけど。
「様子見て出たようだったらまた電話して。今日は病院行くつもりで(父と祖母の)食事の支度はしてきたし」と母。
わかった、と言って電話を切ったら、見事に排便しているのい(笑)。

たとえ言葉がわかったとしても、そんなにさっと出るようなもんではないと思うのだが。
もっとも、叔母の夫(叔父ですな)とその息子(従弟ですな)は、さっと出る人たちらしい。「今日1回しかしてないから、しとくかな」などと言ってトイレに行くんだと叔母が言っていた。そういうこともあるのか。
よく食べよく遊びちゃんと出すなんてすばらしい限り。

母の車でりー氏と3人、のいに付き添って獣医さんへ。
金曜の夜だからか、患者さん(とその付き添い)がたくさんあった。ほとんどが犬。のいの他には大人の猫(キャリーの中に入っていたけれど、のいより鳴き声が低いので)が1匹。のいはすっかりナーバスになったのか、しーん。
検便の結果、無事虫は落ちているとのことだった。あとはワクチン2回目までしばらく病院とはさようなら(といってももう2週間したらの話だけど)。

いったん家に帰って、のいを下ろし、ごはんをやり、3人で犬カフェ。晩ご飯。

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明日、のいを実家につれていく。
夕方行って、私たちも泊まることにする。

私たちが普段寝ている部屋には、のいは入ってはいけないことになっていた。
今晩、私はのいの行動許可範囲である居間に寝ることにした。今晩だけ。

2002年07月26日(金)



 in the name of love

またもや図書館休み(最終木曜日=休館日)。
やられた。

どうしているのだろう、と思っていた人からハガキが届く。今スペインのグラナダにいるという。
帰ったらまた旅の写真を見せてもらおう。それから旅の話も。

名前。

悪意なく間違えられることがある(悪意あったらいやだけど。笑)。
難しい漢字を使っているわけでもないし、変わった名前でもないけれど、ワープロやパソコンの辞書には登録されていない漢字表記なので、よく間違えられる。読むには難しくない。だから書くときに間違えられる(手書きでない場合とくに)。

それから画数も少なくない方だと思うので、署名する時など雑になったりする。
比べてりー氏の名前は、姓名とも縦横の棒を引っぱれば完成する(さすがに左右対称ではないがほぼそれに近いと思う)。形も取りやすい。署名にはぴったりだ。

たとえ最悪の画数だと言われても、好きとか嫌いとかそういう次元のことではないだろう。名前には、私の知らない時間や空間や思いがあると思うから。
そして私を育ててくれた家族はいなくなっても(その時のことは考えたくないが)、私の名前は残るんだな。

りー氏は知らないうちにデジカメでのいの写真を撮ってはさっさと自分のPCにしまっている。当然私は見ることが出来ない(家族のだから見たっていいと思うかも知れませんがりー氏にそれは許されません)かなりむかつく。

愛とは、奪うものでも競い合うものでもなく、ただ相手のことを思い、その立場になって考え、努めることではないか。
が、
「やっぱりおれの方が好きなんだな、ふっ」
とかいう人がいると、つい張り合ってしまう。
愛のレベル低下(いかがなものか)。

そんなのいに対して、一部より、実家へやらずこのまま拙宅にいさせろ、という嘆願が出ております(苦笑)。

2002年07月25日(木)



 ねむい日

とにかく眠かった。

実家に行ったら母@お休みに「目の下にクマが出来ている」と言われる。久しぶりに2日連続で食べて飲んでしゃべった(歌ったりもしたな)せいか。
どんなに遅くなっても早く目は覚めるし。というより、そんな時に限っていつもより早く5時なんかに目覚めてしまうのだが、それから眠ればよいものをつい起床してしまう。朝の時間が好きなのだ。それでのいと遊ぶ。

この子猫の1日の行動パターンもだんだんとわかってきた。朝は愛らしく、昼はのんびり、夜はやんちゃ、といったところだ。
朝は愛らしい。どこにいても、人間の来る気配がすると、とっとっとっとっとやってきてニャーと言う。ゴロゴロのどを鳴らしながら足のあたりにまとわりつく。こちらがしゃがむと人間の口元に顔を近づけてぺろぺろとなめる。
「おはようおはようごはんごはん」
人間のツボをついて愛らしく友好的なのも要はおなかがすいているからだろう。
今晩はりー氏が禁断の猫じゃらしを出して遊んでやっていた。なぜ「禁断の」かと言うと、ご機嫌になる、というよりひどく凶暴になるからだ。野生を忘れてはいないらしい。とりわけ今日は聞いたことのないような低いうなり声を上げていた。
そのくせ、隙を見て標的を隠したら、次の瞬間には平常営業に戻っているあたり、非常に単純である。でも素直でよろしい。ある意味ウラヤマスィー限り。
行動は「遊ぶ」「食べる」「寝る」「排泄する」に類型化される。食べて出して遊んで寝て遊んで寝て遊んで寝て・・・食べて出して遊んで・・・(以下略)

人間の行動は類型化出来るのだろうか?

それにしても本当に大きくなった。来たときよりもふたまわりくらい大きくなった気がする。

こないだ上京の折に、りー実家用に、話題のフランス人パティシェによる焼き菓子(栗のパウンドケーキ)を買ってきたのだが、ばたばたしているうちに行きそびれて、結局賞味期限が来てしまった(おい)。それを切って食べる。
一般受けするような、ある程度想像のつくような味ではなく、何とも言えない風味。ある意味、実家へのお土産にはしなくてよかったのかも(言い訳)。

夏に観る予定の映画、1本追加。オースティン・パワーズ ゴールドメンバー。でも1と2を観てないから、ビデオで予習(笑)しておこうっと。

2002年07月24日(水)



 ナク

早い夕方、北西の空にもくもくとわき起こる雲が見えた。あれはもう夏の雲だなあ、と思っていたら、あとで、梅雨が明けたらしいと聞く。

やや、エネルギー消耗気味。
肩が凝るような、背中が固いような。
泣くというのは身体を弛緩させる行為かもしれない。泣いたあとにすっきりするのはそのせいかも。
子供はよく泣く。大人はあまり泣かない。泣いても根本的には何も解決しないのだ、と冷静に思ってしまうと泣けない。でもたまには泣く。たまあに。
そういう涙は知らず知らずのうちに止めることが出来ないでつつー、と流れるものだが、今の私は、もっと自発的に泣いてみたい気がする。泣いたら流しきることが出来るだろうか。
泣いていない今は、泣いてもどうしようもない、と思う(泣いたら泣いたで気持いいのに)。そう思う自分が、すこしつまらない。

小さなことで安心を得る。悲しい気持もそもそもは小さなことがもとなのかも知れない。嬉しいことばかりでも悲しいことばかりでもない。虚無的にではなく。
嬉しいや悲しいにもいろいろな方向と性質があるのだ。

2002年07月23日(火)



 再会

仕事でお世話になっているK夫妻と約半年ぶりにお会いする。長期滞在先のチェコからお帰りになったところである。皆でお土産話をいろいろと伺う。
なんでもチェコ語って格変化が7つもあるんだそうな。
中部ヨーロッパの人々には、英語=田舎の言葉、という感覚があるとか。そういった見方からすると、7つもの格変化は、「ラテン語に近い」=言語の古い形を残している=歴史ある言語=エライ、ということになるらしい。
そういえばこないだ先輩@ドイツ語の先生と、ドイツ語とフランス語はどっちが難しいかという話をした。私はドイツ語って全くわからないのだけれど、彼の話を聞く限りでは、フランス語の方が文法的にはシンプルなんじゃないかという気がしたけれど、これは人によるとか。動詞の活用はフランス語の方が複雑らしいし。
お土産のカレンダーと絵葉書も頂戴する。絵葉書の方は、教会附属の図書館を撮影した写真で、ドーム型の天井には天使達が描かれ、壁面いっぱいの書架には、まさに重文級らしい宗教書やら哲学書やらが並んでいる。ページを開いた状態で展示してある巨大な本は楽譜だ。四角い音符が記してある。羊の皮に書いてあったりするのだろうか。

夜、高校の同級生であるMさんと、研究会仲間であるKM君と、3人で飲む。
彼らは大学の同級生だ。
Mさんとは今まで何度も個人的に会っているけれども、KM君とはいわば仕事関係で知り合った人なので、個人的な話をするのはとても不思議な気がする。そして彼らは実に数年ぶりの再会らしい。Mさんとは不定期に会っているが(こないだ会ったのは1月の終わりだから久しぶり)、KM君とは最低でも年に2回お目にかかる機会がある。ここ半年は事情によりひと月に2回のペースだったけど。
同い年。何だか久しぶりに飲んだ。

どこにいようと私は私で、仕事の場での私と、個人的なつながりでの私と、本当は傾向が違うわけでない。人との関わりも、できれば社会性の枠にとらわれることなく持っていきたいと考える。
例えば他人と接する場を変えてみると(ex.会社・学校の中→外)、また違った面白さが見えてきたりする。使う言葉の幅も広がる。ということは、より豊かな表現(方法)が可能になる。
要はそれが楽しい。

2002年07月22日(月)



 玄米

ご飯はいつも3合くらいまとめて炊いて、食べきれない分(が殆どだけど)は1膳分ずつ小分けにして冷凍している。先回炊いた分は昨日うな丼@土用にして食べきったので、今日は玄米を炊いてみることにした。
スーパーに行ったら2種類の玄米がおいてあった。数kgの袋入りと、1合ずつのパックが5袋入っている発芽玄米。とりあえずお試しということで、後者を買ってみる。
発芽玄米は最近話題らしい。水加減は普通の米の場合と同じでよく、浸水せずにすぐに炊くことができる。圧力釜を使わずとも、普通の炊飯器で問題なく炊きあがる。好みからいうともう少し水を控えめにしてもよかったのではないかと思うくらいやわらかく炊きあがる。くせもないので、玄米入門としてはいいかも知れない。香りがあまりしないのは残念。

考えてみたら自分でお金を出してお米を買ったのは初めてだ。いつも実家からわけてもらっているから(ありがたいですなあ)。
# おにぎりやお寿司(=ご飯)を買ったことはもちろんある。

携帯電話を見ると母からの着信履歴。察するにお中元を持ってきてくれようとしたのだろう。電話をかけ直す。
すると母はりー実家にいるとのことだった。まあまた来週にでも、と話をして、
「猫は?」
のいの引っ越し(拙宅→実家)はまだかという。
えー、もうちょっと、ちょっと待って、と答える。
薬を飲みきって、もう一度獣医さんに行ったらね、とか何とか理由を考えるが、薬はもうすぐなくなるのだ。心の準備が出来ていない。
のいが楽しく幸せならそれでよいのだよ、と心から思いつつも、でもきっと私たちのことなんか忘れてしまうんだろう、などとめめしく考えてしまう。悲しい。

暑中見舞いを数枚。
書いているうちに少しだけ気が楽になる。

2002年07月21日(日)



 夏休み

図書館に行ったら駐車場に車が止まっていなかった。これはおかしい(そんなに空いているわけがない、平日ですら混み混みなのに)と思っていたら、閉館日だった。なぜ?蔵書整理か?−−道すがら旗が掲げてあって、そうか祝日か、とそこで気づく。

世間的には夏休みの初日。

家庭教師先で、絶対評価となった通知票の話をする。
「相対的には」お勉強があまり出来る子ではないのだが、今期末試験は頑張った成果が出た。それが通知票に反映されたようだ。
これが自信となって弾みがつけば。>受験生

カタログハウスから「2003年度版ピカイチ事典」が届く。季刊のカタログの総集編とも言える(初めてカタログを読んだのは高校生の時。初めて買ったのは大学生になってからだけど)。
猫用トイレの砂が載っていたので早速注文。いいのを探していたところ。
実はトイレ自体も探し中。今は100円ショップで買ってきたシューズケース大のプラスチックケースを使っている。しかしいつまでも使える大きさではない。
ホームセンターを2軒回ったけれどいまひとつピンと来ず(形はともかく色が・・)、ネットで検索して、安くてシンプルで実用的なつくり(に見える)のトイレを見つけた。猫砂@「ピカイチ」事典紹介ページで使われているのもこのトイレと思われる。
問題は、トイレ本体よりも送料+引き替え手数料の方が高いこと。倍以上になるんだもんなあ。と言っても安価だから結局買うんだろうけど、少々あほらしいかなあと思ったり。

普段すごーく映画を観るという方でもないのだが、この夏はいろいろと気になる映画がある。
メジャー系では、以前も書いた「MIB2」(パグが気になる)「猫の恩返し」(猫好きとしては)の他に、富山が舞台の「釣りバカ日誌13」(笑)。
「釣りバカ」の本木監督は富山市出身だが(となりの中学校・父の母校@高校の卒業生)、ポストに入っていた地元校区(このへんでは「校下」という語を使う)の広報に、同じ本木姓で顔がそっくりな人が自治振興会の会長として写真入りで出ていた。ひょっとしてこれはお父さんかな、私たちの住むS「校下」の出身なのかね、というりー氏の仮説にはどこか納得できた。
昨日実家に行ったら母が「『釣りバカ』のチケット要る?」と言うので、これ幸いともらってきた。何でも母の知り合いが本木監督の親戚で、その縁で講演に来てもらったとのこと(でついでに前売り券もたくさん買ったとのこと)。聞くと果たしてS(「校下」=校区)の人だった。おそらく振興会会長さんはお父さんだろう。これらは富山のシネコンで上映するから、そのうち観に行こう。
この他にシネモンド@金沢で上映する映画にも気になる作品。「エトワール」「モデルカップル」「JAZZ SEEN」「クロエ」など。
夏休みもついでを作って金沢に行こうとは思うけれど、シネモンドみたいな映画館が富山にあればもっと身近でいいな。
すごーく映画を観るという方でもないくせに、映画は映画館でと思うのだ。

2002年07月20日(土)



 お出かけ

午前中、Yさんのところへお手伝いに。
作業が早く終わったので、YさんとKさんと一緒に犬カフェへご飯を食べに行く。
途中、N井さんに遭遇。私はこういう時、たとえ車中であっても、わ〜!と手を振ってしまう。←危ない(もっとも逆にそれをやらないとなると・・・)。以前、峠茶屋の交差点でF村さん@自転車に遭遇した時も、信号待ちをしながら「Fさーん」と叫んだ覚えが。
もっとも、富山だから声をかけやすいということはあるかもしれない。職住接近だから。

夕方、のいを連れて獣医さん以外の場所に初めて出かける。
最終目的は実家での「体験学習」だが、その前に犬カフェに立ち寄る(本日2回目)。もしお客様がいらしたら用事だけすませて失礼しようと思ったのだけど、たまたまスタッフだけだったので、動物を入れる了解を得て、のいも一緒にご挨拶。
中に入り、ケージを床に置くも、なかなか外に出ようとしない。遊んでくれる人がいるというのに。えらくおとなしい。まさに猫かぶりだ。
犬カフェには大きな犬と猫(猫も大きい)がいるので、その手の動物にしかわからない匂いがいろいろとするのかも知れない。

その後実家へ。母は既に拙宅にて面会済みだが、父と祖母は初めてだ。玉ねぎを隠し(猫には毒なのだ)、トイレ、それから食事と水の用意をして、人間も揃って夕食。
最初は姿勢を低くしてそろそろと部屋の匂いを嗅ぎ回っていた。もちろん緊張はしているのだ。でもトイレもしたし、食事も水もとったりしているところを見ると、いつもよりは緊張しつつもやることはやっているという雰囲気に見える。
ストレス値が上がっていることは間違いないので、本当はこういう場合、放っておいて好きなように遊ばせてやるのがよいのだ。それでもやはり小さい生き物の動向は気になる。父などは、「みんなでわあわあ言ったらびっくりするやろ。『見とらんぞ』というそぶりで適当に放っておいてやれ」ともっともなことを言っているにもかかわらず、自分のつま先にちょっかいをかけている様子を見ずにはおれない。

前に比べて、大きくなったね、と母。顔つきが違ってきたね。
のいは椅子用ざぶとんの紐で遊んでもらう。
母は保母をしていて、普段小さな子供たちと接触して遊び慣れているせいか、のいとも根気強くつきあってくれる。
先生が必ずしも子供好きであるとは限らないように、保母だからといって子供のことをわかっているとも限らないだろう。しかし、自分の子供(私や弟たち)はいざ知らず、その他の子供(猫含む)と付き合う様子を客観的に見ると、プロだなあ、と思う。

野菜だのたくさんもらって22時前に帰宅。
のいはケージからものすごい勢いで走り出る。張り切って鴨居部分まで上る。その後初めて自力で下りる。
実家ではごくまれに細々と「にゃあ」と鳴くくらいだったのが(犬カフェではさらに鳴かなかった)、帰るやいなや運動会だ。
一応今はここが家だとわかってはいるらしい。

その後りー氏は友人と会いにニュイカフェへ。ちゃんとふとん敷いて寝とられ(=寝ていなさいよ)、と言われていたのだが。
のいと並んで、のびー、と寝ることの幸福。

2002年07月19日(金)



 装い

シネモンドヘドウィグ・アンド・アングリーインチを観る。ドラッグクイーン系のロック映画ということになるんでしょうか。化粧品提供はM・A・C(エンドロールに出ていた)。
りー氏は「もっとドロドロしたのかと思っていた」らしく肩すかしだったらしいんですが、私はそれなり面白かったです(だってあれでドロドロしてたら救いようがないんじゃあ)。わかりやすく、娯楽性がある。いささかのメッセージも。ヘドウィグもチャーミングだったし。ロック好きの人も楽しめそうです(あーりー氏はロックな人じゃないからなー。って私もそうだというわけではないんですけど)。音楽を聴くだけでも楽しめます。

映画を観る前に少し時間があったので、香林坊109の喜久屋書店(今度、高岡@県西部の中心に出来るショッピングセンターにも入るそうな)とアニエスベーをひやかす。
喜久屋書店の猫本コーナーで、不安定な気持が少しだけ落ち着く(!)。洋服@秋物のほうは、形は面白いのがいろいろあってよかったんだが、ここのところ色は見事に黒ばかりだなあと思う。こないだYさんと会ってお洋服の話をしていた時にも出た話題。来シーズンは(も)黒が多いのかね、という話。私は黒よりも黒に近いくらいの濃紺の方が好きなので、これで紺色だったらなあ、と思う。
バーゲンの案内も届いていながら行っていない。6月の終わりからやっているから、もうめぼしいものはないだろう。でも秋物を見たい。最近ちょっといいな気になるなと思っているところがあるから。
装うことは時々防御になる。しかしやはりむしろ反対に、攻撃性−−というよりもいい意味での(押しの強さとかずうずうしさではなく)積極性が出るといい。
まず心身がありその上に被せるもの。

本屋さんでは文庫本2冊とまっぷるを買う。まっぷるは再来週の旅(というのだろうか、恩師の別荘@清里で研究会。車で行く予定)のため。

映画を観て、金沢の友人宅へ。ネット環境についての相談にのってあげて(りー氏が)、ご飯をごちそうになった。専業農家だけあって(一所懸命頑張ってます)新鮮な野菜を使ったお料理がたくさん出る。黒米入りの玄米の香ばしさにりー氏とふたりして喜ぶ。圧力鍋を使えば簡単に出来るはずだから、今度試してみよう、と話す。

その圧力鍋は、頂き物である。
りー氏の縁で頂いたのだけれど、実はそのように立派な品物を頂戴するほどの働きもしていないらしい。それじゃいかんやろ。
と思っていたら、今度縁あって圧力鍋のお礼らしきことが出来そう。よかった。
お祝いに玄米でも炊きますか。

2002年07月18日(木)



 

蓬や茅の生えた家は、〈(かつては知らず今は)荒れ果てたあばら屋〉ということになっている。
蓬や茅は生えていないかも知れないが、私たちの家の周りは、雑草でぼうぼうだ。草むしりが嫌なのではなくて、家族(猫じゃない方)がむしるなというのである。荒れた感じがいいのだと。
・・・わからんでもないけどさー。わびだのさびだのいうのとはわけがちがうよなー。
夏草はいよいよ盛んに繁っている。

夏休みにはいつも小説を読みたくなった。夏の読書というと、エアコンもつけないで、ベッドに寝そべって、あつー、と思いながら、『美は乱調にあり』『諧調は偽りなり』を読んだ大学2年の夏を思い出す。瀬戸内晴美描く伊藤野枝のむんむんする若さと、暑苦しい気候とを、どこか重ねていた。午前中せっせと読んで、午後からは集中講義に出ていた夏。
面白い小説って読み出すととまらなくなるから無意識のうちに控えているのかも。

そしてまだ夏は来ないようだ。
(気候の上でも、仕事の上でも。)

梨はもう実をつけていた。小さくて固いながらも。
金沢の蓮もそろそろ花の頃だ。月曜日に行ったときには、ひとつふたつみっつくらい、蕾がみえた。明日(も、行く予定である)はどの程度咲いているだろうか。

しゃぼん玉セットを買ってみた。まだ、試してはいない。

2002年07月17日(水)



 fragment

降ったり晴れたり降ったり晴れたり。忙しいことです。

出かける時には大雨だった。
いつもだったら歩くか自転車に乗る道のりだけど、あんまり雨がひどいので、ちょっと車に乗ってしまう。仕事をしている途中でかーっと晴れてきた。お昼ごろには、傘を持っているのがなんだかおかしな感じになっていた。
終わってからTさんを富山駅まで車で送る。来週遊ぼうねえ、という約束をする。

たとえば出かけたくないなあという日。ちょっとだけ気分が高揚する方法を、小さくいろいろと考える。気に入っている洋服を着ていくとか、新しいシャンプーをおろしてみるとか。
今日の場合は〈新しいシャンプー〉作戦で。

今までためこんでいた事務的作業をいろいろと。
十把ひとからげにしてはいけない。

ごはんを食べる約束がひとつふたつ。思いがけないところに人はつながっているものだ。

お地蔵さんの角の家に猫がいることを知っている。
毛の色は、白を基調に、しっぽが茶トラ、顔のまわりも少し茶トラ。のいは茶トラだから、のいのお母さんかなあ、と勝手に思ったりする(きわめて大胆な推理)。のいが赤ちゃんだった頃を私たちは知らない。
昨日ワクチンを打ったからか、いつもよりおとなし目。
いつもよりは。

2002年07月16日(火)



 再び

普通の1日。

昨日帰ってきた時にまだ声が本調子でなかったようで(しゃべりすぎ)、りー氏に「声が酒焼けしている」と言われたのだった。
ちがうよ単なるしゃべりすぎだよ、大声でしゃべりすぎた(だいたい「焼ける」ほどには飲んでない)、と答えたりしていたのだが、今日はちゃんと元に戻っていた。もともと声が低いのがもっと低くなっていたんだけれど。
しかしどうもだるーなので、仕事へ行きがけ、久しぶりにコンビニでドリンク剤など買ってみる。ちなみにたまーに飲むとすれば、アルフェミニチョコラBBライトリポビタンDライトあたり。あまり強そうなのは飲まない。飲むとしてもほんとにたっまーに、です。

大阪在住の下の弟より写メール。ちょうどお休みで、東京からのお友達と一緒に祇園祭に来ているのだとか。すぐ後に電話があって話した。今日は宵々山で、日中はまだ静かだと言っていた。
いいな写メール、と少し思う。

眠っているのいに声をかけるりー氏。
一瞬目を開けて、でも眠いのでまた目は細くなって、しかしやっぱり話し声がするのでもう一度大きくなって、とはいえやっぱり眠いことに間違いはなく、またもや目は、だんだん、だんだん、だんだん細く・・・ぐう・・・
その様子を観察しながら、「あんたと同じやな」とりー氏。

コンタクト取らんならん(でもねむいー)「ちゃんと取って寝なさい」ねむいー「ねるなー」(むにゃむにゃー)「ほら!」寝てないよ起きとるもん(と言いつつ目は開いているだけ)明日の資料がー(むにゃむにゃ・・・)

だから猫も人間もいろいろ疲れるんですわ。

そんなのいは今日とても頑張りました。獣医さん行き。
体温を測って(猫は肛門で計測)、ワクチンを打ち、直接検便(肛門に直接棒状のものを差し入れ、便を採取)。1と3が痛そうだった(2はさほどでもなさそう)。子猫だしねえ。
気にしていたやっかいなお腹の虫問題、今は一段落しているようだ。ほっとする。
家に帰りいつもの縁側に行きペットキャリーから出してやると、とたんにゴロゴロ言い出した。か、またなんちゅかわいいやつよ(=これはまたなんというかわいいやつだ)。人間の場合と一緒で、注射を打ってしばらくは激しい運動をしてはならない。当分、運動会はお休み。
体重は1.3kg強。うちに来てから約400g増えている。人間の年齢に換算すると小学生である。やんちゃざかり。でもまだまだ甘えたい。

濱マイクを見つつ眠くなる。観たい観たいと思いつつ初めて見た。ほんと映画みたい。永瀬正敏ってつくづく「あんちゃん」だよなあ。

「あんちゃん」と言えば(あまり関係のない話)。
子供の頃、母が、トラックとかバスの運転手さんのことを指して「運ちゃん」と呼んでいたので、尋ねてみた。
お母さん運転手さんと友達なん?
だって「ちゃん」とか言ってるし(「ちゃん」は友達を言うのに使うでしょ?←子供の思考回路)。

台風が近づいているようだ。

2002年07月15日(月)



 帰宅

翌朝。いつもよりゆっくり起きる。
最近、ひとりでホテルで1泊する時には、テレビをつけっぱなしにして眠る。エネルギーの無駄遣いだな。眠りは浅いのかもしれないけれど、閉塞感に息苦しくなって眠るのに苦労するよりはましだ。

こういうシチュエーション(週末出張でひとりでホテルに泊まる)の時、日曜の朝はだいたいNHK総合をつけている。ニュースを見たりなんかしてほどほどの時間になると、「中学生日記」が始まる。「中学生日記」=出張2日目の朝という図式が成り立っている。友人にハガキなど書きながら主に音声だけ聞き、たまに画面を見てはこの女の子かわいいなあ、などと思う。

今日は予定らしい予定はない。せいぜい、おみやげ買いを楽しもうと思う。
お昼の新幹線で帰るので、午前中は銀座に出ることにする。さて、プランタンって何時からだっけ。新日曜美術館@ETVを観ているであろうりー氏に電話して尋ねる。あのさちょっと調べてほしいんだけど。あおはよう(順序が逆)。
そんなわけで10時少し前に銀座に着く。主にデパートの地下をぐるぐる。
ここでりー氏のおみやげとしては、竹隆庵岡埜のとらが焼と鎌倉小川軒(代官山小川軒ののれん分けらしい)のレーズンウィッチ。
とらが焼はとらのようにまだら模様のどら焼。とら模様の猫がいるからには買わずにはおれぬ。

午後帰宅。
りー氏は、猫の写真を持っていくことに難色を示していたくせに、私がいない間に一部屋片づけて自由に遊ばせてやったり、デジカメでいろいろの写真を撮っていたりしている。

メールを読んだりすぐに返事を書いたり。
夕食に崎陽軒のシウマイ@りー氏のおみやげその2をたくさん食べる。もう少し食べたいな、くらいのところで止しておけばよかったね、と言い合う。少々食べ過ぎた。

土曜日、NMさんとはあまりお話もできなかった。
でも掲示板があるからそんなに離れている気がしなくて、と言って下さった。
それこそが。

2002年07月14日(日)



 母校

6:45富山発の電車で上京。
10時前に東京着の予定。13時までに八王子の方へ行かなくてはならない。
さてそれまでの時間どうするか。たぶん今日は夜遅いはずだから、ちょっと体力を温存しておきたい気もする。古書店めぐりをするのはやめよう。
アグレアブル・ミュゼでやっている写真展も気になるのだったが(ギャラリーとしてのスペースの使い方だとか)、乗り換え案内で検索してもどうも慌ただしすぎるようだったので、今回はやめておく。残念。
考えてみれば3年前以来、大学には行かなくとも国立に行かないことはほぼなかったような気がする。そういう意味でも残念。

電車の中から出張で上京中のTKさんにメール。
1週間の滞在の後、彼女は今日富山に帰る予定。こないだ撮った猫の写真、東京で渡そうか、と言われて、それもいいなと思ったのだけれど、お互いの東京での予定が合わないようだった。でも急に国立行きをとりやめたから、考えてみれば会おうと思ったら会えたのよね。すまん。

結局乗り換えのためもあって新宿に出る。デパートで化粧品のサンプルなどもらったりして、そのまま目的地へ向かう。
若干時間があったので、駅前のスターバックスでコーヒーを飲みつつハガキを書く。駅前は典型的な週末の新興住宅地の風景だ。いやびっくり。

受付でNMさんとHさんに会う。わー、という気持になる。
懐かしい人たちがいろいろいろいろ。先輩後輩先生。ほとんど同窓会状態である。近況報告など。新しい人たちもちらほら。当然のことだ。
後輩の発表と恩師の話を拝聴する。

その後懇親会。
中には、年に何度かお会いする方もある。個人的におつきあいがあるとか、仕事の上でつながりがあるとか。でも、こういう場でなくてはなかなかお目にかかれない人も多い。お世話になった方や、かつて一緒に勉強したりたわいもない話をしたりした(こっちの方が多いな。笑)人たち。こんな時間や場がことさらうれしく感じられるのは、東京を離れているからかもしれないし。
20代を共に過ごした人たち。今はもうその年齢ではない。たかだか数年のことだけれども、ずいぶんと環境は変わった。変わってないところもあるけれども。
ありがちな言い方だけれど、みんな、大人になったということか。少なくとも私は(つーか、昔が子供過ぎ)。

楽しかった。時間が足りませんでした。
ああ、でも、先生にお酌もしなかった(汗。今日だけに限らない)。
しゃべりすぎて声がガラガラ。お酒には弱くなっている。

この「母校」は、卒業しているんだけれど今もつながっているので、あまりその言葉を思うことはない。いまさら何を言っているんだ、という感じで。しかし自分がそこにいたという事実は、ことある毎に実感させられる。ずいぶん長いこといたし。
「母校!」といって思い浮かぶのは高校あたりか。

まず、自分の中に必然性を見いだすこと。
目の前にたまたまあるから、ではなくて、それが何であるかを知りたいから、物事を明らかにしようとする。そこから問題が発生する。どうすればよいのか考える(なかなかうまくいかないこともあるけれど)。
というような話を、今日の発表ともからめて、帰りの車中、先輩とする。
というような話をすると、あ、母校なんだ、と思う。

前出アグレアブル〜のNTさんに電話。残念だけれど今回はお店に行かれない、でも夏休みのうちにまた上京したいと思っているから、その時にはね、と話す。

夜中に一息ついてテレビをつけたら、ナイナイの番組で黒部峡谷が出ていた。
名剣温泉私も行ったよ。

今日の(も)のい。
出張にのいの写真も数枚持っていく。りー氏には「そういうのは自己満足的で恥ずかしいからやめなさい」と言われる(この人は本当に「そういうところ」が徹底している。最近はちょっと違うかも知れないけど・・・)。人に見せるんじゃなくて自分で見るために持っていくんだから、それから猫好きとわかっている友達に見せるんだし、と答える。
さて求められて猫好きの先輩・友達・後輩に写真を見せると、かわいいー!と言われる。特に、自転車のタイヤに絡みついている写真など(猫バカ)。
SYさんのご実家は農家で、家にはいわゆるペットはもちろん、ヤギや牛や馬などもいたそうだ。小学生の頃、学校から帰る途中、真っ正面から牛が走ってきて、とっても怖かったそうだ。牛は自分で止まったからよかったけど、とのこと。
それは怖いに違いない。しかしこういう経験はむしろ例外だろう(笑)。

2002年07月13日(土)



 日なた

日中。暑かった。洗濯日和。
玄関前のたたきで水しぶきを上げていた。コンクリートが強い日射しに照りつけられ、そこに水がかかる。
焼け焦げたような匂い。夏休みのプールで甲羅干ししていた時の匂い。

のいの肉球もちょっと日なたっぽい匂いがします。

『FEEL YOUNG』をあらかた読んでみた。
少女マンガ、と括ったのは間違い。訂正。でもレディースコミックでもないよ。
学園生活でも恋愛でも仕事でもないテーマというのがいろいろ提示されていて面白いです。興味関心諸問題はそう簡単に分類できるものではない。強弱も色合いもいろいろであるということがよくわかります。
個人的には、男女の表現(それを恋愛とはあえて言うまい)がもうすこーしプラトニックだといいかなー、などと思ったり。って別にエロエロってわけでもないんですが。このへんは雑誌の性格でしょう。隙間を残してある方がいい。
やまじえびねの名を発見して、なんだかなつかしい気持になる。昔を思い出す。ちょっと画風が変わった気もするけれど。

猫について書かれた文など。
別段探しているわけでもなくて、ただ物のついでに目に飛び込んで来る。

私たちの目を見ながら、はっきりと口を開けて、にゃああ、にゃあああ、にゃああああ、と訴える。
(訳・縁側から出してよーもっと広いところがいいようー)
これはたいへんにつらい。自分がものすごい極悪人のように思えてくる。
結局諦めて寝床に行ったりして、そんな姿がさらにまた無性にせつない。
先日来撮っていた写真は、フィルム40枚のうちほぼ全てが猫というアホぶり。しかもオートマチックカメラで被写体に近寄りすぎてどれも皆ピンぼけ。技術的になってないのに近づきたくてしょうがないものだから。
りー氏はそのへんキビシーけれど、私はぼけてようとなにしてようとかわいいもんはかわいい。
いっそのことこのまま家で飼っちゃえば、と、いろんな人に言われるけれど。けっこう原理原則主義なりー氏。

のいの毛と同じような色をしたオレンジ&茶色っぽいシャツ。それを着てのいと遊ぶりー氏は、猫の親分みたいに見える、と母は言った。

秋口の仕事始めは例年より遅いようで、夏はまるまるお休みになりそうだ。ひたすらにうれしい。
「お休み」というのは文字通り休暇という意味ではなくて、自分のために使える、ということ。
とはいえ、高校受験生を抱えてもいる。勉強するのは自分ではないし、そのうえ現実は厳しいしで、真面目に考えるとかなーり大変。まあしかしこればっかりは。

明日明後日は出張(自腹。笑)。
今度こそ携帯から書き込んでみたい。>日記

2002年07月12日(金)



 80年代

帰ってきたら「FEEL YOUNG」が机の上に置いてあってギョッとする。
数秒あって、ああ、岡崎京子か、と思う。りー氏は岡崎京子作品が好きなのだった。買ってきたのはマボロシの岡崎作品が採録されている号。
桜沢エリカの名も。

弟たちは私が買ってきた「LaLa」や「ぶ〜け」だとかを読んでいたので、私も男子が少女マンガ(いわゆる少女マンガ、とでも定義しよう)を読むことに違和感はない。
しかし岡崎京子は少女マンガか、というと少々違うような気がする。りー氏は少女マンガな人ではない(高3の時の担任は少女マンガな人だったな、余談ながら)。だから買ってきたことにギョッとしたのだ。
岡崎京子は、資質的には少女マンガの系譜にあってよい人だと思うけれど、位置づけられ方は明確に少女マンガのそれではない。

りー氏は私が「ぶ〜け」の別冊だとか「YOUNG YOU」(あくまで「YOUNG〜」。いわゆるレディースコミックの判型ながらエロ要素は皆無)を買ってくるといかにもケーベツしたような目で見るのだが(だからというわけではないが最近はめっきりマンガ雑誌を買うこともなくなってしまった)、岡崎京子を好きだという人が岩館真理子を「何それ」といってはいかんやろ、と悪態をついてみたりもするのだった。

岡崎京子の最も熱烈な読者は文化系(やや軟弱)男子だろうと推測する。
文科系じゃないよ文化系。
あのアホさ加減、深読みされ具合。これらはもちろん褒め言葉である。
かつて背伸びしながら80年代文化の中に入ろうとしていた私にも、どこか気になる作者の1人である。ただし80年代はやっぱり「ビョーキ」だけど。

以上、全て印象批評でした。

りー氏が懸命に小屋掃除をした直後、無惨にも猫砂を掘り返しまき散らすのいさん(推定3ヶ月)。愛とはなんぞや。
いまさらながら成長著しいように思われる。そんなのいの願いはもっと広いお部屋を走り回ること。


2002年07月11日(木)



 チケット

2種購入。
その1。今週末の東京行き・往復交通費+ホテル1泊つきパッケージプラン。
直近のことなのでエアチケットは取れず、久しぶりにJRで。

富山ってどうやって行くの? と聞かれることがしばしばある。
まず東京からの場合でご説明しますと(笑)、
飛行機は富山便が1日8往復(最近JAL便が2往復参入)。

JRの場合、富山からは、
特急:富山→越後湯沢(約2時間弱)
新幹線:越後湯沢→東京(約1時間半弱)
と乗り継いで行く。
最速パターンで3時間8分(乗り継ぎ時間含む)ではなかったか。まあ、3時間半で行くと考えるとよい。

なお、空港は富山市郊外にあるので、富山に到着してからはさほど時間がかからない。市街地にかなり近い方の空港だと思う。福岡空港には及びませんが(笑)。

関西からは特急一本で約3時間。本数もたくさんあります。
札幌・函館・名古屋・福岡便は1日1往復。それから今は季節限定で那覇便も。
名古屋へは直通の特急も走っています。

詳しくはこちら
どうぞ皆様お出かけください(笑)。

話がずれました。
チケットその2。9月にある米朝一門の寄席。りー氏の分と2枚。

日中は眠くてぜんぜん話にならなかった。
いけませんいけません。
夏こそは規則正しい生活が大切ですね。眠りの質が日中の活動を大きく左右する。

書類をいじっていたら、中くらいに昔の日付が書かれたものが出てきた。
いつどこでコピーを取ったのか一瞬忘れるくらい。えらく長々と抱えていたことを再確認し、あきれる。

夜、のいと遊んでいると、りー氏が、「さっきのい鳴いとった?」と聞いてきた。
鳴いとったと思うけど? どうして?
「いや、外の方から猫の鳴き声が聞こえたから」
え? このへんあんまり猫来ないけどね。
その後夕食をとっていると、ざあざあ降りの雨音に混じって、にゃー、という声がした。わ。あれ猫だね。たぶん子猫だ。
かつてののいのことを思うとどよーんとした気持になる。散歩中ならいいのだが。それにしてもこんな雨の中を。

日記のカウンタが1000を越えていた。
ありがとうございます。

2002年07月10日(水)



 知らぬ間に

午前中外で仕事。
TYさんに会う。猫バカらしくのいの写真を見せる。

窓を開け放つ。一雨降って、室内を通りぬける風が心地よい。昨日とはずいぶん違う。

帰宅後、のいにご飯・くすり・点眼。
人間はハラ減ったと思いつつごろりと横になる。気がつくとよだれを垂らしつつしばし午睡(おい)。このところ火曜日の午後は、気持の上でひと区切りというか、小ブレイク的な気分にひたれる時なのだった。
ハッと気づいて出かける支度。文房具を買いに行き、それから図書館へ。しばし地道な発掘作業。地味な成果あり。

気がついたらけっこういい時間になっていた。さて夕ご飯は何にしようかね、とコピー待ちの間に考える。そういえばこないだりー氏はハヤシライスを食べたいと言っていたな。帰りにハッシュドビーフの材料を買う。しかしマッシュルームは売り切れ。まあいいや。

「なんでまた今日はハッシュドビーフにしたん」
え、だってあんたこないだ食べたいって言っとったやろ。
「・・・え。」そうだった、も何も、全く覚えていなかったらしい。
頭の中をのぞいてみたいものだ。

夕立が降っていたのかもしれない。

ぬれながら穴掘る熊や夕時雨(倚彦)

2002年07月09日(火)



 お天気占い

朝からすでに30℃を超えていた。

カエルが死ぬと雨。
根拠はない。でも、子供同士でよく言い合っていたことだ。実際、雨の日の道路には、カエルがよくひっくり返っていた。
みみずが死ぬと晴れ。
同じく根拠は不明。今日仕事先(「自然に恵まれ」たところにある)で、炎天下にさらされているたくさんのみみずの死骸を見た。本当にたくさんの。

暑くて思考能力が停止、ということもある。
公的な場所で、暖房がない、ということはまずない気がするが、冷房がない、ということはままある。
こういう時に大事なことを言われてもだめかもしれない。

私は暑いのも苦手だが眠いのもだめだ。
電話1本かけて眠ろうと思いつつ、ぐー、だ。うたた寝もする。
りー氏には「猫並み」と言われる。猫並み上等。

猫はのどを鳴らす。
たとえば、人間の膝にどっかりと座って、あごの下あたりをなでられた時などにごろごろやる、そう思っていた。
しかしのいはしょっちゅうごろごろやっている。ごく最初の時期からそうだったので(といったってまだ会ってから2週間も経ってないけど)、この猫はおなかでもこわしていて何か虫でもいるのではないかと思ったくらいだ。
猫がごろごろやっているのは機嫌がよい時である、と私は思っていた。
「それはどうかな。」
人間の都合のよいように考えすぎだね、とりー氏。
さあ遊びましょう、という時や、ごはんをねだろうとする時にごろごろいうのはわかるが、かの猫は初めて病院に行ったり目薬を入れたりする時ですらごろごろやっている。
「だらだ。」(注:だら=アホ、バカ。バカよりもアホに近い語感。)

知り合い(複数)が「猫の性格は遺伝による」と言っていた。
ならば、猫における学習とはいうのは可能なんだろうか。これは飼い主によっても考えが違うようだ。事実はわからない。ただし、猫が苦手な人もいるので、そういった人達に対する配慮は最低限しておかなくてはいけないだろう。みんながみんな○○(←適宜何でも入る。動物に限らない)好きだとは限らないから。
もちろん、好きな物を我慢する理屈もない。そのあたりのバランス。

人間は日々学習することを前提とされていますが。

2002年07月08日(月)



 水蜜桃

到来物の桃がたくさんあったので、午後、いっきに2個剥いて食べた。りー氏の好物。
「桃」とだけいうよりも、「水蜜桃」といったほうがみずみずしく感じられる。気分の問題。昔の小説に出てくる食べ物のようだ。

ぺたぺたと裸足で家の中を歩くと気持がいい。

最近うたた寝癖に拍車がかかっている。のいを寝かせようとして並んで一緒に横になっているうちに(詭弁)間違いなく眠っていってしまう。
暑いとそれだけで体力を消耗するような気がする。頭の中も。

夜、Mさんがりー氏をピックアップしに来宅。のいと数日ぶりのご対面。それから、『クロ號』というマンガを貸してくれた。けっこうしんみりくるよーと。
主人公(?)のクロは捨て猫だ。のいはどうなんだろう。本当のところはのいしか知らない。
のいは私(たち)のことをどう見ているのだろうか。りー氏はマイペースでのいとつきあっていて、そこがどうもいいみたいだ。私はどうしてものいに好かれたいと思ってしまう。
猫だけじゃなくて人間についてもそうだな。
今日は私の顔めがけて(髪の毛が気になるらしい)何度も何度もジャンプしてきた。概して夜はやや暴走気味。そしてここ数日で(慣れたのか)ジャンプ力の伸びが著しい。
飼い猫はいろんな鳴き声を開発するようになるらしいのだが、確かに日がな聞いていると、いろんな鳴き声があることがわかる。明確な主義主張の鳴き声になっていることもあるし、鳴き声になってないものもある。

七夕。当地では旧暦の行事である。

2002年07月07日(日)



 緑の山々

今日はフェーン現象でした。
台風の影響です。むわーっと暑い。
富山は、北に海(富山湾)・中央に平野(富山平野)・南に山(北アルプス他)、という地理的環境にあります。見える山の形は県内でも場所によって異なりますが、富山県のほぼ中央部で育った私にとっては、山と言えば立山連峰がどーんと屏風のようにそびえているというイメージがあります。
夏になると北アルプス山頂の雪は解け、山は白から緑へと夏の色に変わります。しかし、緑の山々をはっきりと目にすることはあまりありません。どういうわけか、夏の山は靄っていて、一枚何か薄いヴェールを纏ったようにしか見えないのです。
しかしフェーン現象の日は別です。

フェーン
(アルプス地方でつけられた名称) おろしの一種。山腹から吹きおろす乾燥した高温の風。山腹を昇るとき雨を降らせて乾燥した空気が反対側の山腹を下るとき断熱圧縮によって温度が上昇するもの。山間の盆地などにしばしば高温をもたらす。フェン。風炎。(『広辞苑』第四版)

今日はむわむわと暑い、そんな日に山を見ると、全体が濃い緑色をしています。ぼやけていないのです。いつもならぼんやりとしか見えない山が、緑色のかたまりになって迫ってくるかのように見えます。
なんか長野みたいだな、とその度に思います。長野は盆地なので四方が山に取り囲まれていますが、その山々は、夏であれば全て緑色です。
夏の山はくっきりとは見えない。そんな風に刷り込まれているので、たまさかフェーン現象によって空気の状態がいつもと異なり山が明瞭に見える(=緑色に見える)と、何だか知らない場所にいるみたいで、落ち着きません。
でもその間に山の稜線やら中腹やら、地形をじっと見ておけるのは楽しいです。といいつつ、どれが何山だかさっぱりわからないのですけれども(苦笑)。

私の母は立山町という町の出身です。立山連峰の名がついた町で、確かに山岳地帯もあるのですが、母が住んでいたところは普通の平野で、別に「登山をしながら毎日学校に通った」とかいうわけではありません(笑)。
でも母の実家に行くと、自分の家よりも山が迫ってくる感じはしました。確かにすぐそこにあるのだ、という見え方です。
ずいぶん迫っている。母はこんな風景を見て育ったのか、と思います。

更新されたりー氏の日記にのいが登場しております。
撮影時にはまだ向かって右目の目やにがひどく、左右の目の大きさが違います。今はこんなではありません。
体重は撮影時より最低でも200gは増えているはずで(2日で100g増えていた実績がありますから)、今だともうちょっと大きい感じに写るのではないか。今は1kgちょっとというところです。いちばん遊びたい盛りなので、ちょっとツボを押してやると狂ったように遊びまくります。猫は狩りをする動物だということを実感します。

昼、TさんとY君来宅(さくらんぼごちそうさま)。
夕、母が来宅(桃@りー氏の好物とお花をありがとう)。
Y君の家には6歳のメス猫(白。両目の色が違う)がいるので、いろいろと猫話を聞きました。
今日、私は、柔らかい木綿で出来たワンピースを着ていたのですが、猫にとっては生地そのものが既に充分なおもちゃとなりうるということがわかりました。しかも長いスカートというのがヒラヒラと動きがあってどうも好きらしい(「人間と反対やな」とは、りー氏のくだらんレスポンス)。(疑似)猫パンチや(疑似)猫キックの応酬をくりかえすうちに、私はちょっと調子に乗りすぎたらしく、のいを怒らせたようでした。「シャーッ」と言った次の瞬間、しっぽが膨らみました(りー氏の観察による)。こうなるとしばらくは止まりません。ワンピースの裾や紐を、まるで獲物を狙うかのように追い続けます。
実家の祖母(のいと同居予定)は編み物が好きで、このところ暇さえあればずっと編み棒を動かしているのですが、毛糸なんて見つかろうものなら。
「毛糸にからまる猫」って。あまりにもステレオタイプな。

夕方、新しいキャットフードと猫砂用スコップを購入。その後、犬カフェへ。
犬カフェはオープン1周年ということで、特別の趣向になっておりました。りー氏はバナナジュース、私はレモンミントのペリエを飲み、雑貨類を購入。手作りコースターやポストカードなど。

2002年07月06日(土)



 文庫本

好きである。小さくて、いつどこにでも持っていけるから。
それに、寝ころんで読むにも都合がいい。
大学生協では夏休み前になるとたいてい文庫本や新書の割引率が上がっていた。夏に文庫本はふさわしいということか。キャンペーンとかやってるしね。

中公文庫BIBLIOというシリーズ。講談社文芸文庫のようにお値段はややお高めだが、同様に(ジャンルは異なれど)ラインナップがすごい。こんな本が寝ころんで読めるとは(笑)。どう考えても黒っぽいハードカバーな作品(←比喩)ばかり。
りー氏曰く「社会思想社の現代教養文庫みたい」。
# 社会思想社つぶれちゃったんだよね・・・本はどうなるのか。

さて私は中島敦『南洋通信』を購入。『山月記』の中島敦である。
この間思うところあって若者(たち)に「『山月記』を習ったか」と聞いたら、イエスと答えたのは、なんとそのうちの半数以下だった。へー。『こころ』とか『舞姫』とか『羅生門』とかって、どの教科書でもだいてい必ず載っているものだと思っていた。そうじゃないんですな。
これは各教科書のオリジナリティのせいなのか、それとも時代による変遷なのかはわからない。国語ないし現代国語の教科書に載っている文章は年々変わってきてはいるらしいけれども。
私は教員免許(中・高国語)を持っているが、高校での教育実習で担当したのが高校2年生だった。現代文古文漢文を全て数時間ずつ担当したが、現代文では『山月記』をやった(ちなみに古文は『おくの細道』、漢文は『桃花源記』)。高校生にとってはまず文体が手強いだろうに違いないので、教える時もかなーり緊張した。よくもまあこんな難しいのを実習生にやらせるものだ、と思った(一方でそういう機会を与えられたことを嬉しくも思ったけれど)。現代文は好きだったけれど、教えるとなると本当に難しい。それは真にわかっているとは言えないということかもな。
そんなことを少し思い出したりもし、改めて、というより、ちゃんとまともに中島敦を読んでみたいと思ったり。今回の購入はその一端である。

それはそうと、前出・文芸文庫の「戦後短編小説再発見」シリーズ全10巻、いいなあ。ラインナップを見るとぞくぞくする。それで改めて、戦後の日本の小説というものが好きな自分に気づく(大して読んでいるわけでもないですが)。

昼過ぎ、出かけようとしたところに、ひょっこり上の弟一家がやってくる。兵庫県の尼崎市に住んでいるのだが、今週来るかもという話は聞いていた。
義妹と甥っ子(そろそろ2歳3ヶ月)は以前にも来たことがあるが、弟は初めてである。ご飯を食べに行く途中に寄ってくれたとのこと。ちょうど生のブルーベリーがあったので洗って出す。桑の実みたいだね、と話す。
ケージの中ののいともご対面。実は猫というのは、子供があまり得意ではないらしい。猫にしてみると、好奇心全開で向かってくるところがね・・・といったところだろうか。しかし子供にとって猫は不思議な存在だろう。甥っ子もケージ越しに小さな手を入れようとする。
するとのいはわかるのか「シャーッ」と(昨日に引き続き)また威嚇している。四肢はつま先立ち、しっぽはややふくらませ気味にしていた。身体は小さいけれど、人間に換算した年齢だとのいの方がややお兄さんになるわけだ。生活年齢は3ヶ月だけど。
人間というのは実に手のかかる生き物なのね。大変さも喜びも「手がかかる」ところにあるのだろう。

今年、庭先のぶどうの葉はとりわけ虫に喰われているような気がするのだが、青じそもすごいことになっている。夕食時かろうじて4枚ほどむしったが、他はボロボロ。直接口に入れるものに薬剤を撒くのもいかがなものか。木酢液などは虫除けにいいのだろうか。父に聞いてみよう。

そういえば先日実家に行った折、納屋に玉ねぎを取りに行ったら、完熟気味の梅がたくさんごろごろしていた。近くには天日干し用の箕(み)があり、裏の戸口のところには、赤紫蘇の束もあった。梅酒は既に幾瓶も漬けてあるようだが、今年は梅干しも漬けてみるようだ。昔は祖母が漬けていたけれども、たぶん今年は父か母が漬けるのだろう。
帰り際に室内を覗いたら「梅のすべて(めちゃくちゃ単純化された仮称)」みたいな本があった。父が買ってきたのだろう。父は凝り性というかまず勉強してから物事に取り組む人なので(ただし電化製品については直接アタック)、畑の作物についても、1作物につき最低1冊の本はある。ちょっとしたライブラリーかも。
この分では間違いなく「猫の飼い方」的な本もいずれ買うに違いない。すでに私も何冊か持ってるけれどね・・・
実用書というのとはちょっと違うかもしれず、また有名な本ではあるけれど、猫好きを自負するようになってから買った本。ポール・ギャリコ『猫語の教科書』(灰島かり訳、スザンヌ・サース写真 ちくま文庫、1998)
やっぱり私はあの子猫(=のい)と付き合っていきたいのだ、と心が強く揺り動かされた本。

でその子猫はテレビの上で微動だにせず眠っております。置物のようで笑える。あんたのベッドは別にあるやろ。
かといって起こすのもなー(うたた寝同好の同士には甘い)。

2002年07月05日(金)



 アメリカ

暑い暑い1日。アメリカ独立記念日。
確か中2か中3の時の定期試験で、答えが「アメリカ独立戦争」となる問題が出た。
私は「独立戦争」と書いて△(部分点ですな)だったので、えーどうしてー、と先生に言ってみたのだが、ちゃんとアメリカって書かなきゃ、と言われて、そーゆーもんかなー、と思ったのだった(今は先生に感謝する)。
その先生はベテランの女の先生で、何か新しいことを勉強する時には、前もっていくつかの語を調べて来るよう私たちに課した。「清教徒革命」とか。
それで私も早起きをして(ちゃんと前の日にやればいいものを。笑)朝日の中、百科事典をひいて書き写して行ったりした。こういう課題は面白いなと思っていた。ただ文字を引き写しているだけで、書かれている言葉の意味が本当にわかっていたかどうかはあやしいものだけれども。
その先生から「物見遊山」という言葉を教わった。慶安の御触書。物見遊山をしたり、茶を飲んだり、絹を着たりするような贅沢な妻とは離縁せよ、という条を読みつつ、「物見遊山楽しいねー、先生はすぐ離縁されてしまうねー」と笑いながらおっしゃっていた。
私は「物見遊山」という語と行為が大好きだ。

今、世界史をやり直したら、おそらくとっても面白いと思う。
数学だってきっと。

そういえば昨日、Tさんと電話していた時に、後方から鳥の鳴く声が聞こえてきた。彼女は文鳥を飼っている。
音楽や話し声を聞くと2羽の鳥たちもにぎやかにさえずり出すという。私は昔セキセイインコを飼っていたが、うちにいたのもそうだったかもしれない。
おかしいのは、籠越しにインコと向かい合って、口をぱくぱくさせ続けていると、そのうちインコも「ぱ、くぱくぱく?」という感じでおずおずと口をぱくぱくし始めたこと。嘘みたいだけれど本当の話(少なくともうちのインコはそうだった)。

今日も動物病院に行った。
病院にはパグ(10歳・メス)がいる。毎日いろいろな犬猫(犬猫専門病院なので)がやってくるだろうに、その犬はとってもおとなしくきちんとしている。
この間初めていった時には受付の奥の方にいて何か見守っていたが、今日はトットットットッと待合室まで出てきた。そして、腰掛けている私の足元にやってきて見上げた。これが何とも素晴らしい表情なのだ。かわいい、というのとも違う。「かわい」くないわけではなくて、もっと適切な言葉がありそうな。まるで「今日はどうされましたか、大丈夫ですよ、どうぞ安心して下さい」と言われているような気持になる。
犬の10歳というと、人間の年齢に換算すると60歳過ぎくらいになるそうだ。ゆったりとした、よい雰囲気のある犬である(犬相手はちょっと苦手らしいのだけど)。そのうち私の隣りにちょこんと座ってくれた。
のいはと言えば、キャリーの中から何かを察したのか、シャーッと威嚇している。こんな優しい犬に興奮してあんたは(しかもキャリーの中から(笑))、と思いつつ、一応犬が見えないようにキャリーの向きを変えてみる。
正直に告白すると、今まで私は、パグってなんだかわがままそう・・・などと思っていたのだ。子供の時によく走って追いかけてきたブルドッグのイメージと混同していたのかもしれないが、それにしても、こんなにおとなしくておだやかな犬だとは思わなかった。「彼女」はまた、特別らしいが。
コンパニオン・アニマルという言葉の意味が実感されるこのごろ。

ワクチンを打つためにはまず結膜炎を治す必要がある。1日3〜4回の点眼は、日中祖母しかいない実家では少々難儀だ。なので、のいはしばらくうちで暮らすことになりそう。今日は住環境についてりー氏が工夫してくれたので、以前より自由に遊べるようになり、ストレス値も少しは低くなったと思われる。自由もあくまで比較の問題で、ストレスゼロってことはないだろうけれども。
今日はマッサージをしているうちに私の膝にもたれかかって半分寝言を言いながら眠っていってしまった(後で起きたけど)。よほど疲れたのだろう。

そんな私がこの夏観るべき映画は「猫の恩返し」と「MIB2」(パグ登場)か?。

2002年07月04日(木)



 聴くという贅沢

車軸を下すがごとき雨。側溝から水が溢れそうだった。
そのうえに雷。かと思えば晴れ、再びつよい雨。

夜中のETV。
りー氏が楽しみにしている小泉武夫氏の「人間大学・発酵は力なり」に引き続き、「古典への招待」を観るともなく観る。
後者はかつて高校生の頃、佐伯真一氏(元・パール兄弟サエキけんぞう氏の実兄)目当てに『平家物語』の回を観て以来かも。お兄さんの方はその後実際にお見かけしたことがある。高校生の頃によくパール兄弟を聴いていたため、ミーハーな気持がわき起こってしまったことは否定できず。
今日は佐佐木幸綱氏(うっかり信綱と書きそうになる)の『万葉集』講義。贈答歌についてのお話。
専門の人の話を聴くのはいいですね。どういうジャンルの話でも興味深い。何がいいって、対象を大切に思う気持が伝わってくるところが。

Tさんからメールがあった。のいに会いたいと言ってくれた。おお、ようこそようこそ。
早速久しぶりに電話をする。うちにはたぶん来週くらいまでしかいないけど(涙)、それ以降だったら一緒に実家に行って、ついでにご飯でも食べて来ようよ、などと話す。
本日ののい。
トイレが一度でうまくできる。やっぱり人に飼われていたのだろうか。
人の家の子となるために、あとは爪研ぎが彼のテーマである。
(拙宅では)初めて生タイプのキャットフードを与えてみる。
ねずみ型猫じゃらしで大いに運動。
うへー!というくらいにおもちゃの子ねずみはいたぶられていたが(そういえば私がかつてハムスター飼いだった頃、猫は敵だった。田舎は開放的というかなんというか、オス猫がスプレー(なわばり誇示のためのおしっこ)していったりしてたもんなあ)、そんなことではボロボロにならないくらいに丈夫に出来ているのだった。妙なところでりー氏と感心する。
おもちゃは単純なものの方が喜ぶようだ。使っていないハンカチでも利用して、手作り猫じゃらしなど作ってみたいかも(猫ばか)。

メールの返事がたまり気味。いかんなあ。

2002年07月03日(水)



 のいのはなし

のいは、麦わら色の子猫です。
性別はオス、たぶん3ヶ月くらい。
春生まれの猫。母は「春子(はるご)」と言っていました。

neu(ノイ)。ドイツ語で「新しい」という意味です。
「第2外国語はドイツ語だったにも関わらずすっかり忘れている」りー氏がとある本から見つけてきて名づけました。

のいは今拙宅の縁側に置かれた大きなケージの中にいます。
木曜日、私たちは初めてこの猫と出会いました。いろいろ考え悩んだ末(その悶々は数日前の日記にある通りです)、猫は私の実家で暮らすことになりました。飼い猫にすると決めてから、昨日あたりから心がけて(ようやく後ろめたくなく)スキンシップを図るようにしていました。名前もつけました。
それから獣医さんに診てもらうことにし、動物のセミプロ・Kさんに評判の良いお医者さんを教えてもらいました。そこは家からも実家からも少し離れたところでしたが、目星をつけていたペットキャリーも無事手に入ったので、早速行ってみることにしました。

とても人なつこくて愛敬のある子ですね、と、のいはお医者さんにほめられました。動物がほめられるとまるで自分がほめられたように嬉しいものなのですね。先生はお若いですが、こちらの心配事にもいろいろ答えて下さり、何もわからない者にはとても心強いことでした。

今日はいろんなことがありました。
犬カフェで猫や獣医さんの話をし、
のいを初めてキャリーに入れ、
のいを初めて車に乗せ、
獣医さんに初めて行き、
のいに目薬をさしてもらい、
のいを初めてケージに入れ、
のいを初めて(ケージの中ながら)家に入れました。
私たちは何度も、複数の目的地と家を往復しました。でもそんなことは大したことではないのですね。のいの感じたストレスに比べれば。

病院では目薬を頂いて帰宅し、すぐりー氏にケージを買いに行ってもらいました。今は外に出さず、炎症を治めることが大事です。
その間のいをキャリーに入れたまま傍について過ごしました。晩ご飯を食べてのいは満足・・・するはずだったのですが、突然、今までに聞いたことのない鳴き声で狂ったように暴れ出しました。噛んだりひっかいたりしたことは今まで殆どなかったのに。
どうしていいかわかりませんでした。あまりひどく暴れるので、外に出してやろうかととっさに思ったくらいでした。
のい。本当に困りました。でも本当に困ったのはのいだろう。
のいごめんね、せっかくいい子にしていたのに狭いところに入れてごめんね、こんなことになってしまってごめんね、もうすぐもうちょっと大きなおうちが来るからね。
のいは何かを感じるのでしょうか。それきり静かになりました。少し眠って、グルグルとのどを鳴らすようにまでなりました。
その後ケージに入ってバタバタした時にも、のいに話しかけました。目がなおったら広いおうちに行こうね。
また静かになりました。
ケージに入れる時、りー氏は、「すまんのう」と言っていました。
今、のいは眠っています。

よく、ぶどうの木の陰に隠れていたのい。私たちの足の間をぐるぐると巡り、今日はお迎えもしてくれました。
写真をもっとたくさん撮っておけばよかったなあと思います。もちろんこれからだって撮る機会はあるけれど、でもうちの草むらにいるのいは本当にかわいらしかった。
猫はあっという間に大人になってしまう。今は子供の時間を一緒に楽しませてくれています。

そうそう、病院には、なんと3人の人間がついて行きました。
3歳の猫を飼っているMさん、りー氏、そして私(笑)。
父兄がたくさんです。

それから母も猫の名前をひそかに考えていたようです。私の名前から一字取って「みー」。みーちゃんと呼ぼうかと思っていたそう。(実は母の誕生日にやってきた猫なので、S子(母の名前)と名づけようかという話もあったのでした。そしたらきっとしーちゃんと呼ばれたりしていたことでしょう。)
でももうのいと呼んでいるから、と言ってはみたけれど、ありがたい親の思いというべきか。
せっかくなのでミドルネームにします。O(私の姓)・みー・のい。

さっきキャリーの網ごしにひっかかれた跡さえ、消えずに残っていいよ、と思えます。
猫ばかと呼ばれても。

2002年07月02日(火)



 氷室

ひむろ‐の‐せっく【氷室の節句】
江戸時代、六月一日に、旧臘の雪水で製した折餅(ヘギモチ)または氷餅などを祝って食した行事。(『広辞苑』第四版)

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金沢では昨日が氷室開き(『広辞苑』の陰陽に「六月一日」とあるのは新暦と旧暦の差、ほぼ1ヶ月遅れと考えてよいでしょうね)。かつて加賀藩主が将軍家に白山の氷を献上した名残の行事が今でも行われているとか。そして翌7月1日、氷室饅頭と称する饅頭を食べる習慣となっているらしい。
仕事で通りかかる道沿いに、なかなかひなびた感じの和菓子屋さんがあって、ずっと気になっていた。今日はそこで氷室饅頭でも買ってみるかいなと思った。でも仕事前に買ってしまうと悪くなってしまうかも、と思い、夕方に立ち寄ってみた−−ら、もう売り切れだった。そりゃそうだろうな。せめて行きの道すがら、予約だけでもしておけばよかった。ざんねん。
今度はぜひ何か買い求めてみよう。
富山の朔日饅頭はほぼ一店寡占であるが、金沢の氷室饅頭はそうではないようだ。本来慣習って、氷室饅頭の場合のように、大枠は守りつつ詳細はゆるやかなものではないのか。

諸々買い物をしてバタバタと帰宅。
いか納豆たくさん、ねぎ入りだしまき卵、すり身(たくさん)の味噌汁、でごはん。

昨日買ってきたフランス菓子の続きを食べる。しょうが入りマドレーヌ風菓子や、スパイスとココナツの入ったパウンドケーキがとても新鮮なおいしさ。アイディアあるなー。

最近ますます早起きが徹底しています。夜更かししても必ず早起きする。朝の時間がとても大切に思える。
雨もまたよし。ちょっぴりすごくうれしいことがあってうれしい(日本語になってない)。

明日も元気でいこう。

2002年07月01日(月)
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